覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

直前、電光と雹

2019年05月05日 16時58分59秒 | Weblog

 昨日もこの場でも記した気もするが、かつてのある大一番を思い出す、と云うのはわたくしとてライヴで見た訳では無いが、競馬史上の歴史的な事件として記憶され、語り継がれているからである。


   1967年 5月14日 第34回 ダービー  


 この日、レース前まで好天であったが、直前に大粒の雨が降り始め、雷が鳴り響いた為、電光を味方につけた勝利 と云われたのが

   1着 4枠10番 アサデンコウ       増沢末夫  5番人気 

 その後 ダイナガリバー でもダービーを制する、増沢末夫騎手。デビュー10年目での重賞初勝利がこの ダービー だった。

 レース中、(馬が)骨折したために馬が表彰式に出ていない、と云うレースだった。そして、これが今日利用された必然性は


   1967年 第34回 ダービー 

   1着 4枠10番 アサデンコウ         増沢末夫  藤本冨良 厩舎 
   2着 2枠 5番 ヤマニンカップ        藤本勝彦  藤本冨良 厩舎 
       (28頭)

 昨日と同じことが起きた為、こうした結末となった アサデンコウ ダービー。これが同一厩舎のワンツーだったので、今日はこれを引き継ぎ、ゾロ目 8-8 にして、

   レース直前 荒天化した東京の大レース  

 この同質性を確保する為、1967年は同一厩舎ワンツー、今日は 8枠のワンツー ゾロ目 にした、と云う顛末が透けて見える。それだけ、同じことが起きた時、同じことを繰り返すことが、JRAにとり、非常に大切なことなのだろう。

 今日の、あの NHKマイルC の分析で申し上げた、あのレースだが、8枠があの馬 同居が上記ダービーと同じ ヤマニンの馬 だった。 

 淡々と システムに則り、取り組むだけ。


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