【第一日目:平成23年2月19日(土)】(その2)
→伊豆急下田②③→
② 下田 ~唐人お吉記念館・宝福寺へ行く~
昼食後、駅から徒歩10分ほどの場所にあった「唐人お吉記念
館(とうじんおきちきねんかん)・宝福寺」へ行った。
この記念館では、館内ガイドさんが解説をしてくれ、下調べ
をせずに入館した自分には大変有意義であった。
そのガイドさんの説明によると、江戸時代末期、お吉という
名の娘が、下田にいたアメリカ総領事・ハリスの侍女として奉
公させられたことで、(異国人を蔑視していた時代の)世間から
ひどい差別にあってしまい、それを苦にして命を絶ったとのこ
と。彼女を不憫に思った宝福寺の住職(当時)は、彼女のお墓を
作り、現在まで供養をし続けているとのこと。そして、現在、
お吉の悲劇的生涯を、著名な役者たちによって芝居で上演して
いるとのことだった。
また、ガイドさんから宝福寺に関わる別の話を聴いた。
宝福寺は、勝海舟が土佐藩主・山内容堂公と会って、坂本龍
馬の脱藩を許してもらった場所であったとのこと。
その後、坂本龍馬が(昨年の福山雅治主演の大河ドラマのとお
り)活躍したことから、宝福寺を坂本龍馬の「飛翔の地」(ゆか
りの地)として現在位置づけているとのこと(観光PRですね)
私は激動の幕末において、南伊豆・下田の地でも歴史的な出
来事があったことを知り、ちょっと勉強になった。
左 : 記念館前にあった坂本龍馬・お吉のパネル
右 : 坂本龍馬のゆかりの地であることを示した碑
③ 下田 ~ペリー上陸記念の地へ行く~
続いて、街なかをぶらり歩きながら、ペリー上陸の地へ行っ
た。現地には、イカリと石碑があった。
私は、いま自分が立ち止まった場所が、日本の開国に向けて
黒船でやってきたペリーが上陸した地だと思うと、ちょっと感
慨深かった。
左 : なまこ壁をした下田開国博物館
中 : 庭の紅梅が美しい了仙寺
右 : ペリー上陸の地
ペリー上陸の碑を見た後、ペリーロードを歩きつつ、伊豆急
下田駅へ舞い戻った。そして、電車に乗り込み、次なる目的地
・蓮台寺駅へ向かった。
左 : 伊豆急下田駅前の黒船モニュメント
中 : 伊豆急下田駅舎
右 : 蓮台寺へ向かう際に乗車したリゾート21黒船
→伊豆急下田②③→
② 下田 ~唐人お吉記念館・宝福寺へ行く~
昼食後、駅から徒歩10分ほどの場所にあった「唐人お吉記念
館(とうじんおきちきねんかん)・宝福寺」へ行った。
この記念館では、館内ガイドさんが解説をしてくれ、下調べ
をせずに入館した自分には大変有意義であった。
そのガイドさんの説明によると、江戸時代末期、お吉という
名の娘が、下田にいたアメリカ総領事・ハリスの侍女として奉
公させられたことで、(異国人を蔑視していた時代の)世間から
ひどい差別にあってしまい、それを苦にして命を絶ったとのこ
と。彼女を不憫に思った宝福寺の住職(当時)は、彼女のお墓を
作り、現在まで供養をし続けているとのこと。そして、現在、
お吉の悲劇的生涯を、著名な役者たちによって芝居で上演して
いるとのことだった。
また、ガイドさんから宝福寺に関わる別の話を聴いた。
宝福寺は、勝海舟が土佐藩主・山内容堂公と会って、坂本龍
馬の脱藩を許してもらった場所であったとのこと。
その後、坂本龍馬が(昨年の福山雅治主演の大河ドラマのとお
り)活躍したことから、宝福寺を坂本龍馬の「飛翔の地」(ゆか
りの地)として現在位置づけているとのこと(観光PRですね)
私は激動の幕末において、南伊豆・下田の地でも歴史的な出
来事があったことを知り、ちょっと勉強になった。
左 : 記念館前にあった坂本龍馬・お吉のパネル
右 : 坂本龍馬のゆかりの地であることを示した碑
③ 下田 ~ペリー上陸記念の地へ行く~
続いて、街なかをぶらり歩きながら、ペリー上陸の地へ行っ
た。現地には、イカリと石碑があった。
私は、いま自分が立ち止まった場所が、日本の開国に向けて
黒船でやってきたペリーが上陸した地だと思うと、ちょっと感
慨深かった。
左 : なまこ壁をした下田開国博物館
中 : 庭の紅梅が美しい了仙寺
右 : ペリー上陸の地
ペリー上陸の碑を見た後、ペリーロードを歩きつつ、伊豆急
下田駅へ舞い戻った。そして、電車に乗り込み、次なる目的地
・蓮台寺駅へ向かった。
左 : 伊豆急下田駅前の黒船モニュメント
中 : 伊豆急下田駅舎
右 : 蓮台寺へ向かう際に乗車したリゾート21黒船