歴史化されるような騒動には至らず、と判断もしていたが、無視できなかったのだろう。それ以上に、全国的な地震だったことが巨きい。
2004年10月23日 17時56分 新潟県中越地震
震源 新潟県中越 M6.8
翌日10月24日 第65回 菊花賞
このレースは、余りにも「上出来」だったのだろう。
1着 8枠18番 デルタブルース 岩田康誠
2着 3枠 5番 ホオキパウェーブ
幾度も繰り返し申し上げて来たレースだが、土曜競馬終了後、当然木曜日に出馬表が発表され、即ち、オリジナル脚本が確定されていた後になって、ぐらり来た。
新潟の地、世界にも知られた名作「雪国」の作者、ノーベル文学賞作家・川端康成。これと同じ ヤスナリ で新潟らしさを示し、そして2着馬
ホオキPウェーブ = P波
御承知だろうが、地震は先ず震源からP波(プライマリー・ウェーブ)が伝わり、次にS波(セカンダリー・ウェーブ)が遅れて伝わる。P波が起こす揺れを初期微動と呼び、遅れて到着するS波は主要動と呼ばれる大きな揺れを起こす。この2つの波の到着する間の期間を、初期微動継続時間と呼び、震源から遠いほど、この初期微動が長く続く。
余りに格好! 渡りに船の ホオキP波 と云う馬名の1頭の出走だった。
1着 ヤスナリ 雪国、豪雪の新潟の象徴
2着 P波
これが強烈で、またノーベル賞クラスの名作だったと考えられる。
翌年だった。
2005年3月20日 10時53分 福岡県西方沖地震
震源 玄界灘 M7.0
当日3月20日 第54回 スプリングステークス
日曜開催日当日、中山では朝の2Rが終わった後、より近い阪神の2Rが発走し、その10分程度後の発生だった。
実にこの日は、あの岡部幸雄引退記念が中山最終に組まれ、岡部さんはもとより、関西の武豊なども駆けつけ、レース終了後のパドックで、武さんの「数々の記録を破り、申し訳ありません」の”歴史的゛名言も飛び出した。あのディープインパクトの席巻前夜と申し上げた方が解かり好いか。
そしてこの日のメイン
第54回 スプリングステークス
1着 3枠 5番 ダンスインザモア 蛯名正義
2着 1枠 2番 ウインクルセイド 四位洋文 = 18番目
(16頭)
実に、これもまた 5番18番 だったのである。
出馬表確定後、開催中途、当日のメインレース前の突然の地震発生
04年10月24日 菊花賞 5番 18番
05年 3月20日 スプリングS 5番 18番目
これしかなかったのだろう。
ましてや、今回のダービー 5番 ダノンメジャー 18番 タガノエスプレッソ これには出来ない。如何に何でも、根幹レースなのである。今後に及ぼす影響が大き過ぎる。
従って、苦肉ながら、逆番にして、わたくしの買おうと思っていた2頭と同じ馬主の2頭に当たる、
18頭立て
逆番 5番 ドゥラメンテ 優勝
逆番 18番 サトノラーゼン 岩田康誠 2着
これで、「開催途中の地震発生」。この前例に倣った。
どうあれ、東京で震度5強 を受け止め、これをJRAが受け止めない訳には行かない。日本ダービーだが、正式名・東京優駿競走なのである。
信念として、JRAはこれに従った。そして、勝つ筈の馬、騎手、馬主。無論2着馬以下も従わされた。
新幹線が途中で停電し、急停車した折は、ひょっとしてこのまま一晩・・ とまで考えたわたくし。
今年のサイン馬 を無視できず、〇枠だと読んだが、代わりに1枠が使われた。
あの今年のサイン馬の告知は、これで9レース中9レース総てとなった。
だからこそ 第65回 安田記念 これまた、これまで同様のスタイルで、仕切り直す。
正式名称もまた解からないが、小笠原沖地震で好いのか。逆に東京から離れた場所で止まった新幹線車内よりも、3時間も止まった山手線。また都内首都圏各地の人々には、こころに刻み付けられる大騒動となった、ダービー前日。レース直前、雷鳴が轟いたダービーもあったが、前日夜の震度5。翌日の競馬の祭典。
きちんと競走史に記録化された。
重要な3つのダービー連動レースも、総て外されている。
無論、2つの特異日も黙殺、いやスルーされることとなった。
ただあのサイン馬。これには顧慮を尽くした結末となった。
無論、土曜夜9時前頃から、JRAでは緊急編成会議が招集され、討議された上、調整ルームと呼ばれる、ジョッキーの密室での、伝達告知となった。
楽屋で、あの主役予定のジョッキー。どんな心持だったのだろう。
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無論、わたくしにとって、リベンジ戦となる。
非常灯のみとなった新幹線車内で、近くの小学生と思しきが、母親に向かって云った。「マグニチュード8.5だって。」
ぎょっとなった。総てが覆されるかも、とも寸時、思った。
思えば、2004年秋。この時点では既に来年のあの1頭の強烈な炸裂が決定済みだったので、デルタブルースの菊花賞
2004年 菊花賞 3枠 5番 ホオキパウェーブ = P波
馬主・金子真人
2005年 ダービー 3枠 5番 ディープインパクト = 主要動
馬主・金子真人
この「深刻な衝撃」。これの前触れで、同じ馬主・金子真人さんの馬。
この菊花賞こそが、翌年の無敗三冠の初期微動だったのである。
ディープは、皐月賞をこれまた大外から5番目 7枠14番 で勝ち、ダービーを3枠5番で勝ち、菊花賞では 3枠 を連れて来て三冠達成した。
何か、厭な気がするね。ひょっとして、この秋も ・・・
ここっろの初期微動を感ずる。だってあの年も ・・・
日本全都道府県。揺れを感じなかったところは1つも無い、と云う国民的出来事だった。