清雄寺にて門祖会・16世講有日幹上人御17回忌 

2009年03月22日 | Weblog
本日は清雄寺にて門祖会がつとまりました。
第一座は宗務総長・佐藤日凰上人のご奉修。
第二座は講尊・梶本日裔上人のご親修。
天候は、午後からはものすごい低気圧が通るので、100%雨の予報。
傘をさしていても、役に立たないくらいの雨だと昨日、天気予報で言っていました。
心配しましたが、ほとんどは曇っていて、時折ホンのパラパラ程度の小雨でお計らいでした。
今日は、門祖会に併せて佛立第16世講有・小山日幹上人の御十七回忌がつとめられました。
昭和62年、佛立第18世日地上人がご遷化、翌年、師匠であった遠妙寺先住、日玄上人が亡くなられ、私は日幹猊下の最晩年、弟子として末席に加えていただきました。当時はまだ、三十代でした。いろいろ、お世話になりましたが、その教えを頂いて心から感謝しています。
小山日幹上人はもっぱら「信心・口唱に徹せられた御講有」として、全佛立宗の尊崇を一身に集めておられました。
日幹上人が本山に第16世講有としてご晋山になったのは、昭和40年。そして、3期12年の間、宗門の教講をご教導なされましたが、常題目のご信心という裏打ちがあったればこそ、そのご威光が倍増し、すべての人々が信伏随従したのです。
私が出座した二座、講尊・梶本日裔上人の御法門によれば、そのご在任中に本山においては佛立霊地(開導聖人御墓所)造営、御宝蔵、佛立会館(宗務本庁)造営、佛立丹波霊園の完成など、40年の宿願が成就。本山初灯明料は本山が全国の一位となり、それはご退任後6年まで続き、宗徒は2.6倍に組数は1.4倍に、連合数は1.5倍になったということです。
まぁ、この頃から昭和60年頃までが本門佛立宗の歴史の中でも最高に盛り上がった時でした。これからも、どんどんご弘通に励み、二回目、三回目のピークが早くまた、やってくるよう努力しなくてはなりません。しかし、それは御講尊日幹上人が身を以って示された口唱信行によってのみ可能なのではないかと思います。
5年前、その後を追うように法嗣・小山日誠上人が佛立第24世講有として本山にご晋山され、元気にご奉公されていますが、やはり、これも師匠譲りの常題目の功徳を頂かれたのでしょう。
特に、日誠上人は講有に晋位されてから「良いお看経」「一段上のお看経」等を提唱なさり、これを宗内に徹底するよう、御法門等でも教導なさっています。
平成5年、16世・日幹上人は法寿95歳を以てお亡くなりになりましたが、その遺徳はますます光を放ち、その教えは清雄寺教講に脈々と受けつがれています。
現・講有上人のますますのご健勝と清雄寺門末のさらなる発展を祈りつつ、帰山しました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする