東京に佛立の灯火をもたらした日教上人

2009年03月06日 | Weblog
昨日、京都の本山・宥清寺で御講有上人を囲んで東京に本門佛立宗の教えをもたらされた日教上人報恩のご奉公について話し合いがありました。
日教上人は佛立宗の第四世講有として、わが宗のお寺では必ず、朝夕にそのお名前を言上して、感謝の意を表しています。しかし、日教上人その方のことは、あまり知らないのが実情ではないでしょうか。
再来年、平成23年正月17日が亡くなられて100年目の御年回、百回御遠諱ですので、その報恩のために何をさせていただくかというお話です。
まずは、第4、5、6、7、8支庁、つまり東海地方から以東の各寺院でお教化のご奉公をさせていただくのがいちばんです。
そして、日教上人に関する記念出版。日教上人伝や、各地のお寺の成り立ちや写真などを配置した記念誌など。
ともかく、多くのお寺が共同して一つの事をやっていくことが大事だということだと思います。
日教上人は開導日扇聖人の御弟子として幼少の頃よりお仕えして、開導日扇聖人がご法難により入牢された時は、少年ながら志願していっしょにお伴しました。
また、開導日扇聖人がご晩年、病気になられた時は、東京でのご奉公を一時、休止されておそばで看病されました。明治23年7月に開導日扇聖人がご遷化の後、ようやく東京に戻られてご奉公を再開、そして、今度は兄弟子にあたる第二世講有、日聞上人を師匠としてお仕えになりました。日聞上人が明治43年に身体に不調を覚えられ伏せられるようになると、またもや、お側で看病されました。
同年、8月25日に日聞上人がご遷化になると、帰京されたのですが翌、明治44年正月17日に日教上人自身もご遷化になりました。
しかし、東京に確固たる弘通の基礎を築かれ、清雄寺、乗泉寺、光隆寺を法華宗の旧寺を本門佛立講の弘通の道場となさいました。いずれも、ぺんぺん草の生えるような荒廃したお寺でしたが、みな、菩薩行の拠点として、大勢の人が参詣しご利益を頂くお寺に再生しました。
わが遠妙寺の開基、伊達日彰上人は、その日教上人の御弟子として清雄寺に入られ、後、大正6年、独立して中渋谷に遠妙親会場を建立、それ以来、90年を超え、今日に至っています。
日教上人なくして、遠妙寺も東海地方以東のお寺も、ブラジルのお寺もありません。しっかり報恩のご奉公に励む所存です。
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