明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨晩K本からの流れでT千穂で飲んでいると、かつてK本の常連であったミドさんが4月に亡くなっていた、という連絡が入った。シャイでお洒落で、時にモヒカン刈をしていたアメリカンロック好きの人であった。実にやさしい人で、K本の女将さんに誕生日だといっては、よく判らない手製の紙箱に入った物や、花など持ってきていた。つるむのが嫌いで、呼びかけてもめったに顔を出さず、正体不明のままであった。花にくわしく、半纏が似合いそうなので、私は植木屋の2代目、と密かにふんでいた。こういう人物は東京の下町ならではのとっておきで、松竹映画なんかには出てこない。  K本の女将さんは小学生の頃から店を手伝っていたという。場所柄、筏師である川並衆が溢れていて、そうとう荒っぽい空気だったのも聞いている。そんな中で子供の頃から手伝っていた女将さんであるから、厳しいルールを持っていて、下手な飲み方、態度をすると出入り禁止となり、それが解除されることはない。それは、どれだけ親しんだ常連でも同様で、その厳格さで常連客を戦慄させたのがミドさんの出禁であった。ちょっとしたことで、というのは簡単だが、そこには幼い頃から働き続けてきた女将さんだからこその、守るべきものがあるのは当然であろう。 ミドさんが出禁になって4年ほどになるだろうか。時折目撃談は耳にしたが、我々の前に顔を出すことはなかった。当時相当痩せていて、聞くと蕎麦くらいしか入っていかない、といっていた。青木画廊の急な階段でコケた時も酔っていた。このままいけば長くないであろうことは想像できたが、私が煙草を止めると「チキショー長生きしようとしてやがんな!」と笑わす人である。仮に飲みすぎはいけない、というにしたって、K本で焼酎を口に運びながらということになるわけで、全く意味がない。 とここまでてっきり酒で亡くなったと思い込んで書いていたら、脚の血栓が心臓に行き、という知らせが着た。4月11日だったそうである。会えなくなったのは出禁のせいだが、なんだか死ぬ所を決して見せないという象のようで、あの人らしいとさえ想えてくるのである。 合掌。



コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )