また、ある競馬に通暁しているとは言い難い方から、次のような指摘を頂いた。
1.1倍ですって! 1000円買って100円儲かるだけでしょ。そんなの誰が買うの?
そう、買わない。ディープインパクトの単勝など、買わない即ち売れないのである。支持率73%とか言うが、誰がそのようなものを目当てで競馬をするものか。1000万円買って、100万の儲けでまあ好いやと考える、1000万くらい消えても余り痛みを感じない程度の方が何十人何百人買っておられるか知れないが、ディープインパクトの単勝など、世間的なベストセラーになる訳ない。まず、買う者は多くない。そうなるようにオッズを仕組み、提示しているからである。金曜前売りの時点で1.0倍だった筈だ。即ち、この馬券は無駄ですよ、買うのは無意味ですよ、買わないで貰いたい、との競馬会からのメッセージである。払い戻さねばならない馬券の売れ行きを競馬会は心配しているのである。出来るだけ投票して欲しくない、その際主催者は何をするか。買っても無意味であることを予め鮮明に示すのである。その鮮明さで、つまりオッズで逆にどの馬が勝つか分かることは多い。逆に、ディープインパクトの単という誰も買わない馬券をよそに、代わりにファンは他の20倍のインティライミとか、その他30倍以上も付く重賞ウィナーの単を小分けして購入する筈である。その為、オッズを高めに設定するも意のまま。払い戻さなくても済む、即ち文字通り、ただ儲けの馬券は魅惑的に見せ、払い戻しの発生する当たり馬券は売れにくく工夫し、売れても僅かの払い戻ししか払わない。これは、結果が予め決めてありそれを十分承知しており、万が一異常投票で国庫に穴、持ち出しとなる可能性を極力排除して置きたい主催者側の自在な裁量で何とでも出来る芸当であり、日銀の相場介入と同様、売り上げ実数が正確に提示されているとして、実質競馬会そのものが購入し、相場を操作しているとも言える。
どの馬が強い、どの馬が好気配で、馬場血統が合い好調教など、予め厳格な取材規制した上で、重大な1次情報のほぼ全てを競馬会が独占発表しまた発表することを許し、オッズの元となる、競馬マスコミ向け情報、本命印の配分まで示唆、規制下に置き、パトロールフィルムまた審議など、公正競馬と称した上、公正確保の名目で部外者の立ち入りを厳に警戒また排除し、お手盛りのオッズで売れて欲しい馬券を売り、残るのは偶然の的中者と高笑いの博打胴元のみ。それも国庫のためとの美名で、国民に健全なレジャーを提供する、などと抜かす。思うに、郵政問題ほか、真の国民の関心を国家が恣意的に推し進めたい政策が為、国民的重要事から目を背けさせる為の競馬会の歴史的スターの準備と登場、この壮大な仕掛けの全体絵図をとくと思い描いてみられるがよい。一言、自作自演。これが最も相応しい競馬の本質ではなかろうか。ゲリラ的な予想家以外、競馬予想家また評論家として、競馬会という胴元自体の息がかからず、競馬会に認知されていない有名評論家が独りでも居るか。全て、如何様な、意想外のレース結果も、評論家という専門家が口を揃えれば済むこと。
一言、競馬会 の名で括られる一群の組織体が役割分担して、あるは井崎と名乗り、競馬新聞社に派遣され、やがて競馬広報全体を担当するようになり、あるは柏木 またあるは飯田の名であたかも的中を競うかの如き、新聞各社を立ち上げて、印の集中と散らしで、ファンを幻惑することを担い、あるは脚本を書く。その競馬専門紙の印統計から数多くの管理統制の及びがたい2次3次予想家また一般競馬玄人のおびただしい雨後の筍予想が列島を駆け巡り、居酒屋や中学校での立ち話にまで増殖してくれる。また予想外に実に多くの人間が秘密の厳秘という最大級の重要事に従事し、何時どのレースだろうと御覧になるがよい、大レースほど武はじめ勝利ジョッキーのインタビューの背後で、政治家のボディガード兼目付け役の如く、その言動、事前のカメラテスト シナリオ通りか、当意即妙の突っ込みにアドリヴで無難に応ずる頭の切れと冷静さ、秘密保持、競争をしない競馬システム自体への忠誠さの程をしかと監督し、競馬会の意図通り=「公正さ」を頑なに守るスーツ姿のスタッフの存在に気が付かれるはずだ。この重要タレント1人当たりに一体どれほどのスタッフが付いているものか。競馬会の指示以外、また許された監視下外で、天皇賞は○○・・○で必ず勝ちます など言えるわけがない。所謂三味線が上手い(負けると知っていて自信あるそぶりを示せ、間接的に売り上げに貢献する)ジョッキー、調教師が育成されると同時に重宝されるのは当然である。武も福永も2世騎手。その他婚姻、人的しがらみなどを含め、身内または身内同然で固める、これがこの共産社会の特色の筈だ。競輪では、関東ラインとか言って、九州出身の選手なら嫌いな同郷人の方と気が合う東北人より仲良くするのが当然 として、競走という体裁を組み立てる手段の一つとしているが、競馬会こそ業界内ルールを遵守しこれに忠実な者のみが栄光を浴び、行く末を保証されるという鉄則を乱させない。
1.1倍ですって! 1000円買って100円儲かるだけでしょ。そんなの誰が買うの?
そう、買わない。ディープインパクトの単勝など、買わない即ち売れないのである。支持率73%とか言うが、誰がそのようなものを目当てで競馬をするものか。1000万円買って、100万の儲けでまあ好いやと考える、1000万くらい消えても余り痛みを感じない程度の方が何十人何百人買っておられるか知れないが、ディープインパクトの単勝など、世間的なベストセラーになる訳ない。まず、買う者は多くない。そうなるようにオッズを仕組み、提示しているからである。金曜前売りの時点で1.0倍だった筈だ。即ち、この馬券は無駄ですよ、買うのは無意味ですよ、買わないで貰いたい、との競馬会からのメッセージである。払い戻さねばならない馬券の売れ行きを競馬会は心配しているのである。出来るだけ投票して欲しくない、その際主催者は何をするか。買っても無意味であることを予め鮮明に示すのである。その鮮明さで、つまりオッズで逆にどの馬が勝つか分かることは多い。逆に、ディープインパクトの単という誰も買わない馬券をよそに、代わりにファンは他の20倍のインティライミとか、その他30倍以上も付く重賞ウィナーの単を小分けして購入する筈である。その為、オッズを高めに設定するも意のまま。払い戻さなくても済む、即ち文字通り、ただ儲けの馬券は魅惑的に見せ、払い戻しの発生する当たり馬券は売れにくく工夫し、売れても僅かの払い戻ししか払わない。これは、結果が予め決めてありそれを十分承知しており、万が一異常投票で国庫に穴、持ち出しとなる可能性を極力排除して置きたい主催者側の自在な裁量で何とでも出来る芸当であり、日銀の相場介入と同様、売り上げ実数が正確に提示されているとして、実質競馬会そのものが購入し、相場を操作しているとも言える。
どの馬が強い、どの馬が好気配で、馬場血統が合い好調教など、予め厳格な取材規制した上で、重大な1次情報のほぼ全てを競馬会が独占発表しまた発表することを許し、オッズの元となる、競馬マスコミ向け情報、本命印の配分まで示唆、規制下に置き、パトロールフィルムまた審議など、公正競馬と称した上、公正確保の名目で部外者の立ち入りを厳に警戒また排除し、お手盛りのオッズで売れて欲しい馬券を売り、残るのは偶然の的中者と高笑いの博打胴元のみ。それも国庫のためとの美名で、国民に健全なレジャーを提供する、などと抜かす。思うに、郵政問題ほか、真の国民の関心を国家が恣意的に推し進めたい政策が為、国民的重要事から目を背けさせる為の競馬会の歴史的スターの準備と登場、この壮大な仕掛けの全体絵図をとくと思い描いてみられるがよい。一言、自作自演。これが最も相応しい競馬の本質ではなかろうか。ゲリラ的な予想家以外、競馬予想家また評論家として、競馬会という胴元自体の息がかからず、競馬会に認知されていない有名評論家が独りでも居るか。全て、如何様な、意想外のレース結果も、評論家という専門家が口を揃えれば済むこと。
一言、競馬会 の名で括られる一群の組織体が役割分担して、あるは井崎と名乗り、競馬新聞社に派遣され、やがて競馬広報全体を担当するようになり、あるは柏木 またあるは飯田の名であたかも的中を競うかの如き、新聞各社を立ち上げて、印の集中と散らしで、ファンを幻惑することを担い、あるは脚本を書く。その競馬専門紙の印統計から数多くの管理統制の及びがたい2次3次予想家また一般競馬玄人のおびただしい雨後の筍予想が列島を駆け巡り、居酒屋や中学校での立ち話にまで増殖してくれる。また予想外に実に多くの人間が秘密の厳秘という最大級の重要事に従事し、何時どのレースだろうと御覧になるがよい、大レースほど武はじめ勝利ジョッキーのインタビューの背後で、政治家のボディガード兼目付け役の如く、その言動、事前のカメラテスト シナリオ通りか、当意即妙の突っ込みにアドリヴで無難に応ずる頭の切れと冷静さ、秘密保持、競争をしない競馬システム自体への忠誠さの程をしかと監督し、競馬会の意図通り=「公正さ」を頑なに守るスーツ姿のスタッフの存在に気が付かれるはずだ。この重要タレント1人当たりに一体どれほどのスタッフが付いているものか。競馬会の指示以外、また許された監視下外で、天皇賞は○○・・○で必ず勝ちます など言えるわけがない。所謂三味線が上手い(負けると知っていて自信あるそぶりを示せ、間接的に売り上げに貢献する)ジョッキー、調教師が育成されると同時に重宝されるのは当然である。武も福永も2世騎手。その他婚姻、人的しがらみなどを含め、身内または身内同然で固める、これがこの共産社会の特色の筈だ。競輪では、関東ラインとか言って、九州出身の選手なら嫌いな同郷人の方と気が合う東北人より仲良くするのが当然 として、競走という体裁を組み立てる手段の一つとしているが、競馬会こそ業界内ルールを遵守しこれに忠実な者のみが栄光を浴び、行く末を保証されるという鉄則を乱させない。