明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私は人形の制作にあたり、いくらか見上げるポジションで制作する。これは制作を始めた当初からこうなのだが、これには結果的に意味があった。まだ写真撮影をしていない頃、スタジオその他でカメラマンに撮影してもらっていたが、ことごとく見下ろして撮るので、作っている私のイメージと違い、品物になってしまう。この辺のズレが、後に自分で撮ることにつながっていった。 そんなポジションで深夜柳田に当てたライトをかしげると、灯ともしの翁役である柳田に、灯した常夜燈の灯かりがあたったようになり、私が石段の下でひれ伏した河童の三郎の目線になる。面白くで眺めているうちに寝てしまった。 昼過ぎ近所の喫茶店で福岡の弦書房の石原さんと、『夢を吐く絵師 竹中英太郎』の著者鈴木義昭さんとお会いする。弦書房といえば夢野久作制作時に熟読しだ『夢野久作読本』である。間もなく書店に並ぶ同じ著者の『夢野久作と杉山一族』(多田茂治著)をいただく。久作や玄洋社、頭山満のことなど話が弾んだ。私は久作が記者として九州帝大に出入りしていた頃の卒業アルバムをお見せする。『三島由紀夫へのオマージュ』について取材いただいた鈴木さんには、ある三島本の改訂版が出版社を替えて出ること、新事実が3つ載ることを伺う。 私は『貝の穴に河童が居る事』が完成するまで、他の書籍は一切目にしない、と誓っている。だがしかし、幼い頃からの伝記、評伝好き、『夢野久作と杉山一族』を薄目を開けてちょっと覗いてしまった。なにしろ傑物ぞろいの杉山一族の話である。 つまらない訳がない。

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写真作品は絵画と違い1カットでその人の作品だ、と判る作家は少ない。少なくとも私に判るような作家は、私がオイルプリントを復活させるきっかけとなった野島康三など極僅かである。野島の駆使した技法を使って同じモデルを撮った弟子もいるが、肝腎の志が違う。それまで私は写真というものは、会社員の作った製品に依存し何も作らず、ただ切り取ってくる、極端にいえば“かっぱらい”の所業だと考えていた。偉いのは被写体であってお前じゃないだろう、というわけである。そんな私の考えを変えたのが野島康三であった。 丁度その頃、私の作った黒人のコーラスグループ作品をパクッた製品があった。多少悪いと思ったら手の左右のポーズくらい変えれば良いものを、まったくそのままというところが可愛気がなく、弁護士を立て製造中止にさせた。弁護士は真似されるくらい良い作品ということでしょう、と私にいったが、それは違う。これをパクッてやろう、と思われたこと自体、私はまだまだである。 理由は馬鹿々しいからで上等。こんなことをする奴はあいつしかいない。そうありたい訳である。7月にサンディエゴ写真美術館館長 デボラ・クロチコさんに作品を見てもらった時、唯一私からした質問は、私のような表現をしている作家が海外にいますか?とうことであり、首をかしげられた時は嬉しかった。いくら良い作品を作ったって、代わりがいるなら私には意味がない。 本日は神主姿の柳田國男を作る私であった。

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午前中、娘の追加カットを撮影。脚に絡まる3匹の蛇の場面である。今回、説明はあるが実現していないイメージカットが2カットある。一つは河童の三郎が人間への仇討ちのため、滞在中の旅館に大魚イシナギの死骸を放り込んでほしい、と姫神に願いでるが、人手不足だと断わられる。結局実現しなかった座敷にイシナギが放り込まれているシーン。もう一つが娘に絡まる蛇である。脚に絡まり、どこへでも連れて行ってしまう能力があるらしい赤背黄腹の蛇だが、これもそういう蛇だ、というだけで、能力を発揮せずに終るが、サービスカットということで。 夕方、今度は大事にしている長靴に河童に穴を開けられてしまう旅館の番頭である。番頭役のTさんには、K本に飲みに来るついでに、というつもりでいたが、本日K本は休みなのに気付かず、わざわざ来てもらってしまった。 本来客のステッキで三郎の腕を折るのはこの番頭であるが、呪いをかけた河童の唾で長靴に開けられ、これが三郎にいわせると『奴に取っては、リョウマチを煩らうより、きとこたえる。仕返しは沢山でしゅ。』。当時長靴はそれほど貴重であったということであろう。撮影はマンションの入り口で撮影した。ちょうど旅館の玄関と同じような光線具合だったからだが、Tさんには半纏を着てもらい、穴が開いた長靴を手に困ったような顔をしてもらった。Tさんにとっては、マンションの住人がウロチョロする中、この撮影自体が困った状況であったか、河童に長靴に穴を開けられたとしか思えない表情が撮れた。

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本日は泉鏡花の命日である。そんな日に、盟友であり理解者である、柳田國男を作っている。今回は鏡花は登場しないので、河童と翁役の柳田の競演が楽しみである。河童が最初に会うのがこの翁で、台詞のやりとりもある。翁の河童の三郎に対する愛情あふれる接し方が良く、見る人には、例えばこの柳田と三郎の競演が、ドラマなどで知らん顔して共演する親子の役者。みたいな味がでないか、などと余計なことまで考えてしまう。
早々にできあがっていたはずが、物足りなくなってしまった女顔のミミヅクを残し、明日で人物の撮影は終る。笛吹きとその妻は終了し、踊りの師匠である妻の師匠仲間の娘であるAちゃんの追加撮影である。一見そうは見えないが、この二人実の母娘で、Aちゃんは、一人より母娘二人のほうがやりやすい、といっていた。特に嬉しそうに着物のまま海に入るシーンなど、はたから何をやっているのだ、というようなカットは、一人よりやりやすかったであろう。青春ドラマで噴水に入ってはしゃぐ中村雅俊など、観ているこちらが恥ずかしかったくらいである。 明日はその娘のふくらはぎに蛇がからまるシーン他数カット撮る予定である。Aちゃんのふくらはぎに蛇がどれだけ食い込むかに成否がかかっている。そんなに引っ張ったら蛇が千切れるだろう、ところまでいく所存である。

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先日友人の写真スタジオに出かけたおり、小説家で好きな三人は、ときかれ、乱歩、鏡花、谷崎と答えた。私は油断すると小説を読んでいる間中、頭の中に映像が浮かび続ける。よって画として面白くない場面が続く物はあまり好まない。男と女がただ延々としかめ面して話し合われては閉口するのである。その点この三人は、映画化され続けていることから判るように、面白い画にはことかかない。 作る側からいうと、最も危険なのが乱歩である。以前書いたことがあるが、乱歩は魅力的なイメージを創造するわりに、子供っぽいとか整合性云々をいわれる。これをうっかり私だったらこうする、などとやって映画は失敗するわけである。あれは乱歩の文章をもってしか描けない特殊な世界である。特により具体的に描く映画の場合は一見優しそうな乱歩に飛び込んで行って、巴投げをくらって失敗するわけである。投げをくらわないよう乱歩とは適切な距離を保つことが肝腎である。 同じく幼児性をもっていると思われる泉鏡花は『貝の穴に河童の居る事』ではそれが炸裂しているように思われる。毎日付き合っていると、楽しそうに書いているのがよく判るのである。潔癖症だからこそ、というべきか、河童の肺が腐れたようなきたならしい様子も、「汚ねえなァ」などと楽しそうに感じる。私が本作を選んだ理由も、今頃になって判ってきた。

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挿絵の場合は読者の想像力を邪魔してはならず、肝腎な箇所に効果的に配されるわけであるが、制作中の作品は、挿絵というよりビジュアル本として作品も多く載せることになり、その分、場面をより具体的に描くことになるが、鏡花の狂言じみたセリフなどにより、登場人物は今どのような状態でどうしているか判り難い場合がある。 先日編集者から、元となる岩波版の鏡花小説・戯曲選のコピーが送られてきた。解説は寺田透で、作中の三人が化かされ踊らされる場面に言及し、『こういう集団的神がかり現象は鏡花積年の、問題だった』等々興味深く読んだ。 河童が鎮守の社に、人間へのあだ討ちを願い出る。地面に頭をすりつけ「願いまっしゅ、お願い。お願いー」そこでまず登場するのが、姫神様の後見人たる翁である。禰宜(神官の一種)のいでたちの描写があり、『ー半ば朽ち崩れた欄干の、疑宝珠を背に控えたが。屈むが膝を抱く。』寺田はこのくだりを『という言い方はちょっとまごつかせるが、屈んでいた河童の三郎が、禰宜の膝を、哀訴のしるしに抱いた、と読むべき表現だろう』と書いているが私にはそうは思えない。自己本位な河童であるが、案山子の着衣をはいで着てくるし、飛ぶのが得意なのに、それでは失礼だ、と石段をとぼとぼ登って来た。自己紹介もしていない段階で、いきなりそれはないのではないか。まして昼間、娘の脱いだ足袋の中に隠れていて、河童の粘液が足袋に付着し『あら、気味の悪い、浪がかかったかしら』といわれたのに明らかなように、河童は生臭くベトベトしている。本人も承知しているだろう。よって私はこの場面は、折れていない方の手を地面につき、伏した状態のまま、と考える。 それにしても、寺田透をも“まごつかせる”鏡花作品。手掛けて以来、私がまごつきっぱなしで当然、と安心した。

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人間が登場する部分の撮影はあと3カットである。1カットは、河童が隠れているとは知らず、マテ貝の穴を客のステッキで突っついて、河童の腕を折ってしまうのが旅館の番頭だが、そのため、大事にしている長靴に唾を吐き掛けられ、呪いによって穴を開けられてしまう。旅館の玄関で、大事にしている長靴が何故?と穴の開いた長靴を手にガッカリしている番頭。 2カット目は貝の穴を覗く娘の目のアップ。そして最後のカット。異界に住む赤背黄腹の蛇は、人の脚に絡み、どこへでも連れて行ってしまう能力を持っている。姫神の命令で、芸人3人を連れてくるはずが、信仰心によって守られている連中のようだ、と止められる。つまり結局能力を発揮することなく終るのだが、しかし絵柄として人間の脚にからむ蛇は面白い。作ることにした。イメージカットゆえ芸人3人の誰に絡んでも良いわけだが、撮影する私の都合はともかく、新東宝の怪談映画を観るまでもなく、蛇が絡みつくのは若い娘の脚にこしたことはない。もちろん蛇は、何もそこまで、というぐらい食い込む予定なのはいうまでもない。

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今度は本当に柳田國男の制作に入る。といっても頭部はすでにあり、80パーセントは出来ているといってよい。頭部を元に身体を作るわけだが、この場合目分量でいきなり作りだすが、すべてにわたって目測の私が、首と胴体のバランスは、中でも自信があるところである。ただし20年近く黒人ばかり作ってきて、日本人作家制作に転向した一作目が、あろうことか澁澤龍彦で、この時ばかりは脚を数度にわたって切断することになった。初の日本人で、おっかなびっくりということもあり、様々なところに配して撮ろうと考えていたので、やたらと小さく、二冊目の拙著の表紙にはなったが展示は1、2度であったろう。 正直いうと作家シリーズでも極最近失敗している。それは『中央公論Adajio』の表紙用に作った森鴎外である。使い古されたありきたりの文豪像は作る気にならず、陸軍軍医のトップ、軍医総監でもあった鴎外に軍服を着せることにした。腹の中に、ムッツリした文豪に『ベルサイユの薔薇』みたいな格好をさせてみたら面白いだろう、という気分があったことは否めないが、軍服という物は良くできており、特に儀礼用は偉い人を、偉いことが見て判るように作られている。私の思惑に反して結局“偉い人”となった。作ったこともない軍服のアイデイアに浮かれすぎたかバランスが悪く、画像で少々調整することになった。秋に展示することになりそうである。それまでに直すことにする。

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担当の編集者は、私がインタビューでパソコンやデジタルのことに関して全く興味を示さず、ボロクソにいったらしい雑誌を未だ持っていて、ことあるごとにそのことをいう。確かに画像を加工することなど夢にも思わず、HPを作ろうと思っただけだったので、ウインドウズをずっと使っている。  昔から使っている画像加工ソフトのフォトショップだが、私の制作上、特に問題もないので、大昔のバージョンを使い続けている。しかし今回、どうしても旧バージョンではできない作業があり、データを持って友人のスタジオにお邪魔させてもらった。そんな時、泊りがけで作業してくる、といってあるのにKさんから電話。朝から飲んだらしく、何を喋っているんだか判らない。しばらく大人しくしていたと思ったら元の木阿弥である。 集中して制作したおかげで、人間の登場シーンが凡そ揃ってきた。そのかわり始める々といっていた神主姿の柳田國男は、明日からの制作になるだろう。本日は帰りの車中で考えた、クライマックスを迎えるあたりのシーン(背景)を作った。娘の尻を触ろうとして怪我をした河童の三郎。人間に復讐するつもりが色々あって機嫌が直り、空を飛んで沼に帰ることになる。そこで翁役の柳田がカラスにいう。「漁師町は行水時よの。さらでもの、あの手負いが、白い脛で落ちると愍然(ふびん)じゃ。見送ってやれの――鴉、鴉。」つまりこの好色な河童が、行水中のスネでも見てまたヨロヨロしないよう見送れ、ということであろう。早く柳田にいわせてみたい場面である。 生ける河童Kさんにも、こんなカラスが必用である。

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