今日は朝から、お寺中の掃除で、お彼岸の準備です。
遠い所から、朝早く、お寺の御宝前をきれいにさせてもらおうと、お参りになったご信者の気持ちがありがたいです。
そのうち、そういう篤信の人がほとんど、いなくなったら業者に清掃を委託するのでしょうか。
それは、佛立宗のご奉公精神の死を意味します。
昔、わが遠妙寺に森タカさんというご信者がおられました。
私が子どもの頃、すでにお年寄りでした。
この方は、ケガをされて足が不自由で引きずるように歩いておられました。
でも、そういう身体なのに、お寺の回廊をひとりで、すこしづつ、いつも、いつも雑巾で拭き掃除。
誰が見ても、休んでいてもらったらと思う、その方がいつも掃除されていました。
本当に穏やかなご信者で、にこにこ、喜んで掃除されていた、あの顔が忘れられません。
お彼岸に、そんな話を想い出しました。
遠い所から、朝早く、お寺の御宝前をきれいにさせてもらおうと、お参りになったご信者の気持ちがありがたいです。
そのうち、そういう篤信の人がほとんど、いなくなったら業者に清掃を委託するのでしょうか。
それは、佛立宗のご奉公精神の死を意味します。
昔、わが遠妙寺に森タカさんというご信者がおられました。
私が子どもの頃、すでにお年寄りでした。
この方は、ケガをされて足が不自由で引きずるように歩いておられました。
でも、そういう身体なのに、お寺の回廊をひとりで、すこしづつ、いつも、いつも雑巾で拭き掃除。
誰が見ても、休んでいてもらったらと思う、その方がいつも掃除されていました。
本当に穏やかなご信者で、にこにこ、喜んで掃除されていた、あの顔が忘れられません。
お彼岸に、そんな話を想い出しました。