明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



写真作品は絵画と違い1カットでその人の作品だ、と判る作家は少ない。少なくとも私に判るような作家は、私がオイルプリントを復活させるきっかけとなった野島康三など極僅かである。野島の駆使した技法を使って同じモデルを撮った弟子もいるが、肝腎の志が違う。それまで私は写真というものは、会社員の作った製品に依存し何も作らず、ただ切り取ってくる、極端にいえば“かっぱらい”の所業だと考えていた。偉いのは被写体であってお前じゃないだろう、というわけである。そんな私の考えを変えたのが野島康三であった。 丁度その頃、私の作った黒人のコーラスグループ作品をパクッた製品があった。多少悪いと思ったら手の左右のポーズくらい変えれば良いものを、まったくそのままというところが可愛気がなく、弁護士を立て製造中止にさせた。弁護士は真似されるくらい良い作品ということでしょう、と私にいったが、それは違う。これをパクッてやろう、と思われたこと自体、私はまだまだである。 理由は馬鹿々しいからで上等。こんなことをする奴はあいつしかいない。そうありたい訳である。7月にサンディエゴ写真美術館館長 デボラ・クロチコさんに作品を見てもらった時、唯一私からした質問は、私のような表現をしている作家が海外にいますか?とうことであり、首をかしげられた時は嬉しかった。いくら良い作品を作ったって、代わりがいるなら私には意味がない。 本日は神主姿の柳田國男を作る私であった。

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