昨日完成した、しゃもじとすりこぎを持って踊るというのは、鏡花はどこの何祭りとは描いていないが、実際愛知県で今でも続いており、鏡花が実際目にしたのは明らかであろう。作中では河童に化かされた三人が、しゃもじとすりこぎを持って踊らされてしまう。我に返って慌てて旅館に戻り、私たちはなんであんな可笑しなことをしたんだろう、と話していると、実際その祭りを見ている笛吹きが薀蓄を語る。『青いおかめ、黒いひょっとこの、扮装いでたちしたのが、こてこてと飯粒をつけた大杓子、べたりと味噌を塗った太擂粉木で、踊り踊り、不意を襲って、あれ、きゃア、ワッと言う隙ひまあらばこそ、見物、いや、参詣の紳士はもとより、装よそおいを凝らした貴婦人令嬢の顔へ、ヌッと突出し、べたり、ぐしゃッ、どろり、と塗る……』見物客が、嬉しそうに顔にすりこぎで味噌を塗りつけられている映像をネットで見たが、すりこぎは当然男性器の象徴であり、味噌を塗りつけた木製のまさにそのものを持って踊る画像もあった。 制作に集中してくると、創作の神が見ているのか、参考にせよといわんばかりの物や事に出会う、ということを度々書いてきた。今回笛吹き役をお願いしたMさんがK本にいるというので行くと、いつももぎ立てのピーマンをいただくSさんから、30年前に作った物を昨日預かったという。もと大工で現在80過ぎのSさんが、自分が死んで、こんな物が残っても、と持ってきたそうである。紙袋を開けてみるとでてきたのは全長50センチの木製の男性器であった。私の想像であるが、子供のいないSさんが願いを込めて作ったものではないだろうか。謹んで撮影に使わせてもらうことにした。 それにしてもこういう出来事は、いったいどう解釈すればよいのであろうか。
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