東日本大震災のニュースは、大きな衝撃波となって世界を駆け回った。そして世界の反応も迅速だった。彼らは次々と救援隊を派遣し、多額の義援金や激励のメッセージを届けてくれた。その数は135カ国以上に達した。
そのうちの少なくとも100カ国以上はアジア、アフリカ、中南米の国々で、日本が半世紀にわたって国の発展に必要な経済・社会基盤整備などの「国造り協力」や、行政、教育、産業人材といった幅広い「人造り協力」をODA(政府開発援助)で支援してきた国々であった。
ブータンで有名な「ダショー西岡」
多くのメッセージには日本への「恩義を返す」という文言があった。改めて、「恩義」はまさに世界共通の価値観であるとの認識を深めた。
例えば、東南アジア諸国連合(ASEAN)の主要メンバーであるインドネシア政府は先陣を切って救援隊員15人の派遣、義援金200万ドル(約1億6200万円)を決めた。同じく主要メンバーのタイ政府は、日本救援予算2億バーツ(約5億3400万円)を決定し、毛布2万枚と義援金500万バーツ(約1340万円)の提供も表明した。
アジアではASEAN 10カ国に加え、中国、台湾、韓国、インド、パキスタン、ブータン、トルコ、さらには南アフリカ、メキシコ、ブラジル、ペルーなど途上国、新興国などの素早い行動が目立った。
特筆すべきは、ヒマラヤ山脈の山麓にある小さな国、ブータンのワンチュク国王からも義援金100万ドル(約8100万円)が届いたことだ。1人当たり国民所得2030ドル(2009年)のブータンにとって100万ドルの価値は日本人とは比べられないほど高い。そこに彼らの日本への思いの深さが秘められているのである。
ブータンでは、日本人の農業協力専門家「ダショー西岡」を知らない者はいない。ダショーとはこの国最高の名誉を示す称号である。ODAの専門家として1964年に派遣された西岡京治氏は、この地で命果てるまでブータン水稲の開発に取り組み、遂に成功へ導いた。標高の高い所は水温が低く、稲作に適さないと言われていたが、彼は水路を蛇行させることで水温の低下を防いだ。ダショー西岡はこの国の国民的英雄なのである。
モンゴル、火力発電所の「恩義」
もう1つ、中央アジアに位置する草原の国モンゴルは救援隊員12人の派遣と義援金100万ドルを決めたが、モンゴル政府は公務員を対象に給料の1日分の募金を呼びかけ、その輪が一般市民に広がって1億2500万円以上に達した。
モンゴルが1990年代に社会主義国から市場経済国へ移行する時から、日本は最大の援助国としてモンゴルの国造りに協力してきた。
日本が援助を始めた頃の冬、首都ウランバートルで唯一の旧ソ連製火力発電所が故障して冬期の都市機能が失われる危機に瀕した。首都の地域暖房機能が落ちて、ウランバートル100万人が過酷な冬を送らざるを得ないという時に、日本は間髪入れず機材の手当てを行い、専門家チームを派遣して火力発電所の復旧を成功させた。以来、この時の話はウランバートル市民の伝説となっており、日本への「恩義」の1つになっている。
例を挙げれば際限がないが、こうした日本への思いこそが我が国援助の無形の資産(アセット)である。その一方で、有形の援助資産も世界中に散在している。
日本最大の援助国であるインドネシアのユドヨノ大統領は、「われわれは日本に国造りの最初から助けられた。日本のいう国造りはインフラ造りからという援助哲学は間違っていなかった」と日本への「恩義」の一端を披露している。
ただ、よく観察していると、ASEAN諸国は単に「恩義」だけでなく、日本がアジアの中で健全な姿で存在することを願う側面があることが分かる。それは、中国を対局においたアジアのバランス・オブ・パワー(力の均衡)ということあり、そのために一刻も早い復興を願っているのだ。
日本の同盟国である米国もそう願っているに違いない。政治家はそういう立場にあることを深く認識して、この国難に立ち向かう必要があると言いたい。
「信義を重んじる国」という印象
5月1日、アフリカのセネガルの首都ダカールで開催された閣僚級会合での松本外相の発言は、日本の威信を放っていた。この会合は第4回TICAD(アフリカ開発会議)での合意達成状況を確認するものであった。
松本外相は、「日本は大震災を乗り越え、これまでと同様に国際社会の平和と安定のために積極的に役割を果たしたい」と述べたあと、「日本は国際公約したアフリカ支援倍増を実行する」と明言した。この発言は現在の日本の置かれた状況から、世界に「信義を重んじる国」という印象を深く刻んだ。
アフリカへの支援倍増とは、2003~07年の5年間のODA実績平均、約9億ドルを基準に、約束の2012年までに18億ドルを達成することを指している。2012年はアフリカ支援倍増の最終年にあたる年で、最後の成果が問われる年でもある。
日本が最悪の困難に直面していることは世界中が知っている。また、最悪の財政難に陥っていることも知っている。それでも日本はやせ我慢してでも国際約束を守るという態度を世界に示した。
予算編成バトルが繰り広げられた
ところが、ここに至るまでには自民党も巻き込んでの予算編成バトルが繰り広げられていた。
第1ステージでは、震災対応の第1次補正予算(約4兆円)の財源の一部として2011年度のODA予算(5727億円)から20%(約1000億円)を捻出する案が民主党・岡田克也幹事長筋から出された。
そして実際には2011年度のODA一般会計予算は、前年に比べて7.4%の減額(460億円)となった。こうした減額は2000年以降12年間も続いており、ピークだった1997年度の1兆1687億円と比べると、半分以下になっている。
おそらく民主党政権も財政当局も「ODAは評判が悪く、国民の支持率も低い」と踏み、20%減額でも反発はないだろうと高をくくっていたのであろう。
そして、第2ステージでは民主党のみならず自民党議員の様子が変わった。それは世界135以上の国々からの「ニッポンがんばれ」といった心のこもった激励メッセージや、“恩返し”とも言える多額の義援金が続々と届けられたからである。
日本の政治家も覚醒した。政治家の多くは、マスコミのステレオタイプの「ODAは役に立っていないのではないか」という批判に耳を傾けていた。彼らは最貧国からも「お世話になっている」と恩義を明示したメッセージが届いていることを知るにつれて、「役に立ったのだ」という見方に変わろうとしている。
今回の予算削減には国際NGO(非政府組織)グループもODA大幅削減を言い出した岡田幹事長に抗議した。彼らは国際公約通りに1日=1ドル以下で生活している貧困層の人々を助けようとする国連のミレニアム開発目標を実現してほしいと訴えた。
そうした葛藤の下、当初掲げられた「20%減額」は「10%減額」で何とか歯止めがかかった。
その予算内容は専門的すぎるので、詳細は省略するが、端的に言うと、将来の日本外交に重要な2国間(日本とそれぞれの途上国との関係)のODA事業費にはそれほど手を付けずに、国連機関への分担金などの減額で何とかカバーした格好だ。
ODAの3分の2は税金ではなく「別財布」
実はODA予算といっても税金に依存する一般会計部分(約5000億円規模)は、国家予算の規模に比べると大河の一滴のようなものであって、大局に影響を与えるほどのものではない。
ODAには有償援助の円借款協力部門がある。これは途上国への開発資金の低利、長期の貸付資金であるから、その財源は別財布の政府の財政投融資資金から捻出される。その規模は1兆円レベルに達する。
ODAと言えば、すべて税金で賄われていると思っている人が多いが、極端に言うと、ODAの3分の2は税金ではなく財投資金という別財布から借りたものである。
こういう制度は先進国の中では日本だけであって、欧米諸国のODAは原則無償で、すべて税金から拠出されている。その意味で、日本のODAは財政を圧迫するほどの存在ではない。むしろ現在、過去貸し付けた資金が年間約5000億円規模で返済され、それに少しの利息収入も上乗せされて帰ってくる。その意味で円借款は、日本の海外資産と言っても過言ではない。
日本の援助哲学でもある「自助努力」
もっとも、「円」で貸す協力は一般市中金利と世銀など国際開発金融機関との中間金利帯をなしており、これまで途上国の大規模な資金を必要とする経済・社会のインフラ部門建設で大きな成果を上げてきた。
今回の震災でいち早く救援隊を派遣し、義援金を用意したインドネシアやタイは、アジアの中でその恩恵を一番享受した国である。一方、急成長を遂げている中国も円借款を有効活用した国として知られている。
民主党政権が打ち出している「新成長戦略」の一環として打ち出している鉄道、水、原発などの巨大インフラ輸出では、民間のリスクを軽減する意味で、円借款協力は重要な戦力になるはずである。
また、有償の円借款協力は「借りたものは必ず返す」という意味で、日本の援助哲学でもある「自助努力」を促すことになり、途上国の自立の精神を涵養するという一面を持っている。欧米の原則無償の援助は、「人道」を前面に出しているものの、往々にして依存心を産んで、自立の精神を阻んでいるとも指摘されている。
このように、陰に陽に途上国の発展に寄与してきた日本のODAが、震災を機に「減額して当たり前」という雰囲気に飲み込まれるのは、残念なことだ。その背景にはODAに対する日本国民の理解不足や誤解もあると思う。この連載では、それらを解きほぐしつつ、これからのODAのあるべき姿を探っていきたい。