やってみて判るということはある。竹竿にシャレコウベ掲げた一休和尚だが、一作目は、その持ち物とのコントラストが面白い、と正装にした。今制作しているのは雲水姿で、朱塗りの大太刀を持たせる。ただそれは撮影用で一休像展示の場合には、竹竿にシャレコウベにするつもりである。そちらの方が有名なエピソードでもあるし、インパクトもある。しかしどう考えても黄昏れた雲水姿にシャレコウベの方が似合う。逆に朱鞘の大太刀は、正装に朱色を使ったこともあり、こちらの方が似合う。シャレコウベと朱鞘の大太刀を入れ替えたくなった。 しかし今回の雲水姿には、横に乞食か、もしくは昼間から胸元露わなその筋の女を配し、一休自ら吐露するところの風流好色腸(はらわたの奥まで好色で詰まっている)ニュアンスをこの女の胸元で漂わせようと考えていた。しかし竹竿にシャレコウベは〝門松は冥土の旅の一里塚〜”である。正月に胸元露わはおかしい。いったい何をブツブツいっているのだ、という話であろう。私もそう思う。