明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



見た夢が可笑しくて笑いながら目が覚めるのは、子供の頃から二十代くらいまで何度か覚えがあるが、久しぶりである。昨日Kさんに丸髷のカツラを持ってもらって、などと書いたせいであろう。永代通りを酔っ払ってフラフラ歩いているKさんの後ろ姿。サイズの合わない大きな丸髷のカツラを被っている。しかし夢という物はおかしな物で、丸髷のKさんの後ろ姿は特に面白くもなく当たり前のように見えた。私を笑わせたのは、Kさんの履いているピヨピヨサンダルの音であった。  一日の始まりでずっこけたせいであろうか。どうも一日力が入らない。音楽を聴いたり、検索したりだらだらしてしまう。一日何も制作せずに終わったのは数カ月ぶりであろう。ここから肝心のクライマックスに向かう。一息つけ、ということか。台風も来るというし、早々に肴を仕入れ飲み始める。何か酷いものが迫ってくる感じは、部屋にこもって酒を飲むのには最適である。さらに最適な大映映画をGYAOで観る。勝新に雷蔵。やはり映画は大映である。大映の音というのは入力オーバーのようにバリバリいっているイメージが子供の頃からしているのだが、以前何かの折に、メールで関係者に質問してみたが、特にそんなことはないという。もっともこのバリバリ感は東宝や松竹映画にはない大映独特の物で、頭の中に再現される、たとえば増村保造映画の無茶な展開や、座頭市の耳をくらますために鳴らす太鼓の記憶とともに鳴り響いている。



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