明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『三島由起夫へのオマージュ 男の死』展は止めるべき、だと説得してくれる友人もいた、当時ブログにも書いたが、私にはその説得も妙なる音楽に聴こえてしまう有様であった。私は結婚するという友人は友情を持って止めるよう説得することに決めている。何も自ら牢獄に入るような道を選ぶことはない。そう思うと私のそんな説得も、あの時の私のように聴こえてしまうものなのであろう。つまり正常な心理状態ではなかった、ということである。私はすでに居もしない三島にウケることしか頭になかった。『男の死』は三島が最後にしたかったこと、これが事件に対して二の矢となるはずで、そこで完結するはずであったろう三島の無念を想った。もちろん三島本人がやることに意味があり、私の作品によって三島が浮かばれるとは思わなかったが、三島に関しては男の死以外私がやってみたいことは、未だに一つもない。おそらく友人は、街宣車がどうのと開催を渋ったいくつかのギャラリーとは別な心配をしていたに違いなく、作品は1点も売れなかった。作り物とはいえ、人が死んでいるところは普通売れないであろう。 数々しでかして来た私だが、この石塚版『男の死』に対する思い入れは強い。制作に入る前、出版人として引退状態であった薔薇十字社の元社主、『男の死』の企画者であった内藤三津子さんを探し、最初にご相談させていただいたが、会場で「今三島さんここに来てるわよ」。といっていただいたのは望外の喜びであった。 私は東京は下町育ちで、小学生の頃から「男は諦めが肝心」なんていいながら育ち、あっさりしているのが男だという見栄をもって来たが、こと制作に関してはマムシにタコ足の如くの執念深さであり、いつかサーカスを観に行く機会があったら、三島が墜落死する場面を作るに違いない。今はオンデマンドで安価で写真集制作も可能のようである。表紙は燃える金閣寺だろうか。 ところで話は違うが七月からの個展期間中、二度に及ぶトークショーが決まったという連絡が着た。ご協力いただく方々は、どうも私の初の出版披露会のおり、私が頭を下げただけで、一言も発しなかったのを最前の招待席で御覧になっていた方達ばかりのようである。

新HP
旧HP

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )