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デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ロンリー・ウーマンの時代

2014-04-20 08:41:33 | Weblog
 スイングジャーナル誌に連載されていた「アイ・ラヴ・ジャズ・テスト」で、小川隆夫氏のインタヴューにアルトサックス奏者のケニー・ギャレットが答えている。「この演奏を聴けばわかると思うけれど、オーネットが登場したときにはあれだけ物議を醸したスタイルが、いまでは誰でも演奏するところまで来ている。要するに、オーネットは何十年も先を行っていたってことだ」と。

 ギャレットの意見はなかなか鋭い。この演奏とは1959年に発表された「ロンリー・ウーマン」である。まだフリー・ジャズの概念が確立されていなかった時代で、ニュー・ジャズという呼び方すら生まれていなかった。初めて聴いたときはハードバップとは明らかに違う新しさを感じたことを覚えている。よく言われるギクシャクした不協和音も不快感はなく、むしろメロディアスで心地良ささえ感じた。それはジョン・ルイスが付けたこの曲が収録されているアルバム名の「The Shape Of Jazz To Come」というタイトルと相俟って時代の先を行っているという自己満足が働いたからだ。

 発表されてから半世紀後の2010年に、アーチー・シェップがヨアヒム・キューンとのデュオという形で録音している。60年代の尖っていたニュー・ジャズの闘士ならともかく、歳とともに丸くなった二人となると、なあなあセッションの懸念もあるが、どうしてこれがなかなか意欲的なのだ。勿論、シーンを肩で風を切っていた時代の攻撃性は失われているが、楽曲としての「ロンリー・ウーマン」の持ち味を引き出すアタックはさすがといえる。60年代にもしこの二人が共演して、この曲を演奏したとしたら、絶対に折り合うことはない。半世紀という途轍もない時間の賜物といえるだろう。

 このアルバムはお互いの曲を持ち寄った形で構成されているが、「ロンリー・ウーマン」を挟むように「Harlem Nocturne」と、エリントンの「Sophisticated Lady」が収められている。この大スタンダードと比べても何ら違和感はない。ギャレットの言う通りオーネットのスタイルは50年先を行っていたことになる。ようやく時代がオーネットに追いついたということかもしれない。
コメント (8)
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