覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

30年後の災厄

2015年08月13日 19時37分08秒 | Weblog
 
 御巣鷹山から30年目の日、別の災厄が天津で発生した。
 
 30年か。1985年8月12日日航機123便。事故発生時刻は 18時56分
 
 不帰の客を見ていて、ぎょっとなった。
 何故ならば 〇〇 が合致するからだ。向こうがこれに無頓着に選出したとは到底思えない。向こうはここまで考えを及ぼしていたのか。恐らくそうだろう。
 
 
 そして、正確な情報が必ずしも期待できない、天津の地での大爆発。
 
 これまた重なるものは多く、〇〇 〇〇 〇〇 ・・・明日御登録各位にお伝えすれば十分だろう。
 
 
 終わった事柄なら、だが、東日本大震災の後、オルフェーヴルの2度のグランプリを始め、いくつかのGⅠで 枠連 4-6 が頻出したのは、発生時刻が午後14時46分だったからである。東京で行われた南部杯、秋の天皇賞。
 
 そして、この1985年とは。基本的に、皇帝シンボリルドルフの無敵の進軍が続いた年だった。が、この年のクラシックの主要メンバーの1頭
 
   御巣    =  
 
   スダホーク    1985年 ダービー2着  ホーク = 鷹
 
 この菊花賞だった。
 
 
   1985年 第46回 菊花賞  
 
   1着 6枠12番 ミホシンザン      1番人気
   2着 5枠11番 スダホーク       2番人気 
 
 
 この本命決着ながらの 枠連 5-6
 
 これ以上に世人を驚かしめたのは、この飛行機墜落事故の週のメイン 函館記念 の勝者ウインザーノット。この枠の方が、秋の天皇賞でルドルフの8枠よりも上回ったことである。
 
 
 翌年、このホーク()馬は、明けて4歳 アメリカジョッキークラブカップ 京都記念と圧勝し、前哨戦・サンケイ大阪杯では2着取りこぼしがあったが、1.5倍と云う圧倒的人気で 第93回 天皇賞・春 この春の盾に挑み、に沈む
 
 
 前年に舞い降りた、の馬。この命運を決めたものは、日本航空機事故史上最大の惨事だった。
 
  1着 枠 番 クシロキング      岡部
  2着 枠 番 メジロトーマス     丸山 
 
 この 枠連 1-2 馬番 2番3番 要するに、ホークの撃沈レースで 123 これを並べて見せたかったと云うレース結果ではなかったか。
 
 
 皆さま。お気付きの方はお解かりだろう。
 
 今週のあの登場。偶然ではなく、一致させて登場せしめて来た向こうの作為なのだ。
 
 
 実は、この便にわたくしの身内も搭乗予定だった事実が尾を引く。
 その方は、既に実弟を亡くされており、皆で助けてくれたんだと語り合ったものだ。
 
 
 サクラバクシンオー の連覇の 8番12番 とて、これと無関係に造形されている訳が無かろう。
 
 
 
 

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