明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



介護ホームの母の顔を見に行く。一目見てふっくらしていて安心するが、10数年前に父は亡くなっているのに忘れてしまったらしく、毎日どうしてるか心配だ、という。手術の後、目を覚さないまま死んで墓に入れたじゃないか、というと思い出して、そうだったボケたね。ずっと心配してた。これで安心した、と笑った。あの父が母なしで生きて行ける訳がない。何年前の何日に亡くなったか覚えていないし、墓参りにも最近行ってない。 私は昔から一人工作する男のイメージにツンと来る所があり、友人の部屋にマッチが井桁に積まれたのを見てさえ、私の知らない彼の孤独を思ってツンと来る。父が亡くなり数ヶ月後に、父がよく通った日曜大工センターに材料を買いに行き、一人工作する男のイメージは父の背中だった、と突然気が付き、葬式でも涙一つ出なかったのが、滂沱の涙で買い物どころでなくなり帰った。私とは正反対の人間だったが、どうやらその背中だけは受け継いでるようである。なので私はただ何か作ってさえいれば、墓に手を合わせずとも構わない、と考えている。 母は一時はボーッとこちらを見たまま黙っていて、これは長くないと覚悟したが、すっかり元気で、良く喋るようになっていた。例によって今何作ってるの?と聞くから、明日からまた一休さん作る、といったら笑っていた。



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