地球環境や乱獲により絶滅の危機に晒されている鳥類、所謂レッドリストには多くの種が並ぶ。完全に絶滅した鳥類も数多く、マダガスカル沖やモーリシャス島に生息していたドードー鳥もその類になる。ジャケット写真では大きさは分からぬが、巨体で翼も退化しており、飛ぶことはできなかったようだ。鼻が飛び出していて何とも奇妙で愛嬌のある姿である。アメリカでは「DODO」は「滅びてしまった存在」の代名詞であるという。
ドド・マーマローサは、鼻の形がドードー鳥に似ていることから「Dodo」のニックネームが付いた。パーカーとの共演によりいち早くバップ・イディオムを消化し、そのスタイルをスウィングからバップに昇華した人で、ジョージ・ウォーリントン、アル・ヘイグと並び白人3大バップ・ピアニストに数えられる。パーカーの許で吹き込んだダイアル盤の「リラクシン・アット・カマリロ」のイントロ部分は、後にトミー・フラナガンも再演したほど優れたソロで、スタイル継承者であれば、一度は弾きたくなる完成されたバップ・フレーズといえよう。
イギリスの Swing House レーベルからシリアルナンバー入りで3000枚限定発売された「A Live Dodo」は、47年のライブ音源を記録している。音源が少ないマーマローサだけに貴重なもので、ベニー・カーターやウディ・ハーマンとのライブ・セッションは珍しい。中でも急速調で演奏されるディジー・ガレスピーの時代を象徴する名曲「Be Bop」は、ワーデル・グレイ、ハワード・マギー、そしてデビューしたばかりのソニー・クリスをフィーチャーしたもので、バップの夜明けともいうべき躍動感のあるソロを繰り広げている。短いながらもマーマローサのソロ曲も収められていて、放たれた矢のような空を切って伸びるフレーズは飛ぶ鳥を落とす勢いあるもので、47年のエスクヮイア誌のニュースターに選ばれたのも肯ける。
マーマローサは50年代に病に倒れ一時楽界を去ったものの、61年には「ドドズ・バック」で不死鳥の如く蘇り、ブランクを感じさせない力強いタッチは健在であった。ドードー鳥は絶滅したが、音楽環境が変り、ジャズを取り巻く状況がどのように変化しようともビ・バップが絶滅することはないだろう。
ドド・マーマローサは、鼻の形がドードー鳥に似ていることから「Dodo」のニックネームが付いた。パーカーとの共演によりいち早くバップ・イディオムを消化し、そのスタイルをスウィングからバップに昇華した人で、ジョージ・ウォーリントン、アル・ヘイグと並び白人3大バップ・ピアニストに数えられる。パーカーの許で吹き込んだダイアル盤の「リラクシン・アット・カマリロ」のイントロ部分は、後にトミー・フラナガンも再演したほど優れたソロで、スタイル継承者であれば、一度は弾きたくなる完成されたバップ・フレーズといえよう。
イギリスの Swing House レーベルからシリアルナンバー入りで3000枚限定発売された「A Live Dodo」は、47年のライブ音源を記録している。音源が少ないマーマローサだけに貴重なもので、ベニー・カーターやウディ・ハーマンとのライブ・セッションは珍しい。中でも急速調で演奏されるディジー・ガレスピーの時代を象徴する名曲「Be Bop」は、ワーデル・グレイ、ハワード・マギー、そしてデビューしたばかりのソニー・クリスをフィーチャーしたもので、バップの夜明けともいうべき躍動感のあるソロを繰り広げている。短いながらもマーマローサのソロ曲も収められていて、放たれた矢のような空を切って伸びるフレーズは飛ぶ鳥を落とす勢いあるもので、47年のエスクヮイア誌のニュースターに選ばれたのも肯ける。
マーマローサは50年代に病に倒れ一時楽界を去ったものの、61年には「ドドズ・バック」で不死鳥の如く蘇り、ブランクを感じさせない力強いタッチは健在であった。ドードー鳥は絶滅したが、音楽環境が変り、ジャズを取り巻く状況がどのように変化しようともビ・バップが絶滅することはないだろう。