Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ムーンライズ・キングダム

2013年09月12日 18時53分11秒 | 洋画2012年

 ◎ムーンライズ・キングダム(2012年 アメリカ 94分)

 原題 Moonrise Kingdom

 staff 監督/ウェス・アンダーソン 脚本/ウェス・アンダーソン ロマン・コッポラ

     制作/ウェス・アンダーソン スコット・ルーディン

         スティーヴン・レイルズ ジェレミー・ドウソン

     撮影/ロバート・イオマン 美術/アダム・ストックハウゼン

     衣裳デザイン/カシア・ワリッカ=メイモン 音楽/アレクサンドル・デスプラ

     音楽監修/ランドール・ポスター

 cast ブルース・ウィリス エドワード・ノートン ビル・マーレイ ティルダ・スウィントン

 

 ◎月出ずる王国

 その昔『小さな恋のメロディ』で、

「トロッコに乗っていった2人はあの後どうしたんだろう?」

 って野暮なことを口にするやつがいたりした。

「どうしたもこうしたもあるか」

 と、メロディ好きなぼくはおもったものだけど、

 これはその後日譚までも物語に組み込まれてる。

 場所は、アメリカ。

 ニューイングランド沖に浮かぶニューペンザンス島だ。 

 要するに、カーキスカウトの坊主が弁護士の娘と駆け落ちする話なんだけど、

 ヒロインの母親は、

 島の保安官でやがて少年を養子にする保安官と不倫してたりして、

 まあ、

 ちょっとばかり粘っこいところを子供が垣間見ることもあったりしつつ、

 実のところは、

 大人になったつもりでいる子供と、大人になりきれない大人たちの、

 味わい深くも幸せな島の物語だ。

 ちなみに、月出ずる王国はどこにあるかというと、

 島の中の「3.25海里、潮流口」にある。

 愛の逃避行をしたその先に手つかずの自然が残った美しい入江があるんだけど、

 そこを、

 12歳で結婚することになる2人は「ムーンライズ・キングダム」と名付けたんだな。

 最初は2人を追い駆けて、熾烈な戦いを繰り広げたスカウトの連中も、

 犬を殺された1名をのぞいて、みんな、2人の駆け落ちを応援し、

 やがて、結婚させてやろうとする。

 まあ、このあたりが『小さな恋のメロディ』なんだけど、

 実はとっても好きなタイプの映画で、

 決して大仰な演技もなく、豪華なキャストが静かにくそまじめな顔をして、

 ありそうもない恋と養子縁組という材料を使って、

 親と子の理解と絆ってのはどういうものなんだろねっていう話を作り上げてる。

 こうしたところ、実にうまい。

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トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2

2013年09月11日 16時14分39秒 | 洋画2012年

 ◇トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2(2012年 アメリカ 116分)

 原題 The Twilight Saga: Breaking Dawn - Part 2

 staff 原作/ステファニー・メイヤー『トワイライトIV』

     監督/ビル・コンドン 脚本/メリッサ・ローゼンバーグ

     撮影/ギレルモ・ナバロ 美術/リチャード・シャーマン

     衣裳デザイン/マイケル・ウィルキンソン 音楽/カーター・バーウェル

 cast ロバート・パティンソン クリステン・スチュワート テイラー・ロートナー

 

 ◇全巻の終わり?

 でも、決着がまるでついてないじゃん。

 とおもうのは、ぼくだけなんだろうか?

 だって、ロバート・パティンソンとクリステン・スチュワートの子は、

 テイラー・ロートナーからは「刻印の相手」とおもわれ、

 マイケル・シーンやダコタ・ファニングからは「不滅の子」と忌み嫌われるんだけど、

 最終的な決戦の果てに、

 どちらかであることが証明され、大団円を迎えたように見えるもんね。

 なんだか、3までがぐ~んとボルテージがアップして、

 いきなりこの前篇で「なんじゃこりゃ」となったところから、

 よくまあ、なんとか持ち直したもんだって気分になるけど、

 前篇はこの後編の導入だったんだから、仕方ない。

 やっぱさ、前後篇を合わせて編集しなおして、

 3時間くらいの大作にするっていうのはどうかしら?

 そしたら、うまく刈り込めば、もっとおもしろくなるような気がするんだけどな。

 ちなみに、

 マイケル・シーンとダコタ・ファニングは、前作の方が美しかった気がするわ。

 まあ、充分、綺麗なんだけどね。

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トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1

2013年09月10日 21時02分07秒 | 洋画2011年

 △トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1(2011年 アメリカ 117分)

 原題 The Twilight Saga: Breaking Dawn - Part 1

 staff 原作/ステファニー・メイヤー『トワイライトIV』

     監督/ビル・コンドン 脚本/メリッサ・ローゼンバーグ

     撮影/ギレルモ・ナバロ 美術/リチャード・シャーマン

     衣裳デザイン/マイケル・ウィルキンソン 音楽/カーター・バーウェル

 cast ロバート・パティンソン クリステン・スチュワート テイラー・ロートナー

 

 △休憩

 昔、3時間を超えるような70ミリ超大作は、途中でかならず休憩が入った。

 この回は、そういう「休憩」にあたるんじゃないかって、観てておもった。

 普通、こういう大河物の大作になると、

『人間の条件』や『戦争と人間』や『宮本武蔵』や『戦争と平和』は、

 どこをとっても均一の匙加減で、そのあたり、ほんとにいい配分なんだけど、

 今回の『トワイライト・サーガ』はちがうんだよね。

 ま、もともと一本として制作されるところが、

 急にハリポタがあったせいか、前後編にしよ!てなことで決められたらしい。

 だから、どうしても物語の終了とはいいにくく、

 きりがよくて、後編に期待できそうなところで切ろうって意識が見え過ぎてて、

 ちょっと「あらら」とおもった。

 まあ、ヴァンパイアと人間の混血が凄まじいパワーを持っているため、

 母親の生気をすべて吸い取って生まれてこようとしているっていう設定は、

 なんとも温血児を宿してしまったことから最強のヴァンパイアになる主人公にとって、

 ある種の試練になるわけで、それを乗り越えるから強くなるわけだよね。

 そのあたりは、いいとしようよ。

 でもな~、やっぱり、前半の1時間はいらないような気がするんだよな~。

 結婚式から新婚旅行へと続く甘ったるい世界なんだけど、

 なんで、これをずっと観させられないといけないんだろって気になっちゃうもん。

 その分、後編はすげえんだろな?

 

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風立ちぬ(2013)

2013年09月09日 20時07分54秒 | 邦画2013年

 △風立ちぬ(2013年 日本 126分)

 staff 原作・脚本・監督/宮崎駿 プロデューサー/鈴木敏夫

     アフレコ演出/木村絵理子 作画監督/高坂希太郎

     撮影監督/奥井敦 美術監督/武重洋二 色彩設計/保田道世

     音楽/久石譲 主題歌/松任谷由実 音響演出/笠松広司

     整音/笠松広司 編集/瀬山武司 動画検査/舘野仁美

 cast 瀧本美織 西島秀俊 志田未来 竹下景子 國村隼 大竹しのぶ 野村萬斎

 

 △生きねば。

 いざ、生きめやも。っていうキャッチコピーから、

 こちらに変わったんだけど、これ考えた人、たいしたもんだわ。

 ヴァレリーは、ほんとはそういう気分で書いたんだろね、たぶん。

 生きろってのもあったね。たしか『もののけ姫』だったっけ?

 ある意味、ジブリに共通した主題なんだろか?

 ま、それはおいといて、

 堀辰雄と堀越二郎に敬意を籠めるのはいいんだけど、

 カプローニにも尊敬を籠めたら、

 いっぺんに3人の人間に感謝しなくちゃいけなくない?

 そりゃ、ちょっと大変だよ。

 せめて、堀辰雄と堀越二郎だけにしとけばよかったのに。

 けど、そんなこともいってられないか~。

 ジブリの名称が「砂漠の熱風」って意味もあるけど、

 カプローニの作った軍用偵察機が「Ca309 GHIBLI」でもあるし、

 やっぱ、この作品にカプローニを出さないわけにはいかなかったのかな?

 だったら、イタリアの話にしちゃえばよかったのに、ともいえないんだよね。

 零戦を設計したのが堀越二郎なんだから。

 まあ、そんなたわごとをいってても仕方ないんで、

 映画の話だ。

 関東大震災がどんなふうに活きてくるのかとおもってたら、

 あれって、ふたりの出会いを印象的なものにするためだったのかしら?

 飛行機とは関係ないのね。

 菜穂子が「震災のときはありがとうございました」という声掛けをするために、

 もしかしたら、あれだけの長さが必要だったんだろか?

 でもさ~、二郎が軽井沢に長い期間出かけた理由はわからないし、

 よく会社が認めてくれたな~とかおもうんだけど、

 まあ、それはいいとして、再会したとき、二郎はとっても口下手になってるでしょ?

 もうすこし菜穂子に飛行機のこととか設計のこととか話せばいいのにね。

 だって、二郎はとことん美しい飛行機を作りたいっておもってるんでしょ?

 もっと愉しそうに語って、止まらなくなるっておもうんだけどな。

 そしたら、二郎の抱えてる夢がどういうものか菜穂子にも見えてくるじゃん?

 なんだか、夢の世界と、ドイツの視察旅行と、どっちも長かったな~。

 なのに、肝心の零戦が出てくるのは数カットだけなのね?

『紅の豚』にも雲の上に飛行機の墓場みたいなのがなかったっけ?

 けど、零戦が開発されて飛んでくところが観たかったな~、

 とかおもってた人達は、なんか、肩透かし食らった気になってないかしら?

 この映画でいうと、

 飛行機を作ることが大好きだった少年が、大人になって憧れの仕事につき、

 (ほんとは乗りたかったんだよね、少年時代の夢によれば)

 何度も失敗しては挑戦を繰り返し、世界でいちばん美しい小型戦闘機を作るんだけど、

 でも、それは闘うことを運命づけられた飛行機で、

 無数に作られながらも、つぎつぎに撃墜され、

 やがて国まで滅んでしまうのをまのあたりにしてしまう物語じゃなかったんだね。

 自分の作った戦闘機が世界で一番だったはずが、

 銃座や胴体の防御は無に等しかったこともあって、多くの搭乗員が亡くなり、

 やがて特攻にまで用いられるようになるという、悲劇じゃなくて、

 あくまでも飛行機を好きな人が、どんなふうに飛行機を作ったのかということに、

 物語の主眼が置かれてるんだろうか?

 でもな~、二郎と菜穂子が微妙なんだよな~、飛行機が介在してないんだもん。

 出遭って間もない頃は紙飛行機が好い小道具になってたんだけど、

 それからが、どうも、飛行機が菜穂子と絡まなくなってくるんだよね。

 なんでなんだろ?

 ま、なんにしても、菜穂子は生きなきゃなんない。

 生きようと努力しなくちゃなんない。

 だって、それが生きねばってことだから。

 自分の死を受け入れちゃいけないんだよね。

 でも、これって大変なことで、だから、迷いに迷い、二郎の元を去るのかな?

 ただ、生きねばならないのは、当時の日本人のみんなに言えることだし、

 もっといえば、零戦そのものも生きねばならなかったんだよね。

 生きねばっていう主題は、もっといろんな面を見せてもよかったね。

 あ、ちなみに、

 名古屋駅を降りたときに「カブトビール」の看板が出るのはリアルです。

 煙草をはじめ、当時の道具類や風景はきわめてリアルだったし、

 人物たちの動きもリアルだったんだけど、

 その分、ひとつひとつのシークエンスが長くなって、余韻ばかり漂ってる気も。

 なんか、そういうことを考えながら観てたんだけど、

 この頃、ジブリの観客はなんか家族や恋人同士のイベントと化してて、

 退屈になったのか走り回り始める子供や、

 ぼくの席をかんかんと蹴り続けるカップルや、

 いきなりあくびするおじさんや、あらすじを話し始めるカップルや、

 タイトルロールが始まったらすぐに携帯をチェックするおばさんや、

 携帯はチェックしなくてもさっさと立って出てくおばさんがいたりして、

 もう、満員になってるもんだから、余計にごそごそ騒がしいし、

 出てく人の影で、画面は観えなくなるし、

 なんつっても、映画の途中で、そこらじゅうでイビキがし始めるし、

 いやまじ、もうすこし、なんとかならないんだろうか。

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フロスト×ニクソン

2013年09月08日 19時06分45秒 | 洋画2008年

 ◎フロスト×ニクソン(2008年 アメリカ 122分)

 原題 Frost/Nixon

 staff 原作・脚本/ピーター・モーガン(戯曲)

     監督/ロン・ハワード

     製作/ロン・ハワード ティム・ビーヴァン

         エリック・フェルナー ブライアン・グレイザー

     製作総指揮/ピーター・モーガン トッド・ハロウェル

     撮影/サルヴァトーレ・トティーノ 美術/マイケル・コレンブリス

     特撮/エリック・J・ロバートソン 特殊メイク/デヴィッド・ルロイ・アンダーソン

     衣装/ダニエル・オーランディ  音楽/ハンス・ジマー

 cast フランク・ランジェラ マイケル・シーン ケビン・ベーコン レベッカ・ホール

 

 ◎1977年5月、インタビュー

 主役になっているのは、そこで対談したふたりだ。

 元アメリカ合衆国大統領のリチャード・ニクソンと、

 コメディアン出身の英テレビ司会者デビッド・フロスト。

 ニクソンはウォーター・ゲート事件で大統領を辞任していたんだけど、

 3年経ってもなお、国民に対して謝罪してなかった。

 それを知ったフロストが、全財産を傾けてニクソンのインタビューを行い、

 そこでもって、

「国家を守るためならば、大統領の行動はたとえ違法であっても合法となる」

 というような、とんでもない台詞を引き出すことに成功し、

 さらに「I'm Sorry」を引き出すまで追い込んでゆく、

 まるで、ボクシングの試合を観させられているような作品だった。

 主役ふたりの演技はまさに絶妙だったけど、

 痰を絡ませ、前屈みでしょぼくれた感じに演ずるフランク・ランジェラよりも、

 実際のニクソンはもうちょっと不敵な感じでインタビューを受けてたし、

 髪型はほとんど同じなんだけど、笑顔が爽やかすぎな二枚目マイケル・シーンより、

 実際のフロストはもうちょっと軽妙な感じでひょうひょうとニクソンに迫ってる。

 でも、ふたりとも大したもんだ。

 ことにマイケル・シーンは、

 ちょっと間違えばジャック・ニコルソンの物真似とも取られかねないような、

 切羽詰まった笑い顔を見せるくらい、好かった。

 ふたりとも、ヴァンパイア映画に出てるのが妙に皮肉な感じだけど、

 それはさておき、

 ケビン・ベーコンのようなニクソンをどこまでも崇敬する腹心のいることが、

 ニクソンという沈黙の巨人の凄さを伝えてて、これが実は要のひとつにもなってる。

 もちろん、ニクソンの家族たちもそうなんだけど、

 決して、ニクソン=悪という単純な一方通行の映画になってないのがいいよね。

 ちなみに、フロストはついこのあいだの2013年8月31日に他界した。

 享年74。

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大統領の陰謀

2013年09月07日 02時22分24秒 | 洋画1971~1980年

 ◇大統領の陰謀(1976年 アメリカ 138分)

 原題 All the President's Men

 staff 原作/カール・バーンスタイン ボブ・ウッドワード

          『大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日』

     監督/アラン・J・パクラ 脚本/ウィリアム・ゴールドマン

     撮影/ゴードン・ウィリス 美術/ジョージ・ジェンキンス ジョージ・ゲインズ

     録音/レス・フレショルツ リック・アレクサンダー

     音楽/デイヴィッド・シャイア

 cast ダスティン・ホフマン ロバート・レッドフォード ジェイソン・ロバーズ

 

 ◇1974年8月9日、ニクソン大統領辞任

 1972年6月17日土曜日午前2時30分、

 ワシントンのウォーターゲート・オフィス・ビル5階の民主党全国委員会本部に、

 5人の不法侵入者があった。

 元CIA情報部員と大統領再選本部の対策員たちだった。

 目的は、民主党キャンペーンの攪乱、

 すなわち、共和党を有利に導くための工作活動。

 命令したのは、ホワイトハウス、

 すなわち、リチャード・M・ニクソン大統領。

 ウォーターゲート事件だ。

 映画は、

 原作者でもあるワシントン・ポストの記者、

 ウッドワードとバーンスタインの丹念な取材を、

 かれらの視線で、淡々と撮り続けてゆく。

 ラスト、ふたりの打つタイプライターは、こう、打ち出されてゆく。

「1974年8月9日午後、ジェラルド・フォードが第38代合衆国大統領に就任」

 ただ、それだけだ。

 もちろん、つぎつぎに記事になってゆくのは、

 市民の自由と民主主義を標榜するアメリカ合衆国には、

 決してあってはならないことなんだけど、

 次第に追い詰められてゆくホワイトハウスの高官たちを観ていれば、

 やがて現大統領であるニクソンが追い詰められるのも、

 時間の問題だってことが、わかってくる。

 でも、実をいえば、中学の時からこの映画を観てきて、

 何度観ても、ぎりぎりに編集されている演出のため、よくわからなかった。

 なんとなく「なるほどね~」とおもいはじめたのは、大学を卒業してからだ。

 それくらい、この映画は、ぼくみたいな無教養の人間には難しかった。

 あ、ところで。

 ホフマンが両手でタイプを打つのに対して、

 レッドフォードは両方の人差し指だけでタイプを打つんだけど、

 なんだか、それが妙にかっこいいとおもってしまうのは、

 ぼくだけなんだろうか?

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コズモポリス

2013年09月06日 00時38分00秒 | 洋画2012年

 ◇コズモポリス(2012年 フランス、カナダ 110分)

 原題 COSMOPOLIS

 staff 原作/ドン・デリーロ『コズモポリス』

     監督・脚色/デイヴィッド・クローネンバーグ

     撮影/ピーター・サシツキー 美術/アーヴ・グレイウォル

     衣裳デザイン/デニス・クローネンバーグ 音楽/ハワード・ショア

 cast ロバート・パティンソン ジュリエット・ビノシュ サラ・ガドン ケイナーン

 

 ◇リムジンは象徴

 ロバート・パティンソンはその神経質そうな表情といい、

 貧血症のような顔色といい、まさしく、クローネンバーグ好みだ。

 おもわず『デッド・ゾーン』のクリストファー・ウォーケンを思い出しちゃう。

 そんなパティンソンが、

 巨大な男根のようなリムジンに乗って、ふんぞりかえってる。

 純白に輝くリムジンは、かれの富の象徴で、かれの人生のすべてでもある。

 金融操作、身体検査、打ち合わせ、愛人とのセックス…。

 なにもかもがリムジンの中で行われる。

 かれは外に出る必要すらない。

 けど、パティンソンは床屋に行きたい。

 ところが、2マイル先の床屋に行くまでに半日かかり、その間にかれは破産する。

 すごい一日もあったものだけど、

 外に出ないパティンソンがみずから飛び出すのは、妻サラ・ガドンを求めるときだ。

 なにもかも手に入れていたはずのパティンソンは、妻の心だけは手に入れられない。

「あなた、セックスの匂いがするわ」

 そりゃそうだろう。

 ジュリエット・ビノシュ(どうでもいいけど、麻生かおりに似てない?)とだって、

 濃厚なセックスをしたばかりなんだから、リムジンの中の匂いは大変なものだ。

 世の中にはお金で手に入れられないものがあることを、パティンソンは知る。

 けど、もう、おそい。

 かれは元の暴落で破産し、リムジンは床屋へ向かう内に、すっかり様変わりする。

 群衆にもみくちゃにされ、落書きやらなんやらで汚れ切り、息も絶え絶えになる。

 つまり、彼だ。

 こうした象徴を用いて、退廃、倦怠、虚無、異常、情欲、性交、葛藤が語られる。

 やがて、

 パティンソンは、自分を狙う暗殺者が、栄光から絶望に転落した元社員で、

 しかも、自分と同じく前立腺が非対称だと知ることで、自分との相似形であり、

 かつ、床屋の鏡の中で自分の髪までもくちゃくちゃになったように、

 この暗殺者は、鏡の中にはいないものの、もうひとりの自分だと悟る。

 つまり、暗殺者の撃ち放つ銃弾は、

 ちょっと前に自分が手の甲を撃ち抜いた銃弾と同じもので、

 要するに、パティンソンは自殺を求めたってことになるわけだよね。

 いや、まったく、

 なにもかもが比喩と暗喩と見立てで出来てる世界は、

 実に難解。

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危険なメソッド

2013年09月05日 15時07分56秒 | 洋画2011年

 ☆危険なメソッド(2011年 イギリス、ドイツ、カナダ、スイス 99分)

 原題 A Dangerous Method

 staff 原作/クリストファー・ハンプトン『The Talking Cure』

          舞台劇『A Most Dangerous Method』

     監督/デイヴィッド・クローネンバーグ 脚本/クリストファー・ハンプトン

     撮影/ピーター・サシツキー 美術/ジェームズ・マカティア キャロル・スピア

     衣裳デザイン/デニス・クローネンバーグ 音楽/ハワード・ショア

 cast キーラ・ナイトレイ マイケル・ファスベンダー ヴィゴ・モーテンセン

 

 ☆第一次世界大戦、前夜。

 ほぼ、実話らしい。

 父の子のような師弟関係あるいは信頼かつ尊敬しあえる精神科医同士だった、

 カール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイトの間に亀裂を走らせたのは、

 患者であり、かつ新たな論文の起草者となるザビーナ・シュピールラインで、

 この作品は、その常軌をやや逸した観にある三角関係を描いてる。

 なんといっても、

 キーラ・ナイトレイの顎突き出し分裂絶叫演技が凄いんだけど、

 彼女の演じるザビーナが、

 幼児期の父親による厳格な躾のせいで、性的な抑圧を抱え、

 それによって総合失語症を患い、治癒させるためには性衝動の解放しかなく、

 簡単にいってしまえば、

 臀部をスパンキングされながらセックスにいたるという、マゾヒズムの解放しかなく、

 このメソッドを行うのが、サディズムを目覚めさせてしまうユングだったって設定だ。

 つまり、もともとユングも精神疾患を抱えてて、これを治癒させるには、

 異常な性愛に溺れ、それで抑圧されてきた自我を解放させるしかなく、

 要するに、ザビーナとの異常な関係を保ち続けなくちゃいけないわけだ。

 もちろん、そういう診療と行為が事実かどうかは、このふたりにしかわからない。

 でも、

 貞淑な妻を愛しているユングはこの魅惑的なザビーナに溺れつつも葛藤し、

 やがて見栄も外聞もかなぐりすててザビーナに関係の継続を哀願するんだけど、

 ザビーナはフロイトのもとへ向かい、性的抑圧の解放について語るようになる。

 このザビーナの行動が、ユングとフロイトを決裂させるわけだ。

 本編の前後、タイトル部分は、流麗な筆致の手紙が拡大されたもので、

 それはおそらく、ユングとフロイトが遣り取りした尊敬と罵倒とは想像できるものの、

 映画が終わっても、明かされない。

 明かされるのは、ザビーナがナチスの虐殺によって世を去ることくらいで、

 こうしたところ、きわめて奥ゆかしい良識と節度を保った映画っていえる。

 ただ、あれだよね、

 ユングやフロイトがいかにも紳士然とした学者として登場し、

 重厚な室内で会話を交わしているから、難解な議論に見えてしまうけど、

 これが、都内のセルフサービスのカフェなんぞで、

 TシャツにGパンみたいなラフな格好で、

「極度のストレスや小さい時からの呪縛を解放させるには、

 自分がほんとはエッチが好きで、変態セックスにもちょっと興味があるんなら、

 恥とか誇りとか、そんなものは棄てて、好きな相手とセックスすりゃいいじゃん。

 幸せな人生を送りたいんだったら、自分に正直になるしかないんだよな~」

 とかいってたら、きわめて下品で低俗な人間におもわれちゃうかもしれない。

 ほんと、世の中ってのは虚飾に満ちてる。

 それは、クローネンバーグもよくわかってて、

 脇に、そういう人間像を配置してる。

 たとえば、ユングの妻を演じたサラ・ガドンは、

 湖のように青い目で、黄金のような長い髪をした、アーリア系の見本のようで、

 夫の浮気も黙って堪えるという、いかにも貞淑な妻を演じているんだけど、

 彼女による匿名の手紙が悲劇の引き金になっていることをおもえば、

 心の中にはどすぐろい憎悪と嫉妬が渦巻いていることはよくわかるし、

 それこそが人間なのだと断言されてる気もするし、

 精神医にして患者のヴァンサン・カッセルが、

 ユングに対して「自分に正直になれ」というのも、

 一見、悪魔のささやきのようにも聞こえるけど、天使のみちびきのようでもあるのは、

 人間にとって性欲というか情欲は死ぬまでつきまとって離れない存在で、

 これを薄っぺらな紳士然あるいは淑女然として否定するから、

 大なり小なりストレスという名の精神疾患に陥るわけで、

「くそったれ男やつまらない女に堕したくなければ、自己を解放することだな」

 と、真正面から突きつけられるからだ。

 まったく、クローネンバーグは正直に生きてる。

 ちょっと、おぞましいけどね。

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風立ちぬ(1976)

2013年09月04日 02時41分05秒 | 邦画1971~1980年

 ◇風立ちぬ(1976年 日本 94分)

 staff 原作/堀辰雄『風立ちぬ』

     監督・潤色/若杉光夫 脚本/宮内婦貴子

     音楽/小野崎孝輔 撮影/前田米造 美術/大村武

 cast 山口百恵 三浦友和 芦田伸介 宇野重吉 夏夕介 松平健 森次晃嗣

 

 ◇いざ、生きめやも

 中学生になる頃まで、

 実家の2階の端、その窓際に昔ながらの机と椅子と本棚が置かれてた。

 紫檀だか黒檀だかであつらえた三点セットだったようで、

 本棚は奥行のない箪笥のようで、両開きになってて、中には古い本が並んでた。

 祖父の使っていたものだから、大正の初期のものだろう。

 ぼくが物心がついたときには誰も使う人がおらず、

 5月になると、机の上に、兜や五月人形が飾られるくらいなものだった。

 高校生になってようやく貰い受け、自分の部屋に運び込んだ。

 そのとき、本棚の整理をしたんだけど、

 セピア色に変わった本の中に、堀辰雄の文庫本を見つけた。

『風立ちぬ・美しい村』と『菜穂子・楡の家』だった。

 裏表紙をめくると、母親が万年筆で書き込んだらしく、

 買い求めた本屋の名前と、手に入れた日時と、母親の名前があった。

 どうやら、母親は堀辰雄が好きだったようで、

 ちょっと調べてみたら、母親が本を買って数年後、映画が封切られてた。

 久我美子主演の『風立ちぬ』で、1954年(昭和29)の作品だった。

 ところが、設定が戦後に直されてて、結核も癒える時代になってた。

 ということは、堀辰雄の原作はかなり変えられたってことなんだろう。

(なるほど、母親の時代ってのは、ともかく戦前の空気を一掃しようとしてたんだな)

 てなこともおもったんだけど、

 山口百恵主演のこちらの作品は、戦前から戦中にかけての話に直されてた。

 ほお、時が遡ってるんだとおもった。

 とはいえ、原作は昭和8年から11年頃という時代設定だから、

 それでもまだ、原作どおりってわけじゃない。

 なんだか、

 松平健のバンカラぶりや早稲田の同級生どもの反戦ぶりが、ちょいと濃すぎる。

(百恵ちゃん演じる節子と、友和さん演じる達郎の、純粋な映画にしてほしかったな~)

 というのが率直な感想だ。

 けど、おもってみれば、ちょっとふしぎな感じなんだけど、

『風立ちぬ』が原作どおりに映像化されたことは、一度もないんだね。

 いや、それにしても、反戦云々がなかったら、

 この作品は、なんだかすごく現代的な青春映画だった。

 ぼくは、百恵ちゃんの映画は『としごろ』『伊豆の踊子』『潮騒』は観たけど、

 その後はどうも足が向かず、かろうじて『泥だらけの純情』は観た。

 ほかの作品は観てない。

 だから、この作品がキネマ旬報の表紙になったとき、

「え?キネ旬の表紙が、なんでまた?」

 と、妙な違和感すらおぼえたものだ。

 生意気な盛りのぼくに、百恵&友和の青春映画は青臭すぎたんだろう。

 なもので、この作品が封切られたときのことは憶えてるんだけど、

 中身については、このほど、初めて体験した。

 芦田伸介と宇野重吉がちゃんと締めてくれてた。

 あ、それと、

 脇役はみんな若くて、いや、ほんとに、ポール・ヴァレリーのいう、

「Le vent se lève, il faut tenter de vivre 」

(風が立った。みんな、生きようじゃないか)

 って感じで、生きなくちゃだめだっていう気持ちが伝わってくるのに、

 主役のふたりはそうじゃなくて、最後に三浦友和が呟く、

「風立ちぬ。いざ、生きめやも」

(風が立ってしまった。生きようか。いや、そうもいかないのかなあ)

 てな感じに包まれておるんですわ。

 ひさしぶりに軽井沢にでも行ってみようかしら。

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LOOPER/ルーパー

2013年09月03日 02時13分03秒 | 洋画2012年

 ◎LOOPER/ルーパー(2012年 アメリカ 119分)

 原題 Looper

 staff 監督・脚本/ライアン・ジョンソン 撮影/スティーヴ・イェドリン

     美術/エド・バリュー 特殊メイク/マイク・エリザルド 辻一弘

     衣裳デザイン/シャレン・デイヴィス 音楽/ネイサン・ジョンソン

 cast ジョゼフ・ゴードン=レヴィット ブルース・ウィリス エミリー・ブラント シュイ・チン

 

 ◎ターミネーター・ウィルス版

「もしかしたら別なラストがある?」

 とおもってしまったのは、ぼくだけじゃないんじゃないかな~。

 途中まで、重要な小道具になってるのは、

 ブルース・ウィルスのぶら下げているペンダントだった。

 ペンダントの写真がシュイ・チンであることで、

 自分の経てきた過去がまだ存在していることに安堵するのは、

 自分の意思によって作られてきた人生を肯定することになるわけだから。

「でも、それがいつかエミリー・ブラントに変わってしまうんじゃない?」

 っていう興味で、引っ張られるから、

 どうしても、ラストは、ウィルスを消滅させるのではなく、撃ち殺すことにより、

 自分の未来は定められたものではなく、

 これから自分が築いていくんだという明確な宣言をするのと共に、

 あらたな家族を作っていくジョゼフ・ゴードン=レヴィットが、

 ずっと興味を持ってたペンダントを手にすると、

 そこには誰の写真も入ってないか、

 あるいはエミリーと息子の笑顔があることで、

 この後の人生を案じさせるんだろな~とおもってたんだけど、

 あにはからんや、

 自己犠牲の精神を発揮してしまうなんてのはありなんだろか?

 ちょっと、ぼくとして、うなずけない展開だな~。

 ただ、

 たったひとりで、5つの犯罪組織をいっぺんに潰してしまうような超能力の持ち主が、

 どうして生まれたのかってことは語られてないし、

 なんで、候補になる子供が3人もいるんだろうってことと、

 そもそも、犯罪組織が殺したい奴を過去に飛ばして殺させるというのはなんで?

 ていうような素朴な疑問が湧いちゃうんだけど、

 やっぱ、余計な疑問なのかしらね。

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コールド・クリーク 過去を持つ家

2013年09月02日 15時44分37秒 | 洋画2003年

 ◇コールド・クリーク 過去を持つ家(2003年 アメリカ、カナダ、イギリス 119分)

 原題 Cold Creek Manor

 staff 監督/マイク・フィギス 脚本/リチャード・ジェフリーズ

     撮影/デクラン・クイン 特撮/ドリュー・ロングランド

     美術/レスリー・ディリー 音楽/マイク・フィギス

 cast デニス・クエイド シャロン・ストーン クリステン・スチュワート クリストファー・プラマー

 

 ◇寒々しい入江の荘園

 Cold Creek Manorを直訳するとそうなる。

 もっとも、Manorは大邸宅という意味もあるから、

「冷たく、曲がりくねった小川の錯綜するほとりにある大邸宅」

 となるのかもしれない。

 けど、これは屋敷の置かれているところの情景を説明しただけで、

 題名がなにかを暗喩しているのかといえば、どうもそうじゃないらしい。

 もちろん、一家惨殺という過去を持った屋敷なんだから、

 何本もある小さな川は、もしかしたら、

 人間の体内を無数に流れている血管すなわち赤く細い川なのかもしれない。

 でも、だからといって、過去の暗喩にはならないし、

 息子の交通事故をきっかけにして引っ越してきた一家4人の運命を、

 なんとなく示しているというわけでもない。

 てなことから考えると、

「悪くしたら、なんのひねりもない映画なんじゃないか」

 という不安が脳裏をよぎったんだけど、案の定、そうだった。

 役者に費用をかけている分、つらいかもしれないね。

 クリステン・スチュワートはこのときまだまだ少女の面影をとどめていて、

 ビキニになってもその少女らしい貧相さが際立っちゃう。

 ちょっと、かわいそうかな。

 ただな~、一家惨殺の犯人が別な罪で服役していたから捕まらず、

 それで服役を終わって帰ってきたことで、ふたたび家が血に染まりそうなるって話は、

 作りようによってはもうすこし面白くできたんじゃないかって気もするんだけど、

 そんなことはないんだろか?

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ホワイトハウス・ダウン

2013年09月01日 01時57分55秒 | 洋画2013年

 ◎ホワイトハウス・ダウン(2013年 アメリカ 132分)

 原題 WHITE HOUSE DOWN

 staff 監督/ローランド・エメリッヒ 脚本/ジェームズ・ヴァンダービルト

     製作総指揮/ウテ・エメリッヒ チャニング・テイタム リード・カロリン

     撮影/アンナ・J・フォースター 美術/カーク・M・ペトルッチェリ

     衣裳デザイン/リジー・クリストル 音楽/トーマス・ワンカー ハラルド・クローサー

 cast チャニング・テイタム ジェイミー・フォックス マギー・ギレンホール ジョーイ・キング

 

 ◎黒幕はブラックゴースト団か?

 ジャームズ・ウッズが出がけに星条旗のバッチをはずしたとき、

 あらま~と展開がわかってしまうのはちょっと悲しかったけど、

『エンド・オブ・ホワイトハウス』が某国による工作だったことをおもえば、

 こちらはなんだか『サイボーグ009』みたいな黒幕が蠢いてて、

 ちょっと漫画的な印象だったかな~とおもうのは、世代なんだろか?

 中東への核攻撃を行うことにより、

 ブラックゴースト団が大儲けをするという裏話は、

 もはや、リアルなようでいてリアルな感じがしないのは、

 大団円を迎えてもなお、黒幕の存在が明確な名称として現れないからなのかな?

 まあたしかに、スローモーションで描かれるアクションの臍は、

 きわめて映像的ではあるんだけど、

 ホワイトハウスの屋内と庭内に、ほとんどの場面が固められている分、

 どうしても出たり入ったりの話になってしまうのは仕方ないのかな。

 主題になってるのが親子の信頼というあたりは、

 いかにもハリウッド的な置き方だけど、

 これはこれでちょっとばかし感動しちゃったりする。

 ただ、なんだろう、

 ところどころ、

「くすりとした方がいいんだろうな~」

 っていうカットが置かれているのは、

 緊迫感を和らげるためなんだろうけど、

 これって観客の対象年齢を下げてるんだろうか?

 大統領に憧れる娘という設定を持ってきてる分、そうしないといけなかったのかな?

 まあ、親子で英雄になっていくという設定は、

 もともと嫌いじゃないからいいんだけどね。

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