明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



新たに作っているページに樋口一葉、森鴎外、夏目漱石を加える。いずれジャズ/ブルースシリーズも加えていくつもりだが、アナログ時代の作品は、大半がデータ化していないのでどうしていこうか、というところである。 身辺雑記やブログを読めば、確かに私はそんなことを考え企んだな、と思い出すが、昔のこともどんどん忘れHPを立ち上げる以前の記憶が薄れてきている。7月25日からの個展は、当時の作品が多くなる予定である。最初に手がけたのは乱歩だったか澁澤だったか、3体目は谷崎だった。どんな心持で作っていたか、などすでに朦朧とした霧の彼方であるが、浅草の土蔵をを改造中の開業前のギャラリーに訪ねて行き個展を決めた。ちょうどサントリーのTVCFの仕事をした頃で、初披露の割に告知も十分であった。乱歩の御子息の平井隆太郎先生にこんなことをやりたいのですが、個展タイトルも乱歩の『夜の夢こそまこと』を使いたい旨お手紙を差し上げたのを覚えている。来ていただいたが、乱歩のご子息を前に乱歩と呼び捨てにしてよいのか、先生というのも、さん付けもへんだ、と焦った記憶がある。人形を片手にカメラを片手に都内や金沢を背景に撮り歩いたが、今ではスマホ片手に人形やぬいぐるみなど誰でもやっているが、この名月赤城山撮法を、何時どうって始めたかなど、まったく思い出せない。高感度フィルムを使い、28ミリレンズに15分の1秒が私の腕の長さ、人形のサイズとベストであった。これはいつの撮影だったか、寺山はボクシングなどやったことなどないくせに、と元奥さんの九条さんに伺ったことがある。そういえば、寺山のファイテイングポーズはぎこちない。モハメド・アリに醜い熊などとののしられタイトルをもぎ取られたソニー・リストンが刑務所を出所した際、線路伝い走って帰ったというエピソードから着想した。リストンも寺山も共に単線こそ似合うだろう。


石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち 7月25日~9月2日

新HP
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub

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