goo blog サービス終了のお知らせ 
明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



7月25日からの個展は9月2日まで続くのだが、トークショーが行われる可能性がでてきた。いちおう私の個展であるし、どなたかに出ていただくにしても、私が人事みたいな顔をしている訳にいかないだろう。2005年、私の処女出版の発表会が、渋谷のJZ・Bratという立派なライブハウスで行われた。講談から義太夫、マジック、ピアノ演奏に朗読などが行われ、私には過分な披露宴であった。よきところで紹介された私であったが、ただ頭を下げるにとどまり一言も発せず終わった。あれ?というさざめきが会場で起こった。まったく失礼な話であるが、なにしろ人見知りで目立ちたくないし、注目されることにも耐えられない。 小学生の時に、最初で最後となったが、父が父兄参観にきた。たまたまお父様方のご意見を伺おうということになったのだが、我が父は自分の番が来る前に姿を消していた。猫舌とともに、私はその遺伝子を受け継いだのであろう。 期間が長いだけに、下手したら二回も行われる恐れさえ出てきた。もし了承いただける方がいるとしたら、JZ・Bratの轍を踏むわけにいかない。やります。といった。一つにはJZ・Bratのような広い場所ではないことと、一度経験した出来事があったからである。 昨日も書いた『三島由起夫へのオマージュ 男の死』の時である。これは三島がさまざまな状況で死んでいるという個展で、すでに二箇所のギャラリーに断られていたが、恐れはなかった。未刊ではあるが、三島本人が魚をぶち撒けながら出刃包丁を腹に刺して死んでいる魚屋に扮している所その他を篠山紀信に撮影させ、あの激烈な死を遂げた直後に、出版されることを切望していたことを知っていたからである。それに比べたら、三島が汚穢屋の青年に扮し、汚穢代わりに血液をぶちまけて死んでいようとたいしたことはない?と私は思う。クレームが来るどころか鈴木邦男さんに来ていただき、雑誌で対談までさせていただいた。問題はその後である。トークライブがあるので人形持って来るように鈴木さんに言われた。まあ人形を披露するだけなら、と出かけたら、あの佐川君が登壇していた。吉田茂はいつも人を食ってます。といったが所詮比喩である。次にこちらと上がっていただきます、と紹介されたのが、オームの村井を刺殺した徐弘之氏であった。客は人形制作者の話などより徐氏の話を聞きたいのは明らかなので、壇の横のスペースに行きたかったが、徐氏の礼儀正しさと腰の低さに負けて私が壇上の端に陣取るはめになった。この日の状況に比べれば、人前で自作について語るなど、たいしたことではない、と思うのは当然であろう。


新HP
旧HP

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )