私は人形の制作にあたり、いくらか見上げるポジションで制作する。これは制作を始めた当初からこうなのだが、これには結果的に意味があった。まだ写真撮影をしていない頃、スタジオその他でカメラマンに撮影してもらっていたが、ことごとく見下ろして撮るので、作っている私のイメージと違い、品物になってしまう。この辺のズレが、後に自分で撮ることにつながっていった。 そんなポジションで深夜柳田に当てたライトをかしげると、灯ともしの翁役である柳田に、灯した常夜燈の灯かりがあたったようになり、私が石段の下でひれ伏した河童の三郎の目線になる。面白くで眺めているうちに寝てしまった。 昼過ぎ近所の喫茶店で福岡の弦書房の石原さんと、『夢を吐く絵師 竹中英太郎』の著者鈴木義昭さんとお会いする。弦書房といえば夢野久作制作時に熟読しだ『夢野久作読本』である。間もなく書店に並ぶ同じ著者の『夢野久作と杉山一族』(多田茂治著)をいただく。久作や玄洋社、頭山満のことなど話が弾んだ。私は久作が記者として九州帝大に出入りしていた頃の卒業アルバムをお見せする。『三島由紀夫へのオマージュ』について取材いただいた鈴木さんには、ある三島本の改訂版が出版社を替えて出ること、新事実が3つ載ることを伺う。 私は『貝の穴に河童が居る事』が完成するまで、他の書籍は一切目にしない、と誓っている。だがしかし、幼い頃からの伝記、評伝好き、『夢野久作と杉山一族』を薄目を開けてちょっと覗いてしまった。なにしろ傑物ぞろいの杉山一族の話である。 つまらない訳がない。
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