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徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第百二十五話 泣くなよ…!)

2007-08-29 11:08:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 西沢の放ったその矢は…躊躇いもなく吾蘭とマーキスを貫いた…。
その場に崩れ落ちたマーキスの姿を目の当たりにして…こんな酷い光景は見えぬ方がましだったかもしれない…と滝川は思った…。

 吾蘭を巻き添えにしてしまったことで、後々西沢が受ける衝撃を思うと、不安を通り越して最早恐怖だ…。
滝川がどれほど懸命にケアをしたところで…果たして…立ち直れるや否や…。

とにかく…アランの状態を診てやらなきゃ…。

「アラン…? 」

小さな吾蘭の身体が…見当たらない…。
今の今まで…マーキスの傍に居たはずの…。

滝川だけでなく…マーキスに駆け寄った智明もまた…吾蘭の姿を捜しているようで…きょろきょろと辺りを見回している…。

キャッキャという笑い声が西沢の方から聞こえてくる…。
父親の顔に戻った西沢が…吾蘭を抱き上げ…あやしている…。

「とうたん…お顔に色ちゅけたの…?
アランもちゅけていい…? くえよんで描いてもいい…? 」

無邪気な吾蘭の問いに…西沢は微笑む…。

クレヨンは…だめさ…。
アランの顔が…かゆかゆになっちゃうよ…。

 とりあえず…無事な様子にほっとして…ぼんやりとふたりを見ていた滝川は…やがて…妙なことに気付いた…。
粒子と化したはずのマーキスの実体が…まだ…そこに存在している…その事実に…。

還元されたのではなかったのか…?

気を取り直し…慌てて…マーキスの状態を探る…。

生きている…!

マーキスは呼吸をしている…。
それも…先程よりずっとしっかりとした呼吸を…。

「紫苑…? 」

ふたりは訝しげに西沢を見つめた…。
あの状態で西沢がマーキスを助ける可能性など万に一つもなかったはずだ…。

「僕じゃない…。
こいつを助けたのは…アランだ…。 」

自分の名前が出たので…吾蘭はまた可笑しそうに笑った。

アランが…?

「アラン…おてちゅだい…ちた…。
ねぇ…とうたん…? 」

吾蘭が小首傾げて相槌を求める…。
笑みを絶やさぬままに…西沢はそれに応じて頷く…。

少しずつ…エナジーたちの気配が消えていく…。
ノエルの空間フレームはすでに形を成してはいない…。

「よく…エナジーたちが黙ってたな…。
奴等…マーキスを粒子状に破壊するつもりだったんだろう…? 」

理解できん…とでも言いたげな顔で…滝川は辺りを見回した…。

「アランの中の王弟の記憶が…そうさせた…というべきかな…。
それに…ノエルも…だ…。 」

ノエルが…?
どうやって…?

「あの矢は僕を通して太極が放ったエナジーだけど…実際には僕も…太極から直接エナジーを受け取ったわけじゃない…。
あれは…ノエルが媒介になって変換したエナジーだ…。
そうでもしないと…このあたり一帯が廃墟になってしまうからね…。

 ノエルはいつも無意識に媒介しているけれど…少しだけ手心を加えたようだ…。
それでも…僕の中に入ってきたエナジーは相当なレベルだった…。
あいつを粉々にするには十分なくらいの…。 」

 だからと言って…西沢は…それ以上に手加減してやろうなどとは考えもしなかった…。
御使者…西沢の務めはあくまで崩壊の因子を除去すること…。
更生の意思無き者に情けは無用…。

 けれど…胸の中に疼くものがないわけではない…。
マーキスは自分の居場所を取り戻したかっただけなのだ…。
他人を犠牲にする言いわけにはならないが…。

 幼い吾蘭に西沢の胸の内が分かるはずもないが…吾蘭の中に存在する王弟の記憶はどうやら…マーキスを死なせるべきではない…と考えたようだった…。
単なるプログラムがそうした感情を持つものなのかどうか…確かな答えは分からない…。
ひょっとすると…吾蘭の感情と半ば一体化しているのかも知れない…。

「アランがほとんどのエナジーを受け流してしまったんだ…。
アランの力で対処できなかった分…あいつの中に吸収させたのは…ごく僅かさ…。
粒子状に破壊…など到底無理…。
だが…使い方次第で…なんとでもなる…。 」

負のエナジーを吸収させた…?

滝川は眉を顰めた。

何故…それで回復できるんだ…?

「不思議か…? そうだろうな…。
誰の中にでも負のエナジーは存在するが…わざわざ外から負のエナジーを取り入れて利用できるのは…僕等の一族だけだからな…。

 多分…アランの身体が媒介したせいだろう…。
どうやら…アランには多少なり…ノエルの一族の力も備わっているようだ…。 
王弟の記憶がアランを使って…あいつの体内に埋め込んだ…といった方が正解かな…。 」

西沢の腕の中で…こっくりこっくり…吾蘭が居眠りを始めた…。
吾蘭自身に何処まで意識があるかは不明だが…短時間の間に何度も大人の能力者に匹敵する力を使ったことになる…。
かなり…疲れているはずだ…。

「紫苑…この子は…どうなるの…?
私が…庭田が引き取って…構わないの…? 」

スミレ…智明が不安そうに訊ねた。
庭田としては…それが一番気になるところ…。

それには答えず…西沢は軽く顎をあげて仲根に合図を送った。
仲根は軽く頷くと…誰かと交信を始めた。

「特使に任せる…と宗主から…。 」

仲根がそう伝えると西沢は大きく溜息をついた…。

 宗主はあまり…ああしろこうしろ…とは言わない。
結果報告を受けて…そうか…と頷くだけ…。
まるで西沢がどう動くかを観察して面白がってでもいるかのようだ。
任せられる方は責任重大…遣り易いようで…遣り難い…。

 すっかり眠ってしまった吾蘭を、滝川の特別な部屋のソファに寝かせておいて、西沢は僅かに残る光の揺らめきの中にそっと手を差し伸べた。
光はその手を優しく包み込んで…やがてそのままゆっくりと消えていった…。
 
「生き残る方が地獄…ということもある…。 」

西沢が口にしたその言葉に…智明ははっとした…。
それは…麗香と智明が悪夢の中で何度も耳にした言葉…。
天爵ばばさまの魂をはるか未来へと送り出した天啓宮の宮女長の…。

西沢は…半ば朦朧としながらも何とか意識を保っているマーキスの顔を覗きこんだ…。

「おまえを…庭田に帰してやるよ…。 」

そのひと言で…智明は安堵の溜息をついた…。

助かった…。
庭田の面目とマーキスの命…何とか…保てる…。 

 ほっとしたのは滝川も同じだが、智明よりはずっと懐疑的だった。
西沢には何か含むところがある…そう感じていた…。
間に立つ西沢が如何にエナジーたちのお気に入りであっても…何の条件もなしに崩壊の因子を解き放つとは思えない…。

「けど…間違えるな…。 おまえを許したわけじゃない…。 
おまえは何人もの命を奪った…。 その報いは…受けて当然だ…。 」

報い…。

安堵も束の間…智明はごくりと唾を飲み込んだ…。
裁定人が下すのは古来…厳しい罰…。

「おまえの身体の中に埋め込まれた負のエナジーは…おまえが馬鹿な考えを起こすたびに増えていく…。
今のおまえのように無駄に力を使いまくると…あっという間に体内に充満して…どかんっ…だ…。 」

過度に体力を消耗したせいで、ひどく青ざめたマーキスの顔が、それを聞いてさらに血の気を失った。
使うことができなければ…どれほど大きな力を持っていようと無用の長物…。
HISTORIANのトップに返り咲くどころか…生き延びることすら難しいかも知れない…。

「紫苑…それじゃぁ…こいつは…自分の身を護ることもできないのか…? 
捨てられた…といったって…この坊やは組織の中核に居たんだぜ…。
世間に知られたくない情報だって持ってるはずなんだ…。
口封じのために襲われないとも限らないんだぞ…。 」

憤慨したような滝川の様子に…マーキスはひどく困惑した…。

どいつもこいつも…いかれてる…。

 これがHISTORIANなら…とうにマーキスはあの世の住人になっている…。
まだ子供だから…とか…行き場がない…とか…そんなこと助けてもらえる理由にはならない…。
問答無用の一撃必殺だ…。
これから先…力が使えるかどうかの心配など…誰がしてくれよう…。

それなのに…。

「こいつの中の負のエナジーを管理しているのは…あのエナジーたちだ…。
僕には…どうしようもない…。

せいぜい…刺客が来ないことを祈ってろ…! 」

まだ何かもの言いたげな滝川と智明を尻目に…西沢はそう言い放った…。



 スタジオ全体を覆っていた奇妙な気配が消えた後…急ぎ現場に戻ってきた滝川を見て松村は思わずほっと胸を撫で下ろした。
何が起こったのかは分からないが…すこぶる上機嫌なのが分かる…。

スタッフたちが撮影再開の連絡を受けて飛んで帰ってくると、滝川は待ちかねたように矢継ぎ早に指示を与えた…。

「周りの…それ…要らねぇから…。 そこのそれも…。
うん…その真ん中の…暗い部分だけで十分だ…。 」

 セットの中から気に入らないものを容赦なく破棄していく…。
松村がせっかく用意してくれたものではあるが…滝川の心に思い描いているイメージとは違う…。

この場面で必要なのは…紫苑…だけだ…。

その様子を訝しげに西沢が見つめている…。
食い入るような視線に気付いたのか…滝川が西沢の方に眼を向けた…。

「紫苑…そのくどいメイク…要らねぇ…。
シゲちゃん…もう少し紫苑の自然な顔に近づけて…。 」

くどいメイク…っておまえ…。

西沢は仲根の方に視線を移した…。
仲根が驚いたような顔で首を横に振った…。

俺…まだ何にも映像送ってないっすよ…。

「恭介…その眼…。 」

滝川がニヤッと笑って見せた…。

「泣くなよ…紫苑…。 仕事中だ…。
腫れた顔なんざ…撮るの…真っ平だぜ…。 」


  






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続・現世太極伝(第百二十四話 決別せよ!)

2007-08-05 17:01:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 緊急事態…とは言っても相手は子供ひとりきり…。
それもエナジーたちの怒りを買ってほとんど自滅寸前…とあって…執行部も各組織もすでに普段の落ち着きを取り戻していた。

 HISTORIANが再び動き出した…という情報に当初は色めき立った連携組織も、状況がはっきりするにつれて少しばかり余裕を見せ始めた。
ノエルの空間壁を支える能力者は…あえて増員の必要なし…と判断された。

 無論、HISTORIANが絶対に動かないという保証はなかったし、子供とはいえマーキスが侮れない力の持ち主であることも確かで、警戒を完全に解除するまでには至らなかったが…。

「さて…どうする…かな…? 」

前に居並ぶ執行部面々の緊張した面持ちを他所に…いかにも興味深そうに宗主が言った。

 宗主の眼には…滝川の特別な部屋…に作られた空間内の様子がはっきりと見えている…。
仲根の第一報が御使者に届いたその時から…ずっと成り行きを見守っている…。

 血族の中でも最も宗主に似ている…と言われる西沢の言動には意識せずとも興味が湧く…。
宗主が魅かれるのは…西沢に内在する光と闇の二面性…。
まるで…自分自身を見ているようだ…と思う…。

「時には…驚かせてもくれるが…概ね…分かるな…。 」

 異なる環境に育ちながらも…何かしら身の内に同じものを持っているらしい…。
血とは不思議なものだ…。

 宗主は西沢に対して…マーキスを生かせ…とも…殺せ…とも…はっきりした命を下してはいない…。
事あれば…然るべき措置をせよ…と指示したに過ぎない…。

マーキスを操っていた首座兄弟を情け容赦なく消した時にも、特にどうしろと命じてあったわけではなかった。
そうなるだろう…と…思ってはいたが…。

 穿った見方をすれば…宗主は自ら手を汚すことを避け…西沢の闇の力を利用しているともとれる…。
西沢を本家の登録家族…息子と呼んで特使を名乗らせたのも…同じ主流の血を引く者への情愛からというよりは…宗主や本家が直接傷を受けないように生きた楯とするためだと…。

「まぁ…それも…ないとは…言わないが…。
紫苑に任せておいた方が…何かと融通が利くのでな…。 」

口さがない者の噂に…苦笑する…。

情愛がないわけでは…ない…。

如何に抜きん出た手柄があっても、心が求めたのでなければ、当然、家族などにはしない…。
息子と呼ぶのは…可愛いと思えばこそ…だ…。

裁定人の宗主などというお役目は…情愛だけでは…務まらぬものがあるのさ…。
 
 利用できるものは感情抜きに利用はするが、知らぬ顔で置くわけではない。
すべての責任を宗主が負い…西沢の処置は裁定人の宗主命令によるものだ…と同族にも他の家門にも言明してある…。
それゆえに…誰もが西沢の力を恐れはするが…その人となりを悪く言う者はない…。

「少なくとも…あいつが…二度と問題を起こさないように…もしくは…起こせないようにしてもらいたいものだ…。 」

動き始めた西沢の姿を眺めながら…宗主はそう…呟いた…。



 終わりだ…とマーキスは思った…。
目の前で見た首座兄弟の死…それが今…自分にも訪れようとしている…。

西沢は気付いている…。
誰が…あの女を殺したかを…。

磯見の無意識下の能力を使って三宅を操り…あの女の息の根を止めた…。
どれほど敏感な能力者でも…あの現場に僕の気配など微塵も感じ取ることはできなかったはずだ…。

それでも…多分…。

西沢の気配を…触れるほど近くに感じながら…マーキスは考えた…。
恋人を殺された男が…犯人に対して好意的であろうはずがない…と…。

「紫苑…この子を殺しても…麗香は喜ばない!
犯した過ちを悟らせることが…天爵ばばさまの務めなんだから…! 」

智明が必死に訴える…。
そのことに…マーキスは少なからず驚いた…。

何故…?

大切な姉を殺した犯人と薄々は気付きながら…智明はマーキスを庇おうとする…。

その顔を冷ややかに西沢が見返す…。

「誰を殺したか…なんてことはどうでもいい…。
問題は…こいつが何れ…この世界の崩壊因子になりかねないってことだ…。」

そう…今は過去のことなど頭にはない…。
考えるべきは未来…。
それが…裁定人の有り方…御使者の務め…。

御使者…西沢…の心が呟いた…。

「それなら…こいつの力を封印すれば事足りる…。
力さえ使えなければ…何もできやしない…。 
殺す必要などない…と…エナジーたちに執り成してくれ…。 」

壁のエナジーたちから再びブーイングが湧き起こった…。
キャッキャと笑う吾蘭の声がする…。

別に…こいつの命乞いをしてるわけじゃない…。

滝川は…西沢の背中に見えている黒い翼に眼を向けた…。

紫苑の心が…悲鳴をあげるのを聞きたくないだけだ…。
宗主がどう責任を取ろうと…実際に手を下した紫苑の痛みが軽くなるはずもない…。

「封印は…一時凌ぎに過ぎない…。
それでことが済むなら…執行部のお偉い衆が…庭田に渡す前にそうしている…。
尤も…こいつの成長を考えての配慮でもあったわけだが…無駄だったな…。 」

 そう…マーキスがまだ子供であることを考慮して…執行部としてはできる限り厚遇してきたつもりだった…。
敢えて過ちを咎めることもなく…力の封印もせず…普通の中学生たちと変わりない生活ができるように気を配ってきた…。

 けれども…マーキスは普通の子供として生きるより…HISTORIANの最高指導者として生きることを望んだ…。
その望みは最早…HISTORIAN側から一方的に絶たれてしまったのだが…。

何だと…言うんだ…こいつらは…。

へたばっているマーキスの頭の上で…理解し難い会話が飛び交う…。

能力者たちの善意と厚意に背いた崩壊因子マーキス…。
敵対と看做し処分しようとする西沢…天爵ばばの務めとして誤った道から更生させようとする智明…治療師として為すべきことを為さんとする滝川…。

何れもマーキスひとりのことで躍起になっている…。
まさか…と思う…。
マーキスの乏しい経験からすれば…問題となるような者は…いつの間にか組織の中から消えてなくなる…。
誰もその者の過去や未来など真剣に考慮してはくれない…。

これまでずっと…そうだった…。
力のある者…役に立つ者だけが…残る…。

不意に…空間壁を支えていたエナジーたちが静かになった…。
離れたところでエナジーたちと話をしていた吾蘭がちょこちょこ駆け戻ってきた…。

紫苑が行かせたんじゃなかったのか…?
吾蘭を動かしているのは…王弟の記憶と呼ばれるプログラムの方なのか…?

 王弟の記憶…その言葉が滝川の脳裏をかすめた瞬間…信じられない素早さでマーキスの腕が吾蘭を捕らえた…。
今にも息絶えそうなくらい衰えているはずのマーキスの身体が…俊敏に跳ね起きた…。

「おまえだけは…消さねばならん…。
我々にとっては…おまえこそが…破滅のプログラム…。 」

なんということを…。

智明は言葉を失った。
思わず…西沢の顔色を探った。
表情は変わってはいない…。
ただ…じっと…見つめている…。

判断つきかねて…滝川に眼を向ける…。
滝川の引きつった顔を見れば…容易ならざる事態だ…ということがはっきりと分かる…。

滝川には…大きく広げられた闇の翼が見える…。
マーキスが吾蘭に手を出した瞬間…すべての希望が崩れ落ちた…。

あのまま…転がっていてくれればよかったものを…。
もう…僕等には…どうしようもない…。
紫苑の出方を見守る以外に…打つ手はなくなった…。

「我々…とは…誰のことだ…? 」

吾蘭の唇から再び王弟の記憶が語りかける…。

「おまえには…もう…我々と名乗るべき仲間は居ない…。
奴等は…おまえを見捨てたのだ…。

今更…奴等の為に何をしようと…誰も喜びはしない…。
奴等にとっては最早…私という存在も…天啓宮女の魂も…どうでもいいことなのだから…。 」

怯えもせず…泣きもしない…。
初めて王弟の言葉を語った時のように気を失うこともない…。
マーキスの腕の中から…淡々と父親…西沢を見ている…。

「決別せよ…。
いつまでも過去に拘ることはない…。
おまえの方から…奴等を断ち切れ…。

未来は…ある…! 」

断言するかのように…王弟の言葉はそこで途切れた…。

同時に西沢の周りに幾つものエナジーの触手が集まり始めた…。
探るように西沢に触れては離れていく…。
マーキスを閉じ込めようとしていた檻は今や形を変え…細く鋭いエナジーの矢となっている…。

西沢が手を差し出すと矢は、その手に引き寄せられるように自ら移動した。

太極はマーキスを還元すると言っていた…。
エナジーの矢で粒子レベルに破壊するつもりなのか…。
ちょっと待て…やばいぞ…それは…。

滝川は焦った…。

アランは…どうなる…?
下手をすりゃぁ…一緒に粉々になっちゃうぞ…。

「紫苑…やめろ…。 アランが…。 」

聞く気がないのか…聞こえていないのか…西沢は止まらない…。
魔物の気配が全身から漂う…。

うぅっ…紫苑じゃねぇ…あいつ眠ってたんじゃなかったのか…?

触手の一部が滝川目掛けて突進し、滝川を押しのけ、押さえつけた…。

「仲根! 紫苑の脳に直でストップをかけろ! 
アランが危ねぇ! 」

身をよじりながら滝川が叫んだ。
仲根は即座に西沢に直接…呼びかけた…。

「だめです…。 何かが妨害していて…僕の力じゃ…。 」

万事休す!
仲根でだめなら…誰の声も届かねぇ…。
滝川は唇を噛んだ。

見かねて智明が前に出ようとした…が…エナジーの触手がそれを遮った…。
壁のあちらこちらから伸びた触手が智明の全身に纏わりつき…動きを止めた…。

「放せ! こらっ! 」

智明が吼えたその時…エナジーの矢は西沢の手を離れた…。







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続・現世太極伝(第百二十三話 百も承知で…。 )

2007-06-21 17:47:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 不思議なのは…エナジーたちが怒り狂っているのは…滝川の言葉に対してだけで…それを口にした滝川本人にどうこうという思いはないようだった…。
その証拠に襲っては来ない…。

「そんなに厳しく怒らないでくれよ…。 
エナジーにとっては…大人も子供も同じなんだろうけれど…人間にとっちゃ雲泥差なんだからさ…。 」

まるで腹を立てている友人を宥めるかのように、滝川はエナジーの壁に向かって話しかけた。
怒りの気配は一向に消えなかったが、それでもエナジーたちは少しだけ静かになった。

いやに…素直じゃないか…。

なんだか尻の辺りがこそばゆい気がした…。
このところ滝川に対するエナジーたちの態度が妙に好意的で…かえって戸惑いを覚える…。

何がどうなったのかは…知らんけどな…。

「助ける…って…先生…こいつにエナジーを補給してやればいいのかい…? 」

智明が不安げな顔で滝川を見た。

「そうだな…智哉さんが居れば…それで済むんだが…。
智哉さんが言うには…エナジーをより効果的に補給するには…育てる…という行為をしなきゃいけないそうなんだ…。

残念ながら…僕にはその力はなくて…。
補給するだけなら何とかなるんだが…その場しのぎ…。 」

その場逃れでもやらないよりはましか…。
けれど…その前に…邪魔をしないでくれるように太極たちを説得しなきゃ…。
こっちの体力がもたないからな…。

直談判したいところだが…滝川にはエナジーたちとの会話ができない…。
頼みの綱は西沢かノエルなのだが…。

しかし…西沢は黙ったまま動かない…。
子供好きで面倒見の好い西沢でも度重なるマーキスの愚行には愛想が尽きたか…。

 治療師…滝川としては目の前で死に直面している子供を見捨ててはおかれない。
何とか助けてやりたいが…エナジーたちを下手に刺激すれば…滝川ひとりが命を失って済む…という問題ではなくなる…。

エナジーたちが再び…人類を滅ぼす気になったら…最早打つ手はない…。
西沢の暴走を止めるようなわけにはいかないのだ…。


 

 捨てられた…という智明の言葉を耳にした時から…西沢の古傷が痛み出した…。
要らない子だから置いていかれた…と…つい数年前まで西沢は信じ込んでいた。
 要らない子…生きてちゃ迷惑…と幼い西沢に言った実母…絵里…。
真実を覆い隠すために…西沢家の不幸を西沢ひとりに背負わせた祖父…巌…。

『我息子よ…。 この不穏分子をどうするね…? 』

太極が問うた…。

「崩壊の因子と言うならば…僕もそうだ…。
身体ん中に…とんでもないのが居る…。 」

西沢が答えると…太極は愉快そうに笑った…。

『なるほど…。 それも…崩壊の因子には違いない…。
だか…おまえの中に居るそれは…おまえ自身で動かせるものではない…。 
動かすものはこの宇宙の意思なのだ…。 
そいつに関しては…我々にすべて任せておけばいい…。 』

勝手なこと言ってらぁ…と西沢は思った。
こんなもん御守するために生まれてきたんじゃないぞ…。

「誰もそのことに触れないが…僕はすでに…ふたり…この世から消してる…。
それが僕の意思か…御使者の使命か…あなたたちの操作かは…問題じゃない…。
何れにせよ…直接…手を下したのは僕自身だからな…。
 
 智明は天爵ばばさまとしての使命を果たすべく…あいつを擁護したけれど…それが失敗に終わった…と言うのなら…裁きの一族の御使者として採るべき道は決まっている…。 」

滝川が…如何にかしてくれと言わんばかりに…西沢を見つめていた。

 意思を持つエナジーたちとまともに会話ができるのは西沢とノエルだけだ…。
しかし、媒介であるノエルは大本である太極に可愛がられてはいるが、他のエナジーたちとはそれほど近しい関係にはない…。

 西沢の中には、ノエルと亮のエナジーから生まれた生命基盤とともに、太極自身の、言わばオリジナルのエナジー要素が埋め込まれていて、おまけに、あの魔物…負のエナジーまでが包含されている。
西沢は他の意思を持つエナジーたちにとっても今や兄弟みたいなもの…。
ただの人間と言えど影響力は大きい…。

そんなに期待されても…困るんだぜ…恭介…。

西沢は胸の内で大きな溜息を吐いた…。
御使者として為すべきことを為す…そう思い定めて口を開いた…。

「おまえが元の地位に返り咲きたいと思う気持ちは分かる…。
多分それが…赤ん坊の頃からおまえを支えてきたすべてだったんだろうから…。

 けれどもそのために…他の誰かを犠牲にする…などという考えは決して許されることではない…。
裁定人は…庭田が再教育に失敗したと判断し…然るべき処置を講ずる。 」

 西沢は無表情のまま…マーキスにそう宣告した。
それは死刑宣告に等しい…と誰もが思った。

我意を得たり…とばかりにエナジーたちは歓声を上げた。

「紫苑…庭田としてはまだ…お手上げだ…とは言っていない…。
失敗したとも思わない…。

 擁護者として…この子の犯した過ちは幾重にも詫びる…。
まだ…うちに来てそれほど時も経ていない…。
この子が正しい道を悟るには…もっと時間が必要なんだ…。 」

庭田の天爵さま…として智明は裁定人の判断に異を唱えた…。
生まれた時から刷り込まれているものを…そう短期間に変えられるわけがない…。
長い目で見るべきだ…と…。

「僕の判断じゃない…。 これは…上からの指令だ…。
御使者はそれに従うまで…。 」

表情ひとつ変えず…西沢は淡々と答えた…。

上からの命令は絶対…御使者はそう簡単に背けないもんなぁ…。
どうするか…未だゆっくりと羽ばたいている西沢の翼を見つめながら滝川は考えた…。
何気なく眼を移すと…視線の先に仲根の姿があった…。

そうだ…仲根を使えば…。

「仲根くん…もう一度…上の方の意向を確かめてくれないか…? 
幼くして洗脳されたマーキスを再教育するには…まだ相当時間がかかる…。
子供だから…時々…思わぬ失敗もするんだ…。 」

静かに事の成り行きを窺っている仲根に向かって頼んだ。

「そいつは…無理なんですよ…先生…。 
上の方…ったっていろいろで…。
僕が直接口利けるのは…室長…代表格…総代格くらいまでが関の山です…。

 紫苑さんは特使ですから…命令を下してるのは…お伽さまか宗主御本人…。
とてもじゃないけど…直で意向を伺うなんて…できやしません…。 」

申しわけなさそうに仲根は答えた…。

格の違いか…困ったな…。

そうは言っても、宗主やお伽さま相手に何の障害もなく連絡が取れるのは、やはり仲根しかいないのだ…。

「紫苑…おまえが命令を出せ…。 仲根くんに上の意向を再確認させるんだ…。
特使の命令なら…誰からも文句は出まい…。 
 何なら…おまえ自身が直接…確かめてくれてもいいんだぜ…。
相手の意識ロックを解除して…さ…。 」

周りの視線が西沢に集中した。

できない話ではないが…。

そう思いながらも西沢は、勝手に事を運ぶ滝川を睨むように一瞥すると、出方を窺っている仲根に頷いて見せた。

ほっとしたような顔をして仲根はお伽さまとのコンタクトを取り始めた。
さすがに直に宗主と…では気が引けるようだ…。
 
お伽さまの回答は…仲根ではなく…西沢の方に送られてきた…。
後々仲根に…とばっちりが及ばないように…お伽さまの思い遣り…。

「マーキスをこのままにしておくことは認めない…。
これは…裁定人の裁断だけでなく…族長会執行部の意思でもある…。 」

お伽さまの指示を聞いて…再びエナジーたちが歓声を上げた…。

 執行部の意思…と言われては…さすがの庭田も引かざるを得ない…。
それは…すべての家門を代表する族長たちの意向なのだ…。
けれども…智明にも天爵ばばさまの魂を引き継ぐものとして…預かった命には責任がある…。

 マーキスはすでに限界に近い状態で…身動きひとつままならない…。
蒼ざめた顔で転がっているだけだ…。
智明にはその姿がひどく哀れに思えて…胸が痛んだ…。

HISTORIANを率いて…麗香を死に至らしめた張本人…それはわかっているのだけれど…。

「すべての元凶であるHISTORIANを未だ存続させておいて…傀儡であるこの子を殺すのは道理にあわない…。
紫苑…そうは…思わないか…? 」

傀儡…と智明は言った…。
そうでないことは…百も承知で…。

「今のHISTORIANには…こちらが警戒しなくてはならないほどの力はない…。
『時の輪』の親爺は切れる男だから…頭の切り替えも早い…。
教理の解釈を都合よく変えて…すでに新しい方針を立ち上げているようだ…。
失敗に終わった…愚にもつかない国家幻想をいつまでも抱いているような奴じゃない…。 

こちらに悪さを仕掛けてこなければ…わざわざ他所の国まで…奴等を潰しに行く必要はないだろう…? 」

そうさ…こいつだって…おとなしくしていれば問題はなかったんだ…。

西沢はマーキスの方にチラッと目をくれた…。

「なぁ…紫苑…手はないのかよ…。 もう限界だぜ…こいつ…。
せめて…応急処置だけでもさせてくれよ…。 」

滝川の耳に…エナジーたちのブーイングが聞こえる…。
不満そうだが…何故か怒りの気配が治まって来ている…。

妙だな…。

そう思いながら辺りを見回した滝川は、吾蘭の姿が見えないことに気付いた。
さっきまで智明の傍に居たはずなのに…。
何処に…行ったんだろう…?

慌てて視線を移すと…少し離れたところの壁に向かって何か話しかけている。

ノエルが呼んだのか…?
それとも…紫苑が行かせたのか…?

西沢の表情は相変わらず淡々としている…。

まさか…。

滝川の心臓が激しく動き出した。

まずいぞ…これは…。
マーキスの最後を…吾蘭に見せないためか…?

そう思った刹那…智明の声も…滝川の声も…まるで聞こえなかったかのように…西沢は静かに動き出した…。








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続・現世太極伝(第百二十二話 崩壊の因子 )

2007-06-04 18:12:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 強大な力を使うにはそれに見合った体力や生命力そして精神力が必要となる。
如何に並外れた能力を持っていても、それを支えるための活力がなければ、その能力者は力を使うたびに自分の命を削ることになる…。

 抜きん出た能力者が必ずしも強い生命力や精神力を持っているとは限らない。
活力の弱い能力者は常に出力を加減しなければならず、自分の限界を超えてしまえば命を落とすことにもなりかねない…。

 家門に属する能力者であれば、命に関わる重要なことは幼い頃からちゃんと指導して貰えるし、修練の中で限界を把握することもできる。
老齢の能力者の中には体力には頼らず、修練によって向上させた精神力で大きな力を使えるようにしている者もあり、そうしたノウハウが代々自然に伝授されていく…。

しかし、先達の居ないフリーの能力者では、命の危険自体に気付くことすら難しいだろう。

 HISTORIANは古くから存在する組織ではあるが…いわばフリーの能力者の寄せ集め…何処まで能力者としての指導がなされているのかは疑問だ。
西沢が倒したふたりの指導者もそうだが…マーキスの戦い方を見ていると…威力を誇示しようとするあまり…力任せとしか言いようのない攻撃をする。

 危ないな…と滝川は思った…。
マーキスは西沢が現れる前にも、滝川への攻撃に力を使っている。
この少年が自分で加減しているとは思えない…。
限界まで…あとどのくらいの余力があるのか…?

 それに…紫苑…。
不機嫌ではあるけれど…怒りの翼を広げているわけではなさそうだ…。
あの羽は…やはり…あいつに反応しているんだな…。

 暴走の危険性はない…と分かっても…そう簡単には安心できない…。
あの翼が見えている限りは…。

 空気が揺れている…マーキスの気の動きに伴って…。
やがてそれは…空間の底辺をも揺るがした…。

 「やめておけ…坊や…無駄な力を使うんじゃない…。
紫苑には…太… 」

滝川の言いかけた言葉が終わらないうちにマーキスは力を放った。
…と同時に形のないものがいきなりマーキスに襲い掛かった…。

それは西沢を透して空間に溢れ出たエナジーの触手…。
あっという間にマーキスの全身を包み込み…封じ込めた…。

 「太極は…おまえに与えたエナジーをすべて還元すると言っている…。
僕が手を下すまでもなく…おまえは消滅する…。
死…ではない…。 跡形もなく…消えてなくなる…。 」

感情の失せた西沢の声に…動けないマーキスは顔を引きつらせた…。
大きく見開いた眼に…恐怖の色が浮かんでいる…。

分離して単体となったエナジーの触手は透明な卵へと形を変え…まるで胚子であるかのようにマーキスを包含する。

 「紫苑…やめさせろ…! まだ子供なんだ…! 」

滝川は急いで駆け寄り、マーキスを閉じ込めているエナジーの塊の中へ入り込もうと試みた。
何とか…マーキスを引っ張り出すために…。

 手が届くか…と思われたその瞬間に…何かが滝川の身体を通り抜けた。
その反動でバランスを失った身体が…はじき出されるようにエナジーの外に転がった…。



 扉の前で眠りかけていた仲根の肩を誰かがそっと揺らした。
驚いて眼を上げると、庭田の天爵さま…智明が心配そうに覗き込んでいた。

 「大丈夫…? 怪我してない…? 」

穏やかな声で智明が訊いた。

 「あっ…いえ…平気です…。 」

いかにもきまり悪そうに仲根は答えた。
眠りかけたのは仲根の怠慢ではなかったのだけれど…。

 「うちの子がお邪魔してるはずなんだけど…部屋に入れなくて困ってるのよぉ。
あなた…紫苑かノエルに連絡取ってくれない…? 
私が来てると言えば通じるわ…。 
さっきからやってみてるんだけど…何かが邪魔して私の意思を通さないの。 」

うっ…オネエ口調…これが噂のスミレちゃんか…。
仲根の顔が思わず引きつった。
庭田の天爵さまは時々オネエになると御使者の間ではもっぱらの噂…。

 「あ…やっぱり…ノエルくん…来てたんですね…。
多分…そうだと思って…仲間に応援を頼んだんですが…。 」

そう言いながら仲根は西沢とノエルに向けて思念を飛ばした。
確かに…智明の言うとおり何かが邪魔をしているようだが…同族の中でもゲートウェイとして定評のある仲根にとってはたいした障害ではない…。

 「困ったものよ…。 学校からこっそり抜け出して…。
まぁ…やるとは思ってたんだけど…。 
ありがと…。 どうやら…まだ…無事のようだわ…。 」

えっ…意思を送り込めないのに…なんで無事が分かるの…?
仲根は訝しげに智明の顔を見つめた。
その疑問を見透かしたように智明は笑った…。

 「道ができればそれに乗るだけよ…。
お告げ師だけが…庭田の十八番じゃないの…。 」



 床に転げた滝川に向けて空間のありとあらゆるところから非難めいた声が上がった。
滝川にはまったく理解できない言葉ばかりだが…余計なことをするな…と言っているように思えた…。

 「子供であることなど…理由にならない…。 
この世に崩壊を招く者は取り除かねばならない…。
エナジーたちはそう言っている…。 」

西沢がエナジーたちの言葉を伝えた…。

それはそうかも知れないが…滝川は捕らえられたままのマーキスに眼を向けた…。
こいつが悪さしなきゃ…問題ないんじゃないのか…?
生まれてからずっと刷り込まれてきたものを完全に消し去るのは難しいとしても…。

異常に気づいたのはその時だった…。
エナジーに包み込まれたマーキスの顔色がどんどん悪くなっていく…。
さっきまで健康そのものの肌色だったものが…次第に翳りを帯びていく…。

 「紫苑…まさか…奴等…エナジーを抜き取ってるわけじゃないだろうな…? 」

エナジーの塊の中に居なければ…今にも倒れそうな状態に見える…。

見える…?
えっ…?
見えてるのか…マーキスが…?

事態を把握するまでの一瞬の戸惑いの後…滝川は恐る恐る…西沢を振り返った…。
吾蘭を抱いたまま…弱っていくマーキスを無表情に見つめている西沢…。
何度瞬きしてみても…人体模型には見えない…。

 「抜き取っているわけじゃない…。 
この坊やが…中で暴れて勝手にエナジーを放出しているんだ…。 」

西沢の唇が動く…。
どうやらマーキスは身動きできないまま…意思を持つエナジーの触手から逃れようと必死で攻撃を続けているらしい…。

信じ難い現象に瞬時戸惑ったが…すぐに気を取り直した。

とにかく…止めなきゃ…。

この状況をどう考えるか…は後回しにして意識をマーキスの方へ向けた。

 「よせ…マーキス! 自殺行為だ…! 」

滝川は慌てて起き上がり、再びエナジーの檻の中へと入っていこうとした。

 「恭介…無駄だよ…。 」

背後から西沢が声をかけ、滝川の方へと近付いた。

 「おまえの声は聞こえてない…。 恐怖でどうしようもなくなっているんだ…。」

振り返った滝川に、抱いている吾蘭を手渡した。

 「手の掛かるやつだぜ…。 」

そう言って西沢は檻の中へと入って行き、その場で固まったままのマーキスを引っ張り出した。
檻の外に出たマーキスは自分の身体を支える力もなく崩れ落ちた。

不満げな唸り声が空間の壁という壁から湧き起こり…檻は再びマーキスを捕らえようと迫った。

 「少し…待って…。 」

西沢が誰にともなく呟くと檻はおとなしくなった。

滝川は抱いていた吾蘭を下に降ろして、力尽きたように動かないマーキスの身体に触れた。
容態を確かめた滝川が深刻な表情で西沢を見た。

 「ノエル…スミレちゃんが来てるだろ…?
中へ入れてやって…。 」

西沢に言われて…ノエルはちょっと太極の様子を窺ってから…空間壁にやっと人が通れるほどの細長い穴を開けた…。

狭いわね…と言いながら智明は穴を潜り抜けてきた。
その後から仲根が続いた…。

智明の姿を見て喜んだ吾蘭が、智明のすぐ傍まで駆けて行き、嬉しそうに手を引っ張って連れて来た。

 「滝川先生…御迷惑をおかけして…申しわけない…。 」

智明はまず…済まなそうに滝川に声をかけた。

 「この子は…限界を学んだことがないようだ…。
かなり…危ないところまで来ている…。 」

滝川がそう言うと智明は呆れたように溜息をついた。
マーキスの前に片膝をつくと…血の気を失ったうつろな顔を覗きこんだ…。

 「マーキスよ…。 そんなに俺は…頼りないかよ…? 」

智明の嘆くような声を聞くとマーキスはそちらの方に眼を向けた…。

 「命の恩人を襲うなんて恥知らずなマネさらすほど…俺んとこには居たくねぇのか…って訊いてるんだよ…。 」

天爵さまやスミレ…ではない…智明の生の言葉を…マーキスは初めて耳にした。

 「先生…紫苑…こいつ…知っちまったんだよ…。
やらなきゃいいのに…アカシックレコードなんぞにアクセスして…。
HISTORIANが他の子供を首座に置いたこと…。
自分が捨てられたことを…さ…。 」

捨てられた…という言葉に…一瞬…西沢の表情がくもったのを滝川は見逃さなかった…。

 「帰るところがないんだよ…こいつには…。
なんとか手柄立てて…最高指導者に返り咲くしか…組織に戻れる方法を思いつかなかったんだろう…。 
そんなことをしても…無駄だってぇのに…。 」

哀れむような智明の眼差しを避けて…マーキスは視線を逸らした…。

 「話は…後にしないか…? 今はこいつを助けてやらなきゃ…。
紫苑…頼む…。 太極たちに執り成してくれ…。
たった12や13の子供に…完全な答えを出せという方が無理だ…。 
間違いはある…。 」

突如…ノエルのフレームを覆っていた壁が一斉に唸り声をあげ始めた…。
滝川のそのひと言で…エナジーたちが怒りを爆発させた…。

だめだ! 崩壊の因子を残してはならない! 

口々に叫ぶ声が…声と言えるなら…耳を劈くような轟音となって渦巻いた…。

 「エナジーたちの賛同は…得られないようだ…。 」

西沢が静かに言った…。
その声は周りの音に掻き消され…誰の耳にも届きはしなかったが…。
 







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続・現世太極伝(第百二十一話 失われた居場所 )

2007-05-19 22:09:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 かつては…魔物…西沢を捕らえて意のままに操ろうと考えていたマーキス…。
その西沢はおろか…今では…滝川にさえも自分の能力が通用しない…ことを身を持って知り…動揺も極限に達していた…。
 
 最高指導者のひとり…次代を継ぐもの…と崇められてきた自分の能力が…この辺境の国の能力者たちに劣るなどということは考えられなかったし…認めたくもなかった…。

優劣がどうの…ってことじゃないんだ…と滝川は胸のうちで呟いた。

まぁ…それもないわけじゃないけど…要は…特異性…の問題だ…。
紫苑は…おまえの力を吸収してしまうし…僕は…同化する力を持っている…。
余程の力の差でもなければ…そう簡単には倒れない…。

言ってしまえば相性が悪いんだよ…。
おまえの力と…僕等の力とは…。

裁きの一族が他の家門から畏怖・畏敬の的となっているのも…滝川一族が篤く信頼されて族間の繋ぎ役となるのも…みんなその一族の特異性からきている…。

能力者の寄せ集めみたいな集団に…家門だの特異性だのを理解しろと言う方が無理なんだろうが…な…。

滝川の心の言葉が聞こえるわけもなく…マーキスはだんだん自制心を失いだした。
湧き上がってくる不安を否定するために、とんでもないことを考え始めた。

 如何に西沢といえど…エナジーの吸収量に限界はあるに違いない…。
限界点まで吸収させれば…放出せずには居られまい…。
そうなれば…暴走は目に見えている…。
爆発させてやる…。

西沢の唇が嘲るような笑みに歪んだ…。

 「策士策に溺れる…って言葉を知ってるか…? 」

まるで…マーキスの心を読んだような口振り…。

笑っていられるのも今のうちだ…。

マーキスはそれまでよりもさらに大きなエナジーの塊を作り始めた。
西沢により多くのエナジーを吸収させるために…。



 ノエルの作りだした空間フレームを能力者たちの送るエナジーの壁が支えた。
仲根の連絡を受けて…すぐに動き出したのだろう…。
こちらの様子を読んでいるらしく、ノエルがフレームを組むと、ほとんど間をおかずに壁が出来上がった…。

 意思を持つエナジーたちもすぐに降りてきて…壁の補強をしてくれていた…。
滝川の特別な部屋に作りだした空間は、以前に野外で作り出したものよりは小さかったが、それでもノエルひとりでフレームを支えるのはなかなかに骨が折れた…。

相手がひとりだから…まだマシかな…。
あんなのが大勢居たら…とてもじゃないけど…ね。

そんなノエルの背後から…ゆっくりと…それは近付いてきた…。
最前から気配を感じていたので、いきなり全身を包み込まれても、さほど驚きはしなかった。

 「知らせてくれて有難うね…。
おかげで…みんな…すぐに動けたみたいだよ…。 」

ノエルがそう言うと…ノエルを包み込んだものは…まるで笑ってでもいるかのように小気味よく揺れた。

 『なぁに…性懲りもなく我々の記憶領域に入り込んで来たのでな…。
通常なら気付きもしないことだが…あいつの場合は…すべてのエナジーが監視の目を光らせているから…。 』

さすがに…何をするか分からない子供…のことは放っておけないらしい…。
下手をすれば…本当に…この小宇宙を破壊しかねない子供…。

 「太極…先生が…狙われる…って分かってたの…?
だから…先生に知らせたの…? 」

太極は再び身体を揺すった…。

 『そんな細かいこと…考えちゃいない…。 
目的はどうあれ…結果的には…あの男があいつの命を助けたことになる…。
責任は…免れない…。 』

責任って…。

ノエルは困惑した…。
西沢の心を救うために自分を犠牲にした滝川だが、確かにその結果としてマーキスの命をも救ったことになる。

そんな責任…負わねばならないのだろうか…。

 『案ずるな…我化身…。 
ここで…すべてを終わらせれば…それで済むことだ…。 
我々は…そのために来たのだから…。 
どれ…化身のフレームは私が支えてやろう…。 』

ノエルの身体が急に軽くなり楽になった。
太極が肩代わりしてくれた御蔭で、空間フレームに使うノエル自身のエナジーの消費量が減少したせいだ。

 「調節…難しいんじゃない…? 
太極にとってはこんなの微々たる量だからさ…。 」

心配そうにノエルが訊いた。
太極は微笑んだ…。
微笑んだようにノエルには感じられた…。

 『直接…なら無理だ…。 加減が難しくて…フレームを壊してしまうだろう…。
私がエナジーを与えているのは化身に対してで…調節しているのは化身自身だから…。 』

あぁ…なるほど…と…ノエルは納得した。
一応…媒介能力者だから…な…僕…。
全然…自覚ないけど…。

 「あいつ…なんでいつまでも拘っているんだろう…?
スミレちゃんは一生懸命…あいつの面倒を見てやっているのに…。
何が不満なんだろう…? 」

今まさに西沢を攻撃しようとしているマーキスを見つめながら、ノエルは不審げに言った。

 庭田では…マーキスを庭田の子供たちと同じように学校へ行かせ、食事を与え、何不自由ない生活をさせている。
組織のトップとして周りに崇め奉られていたから…普通の子供の…普通の生活に飽き足らないのだろうか…。

 『我化身…化身は…満足か…? 』

満足か…と訊かれて…少しだけ戸惑った。

不満がないわけじゃない…。
ないわけじゃ…ないけど…すべてに満足のいく人生なんて有り得ない…。

 「そうね…概ね…ってとこかな…。
今の僕には居場所があるから…。 」

居場所…か…。
紫苑さんが作ってくれた僕の居場所…。

 「あいつ…どうなるんだろ…?
HISTORIANは…あいつをどうするつもりなんだろ…? 」

 組織を牛耳っていた首座兄弟が居なくなり、HISTORIANとしては新しい首座を決める必要があった。
後継者として育てられていた何人かの子供たちの中でも、最も能力的に秀でているマーキスではあったが、『時の輪』のあの男はマーキスを庭田に置いたまま、うんともすんとも言っては来ない…。

 『時の輪』からマーキスを預かったのは、誤った過去の記憶を正すためだが、そのことがかえって、この少年を不利な立場に追い込んだのかも知れない。
古い時代からずっと、自分たちが最も正しいのだと信じて生きてきた能力者たちの集まりだから、彼等から見ればマーキスは敵に洗脳された子供ということになる。

 「居場所を取り戻すためか…? 」

そんなふうにノエルには感じられた…。
生まれて間もない頃から組織の手で育てられてきたマーキスには…組織の中にしか帰る場所がないのだ…。
居場所のないつらさ惨めさは…ノエルにもよく分かる…。

 「居場所がない…って感じたこと…ある…? 」

ノエルがそう訊ねると…太極は可笑しそうに形のない身体を揺らした…。

 『我々はどこにでも存在する…。 
今この時においてはこの場所だが…同時に別の場所にも存在する…。 
それは我々が決めたことではなく…宇宙創世からの決まりごとなのだ…。 』

次元が違い過ぎて…話にもならないや…。

ノエルはそれ以上詳しく訊くのを諦めた…。

幾度か…マーキスの放ったエナジーの塊が飛んできたが…太極の支えの御蔭でまったくと言っていいほど衝撃を感じなかった…。



 何度目かの攻撃で…マーキスは生まれて初めて…疲れ…を覚え始めた…。
攻撃は相変わらず吸収されたり…弾かれたり…。
幼い子供を腕に抱いたまま…西沢は事も無げにマーキスの攻撃をいなす…。
強大なエナジーと戦った過去を持つ男は…まるで人間相手では物足りない…かのように悠然としている…。

その子もまた…怯えもしない…。
しっかりとマーキスを見据えている…。

マーキス…よく考えなさい…。
おまえはまだ…若い…生きられる未来がある…。
人間の作りだしたプログラムに左右されてはいけない…。
それはすでに失われた過去のものなのだから…。

王弟の言葉が耳を刺す…。

見ろっ!
おまえはただの…記憶…じゃない…!
我々を破滅に導く恐るべき誘導プログラムだ…!

 「無駄だよ…坊や…。 紫苑にいくら攻撃しても…。
おまえのエナジーを吸収しているのは紫苑だけじゃない…。
落ち着いて…周りを見てみろよ…。 」

少年の体力が衰えてきているのを感じ取った滝川が諭すように言った。

マーキスが見上げると…辺りは幾重にも重なったエナジーの壁…。
人間のものではない…と滝川が言っていた…。

この宇宙を作ったものたち…意思を持つエナジー…。

思わず総毛立った…。

馬鹿な…エナジーが…意思を持つなんて…。

 「信じようと信じまいと…坊やの勝手だがな…。
いい加減にしないと…僕等を押し退けて…奴等が直接おまえを攻撃するぜ…。

紫苑は何とか生き延びたが…おまえはどうかな…?
あまり…好かれちゃいないみたいだが…。 」

エナジーの壁が一斉に唸った…。
笑っているようでもあり…脅しているようでもあった…。

 「おとなしく…庭田に戻れ…。
あそこに居れば…おまえは普通の子供として生きられる…。
HISTORIANの首座になっても籠の鳥…。
思うようには生きられない…。 」

 西沢の唇から…思っても見ない言葉が飛び出した…。
籠の鳥…それは西沢自身の姿…。
西沢の胸の内を思うと滝川は少し切なかった。

滝川の忠告も、西沢の言葉も、マーキスには耳を塞ぐべき雑音でしかなかった…。
これ以上…長々と攻撃していたんでは体力が持たない…。
そう考えたマーキスは…一気に片をつけるべく…自分の持てる限りの気を集中し始めた…。
戦闘経験の乏しさ故に…それが如何に危険なことかも知らず…。







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続・現世太極伝(第百二十話 忍び寄る光と影)

2007-05-08 17:53:17 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 何が起こったのだろう…?
攻撃した方も…された方も…理解し難い現象に戸惑いを隠せなかった…。
マーキスの放った巨大な念の砲弾が、滝川を捉えようとするその一瞬に、突如、消滅してしまった…。

何事もなく無事であることに…滝川はかえって困惑した…。
犠牲を覚悟して反撃に出るしかない…と判断した刹那の出来事だった…。

 消えた砲弾…その代わりに…滝川の前には小さな吾蘭が居た…。
マーキスの方をじっと見つめて立つ吾蘭の背中には…小さなグレーの羽がふたつ…。
滝川の眼にも…はっきりと見える。

 「アラン…どうして…? 」

ふと…あたりを見回すと…いつの間にか巨大な空間が出来上がっている…。
使い分けのできなくなった滝川の眼にエナジーの壁が鮮明に映る…。

 「先生…思いっきり暴れてもいいよ…。 
あちらこちらから…どんどん能力者のエナジーが送られてきてる。
太極たちも力を貸してくれるって…。 」

近くでノエルの声がした。

太極が…?
太極が何で…僕に力を…?

 「また…おまえか…。 」

壁の向こうで呆れたような西沢の溜息が聞こえた。
頑強なエナジーの壁を難なく通り抜けて姿を現した。

 「おとうたん! 」

吾蘭が嬉しそうに西沢を呼ぶ…。

その姿をマーキスは茫然と見ていた。

どこから現れたんだ…このちび助は…?
何でここに居るんだ…?

 「アラン…おてちゅだい…ちた…。 」

力強く抱え上げてくれた西沢に…無邪気に手柄を報告した…。

 「そう…アランがやったの…。 お手伝いありがとう…。
でも…危ないから…ひとりで前に出ちゃだめだよ…。 」

西沢は微笑みながら吾蘭に語りかける…。
大好きな父親の言葉に…吾蘭は素直にうんうんと頷いた…。

 「恭介…僕と同じだ…。 」

西沢が半ば切なげに…滝川に言った。

引き継がれる…滅のエナジー…。
滝川の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。

 「ごく稀…だと聞いていたのにな…。
生まれながらに…この力を持つ者は…。 」

西沢の唇から再び溜息が漏れた。

 「アランにも…何れ…見張りがつくということか…? 」

滝川が忌々しげに訊ねた。

 「アランには…僕等が居るから…始終付き纏われることはないけど…。
ある程度は行動を制限されるだろうね…。 」

それを聞いて滝川は憤慨した。

気の毒に…親子二代に亘って…監視つきの生活かよ…。

 「力なんかない方が…かえって幸せかもな…。
おまえも…だぜ…HISTORIANの坊や…。 
なんつったかな…名前…? 」

滝川が突然、マーキスに憐れむような眼を向けた。

何を…言ってるんだ…こいつら…。

マーキスは西沢と滝川の顔を代わる代わる見た。

 「マーキス…マーキス・ラプラス…。 」

聞いたか…ラプラス…だって…さ…。

ラプラス…ねぇ…。

 「馬鹿にしてんのか…おまえら…!
さっきから聞いてりゃ…わけの分からんことばかり…。

いったい今のは…なんだったんだ!? 」

マーキスの放ったエナジーが消えた理由…。
以前にも西沢がエナジーを吸収してしまうのを見た。

けれど…今のは…。

あの時…西沢は…まだ…そこには来ていなかった…。
エナジーが消えた後に現れたのだ…。
その場に居たのは小さな男の子…。

今…西沢の腕に抱かれている…西沢の息子…吾蘭。

マーキス…。

その…吾蘭が口を開いた…。

マーキス・ラプラス…。

おまえにその力があるのなら…今一度…時を遡ってみるがいい…。
アカシック・レコードに記された…過ちの歴史を…おまえ自身で確かめてみることだ…。

幼児の口調ではない…。

王弟…?

背筋に冷たいものが走る…。

吾蘭…王弟の記憶を持つ子供…。
その記憶を消去するために…何度…誘拐を試みたことか…。

消さねばならぬ…その記憶は…邪魔なのだ…。

マーキス…何を怖れる…?
我は最早…記憶に過ぎぬものを…。

記憶…ただの記憶なら怖るるに足らず…。
王弟の記憶は…組み込まれたプログラム…何れは我等を脅かす…。
幾度となく…首座から聞かされた言葉…。

消えろっ!

 マーキスは突如、吾蘭目掛けて攻撃を再開した。
無論、西沢が傍に居る限り、吾蘭には引っ掻き傷すら負わせることはできない。
それでも…吾蘭を狙えば…西沢の神経を逆なですることはできる…。

 繰り返し繰り返し…執拗に…吾蘭を攻撃する…。
際限なく放たれるエナジーの矢を、幼い吾蘭に代わって難なく吸収していた西沢の表情にも、やがて苛立ちが見え始めた…。 

西沢の背中に浮かび上がる漆黒の翼…。
それはすでにゆっくりと羽ばたいている…。

 「紫苑…抑えろ…! こいつは怯えているだけだ…。
アランを抱いたまま…焔を出すなよ…! 」

慌てて滝川が呼びかけた。
西沢の表情は見えなくても翼だけははっきりと見える…。

そう簡単に歯止めが効かなくなるような奴じゃないんだが…。

不審げに西沢の様子を窺う。
翼の動きだけで西沢の感情の動きを判断するのは難しい…。
西沢の腕の中で小さな翼が連動するように羽ばたいている…。

何かに…呼応している…?

苛立ちはあっても…怒気は感じられない…。
切れて抑制力を失っているというわけではなさそうだ…。

何が紫苑の翼を目覚めさせたんだろう…?
力を貸してくれる…とノエルが言っていたが…太極…だろうか…?

 滝川は急いで太極の気配を探った…。
けれども…その気配は…ノエルの作った空間壁に集まってきている巨大なエナジーたちの気配に紛れて区別がつかなくなってしまっていた…。



 西沢が滝川の居る特別な部屋…に向かった後、仲根は残っているスタッフを松村に任せて、スタジオ内を調べて回った…。
最初に気配を感じた…HISTORIAN以外に…この建物の中に入り込んでいる敵が居ないかどうか…。

 相手も能力者集団だから…誰にも気付かれないように気配を消して潜入することも有り得る…。 
しかし幸いにも…それらしき者が潜入した形跡は何処にもなかった…。

 敵がひとりきりだということに安堵して…仲根はもとの部屋に戻ろうとした…。
扉に手をかけて…何気なく店舗側に眼を向けた瞬間…心臓が高鳴った。

 建物の窓や扉など外に通じるガラス張りの部分から、何やら、揺らめくような光が侵入してくる…。
太陽の光…などではない…。
その光は意思を持つかのように、するすると建物の内部に入り込み、特別な部屋を目指して移動していく…。

 光は目的の場所に向かいながらじわじわと膨張し…建物のありとあらゆるところから溢れ出しそうに満ちていく…。
やがて、扉の向こうに残るスタッフたちを、得体の知れないものから護ろうとして、部屋の前に立ちはだかる仲根をも中に取り込んでしまった。

 不思議な光に包まれたその時…仲根は…全身から力が抜けていくのを覚えた…。
決して不快ではない…。
それどころか…ほのかに温かく柔らかく…何処かしら懐かしささえ感じられる…。
どちらかと言えば…穏やかで気分がいい…。

いかん…眠ってしまう…。

何とか光の外へ抜け出そうと試みたが…手も足も囚われたように自由が利かず…扉の前からは一歩も動くことができなかった…。
 


いつまでも煩いな…。

放たれるマーキスのエナジーの矢や砲弾を黙って吸収し続けていた西沢が…不意にそう呟いた…。

 「恭介…少し…お仕置きしてもいいか…? 」

そんなことを言い出した…。

 「だめ! おまえはアランを庇ってるだけでいいの…! 」

滝川がそれを制した。

ほんのちょっと…ちょっとだけだよぉ…。

西沢の口許に…悪戯っぽい笑みが浮かぶ…。

 「だめだったら…だめ! おまえのちょっとは…ちょっとじゃ済まねぇんだから! 」

こんなふうに西沢が子供っぽいことを言い出すのは…すでに苛々が怒りに変わりつつある証拠…。

 「大丈夫だよ…。 殺しゃしないから…。 手加減するよ…。 」

その言葉が終わるか終わらないか…不味いことに…焦れてきたマーキスが特大の砲弾をぶっ放した…。

西沢はそれを吸収せず…叩き返した…。
滝川が…あっと思った瞬間…それをもろに受けたマーキスの身体が吹っ飛んだ…。

どこが…手加減だ…。

滝川の顔が引きつった…。

 「だめだったら…紫苑! 子供相手に本気を出すな! 」

本気じゃねぇし…。
ねぇ…アラン…。

西沢は吾蘭に笑いかけながら可笑しそうに言った。

 「マーキス…大丈夫か…? 怪我しなかったか…? 」

倒れたまま動かない少年に滝川は不安げに声をかけた。
返事がない…。

ありゃりゃ…のびちゃったかな…?

滝川は慌てて傍に駆け寄った。
状態を診ようと手を伸ばした途端…マーキスの矢が滝川に向けられた。
至近距離から放たれた矢は滝川の額を貫いた…。

 「見たか…西沢…! これでおまえもおしまいだ…! 」

滝川の身体が崩れ落ちるのをはっきりと目の当りにしたマーキスは、高らかに勝利を宣言した。

そう…抑制装置を失った西沢は…暴走を止められない…。
宗主に殺されるのが先か…世の中を破壊し尽くすのが先か…。

 「恭介…馬鹿やってないで…起きろ…。 」

西沢の冷めた声が、マーキスの耳を突き刺した。

何を言ってるんだ…こいつ…?
起きられるわけが…ないだろう…?

倒れているはずの滝川の方に眼を向けると…片手で頭部を押さえながら…ゆっくりと身体を起こした…。

 「効いた…。 マジ…効いた…。 」

額に衝撃を受けたせいで…ぼんやりとはしているが…それほどのダメージを受けてはいないようだ…。

 「不意打ちはないぜ…坊や…。 」

ふらふらしながら立ち上がった滝川を見て…マーキスは凍りついた…。

化け物か…。

首座兄弟が消えた今…HISTORIANの中では右に並ぶもののない能力を誇る最高指導者…マーキス…。
その力が…まったく通用しない…。

何故だ…!

有り得ない…。
こんなこと…有り得るはずがない…。

パニックに陥っているマーキスを見て…滝川はひどく危険なものを感じた…。
西沢も真顔に戻って…うろたえる少年の様子を窺っている…。

少年の中で…何かが崩壊を始めた…。







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続・現世太極伝(第百十九話 避けられない…!)

2007-04-25 17:10:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 壁際に置かれた深めの椅子にゆったりと身を沈め…西沢は仲根と和やかに談笑していた…。
不機嫌な様子は見られない…。
松村は少し安堵した…。

すでにモデルとしては一線を退いているとはいえ…西沢は今でも十分に商品価値のある男だ…。
ここで降りられては困る…。
滝川のためにも…このスタジオのためにも…。

 「申しわけありません…。 滝川先生…まだ部屋に籠もったまんまで…。 」

どうぞ…と…西沢の脇の簡易テーブルの上に運んできたコーヒーを置きながら…松村は言った…。

 「僕の未熟な演出じゃ…先生…馬鹿馬鹿しくって撮る気にならないんでしょうか…?
ずっと先生を見てきたから…少しは先生のこと…分かっているつもりだったのに…。 」

松村は情けなさそうに溜息をついた。

西沢は軽く笑みを浮かべた。

 「松ちゃんのせいじゃないよ…。 仕方のないことさ…。
いくら長年一緒に仕事していても…松ちゃんと恭介じゃまったく視点が異なる…。
松ちゃんが恭介の好みを真似てセットや構図を考えても…それは恭介の思うものとは別ものなんだ…。 」

そう言いながら仲根の方へチラッと眼を向けた。

 「つまり…僕の目を通して見る被写体も同じことなんですね…?
滝川先生がご自身でご覧になったものではないから…。 」

 それでか…納得したように仲根は頷いた…。
思えば…訓練中も…滝川はあまり撮影に乗り気な様子ではなかった…。
滝川の見たいものと仲根の眼の捉えるものが一致していなかったのだろう…。

何か…お役に立てなくて…と仲根は詫びた…。

 「僕が頼んだことだから…いいんだ…それは…。
恭介の脳に刺激は行ってる筈だし…まだ効果が現われていないだけのことさ…。
これだけ力になって貰って…申しわけないのはこちらの方だ…。 」

恐縮する仲根に西沢は謝意を表した…。

 「まぁ…恭介のことは置いといて…松ちゃんがこうと思う写真を撮ればいいよ…。
松ちゃんにはそれだけの力があるし…恭介もそれを望んでいるはずさ…。 」

少しばかり寂しそうに西沢は視線を落とした。

 それじゃぁ意味がないんだ…と松村は思った…。
自分のためなら違うセットで…違う写真を撮る…違うテーマで…。
そう思った自分に愕然とした…。

ひょっとして…先生も…そう感じているのだろうか…?

 「もう少し…待ってください…。
先生が…答えを出すまで…。 」

松村は縋るような声で…そう西沢に頼んだ…。



 この宇宙の意思…。
馬鹿なことを…と声の主マーキスは思った。

宇宙に意思などあるわけがない…。
宇宙は…ただそこに存在するだけのもの…。

 「おまえも…紫苑とエナジーとの戦いを見ていたのだろう…?
ほとんどの能力者が見ているはずのものだから…。
あのエナジーはこの宇宙を創り出したものたちだ…。
意思を持つエナジー…僕等はそう呼んでいる…。 」

マーキスの喉がごくりと鳴った。

意思を持つ…エナジー…。
あのエナジーは能力者たちが作り出したものではないというのか…。

 「おまえの仲間は…あちらこちらの国の中枢に勝手に入り込んでは要らぬ世話焼きをしているようだが…忌々しきことだ…。
この宇宙の意に反するようなことをすれば…紫苑がせっかく命懸けで護った人類の存続を再び危機に陥らせることになる…。 」

 滝川の耳に…マーキスの心臓の音が聴こえた…。
鼓動が次第に激しさを増してくる…。

こんなとこで暴れられたら…大惨事だ…。

 松村は同族だが、武井や他のスタッフは能力者ではない。
自ら危険を察知して身を守ることなどできはしない…。
西沢や仲根が気付いてどうにか対処してはくれるだろうが…。

 その上…街中だけに隣近所の建物との間もそれほど離れているわけではない。
マーキスが事を起こせば、スタジオだけではなく周辺の建物にも被害は及ぶ…。
滝川には巨大な防御空間は作れない…。

 「まだ…何か…訊きたいことでもあるのか…? 」

できる限り感情を抑えた声で滝川は訊ねた。

 「僕は…なぜ…生かされているんだ…? 
特に拘束するわけでもなく…まるで留学生のように扱って…。
おまえたちは僕に…何をさせるつもりなんだ…? 」

 そいつは…最もな疑問だな…と滝川は思った。
眼の前で首座兄弟が命を落としたのだ。
自分も殺されるはずだと考えても不思議はない…。

 「残念ながら…そのことについては…僕にも分からない…。
決定を下したのは執行部の連中だ…。
僕等にとっても雲の上のお方たち…僕等はそれに従うまでさ…。

 ただ…この先も…意味なくお前を殺すようなことはしないだろう…。
そのことだけは確かだ…。 
尤も…おまえが再び暴れだせば…どうなるかは知らんが…。 」

 そのくらい…庭田の智明に訊けば済むことじゃないか…と滝川は訝った。
わざわざ滝川のスタジオに出向いて来る真意を測りかねた…。

 「HISTORIANは…確かに世界中に居る…。 
それは…遺伝子の中に組み込まれたふたつのプログラムがすべての人間に存在するからに他ならない…。
HISTORIANが雑多な人種から成る組織であるのはそのためだ…。 」

マーキスの身体がオーラを纏い始める…。

どうやら…遊びに来たわけではなさそうだ…。

気が次第に高揚してくる…。

 「異なる民族がひとつになるためには…目指すべき道が要るのだ…。
我々にとって…それは…この国を手に入れること…。
はるか超太古の時代に…手に入れられるはずだった大陸への入り口…。 

おまえを消せば…西沢の中の魔物が再び眼を覚ますだろう…。
魔物に…この国を破壊させる…。

なあに…心配することはないさ…。
地球がぶっ飛ぶ前に宗主が…西沢を殺してくれるよ…。 

そうなりゃ魔物ともおさらばだ…。 」

愉快そうに声をあげてマーキスは笑った…。

マジかよ…。
このままじゃ…とんでもないことになる…。

 「紫苑が死んだところで…魔物は消えないぜ…。
おまえたちの知らないところで…新しいプログラムが組み込まれたんだ…。 」

新しい…プログラム…?

マーキスは眉を顰めた…。

馬鹿な…もう誰にも…そんな力はないはずだ…。
時の彼方に忘れ去られ…消滅してしまった力なのだから…。

 「それに…魔物の本体は負のエナジー…この世のあらゆるところに存在する…。
紫苑の中に居るのは…そのほんの一部…髪の毛一本にも満たない規模だ…。

 僕を消しても…紫苑を殺しても…何の意味もない…。
おまえの中にも…魔物は存在するのだから…。 」

今にも噴火しそうなマーキスに対して、滝川は可能な限り落ち着いた態度に出た。
相手はまだ子供…極力…戦いは避けなければならない…。
しかし…最悪の場合は…。

エナジー…エナジー…エナジー…いったい何だって言うんだ…!
そんなものに意思などあるわけがない…!

そう確信しながらも、マーキスの心のどこか奥底に取り除けない異物が残る…。

 「大義により…滝川恭介という封印を…破壊する…。 」

身に纏いつく不安を振り切るようにマーキスは言った…。



 少し前から頻繁に遠くを見るような目つきをする西沢…。
どこか近くで…異変が起き始めている…ことは仲根にも容易に察せられた…。

やがて漂い始めた不穏の気配に仲根は西沢の指示を仰いだ…。

スタッフを避難させといて…とりあえず…なんか着てくるからさ…!

 西沢が控え室に飛び込んでジッパーを引き上げている間に…仲根は松村を呼びに行き…スタッフを少しばかり早い昼食に出すようにと強く勧めた…。

 それほど力のある方ではない松村は西沢や仲根の唐突な行動に、瞬時戸惑ったが、それでもすぐに何事か起こりつつあると気付いた…。
思い思いの場所で待機していた武井やスタッフたちに…滝川先生が戻ったら知らせるからと…急ぎ休憩を言い渡して回った…。

問題は…行けと言っても居残る者が必ず居るということ…。

まぁ…今回は絶対数が少ないから…何とかなるでしょ…。

能力者じゃない者が同席しているという状況で…如何にも動きにくそうにしている仲根に…事も無げにそう言って西沢は笑った…。



 最初の一撃は…正面からまともに来た…。
直撃じゃなかったとしても…滝川としてはそれを避けるわけにはいかなかった…。
空間壁を作ることができない以上…マーキスの攻撃はすべて受けて消し飛ばすしかない…。

 マーキスの力ならこんなスタジオくらい簡単に吹き飛ばせる…。
そうなれば…現場に居るスタッフが無事では済まない…。
スタジオの近くに居る無関係な人々にもどれほどの被害を及ぼすかもしれない…。

 不幸中の幸い…今の滝川の眼は肉眼よりも素早く相手の動きを捉えられる…。
しかも有り難いことに…確実に滝川を狙ってくる…。

 少しでも傷つけないように…と考えれば…相手が疲れるのを待つしかないのだが…。
子供とは言っても13ほどにもなれば…結構…知恵が回る…。
こちらの思う通りに上手くことが運ぶかどうか…。

 按じた通りで…時を経ずしてマーキスは受けに徹している滝川の心を見透かすかのように…位置の定まらない変則的な攻撃を始めた…。

ごちゃごちゃと物の置いてある狭い部屋では動きが取れない。
どうしてもその場から…相手の攻撃を封じるしか手はないのだ…。

滝川が…足元に転がっている何かに気を取られた一瞬を…マーキスは見逃さなかった…。

 しまった…と思った瞬間…マーキスの放った衝撃波が滝川を捉えた…。
かろうじて踏み堪えた滝川に追い討ちをかけるように…強大な破壊力を持つ念の砲弾が向かってきた…。

避けられない…と直感した…。






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続・現世太極伝(第百十八話 断ち切れない未練…。)

2007-04-15 17:15:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 松村の指示で組まれたセットの傍で滝川は椅子の背にもたれながらぼんやりと天井を仰いでいた…。
松村が滝川に代わって…采配を振るっている…。
周りが慌しく動き回っているのに…滝川はここで静かに時を待つしかない…。

これから何日も…或いは何ヶ月もかけて行う撮影は…もしかすると滝川にとって最後の仕事になるかもしれない…。

最後の作品…ではなく…。

 仲根の目を通して滝川の脳に送り込まれてくる画像は…仲根の見たままを捉えたものではあるが…如何に正確であっても滝川自身の眼で見た被写体の様相とは異なる…。
 仲根の視点で撮られた写真は滝川の作品とは言えない…。
最早…この撮影は松村にすべてを移譲するための儀式に過ぎないのだ…。

 そう考えると後継者松村の出来さえ良ければ…滝川自身はそれほど真剣に撮らなくてもよさそうなものだが…被写体が西沢となればどうしたって真摯にならざるを得ない…。

 滝川にとって被写体…西沢…はフォトグラファとしての原点…。
永久に失われたあの写真…。 その男の人生を永遠のテーマと決めた第一歩…。
出来るなら死ぬまで…西沢を…その内面を撮り続けていきたかった…。

 これが最後になるのなら…たとえ…作品として世に出せずとも…手元に残す一枚を撮りたい…。
けれども…他人の眼を通して送り込まれる画像では…西沢の与えてくれる一瞬のチャンスを見極めることができない。
せっかくの被写体を前にして…涙が出るほど口惜しい…。


 今回のテーマはラビリンス…人間の内面の迷宮を描く…。
初日は『胎内で夢見る男』…保護され閉鎖された環境の中でしか安心と安息を得られない人間の姿…。
メイクを終えた西沢がセットの前に立つと…スタッフが思わずどよめいた…。

すげぇ…西沢紫苑…全然…衰えてねぇ…。

バーチャル世界の住人を撮った時とまったく変わってねぇじゃん…。

スタッフの声だけが足場の上の滝川の耳に響く…。
滝川の心臓が激しく鼓動する…。

変わっていない…?

西沢の居る方へ眼を向けるが…悲しいかな…その姿は人体模型にしか見えない…。
身体を作り直す…とは言っていたが…あの写真集からは何年も経っている…。
西沢はもう…若くはない…。

仲根が間に入って画像を送る…。
滝川の脳に映し出される現在の西沢の姿…。
心臓が爆発しそうになる…。

同じ足場に立つ松村が母胎をイメージしたセットに横たわるように西沢に指示を出す…。

西沢先生…もう少し身体を丸めてください…赤ちゃんのように…。

違う…と滝川は思う…。
そこは胎内であっても…男はすでに胎児ではない…。

松村が次々に指示を出す…。
言われたとおりにモデルが動く…松村の指示を受ける西沢は唯の被写体…。
そこには何の意思も窺えない…。

違う…違う…違う!
紫苑はそんな単純な奴じゃないんだ…!

松村がどんな指示を出しても滝川はまったくカメラを構えようとはしない…。
微動だにしない滝川に松村は不安げな目を向けた。
明らかに不満なのだ…。

表情を変えてはいないものの何年もアシを務めていれば分かる…。
何もかもが気に入らない…に違いない…。

 「紫苑…すまん…。 」

突然…滝川が足場を降りた…。
そのまま足早に部屋を出て行った…。

松村が慌ててスタッフに休止を告げた…。

 「先生が戻るまで…待って…。 
申しわけありません…西沢先生…仲根さん…。 」

飛び降りんばかりの勢いで足場を下り…松村は西沢に詫びた…。
万が一…西沢に臍を曲げられたら…この計画はおじゃんだ。

いいさ…ガウンを羽織ながら西沢は穏やかに答えた。

あいつが…その気になるまで…待とうよ…。



 特別な部屋…のドアを叩き付けるように閉じて…ソファに身を沈めるなり頭を抱えた…。
これは松村の仕事なんだ…と何度も自分に言い聞かせながら…どうにも納得できない自分が居た…。

 他のモデルなら…どうにでもしてくれ…。
紫苑はだめだ…。
あんなふうに…ただ指示通りに動かすだけじゃ…だめなんだ…。

悔しい!

滝川の心が血を吐いた。
抑え切れない感情が胸の中で渦巻いた…。

未練は断ち切ったはず…覚悟していたはずなんだ…。
写真家滝川恭介は…もう…終わりだと…。
紫苑の心と引き換えに失ったのだから…惜しくはない…。
そう思っていたのに…。

撮りたい…。
この眼で…その一瞬を捉えたい…。
誰の力も借りず…。

焦燥に駆られて遣る方なく…背凭れに身を任せ…天を仰いだ…。

不意に…誰かが椅子から立ち上がる気配がして…滝川は部屋の奥に眼を向けた…。

 「誰だ…? 」

その気配には覚えがある…。
まだ最近知り合ったばかりの…それも決して友好的な相手ではない…。

 「おまえか…。 何の用だ…? 」

滝川は気配に向かって訊ねた…。

 「僕を…助けたのは何故…? 」

気配の主はそう答えた…。

おまえを…助けた…?

 「違う…おまえじゃないよ…。 僕が助けたかったのは…紫苑の方だ…。
おまえを殺せば…紫苑の心はズタズタ…きっと壊れてしまう…。
さんざ…酷い思いをしてきたあいつに…これ以上の痛みを与えたくなかっただけだ…。 」

まあ…結果的には…おまえを助けたことにも…なるかも知れんが…。

今のいままで…気付きもしなかった…と滝川は可笑しそうに笑った…。

 「仲間を裏切ることには…ならないのか…? 
僕を殺すことは…魔物…西沢に課せられた使命だろう…?
おまえは…それを妨害した…。 」

西沢の使命を妨害したというのに周囲から手厚く優遇されている滝川の状況…声の主は納得できない様子だった…。

 「背負っているものが違うんだよ…。 僕と紫苑では…。
紫苑は全体を…僕は紫苑だけを…見ていればいいのさ…。
戦うのが紫苑の使命なら…戦いを終わらせるのが僕の使命だ…。

誰も紫苑の暴走を望んではいない…。
万が一…紫苑の暴走を止められなければ…おまえたちの命だけでは済まないんだ。
地球が吹っ飛ぶ…。 」

エナジーたちもそれを望まなかった…。

心の中で滝川はそう呟いた…。

 「地球が…? ふんっ! 人間にそんなことができるものか…。
僕が西沢に眼をつけたのは…都市ひとつくらいはぶっ潰せると踏んだからだ…。
地球なんて大それたこと…。 」

有り得ないさ…声の主は嘲笑った。

 「その…見込みの甘さがおまえたちの失敗の原因だ…。 
紫苑の一族は…誰も本気で力を使わない…。 使うところも滅多に見せない…。
にも拘らず…この国の能力者たちが彼等を畏れ敬っているのは何故なのか…。
よく考えてみろ…。 」

みんな知ってるからさ…。
裁きの一族を敵に回して勝てるものは居ないんだ…。
滝川の心が呟いた…。

 「何故…彼等は…その力を以って世界を牛耳ろうとしない…?
自分たちの理想の国を築こうとしないのだ…?
我々にとって建国は時を越えた悲願でさえあるものを…。 」

齢に似合わないことを言う…と滝川は思った。
刷り込まれた組織の思想は容易には消えず…まだ育ちきらない子供の心を支配し続ける…。

 「世界を支配するなど意味のないことだ…。 
宗主の一族は財界を牛耳っているようなところは確かにあるけれど…人間を支配しようなどとは考えていない…。
みんな今の生活を楽しんでいるのさ…。

お前たちのしていることは建国ではない…侵略だ…。
どんな綺麗ごと並べても言い分けにはならない。
そんなことをすれば…終わりのない報復の連鎖が始まるだけだぞ…。 

 何故…分からない…? 何故…気付かない…?
今…すでにそこに存在する者たちを殲滅して…その国を自分たちの思うままにしようなどという身勝手さに…。
殲滅されないまでも、おまえたちに力で支配された者たちが、或いは、追われた者たちが真に幸せになれる道理がない…。 」

黙れ!

声の主は大声を上げた。
天爵さまとの対話で少しは落ち着いたものの、未だ、否定されることに敏感だ。

 「宗主の…西沢の一族とはいったい何者なんだ…?
空間壁を護ったあの強大なエナジーはどこから来ている…?
 人間のものでは有り得ない…西沢の中の魔物をはるかに上回るエナジーは…? 
あれが居なければ…我々が敗退することなど有る筈がなかったんだ…! 」

苛立ちと不安で次第に激昂してくるのが手に取るように分かる…。
声の主の内部で葛藤が始まっている…。

 「あれは…この宇宙の意思だ…。 宇宙は…紛争を望んではいない…。
宇宙の大いなるエナジーは…紛争によって地球上のすべての生命バランスが崩れ去るのを…黙って見ていられなくなったのだ…。 」

滝川は努めて冷静に…そして…穏やかに答えた…。

瞬時…相手は言葉を失った…。
滝川の返答が…まったく理解を超えていたから…。
アカシックレコードにアクセスできる…その能力を以ってしても…。



 「おい…母さんから呼び出しだぞ…。 アランが変なんだと…。
そこは俺がやっとくから…行って来いや…。 」

倉庫の中で届いたばかりの商品を、いつもどおりに検品していたノエルに、店の方から突然、智哉が声をかけた。
風邪でも引いたんじゃないか…と孫の具合を気にした…。

 慌てて実家へ戻ってみると…吾蘭がなにやらうわごとのように呟いている…。
少し前からずっとこんな調子で…時々…倫に何かを頼むのだが…倫には何のことだか良く分からないらしい…。

西沢さんところへ行きたがってる…ってことだけは…何とか分かったんだけどねぇ…。

倫は困り果てた顔でそう話した。

 「アラン…どうしたの…? 」

ノエルが声をかけると吾蘭は待ってましたとばかりに飛んできた。
来人もちょこちょこ後をついてきた。

 「おとうたんとこ…行くの…。 おとうたんとこ…行くの…。 」

紫苑さんのところへ…?
だって…今日は写真の仕事だから…家には居ないのに…。 

 「アラン…おとうたんとこ…行くの…。 
おてちゅだい…しゅるの…。 」

吾蘭はノエルの服を掴んで必死に訴えた…。

不意に…お伽さまと吾蘭との会話の映像がノエルの脳裏をかすめた。

 「分かったよ…アラン…。 ノエルと一緒に行こう…。
母さん…クルトを頼む…。 
紫苑さんに何かあったのかも知れないから…アランと行ってくる…。 」

それを聞いて吾蘭の目が輝いた。
吾蘭には…何か思うところがあるのだろう…。
幼いとはいえ…特殊な記憶を持っている…。

心配する倫と、留守番になって残念そうなクルトを実家に残し、ノエルは吾蘭を連れて、滝川のスタジオへと向かった…。




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続・現世太極伝(第百十七話 厄介な奴)

2007-04-02 16:53:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 玄関のドアを開けた瞬間…仕事部屋の方から西沢と玲人の楽しげに話す声が聞こえた…。
滝川は思わず眉を顰めた…。
仕事部屋に居る限りは仕事の話をしているのだろうが…やたら気に障る…。
同じように苛々させられても…玲人の父…相庭の方がずっとマシだった…。 

 それは玲人も同じだろう…。
滝川には何かにつけて…わざとらしく慇懃無礼な態度をとる…。
明らかに滝川に対して思うところがあるのだ…。

 能力的に未知数の西沢を見張らせるために、相庭が西沢と同じ年頃の次男玲人を使い出したのはふたりがまだ赤ん坊の頃…。
以来…玲人はずっと西沢の周りをうろうろしている…。
玲人が修練だか何だか…そんなものに行っていた数年を除いては…。

そんな関係だから…まるで実の兄弟のように仲が良い…。

兄弟のようにだって…ふん…笑わせるな…。
気のねぇ紫苑はともかく…玲人はとっくに恋人気取りさ…。

わけもなく溜息を吐きながら滝川が居間に荷物を降ろすや否や…仕事部屋の扉が開いて西沢とカルトンを手にした玲人が姿を現した。

 恭介…お帰り…と西沢が声をかける。
ただいま…と…それに答えながら…わざとそちらの方には近付かない…。

玲人は二言三言…西沢と言葉を交わすと…お邪魔さまで…と取ってつけたように滝川にも声をかけて帰って行った。

 西沢がこちらに近づいて来る…。
表情は見えないが…おそらくはニヤニヤと笑いながら…。

 「機嫌悪いな…。 」

西沢が可笑しそうに言う…。
別に…と軽く答えてキッチンへ向かう…。

 「コーヒー…? 」

背後から西沢の声…。
まるで滝川の行動を見越しているよう…。

当然か…ずっと一緒に居るんだもんな…。

コーヒー豆の入った缶を取ろうとする滝川の手より先に西沢の手が伸びた。

 「淹れてやるよ…。 」

そう言って西沢は滝川のために豆を挽いた…。



 あの少年…の話は、あっという間に族長たちの間に広まった…。
HISTORIANが再び国内に侵入し…悪さを始めるのではないか…との懸念も囁かれたが、どうやら彼等は組織の立て直しに忙しいようだった…。
何しろ…この国を狙ったことで多くの仲間が力を失ってしまったのだから…。

 けれども…安心はできない…。
彼等の歴史は古く…世界のありとあらゆるところに根を張っている…。
主力部隊がこの国を去っても…その根は残っているのだ…。

 種も蒔かれてある…。
何時芽吹くとも分からぬ種…。

 「封じておくべきだったか…な…。 」

その場の誰にともなく宗主は呟いた。
御使者長と三人の総代格は思わず互いに顔を見合わせた…。

 少年の力を封じてしまうこと…或いは完全に消してしまうことは…別段…難しいことではなかった。
相手が子供でなければ…そうしていたかもしれない…。

 けれども、まだ12~3の少年を力で封じ込めることは、少年の心の成長に影を落とすのではないかと考え、裁定人たちはそのまま様子を見ることにしたのだった。

 「このたびは…滝川恭介に託宣が下ったということですから…特使やノエルの時とは違って…そのまま鵜呑みにするわけにはいきますまい…。 」

御使者長が静かに答えた…。

 「滝川自身は十分信頼するに足る男ですが…太極の伝言の内容を正しく受け取れているかどうかは分かりません…。
何しろ太極と直接接触するのは…これが初めてなのですから…。 」

有が何か言おうとしたが…宗主の方が早かった。

 「奴が未だ動かないのは…考えがあってのことだろう…。
恭介の勘がはずれたわけではない…。 智明もそれには気付いているはずだ…。」

何を狙っているのか…。
何をしようとしているのか…。

 「時に…恭介の具合はどうだ…? 」

滝川についてはこれ以上はないというくらいに手厚い保障を約束している宗主だが…やはり気にかかるらしい…。

 「ノエルの話では…回復の兆しらしきものがあったということですが…。
ほんの一瞬だったようで…。 」

有の答えを聞きながら…そうか…と…少しばかり残念そうに頷いた。

 「何とか…完全に回復してくれると良いのだが…。 
仲根には協力を惜しまぬように伝えておいた…。
紫苑もしばらくは特使の役目を忘れて…恭介の治療に専念するがいい…。 」

ご高配有難うございます…と有は西沢と滝川に代わって礼を述べた…。

 御使者としては不測の事態に備えて…裁定人の採るべき方向を決めておく必要があったが…情報の出所がいつもと違うことに躊躇いがあった。

 御使者長は御使者だけでの即断を避けて…宗主の意見を仰ぐことにした。
他の家門が関わっているだけに慎重に事を運ばねばならない…。
宗主の判断ならば…結果がどうあろうと…それはそれで正当な理由がつく…。

 無論…滝川一族は能力者の世界でも最も厚い信頼を得ている屈指の情報通だし…滝川自身はすでに裁きの一族のひとりとして認められている存在ではある…。
誰も疑っているわけではないが…滝川には正確に気の言葉を把握する能力がない…という点で不安が残るのだ…。

 事が起こる起こらないは別として警戒だけは怠らぬように…いざという時には…などとおおまかな指針を決めて御使者長と三人の総代格は宗主の御前を後にした。



 パタパタと小さな足音が近付いてくる…。
楽しげな声と一緒に…。

 「先生…ただいまぁ…。 」

吾蘭が滝川の足に飛びついた。
来人と絢人も次々に…絢人は手を伸ばして抱っこも要求する…。

 「おお…お帰り…。 どうだった…水族館は…? 
何か…面白いの居たかい…? 」

絢人を抱き上げながら…滝川は年長の吾蘭に訊ねた。

 「居た! でっかくてちろいの…。 ちゅなめり…。 」

ちゅなめり…? ああ…スナメリ…ね…。 

 「おとうたんは…? 」

吾蘭が首を傾げながら訊いた。

 「まだ…お昼寝…。 朝まで仕事してたからね…。
もう…起こしてもいいよ…。 アラン…起こしに行ってきて…。」

滝川がそう言うと吾蘭は素直に…はいっ…と返事をして寝室に向かって駆け出した。
来人も後をついて行った。

 「珍しいわね…。 紫苑がこんな時間まで昼寝だなんて…。
あんたが悪さしたんじゃないの…? 」

子供たちの後から入って来た輝が疑わしそうな眼を向けた。

 「悪さなんてとんでもない…。 来週には撮影が始まるんだ…。
大切なモデルさんにそんなこと致しませんよぉ…だ…。
なっ…ケント…。 」

ふんっ…と鼻先で笑い飛ばしながら滝川は絢人の頭を撫でた。
絢人は嬉しそうににこにこと笑ったが…滝川には見えなかった。

どうだかね…と溜息混じりに言いながら、輝はキッチンのテーブルに買い物袋を置いた。

 寝室の方から吾蘭たちのはしゃぐ声がして…まだ寝ぼけ眼の西沢が姿を現した。
半分は本当…半分は嘘…西沢を見ながら輝はそう感じた…。

 「お帰り…輝…。 有難うな…アランたちまで連れてってくれてさ…。
せっかくの休みに悪かったな…。 」

西沢は欠伸を噛み殺しながら言った…。

 「いいのよ…。 今日は…智哉さん夫妻が一緒だったし…。 
それにアランが居るとクルトもケントもおとなしいものよ…。 」

そう…それが輝にはいつも不思議だった…。
まだ三歳前の吾蘭の何処にそれだけの思慮分別があるのか…。
幼い弟ふたりの面倒を実によく看る…。

でき過ぎよ…。
気味が悪いくらい…。

本心ではそう言いたいのをぐっと堪えた。

 「吾蘭は利巧な子だわ…。 」

曖昧にそれだけ言った。
西沢が嬉しそうな笑みを浮かべた。

親馬鹿ね…。
紫苑でもそんな顔するのね…。

 輝の知らない西沢の顔がそこにあった…。
西沢との距離がさらに離れてしまったようで切なかった…。

 西沢と滝川が本当のところどんな関係にあるのかは輝にも分からない。
長い付き合いだけれど…ふたりの心の奥底までは読み取ることができなかった。

 言い寄られると男も女もなく、ついふらふらとその気になってしまう西沢の浮気癖に、輝はこれまで何度も腹を立てた。
けれども、西沢は決して後に引きずるような相手に気を許したことはなく、しいて厄介な奴と言えばこの滝川ひとり…。

滝川にだけは輝の怒りも嫉妬も歯が立たず…西沢の最も近い位置に…滝川の存在を認めざるを得なかった…。

 ノエル…よく我慢してると思うわ…。
わたしなら絶対…我慢できない…。
 こいつが…毎晩…自分の隣に寝てるなんてこと…。
半分…男だから平気なのかしら…?

西沢が…クスッ…と笑ったのを輝は見逃さなかった。

 「何よ…。 」

不機嫌そうに西沢を睨みつけた。

何でもありません…と西沢は笑いながら首を振った。

 「おまえ…また僕の悪口考えてたろう…? 」

滝川が可笑しそうに言った。
西沢のクスクス笑いが大きくなった…。

思わず出る溜息…。
普段は、知らぬ存ぜぬ…で通していても、その気になれば西沢には人の心が読める…。
滝川はその西沢の心の動きを掴むことができる…。

まるでふたつの身体を持ったひとつの生き物…。

何年も輝を苛々させてきたものは…それだった…。
それがなければ…ノエルに西沢を渡したりはしなかったかもしれない…。

それも結果論だわ…。

輝はもう一度大きな溜息を吐いた…。

そう…結果論だ…。

滝川は思った。

 僕は…おまえと紫苑の仲を邪魔したことはないし…邪魔をする気もなかった…。
僕の望みはただひとつ…紫苑の幸せだけ…。
紫苑の満足げな笑顔さえ見ていられれば…それでよかったんだ…。

 「よいしょっと…さて…おちびさんたち…。
晩御飯…何が食べたいのかな…? 何…作ろうか…? 」

抱いていた絢人を床に降ろしながら、滝川は子供たちに訊ねた…。

 「カレーライチュ! 」

 「チュパ! 」

 「バーグ! 」

どれだよ…。 じゃんけんだな…こりゃぁ…。

 滝川がそう思った時…来人と絢人がお願いするようにじっと吾蘭の方を見つめた。
吾蘭がうんうんと頷いた。

 「チュパゲッティとハンバーグ…ちゅくって…先生…。 」

吾蘭が惜しげもなく自分の希望を取り下げた…。

弟たちに譲ってあげるの…?
アランはいい子だ…と滝川が褒めた…。

何なの…この子は…。

背筋に冷たいものが流れて…思わずゾクゾクッとした。
輝には目の前でおきたことが信じられなかった…。

恭介…おかしいと思わないの…?
こんな子供がいる…?

口から出そうになる言葉をかろうじて飲み込んだ。
うろたえ気味に西沢の顔を見て…なおさら愕然とした…。

あのいい加減極まりない西沢が…いとも満足げに頷いていた…。
これが当然であるかの如く…。






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続・現世太極伝(第百十六話 ふたりの間に…。)

2007-03-22 12:00:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 薔薇の館の書斎で、智明は時折、その少年と語り合った…。
HISTORIANという組織の中で少年がどんな訓育を受けて育ったのか…。
まずはそれを把握することが、少年を再教育する上での最重要課題だと思われた。

名目上の最高指導者…背後からあの選ばれし人とその弟によって動かされていた傀儡…そんなイメージが少年にはあった。
実の親から引き離されて…組織のために犠牲となっている子供…被害者…。

けれども、少年に備わっている能力を考えれば、ただの操り人形では在り得なかったはずだ…。
それを単なる被害者と見るべきかどうか…。

先代の天爵ばばさま…麗香を殺した張本人…それは『時の輪』の男でもあの首座兄弟たちでもなく…この少年自身ではなかったのだろうか…。

 たとえ、それが真相であったとしても、智明が天爵ばばさまの魂を受け継ぐ者である以上は少年を正しい道に導くことが使命…。
徒に悪感情は抱くまい…と心に決めてはいたが…。

 少年の本名は少年も知らない…。
HISTORIANの中ではマーキスと呼ばれていた…。
昔の高名な科学者の名前を取って首座が付けたのだと聞かされている。

 パスポートに記された名前はマーキス=サイモン…。
智明が物理学や数学の歴史に詳しければ…或いは気付いたかも知れない。
西沢が連絡してきた際にチラッと洩らした名前…ラプラス…『Marquis Pierre si'mon de La'place』の一部を読み替えたものだと…。

 しかし、智明がそれに気付くことはなかったし、西沢も少年の名前とラプラスを関連付けて考えることはしなかった。
そんなことを思いつくとすれば怜雄くらいなものだ。

 太極が伝えようとすることと人間の受け取り方との間にはかなり大きなずれがあるようで…もし人間がそれを完璧に理解しようとすれば…あらゆる方面の知識が必要となり…それはほとんど不可能に近い…。
ラプラスの魔物というヒントから滝川が少年のことを思いついたのは、勘が働いたとしか言いようがない。

 ここでの生活に慣れてくるに従って、マーキスは少しずつ首座兄弟に教えられたことを話すようになってきた。
智明の中の天爵ばばさまは、マーキスの教理をすぐには否定せず、ひとつひとつをじっくり考えさせるように仕向けていった。

 今日の対話を終えて、マーキスが部屋を出て行った後で、智明は掛けているソファに身を沈めて、ふうっ…と大きく溜息をついた…。

 マーキスはアカシックレコードから情報を引き出すことができる…。
そんなものが本当に在るとすれば…だが…。

もしかしたら…すでに周りの動きを読んでいるかも知れないし…逆にまったく気付いていないかも知れない…。

 お告げ師である智明は…智明の中のばばさまと対話することで…そこそこ未来を読むことができる…。
けれど…自分自身の未来について知ろうとすることは代々禁忌とされているため…直接的には力を使えない…。

 しかし…人の未来を読むことで…ある程度自分の未来をも予想できる…。
マーキスに関して言えば…西沢に忠告されるまでもなく…このまま平穏無事に済むとは思っていなかった…。
普通の少年として穏やかに育って欲しいと…ずっと願ってはいたが…。

万が一…マーキスが牙を剥くようなことがあれば…あると考えた方が間違いなかろうが…滝川の挺身も無駄だったということになろうか…。

食い止められるだけは…食い止めなければ…。
まだ…中学生になったばかりの子供との戦いなど…誰も歓迎しない…。
戦いのたびに最前線に押し遣られる西沢が気の毒だ…。

 これ以上…紫苑に重荷背負わせちゃいけない…。
そうでしょ…お姉ちゃま…。
 だけど…刷り込みを解くのは…至難の業よ…。
私に…どれだけのことができるか…分からないけど…。

飾り棚の麗香の遺影にそう語りかけて…智明はさらに大きな溜息をついた…。



 パソコンの向こうで時折…唸り声が聞こえる…。
予定表を片手に時間調整に苦慮している様子が手に取るように分かる…。
周りの目が全部…自分に集中していることなどまったく気付いてないようだ…。

 「デートの予約でも入ったんですかぁ? 」

今にも噴出しそうな声で亮が言った。

 「何言ってんの…亮くん…仕事に決まってるっしょ…! 
紫苑さんから頼まれた滝川先生の治療の手伝い…。
来週から撮影だから…こっちの仕事と重ならないように考えてるの…。 

 紫苑さんがさ…特使命令だ…とはっきり言ってくれれば正式な仕事にできるんだけどさぁ…。
あの人ってば…妙に謙虚だから…。 」

半ば憮然とした表情で仲根は答えた。

 「重ならないようにって…そりゃぁ無理じゃないっすか?
まさか…休日出勤するつもりとか…? 」

そこまでしなくても…と亮は思った。
何とか時間をやりくりして協力しようとしている仲根が気の毒だった。

命令された方が仲根さんも動きやすいのに…中途半端なことをするよなぁ…紫苑。

 「俺は…治療師じゃないから確信はないんだけど…滝川先生の脳に視覚的な刺激を与えるのは悪いことじゃないと思うんだ…。
何がきっかけで…元に戻るか分からないんだし…。 」
 
そりゃぁ…そうだけど…。
休日返上してまで…。

 「少しでも紫苑さんの助けになるなら…そんなこと全然構わないよ…。 」

俺…紫苑さんの大ファンだからね…。

そう言って仲根はニカッと笑った。

何だか悪いよなぁ…。

仲根が兄のために尽力してくれているのを見て申しわけなく思った。

 「仲根…撮影の日取りはもう決まってるのか…? 」

大原室長がパソコンを覗きこみながら声を掛けた。

 「まだ…全部は…。 でも大方の予定は立ってますけど…。 」

ふうん…と返事をしながら大原は手招きをした…。

なんっすか…?

怪訝そうに眉を顰めながら…仲根は席を立って大原の前へ出た…。

 「うちとしても滝川本家に借りを作ったまま…ってわけにはいかないからな…。
宗主から直々に出張命令だ…。
しばらく滝川先生の助手になっとけ…ってさ…。 」

大原室長は宗主から直のメールを指差してそう言った。

お~っ! 宗主のお墨付きがありゃぁ…文句なく仕事…堂々と出掛けられるしっ!

思わず知らず顔が緩む…。

 仲根は大原室長の計らいに感謝した。
どう考えても…仲根クラスの御使者に宗主から直で命令が下るわけがない…。
宗主の身近に控えている総代格に連絡を取ってくれたに相違ない…。

 「良かったじゃん…仲根…。 休日出勤不要でさぁ…。
けど…強力な鍵…用意しといた方がいいよぉ~!」

意味ありげにニタニタ笑いながら柴崎が言った。
周りでクスクス笑いが起きている…。

 「滝川恭介は…手が早いので有名なのよ…。
まあ…今んとこ噂が立ってる相手はモデルの女ばかりだけどぉ…。
あの特使と一緒に暮らしてるんじゃ…そっちも…ねぇ…。 」
 
ぶっ! まさか…あの御仁も…危険人物とか…?

仲根の表情が引きつった。
そうなの…? 不安げに亮の方に顔を向けた…。

 「柴崎さん…仲根さん脅すの止めてくださいよ! 
ああ見えても先生はすごく真面目な人なんです!
先生が心底想ってるのは…亡くなった奥さんと紫苑だけなんだから…! 」

何時になく激しい口調で亮が抗議した。
日頃の亮からは考えられない憤然とした態度に柴崎たちは気圧された。

 「今度だって…自分の命に代えて紫苑を護ろうとしたんだ…。
写真家が視力を失ったんですよ…。 
僕なら絶望しちゃいます…。

 けど…覚悟決めてたから先生は泣き言すら口にしない…。
そんな心意気…分かって冗談言ってるんですか…? 」

 部屋中の空気が固まった。 さすがの柴崎も言葉を失った。
へこまない女で有名な柴崎がへこんだのは…これが始めてだった…。
その場の雰囲気に呑まれただけのことではあったけれど…。



 何日ぶりなのか…何週ぶりなのか…ノエルはもう覚えていない…。
ようやく西沢と滝川の間に戻ってきたけれど…何となく以前とは居心地が違うような気がする…。

 それでも…この西沢本家特注のどでかいベッドの中央に身を沈め…ノエルの頭越しのふたりの会話を聞いていると…少しずつまた…ここが自分の居場所だと信じられるようになってきた…。

 ふたりはノエルの存在を忘れているわけでも無視をしているわけでもない…。
時折…西沢の手が優しくノエルに触れたり…滝川が髪の毛を玩んでいたり…ちゃんと意識している…。

 西沢に助けられて…初めてこの部屋に来た夜からずっと…変わることなくノエルはふたりの間に居て…そこがノエルにとって一番安心できる場所だった…。

 西沢と滝川…どちらもノエルを有りのままに受け入れてくれる…。
ここではノエルはノエルのままで居られるし…西沢も滝川も取り立ててノエルに気を使うことはしない…。

 けれど…もし…ここに居るのがノエルではなくて輝だったら…滝川はどうしただろう…。
いつもの輝の言い草じゃないけど…まさか…そこに女が居るのに西沢のベッドの片側を占領したりはできないだろうし…。

 「あれ…ノエル…髪の色変えた…? 」

不意に滝川が不思議そうな声をあげた。
枕灯の小さな明かりに照らされたノエルの頭をまじまじと見ている…。

 「そうだけど…先生…見えるの…? 」

ノエルのその問いに…滝川は即座には答えられなかった…。
おそらくは期待をこめて自分を見ているだろう西沢の方に眼を向けた。

 「う~ん…。 だめ…。 やっぱり…見えんわ…。
さっき…一瞬…ノエルの髪が濃い系に変わったような気がしたんだけど…。 」

少しばかり残念そうに滝川は答えた。
滝川の落胆を余所に…ノエルの胸は高鳴った。

 「合ってるよ! 見えたんだよ…先生! 
チャラチャラした色は止めろ…って親父に怒られたんで少しだけ濃くしたの!
紫苑さん…きっと大丈夫だよ! 」

瞬時の期待と落胆で…どう反応のしようもなくなっている西沢を振り返り見ながら…ノエルはひとり嬉しそうにはしゃいだ…。
必ず治ると確信できるものは…何ひとつないというのに…。

 


 


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