
ジミー・ヒースは兄にMJQ不動のベーシスト、パーシーと、多くのセッションに参加したドラマーのアルバート・トゥティーを弟に持ち、それぞれの楽器で名声を確立したあと、ヒース・ブラザーズとして活動したほど兄弟仲が良い。両親はプロの音楽家ではなかったが、ジャズが好きでいつもレコードをかけていたという。食事のとき子どもたちが話に夢中になっていると、チャーリー・パーカーをかけてバードを聴いている間は静かにしなさい、と注意をしたそうだ。
子どもながらにバードの凄さに驚いたジミーは、バードに憧れる誰もががアルト・サックスを手にするようにアルトを吹き出す。テナーに転向したのは、49年にディジー・ガレスピー楽団に入団してからで、それは聴衆によりアピールするためだったが、面白いことにこのバンドにはコルトレーンがいて、彼もまたアルト奏者だった。テナー奏者としてめきめき頭角を現したジミーは、マイルスも気に入っており、親分のガレスピーに、ジミー・ヒースを知るものはビ・パップを知る、とまで言わしめたが、51年に麻薬中毒が原因で解雇され、その後刑務所で5年過ごすことになる。もしこのブランクがなければマイルスの横に並んだのはコルトレーンではなくジミーだったかもしれない。
ジミーのアルバムはサイド作を含めるとゆうに100枚は越えるが、どの作品も平均点以上の出来栄えだ。テナー奏者としてはジャズ史に残る傑出したタイプではないが、マイルスが買うほど作編曲のセンスは抜群で、オリジナル曲は多くのプレイヤーが取り上げている。「ザ・クォータ」は、ヒース兄弟にフレディ・ハバード、ジュリアス・ワトキンス、シダー・ウォルトンが参加したアルバムで、オリジナルのタイトル曲はファンキー且つモードな一面を感じさせ、作曲家としてのジミーの才能が遺憾なく発揮された曲だ。メンバーの半分が血縁と言う安定感のなかにも
兄弟が互いに鼓舞するスリリングさも味わえる。
ジャズ界の有名な三兄弟といえばハンク、サド、エルヴィンのジョーンズ・ブラザーズがいるが、ヒース・ブラザーズともそれぞれ極めた楽器は違う。同一楽器だとテクニックやスタイル等、あらゆるものが比べられ、それが兄弟の確執を招くが、異なる楽器を手にしたことで切磋琢磨されより兄弟の絆が深まったのだろう。ヒース兄弟の出身地フィラデルフィアは、古代ギリシア語で「兄弟愛」を意味する。
子どもながらにバードの凄さに驚いたジミーは、バードに憧れる誰もががアルト・サックスを手にするようにアルトを吹き出す。テナーに転向したのは、49年にディジー・ガレスピー楽団に入団してからで、それは聴衆によりアピールするためだったが、面白いことにこのバンドにはコルトレーンがいて、彼もまたアルト奏者だった。テナー奏者としてめきめき頭角を現したジミーは、マイルスも気に入っており、親分のガレスピーに、ジミー・ヒースを知るものはビ・パップを知る、とまで言わしめたが、51年に麻薬中毒が原因で解雇され、その後刑務所で5年過ごすことになる。もしこのブランクがなければマイルスの横に並んだのはコルトレーンではなくジミーだったかもしれない。
ジミーのアルバムはサイド作を含めるとゆうに100枚は越えるが、どの作品も平均点以上の出来栄えだ。テナー奏者としてはジャズ史に残る傑出したタイプではないが、マイルスが買うほど作編曲のセンスは抜群で、オリジナル曲は多くのプレイヤーが取り上げている。「ザ・クォータ」は、ヒース兄弟にフレディ・ハバード、ジュリアス・ワトキンス、シダー・ウォルトンが参加したアルバムで、オリジナルのタイトル曲はファンキー且つモードな一面を感じさせ、作曲家としてのジミーの才能が遺憾なく発揮された曲だ。メンバーの半分が血縁と言う安定感のなかにも
兄弟が互いに鼓舞するスリリングさも味わえる。
ジャズ界の有名な三兄弟といえばハンク、サド、エルヴィンのジョーンズ・ブラザーズがいるが、ヒース・ブラザーズともそれぞれ極めた楽器は違う。同一楽器だとテクニックやスタイル等、あらゆるものが比べられ、それが兄弟の確執を招くが、異なる楽器を手にしたことで切磋琢磨されより兄弟の絆が深まったのだろう。ヒース兄弟の出身地フィラデルフィアは、古代ギリシア語で「兄弟愛」を意味する。
同時代のコルトレーンの陰に隠れて目立たない地味なジミー・ヒースですが、多くのレコーディングを残しております。今週は地道なジャズ街道を歩んだジミー・ヒースのお好みをリーダー、サイド作問わずお寄せください。
管理人 Jimmy Heath Best 3
The Thumper (Riverside)
The Quota (Riverside)
Swamp Seed (Riverside)
リバーサイドを中心に多くのアルバムがありますので、何が挙げられるのか楽しみです。
今週もたくさんのコメントをお待ちしております。
ジミー・ヒースは、正直なところ好きでも嫌いでもないのです。(笑)
その中で3枚選ぶなら・・・・
ザ・クォータ
ザ・サンバー
スワンプ・シード
順番を変えただけです。(笑)
さあ、仕事に行こう!
フュージョンからジャズに入った私のような若者(ウソ。。もうええオッチャンなのに自覚ない・・笑)にとっては抵抗なくジャズに移行させてくれた恩人といったところでして、その哀愁のメロディ・メーカーとしての魅力と相俟って小型デックスといった趣のキレのいい吹奏をするジミー・ヒースの存在は堪らない魅力を発散しているように感じたものです。というわけでリーダー作はどれもメロディアスな佳作ばかりですが強いて3枚選ばせて頂くと・・。
1. THE THUMPER (RIVERSIDE-1959) 才気煥発の名作、テナーの鳴りっぷりがイイです
2. THE QUOTA (RIVERSIDE-1961) 溌剌のF.ハバード。ジュリアス・ワトキンスも隠し味
3. SWAMP SEED (RIVERSIDE-1960) ぶ厚いアンサンブルが妙にハマるヒースの楽曲
(付記:あえてdukeさまの選定盤を見ないで書いたのですが送信前に見たら同じとは・・^^;)
サイドマンとしてはMilt Jackson“Live at the Villege Gate”(RIVERSIDE-1963)もいいですが、
やはりなんといってもMilt Jackson “in a new setting”(LIMELIGHT-1964)が忘れられません。
躍動するミルトのヴァイブに小気味よいマッコイのプレイが絡むお洒落さといったらありません。
白眉は愛らしいワルツ曲“Ineffable”、これが麗しいにも程があるジミー・ヒース渾身の美曲、
こういうのに滅法弱い私でして・・、涙なしには聴けませぬ。。
KAMI さんにとっては地味な存在でしたか。派手さがない人ですので大きく話題になりませんが、妙な味があります。
順番を変えただけのベストとはいえやはりリバーサイドに集中しますね。この時期がベストでしょう。リバーサイドでは「トリプル・スレット」もありますが、それにしても短くて分かりやすいタイトルばかりですね。ベストを続けて言っても舌をかむことはありません。(笑)
ジミー・ヒースが大好きとは嬉しいですね。ハンク・モブレイと並んでコルトレーンの後塵を拝したテナーマンですが、常にジャズの正統派を固辞したのは評価すべき点です。モブレイともどもスタイルを変えることもできなく、新しい波に乗れないままでしたが、不器用なゆえの魅力もあります。
作編曲センスはミュージシャンが高く評価しておりますので、知らず知らずのうちに他のプレイヤーのアルバムでジミーの曲を聴いているケースが多いようです。
ベストは私と同じですので、週末を待たずしてこれで決定しましょうか。(笑)
THE THUMPER は豪華メンバーに気後れするともなく前へ前へと引っ張る演奏が堪りません。そこにはまさにタイトルの如く巨人のジミーがおります。
リバーサイドのこの時期は出所してようやく娑婆の風に慣れたころですから活き活きしておりますし、かなりのハイペースで録音しておりますのでアイデアも詰まっていたのでしょう。ム所の壁は音符で埋まっていたとか。(笑)
サイド作では挙げられたミルトとの共演が光ります。“Ineffable”はミルトの陰で気だるそうに吹くジミーがヴァイブとのコントラストをなしており、このアルバムのベストトラックかもしれませんね。
フィリーのグランマスターは現役最前線でバリバリですね!
フィリーはバロン・ブラザーズ、ブライアント・ブラザーズ、ブレッカ-・ブラザーズ(たいしたことないですが立派な人物ではありました)等まさしく兄弟街
最近だと亀田三兄弟、道端三姉妹、昔だとコシノ三姉妹、スケバン風間三姉妹ですね
薬で50年代のシーンから消えていたのを取り戻すかの様な充実した現在ですよね
清水・岩城・江夏の薬三兄弟ってのも…ショーケンが先日「オレの若い頃は薬は貧乏人のヤルモンダ!」とハンクばりに吠えてましたが…
脱線しすぎました
差別ジョーク下ネタ大好きジミーのベストは
スティ-プル・チェイスのユーブ・チェンジドを~曲、録音が文句無しです
彼の生音はとてつもなく大きかったです(音量ではなく)ソプラノも美しいですね
ススキノのバンドマンの誰もかなわなかった酒豪パーシーはミシェル・サダビ-のトリオも彼の芳醇な音色とウォーキングが魅力的です
トゥーティは何回も札幌に来てますね、最高にダンディーなチョイワルオヤジでした
トゥーティ自身はティモンズのヴィレ・バン・ライブが最高だぜとおっしゃってましたが私はテテの一連の作品(タイコの録音が最悪ですが…ガッド仕様の為でしょうか)や同郷のマッコイのトリオをとりあえずのベストに
ヒース・ブラザーズではパブリック・シアターのライブが選曲も素晴らしくベストに~息子も入ってますね、マイルスはやはり偉いというか、息子を世話しましたもんね
長々と失礼しました
フィラデルフィア出身者を挙げていただきありがとうございます。バロン・ブラザーズといえば兄のビルは、フィラデルフィア時代にジミー・ヒースと共演しておりました。この時期を知るかたは、セシル・テイラーのバンドに入るとは夢にも思わなかったでしょう。
三兄弟、三姉妹、方向は違えど貫く「真」は同じです。だんご三兄弟は「芯」かぁ。(笑)
スティープル・チェイスのユーブ・チェンジドは手元にありませんが、90年代の録音だったと思います。スタイルは変わっていないでしょう。変わらないのも男の美学です。
ススキノ事情にお詳しいようですが、札幌在住でしょうか。ジャズが流れるススキノのどこかでお会いしているかもしれませんね。トゥーティは何回も札幌に来ているようですが、残念ながら一度も生で聴いておりません。トゥーティはチョイワルオヤジのようですが、デューク・ジョーダンはスケベオヤジでした。精力が強いほどいいジャズができるとか。
マイルスからみるとムトゥーメは息子同様でしたので、随分可愛がっていたようです。
私もリバーサイドの一連の作品が間違いなくジャズクラシックとしてベストだと思いますし、本人もそうおっしゃってましたが、あの時代の空気の振動ゼロのオンマイクな録音(もちろん素晴らしい録音です)で育った耳に90年代の録音で聞くジミーやジョーヘン、ジャッキー(吹いてるフレーズは50年代と同じなんですが)の音色に、改めて、こいつらレベルもラベルも違うわと感動したもので…
デューク然り、確かにジャズはスケベな奴だと魅力がひとつあがりますね(特に作曲)!色気がないとセイガクのジャズ研やバークリーどまりです
改めてジミーのベスト
ユーブ・チェンジド~トゥーティのシンバルの美しさも尋常じゃないです
マッド・アバウト・タッド~ダメロニアのドン・シックラーの真面目な解釈よりスケベなジミーの解釈とA.T.のカッコよさに
バプリック・シアター・ライブ~ヒース・ブラザーズとは実はジョー・ザヴィヌル・シンジケート以上にヒップなワールド・ミュージックなバンドだったなぁと
つい長くなりましたが、またお邪魔させてもらいます失礼します
しかし、今、儲からない仕事で忙しい、外出のアポが一杯・・・だから又後で・・・
スティープル・チェイス等70年代のレーベルは、録音が良くなりました。それはそれで技術の向上、即ち生に限りなく近い音ということで評価できますが、50年代のゴリゴリ感こそがジャズの音だと信じて疑わない私のような世代には馴染めない感触もあります。ジミーやジョーヘン、ジャッキーにしても多分に全盛期と比べてしまうからかもしれません。
マッド・アバウト・タッドはダメロン集としてはベストに近い内容と思いますが、久しく聴いておりません。確かグッドベイトは収録されていませんでした。バリー・ハリスのダメロン集でも取り上げていませんでしたが、この曲が好きなのは日本人だけなのかもしれませんね。
機会があればデイ・バイ・デイで飲みましょう。