狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<9-4/6>:番外編~続くメッセージ、そっくり?、モデル?、一次資料のそのまま引用厳守/Don't change primary sources

2019-01-30 16:14:12 | エッセイ・コラム
※ 当「My Testimony/僕の証」シリーズの内、本記事「<9>:番外編」に於いては、他の文献から多く記事を引用しておりますが、当方はこの記事をはじめ、その他、本ブログ全記事に於いて、一切、収入を得ておりません。
 ※ また本シリーズのその他の記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事でありますが、本記事「<9>:番外編」のみに於いては本年を2019年(平成31年)としている事について、御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証
   番外編
    ~続くメッセージ、
      そっくり?、モデル?、似姿?、皮肉?
       一次資料のそのまま引用厳守
        Continuous message,
         Just Like?, Model?
          Don't change primary sources by one's own words

      
 (「My Testimony/僕の証<9-3/6>」からの続き)……

 前掲記事「My Testimony/僕の証<9-3/6>」の中での欅坂46に続く、AKB48姉妹グループからのメッセージ。

 関連・本ブログ記事
  ・2019/01/29付:『My Testimony/僕の証<8-6/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~有名人の同情・共感・酷似 & パレスチナ人への同情・共感・連帯/Sympathy & Solidarity』
  ・2019/01/30付:『My Testimony/僕の証<9-1/6>:番外編~節度無きストーカー、「聞くには早く、語るには遅く、怒るにも遅く」、世の終末での事前情報/Apocalyptic Pre-Intelligence』
  ・2019/01/30付:『My Testimony/僕の証<9-3/6>:番外編~AKB、インフル予防治療リスク、イルミナティグローバリズム、偽イスラエルのパレスチナ植民地拡大/Illuminati & Fake Israel』

 以下、シングルCD「ジコチューで行こう!」(2018年8月8日リリース、歌:乃木坂46、作詞:秋元康氏、作曲:ナスカ氏、編曲:野中"まさ"雄一氏)より、
  「この瞬間を無駄にはしない
  人生あっという間だ
  周りなんか関係ない
  そうだ
  何を言われてもいい
  やりたいことをやるんだ
  ジコチューだっていいじゃないか?
  マイウェイ」
  「目立たないのが一番楽で
  叩かれないこととわかったよ」
  「今しかできないことがある
  絶対
  どんなに呆れられても
  思い通りやるべきだ
  嫌われたっていいじゃないか?
  マイペース」
  「みんなに合わせるだけじゃ
  生きてる意味も価値もないだろう
  やりたいことをやれ
  ジコチューで行こう!」
 (以上、シングルCD「ジコチューで行こう!」より)
 (※ 尚、引用が多くなりましたが、当方はこの記事をはじめ、その他、本ブログ全記事に於いて、一切、収入を得ておりません。)

 以下、シングルCD「帰り道は遠回りしたくなる」(2018年11月14日リリース、歌:乃木坂46、作詞:秋元康氏、作曲:渡邉俊彦氏、編曲:渡邉俊彦氏、早川博隆氏)
  「帰り道は 帰り道は
  遠回りをしたくなるよ
  「過去の道なら迷うことがないから
  弱虫(弱虫弱虫…)
  新しい世界へ
  今 行きたい 行きたい 行きたい 行きたい
  強くなりたい」
  「人は誰も変わることに慣れていなくて昨日と同じように
  今日も明日もここにいたくなるんだ」
  「知らない道 知らない道」
  「ワンウェイの標識」
  「もっともっと広い世界
  知らなきゃいけない
  「輝く未来のためと
  互いに分かるだろう」
  「風のように 風のように
  思うままに生きてみよう」
 (以上、シングルCD「帰り道は遠回りしたくなる」より)

 これら乃木坂46の2曲のセンターポジションはそれぞれ、21作目の「ジコチューで行こう!」が齋藤飛鳥氏、22作目の「帰り道は遠回りしたくなる」が西野七瀬氏と、お二人共に「ファッションモデル」が務められ、しかも、前掲の欅坂46の全7曲でセンターポジションを務められた女優の平手友梨奈氏と併せてお三人方共に、「O型」である。これは、単なる偶然だろうか……?。

 「ジコチューで行こう!」とは、一見すると、自分の欲望を基準にしたエゴイズムによる言動によって人に迷惑を掛ける事を連想するので、良くない事と思いがちである。
この曲がリリースされる3ヶ月前、僕は5月8日付の本ブログ記事、「“KEY48”, Right of Return、1948年5月14日『パレスチナ・ナクバ』から70周年、『祖国帰還の権利』(1): KEY48とは私達自身その者であり私達が要求するもの」https://blog.goo.ne.jp/deep_meditation/e/2874ee85ff05cf268dc4da984087f016を投稿した。それによって、これまで以上に目を付けられるのではないか?、と思ったり、その後、果たして何かしら反応が有るのだろうか?、と思ったりしていた。
 この曲がリリースされる直前の7月、約半年間の休暇の後に復帰した鉄工所に於いて、少し大きめの製缶物を、「我がまま」を言う事によって、独りで作らせてもらう事が出来た。しかし、8月に入って直ぐ、その品物を完成させると同時に、その職場を去った。
 また、僕はその約半年間の長期休暇の間、そのパレスチナやエルサレムの危機、それら中東地域に留まらず、延いては世界大惨事となる危機が孕んでいた事に対して、本ブログ記事の投稿等を行っていた。そしてその間は、僕自身の収入は途絶え、また僕自身を見つめる事も少し疎かになっていた。国際時事情勢を追いかける事によって、それら多くの時事問題に流されてしまって、自分をやや見失っていた感も有る。それ故に、以前は「敏感で太い『鈍感力』」を持っていたはずであるのに、ここ最近は良い意味での「鈍感力」に欠けていた事に繋がってしまった様に思える。秋元康氏は、その様な僕の姿を見られて、「飯の種」を稼ぐ事をはじめとして、もっと自分の事を考えた方が良いという意味も込められたのかもしれない。
 しかし、「ジコチューで行こう!」の歌詞を読んでみると、この曲の上での「ジコチュー」が決して悪い事では無い事が解る。「マイペース」、「マイウェイ」と、また、「何を言われてもいい、やりたいことをやるんだ」、「どんなに呆れられても思い通りやるべきだ、嫌われたっていいじゃないか」と、恰も僕の行いをそのまま肯定してくれている様にも見える。そして、この世での短い人生、また、聖書に預言されている様に「この世の終末」が近い事、つまり、何れにしても、「この世での死」までの時間が残り少ない事を自覚した上で、「今しかできないことがある」という思いを抱いて行うべき事を行う事の大切さを述べられている様に、僕は捉える。
 この曲で言っている「ジコチュー」とは、世間の価値観や評価、常識、空気等に囚われない、という事であろう。僕は自分を信じる「自信」であって、世間を疑っているので「他信」ではない。そして、世間の価値観や承認には裏付け・根拠が存在しないが、僕の「自信」には、完璧ではないものの、基本的に、エビデンスとして唯一の神様への「信仰」が存在している。よって、僕の価値観には裏付け・根拠が存在しているのであるから、裏付けの存在しない世間の価値観からの承認は不要なのである。根拠のない世間の評価が、如何に当てにならないものであるかが解るであろう。

 続く曲、「帰り道は遠回りしたくなる」は、一見すると、恰も、僕への皮肉、嫌みに見える。また、僕への注文、催促にも見える。しかし前述の通り、僕は世間を尻目にして、「『この世での死』までの時間が残り少ない」事を自覚した上で、無駄な外出を省き、僕に課された行うべき事を行うのみである。
 こちらの曲の歌詞は、タイトルと同じく、どうも、僕への嫌み、皮肉に見える。僕は外を歩く時、大概、下を向いて歩く。何故かと言えば、「犬のウンコ」がよく道に落ちているからである。僕の住む近所は特にマナーの悪い飼い主が多いらしく、しょっちゅう、歩道に「犬のウンコ」が在る。その様な状態で、もし、見栄を張る様にして上を向いて歩いたところで、その「犬のウンコ」を踏んでしまう事であろう。
 また前述の様に、「自分の時間が少ない」というのは、仕事や睡眠、食事、洗濯、トイレ、その他の雑事を省いた「普段の時間が無い」という意味だけではなく、「死までの時間が無い」という意味も含まれる。その「残り少ない時間」を有効に使う為にも、僕は「世間的なもの」、「この世的なもの」を行っていないのである。「世間的なもの」、「この世的なもの」は「欲望」が基となっており、それらを多く行う事は「堕落」、「退廃」に繋がる。お坊さんの「出家」や、カトリックの「修道士」や「シスター(修道女)」、昔の「仙人」、山へ逃れた「隠遁者」達等は、その「世間的なもの」、「この世的なもの」を否定して、それらから距離を置いた生活を送られて来たのである。そして勿論、聖書も「世間的なもの」、「この世的なもの」を否定している。僕は、聖書を根拠としている。
 よって、その曲の様に、「弱虫弱虫」、「強くなりたい」等と、恰も「挑発」するような事があろうとも、僕はその様な「雑音」は聴かないし、効かない。また、「もっともっと広い世界、知らなきゃいけない」と在るが、「世間的なもの」、「この世的なもの」を知っても無意味であり空虚なだけである。「世間的なもの」、「この世的なもの」に手を出しても際限が無く、次から次へとまた欲しくなってくるだけで、何時までも、永遠に、満たされる事は無い。それらは、実は中身が無い「空っぽ」なので、一時だけの、瞬間の満足でしかない。正に「その場限り」、「その時限り」の行いでしかない訳である。
 そして、却って、僕はその様な「空虚」な「世間的なもの」や「この世的なもの」を余り知らない「世間知らず」である一方で、「世界が見えている」。狭い世間、空で大した意味の無い世間を知らず、広大な世界の諸問題が見えて来るのである。世間の多くの方々は、世界の、特に裏側を、知らず、理解していない。新聞を開いても、国際情報の方が本当は膨大なはずであるにも関わらず、僕の定期購読している神戸新聞に至っては、地方紙という事もあろうが、国際面は1ページしかなく、しかも下の1/3程は別のもので占められている。主流メディアのその様な状況下で、世間一般の方々は、「広い世界」を知る事は出来ない。だから、却って、少なくとも、僕の方が、世間一般の方々よりも、「広い世界」を知っている事となる。

 参考文献
  ・2018/08/08付リリース・シングルCD:「ジコチューで行こう!」(歌:乃木坂46、作詞:秋元康氏、作曲:ナスカ氏、編曲:野中"まさ"雄一氏)
  ・2018/11/14付リリース・シングルCD:「帰り道は遠回りしたくなる」(歌:乃木坂46、作詞:秋元康氏、作曲:渡邉俊彦氏、編曲:渡邉俊彦氏、早川博隆氏)

 



YouTube: 乃木坂46 『ジコチューで行こう!』
2018年8月8日リリース

YouTube: 乃木坂46 『帰り道は遠回りしたくなる』
2018年11月14日リリース


 「反米保守」である僕は、「日米安保」や「日米地位協定」に大いなる疑問を持つ。それであるが故に、現日本国憲法の九条改正や緊急事態条項の新設が必要である事を思う。しかし、飽くまでも「保守」であるので、「理想」を展望・追求しつつ「現実」を直視しながら「ビジョン」を描き、「漸進的」な改革が良いと考える。
 また、僕は100%パレスチナ側を支持する反イスラエルであり、且つ、旧ナチス・ドイツ軍による「ユダヤ人ホロコースト」が「無かった」と断言する。これらの事だけでも、僕が単なる右翼や左翼、また保守やリベラルでは無い事が解るであろう。世間一般的な捉え方、分け方には当てはまらないのである。
 「反米保守」の僕は、同じ「反米」で「反イスラエル」であるイランのコメントは、常にアメリカの顔色を気にする日本政府とは異なって非常にハッキリとしたものであり、歯切れ良く、共感・同感すると共に、スッキリして、とても気持ちの良いものである。
 西側・欧米の価値観が、世界を覆って来た。ユダヤが支配する西側・欧米のマスメディアが、世界共産化グローバリズムに乗って、その価値観をばらまいて来た。そして、その価値観が常識化している現在、東側や有色人種、アジア、アフリカの価値観が「普通ではない」ものとされて来た。日本が先の「大東亜戦争」で白人至上主義の植民地となっていた国々を解放、或いはその国々の独立のきっかけ・機運を作って「勝利」したものの、日本はアメリカとの「太平洋戦争」に於いては敗れてしまった。その結果として、戦後、米国による世界の体制が続いて来た。
 しかし、最早、アメリカは超軍事力で誤魔化してはいるものの、その実、「裸の王様」であり、世界最大の借金大国であり、そして何よりも、「現イスラエルの奴隷」、「ユダヤの奴隷」でしかないのである。よって、アメリカこそが、実は独立していない事が解るであろう。
 今後、西側・欧米による支配は過ぎ去り、東方からのリバイバルが起こるものと考えられる。しかし、その前提として、世界が一旦終わる必要が有るのかもしれない。聖書で「預言」されている様に、「世界最終戦争」で「この世の終末」が到来し、キリスト(救世主)が再臨されて「リセット」、及び「復活」、「再興」へと繋がっていくのかもしれない。
 東方、その東端に存在する日本に居る、「血統的」古代ユダヤ人のクリスチャン達によるリバイバル……。

 2019年1月11日までに、
  アメリカのマイク・ポンペオ国務長官
   「イランが普通の国になるよう望む」
   「イランへの圧力を外交分野だけではなく貿易分野でも2倍に引き上げる」

  イランのモハンマド・ジャヴァード・ザリーフ外務大臣
   「イランがアメリカの操り人形になってポンペオ長官による人権モデルを適用しつつ『普通の』国になることは決してない。アメリカがそこで望んでいるのは王政または現代の圧政だ。なので、アメリカはイランを失ったと言うことを認めることが最善だ」
   「アメリカがいつどこに介入しようと、そこでは混乱、圧政、憎悪が生まれた」

 参考文献
  ・2019/01/11付・TRT日本(トルコ・ラジオ・テレビ協会):『イラン外相 「イランはアメリカが望む『普通の』国にはならない」』


 この記事のタイトルで『普通の』という言葉が強調されている。この記事が原因だからだろうか?
  本ブログ・2019年1月6日付記事、『My Testimony/僕の証<8-3/*>:エピローグならぬプロローグの「追録」~ 「キュレーター」として「変態コレクター」……!?/Is Curator Abnormal Collector ?』

 「Abnormal」、普通では無い、異常な、変態……!?。そして、この記事には、“現”イスラエルのネタニヤフ首相宅にディナーに招かれた日本の安倍首相夫妻の前に出された、テーブルの上に置かれた「畳の上の土足の靴」のYouTube動画が掲載されている。

 
YouTube: Wherever US interferes, chaos follows :Zarif responds to Pompeo

 関連・本ブログ記事
  ・2018/03/11付:「イランの言い分が伝えられず、『ユダヤ』支配の欧米メディアは印象操作で全世界を覆う:Iranian say isn't introduced、"Jew's media" rule the world」
  ・2018/04/08付:「『イランの防衛力は抑止力であり、国を防衛するためのものだ』Iran has deterrent as defense capacity against foreign invasion」
  ・2018/04/08付:「イランのファッション:敬虔、貞淑、貞節 ― Fashion of Iranian women is devout, virtue, and fidelity」
  ・2018/05/07付:「“East Solidarity Japan-Russia-Syria”:日本は無罪のロシアと連帯、ネストリウス派アッシリア東方教会の日本は『東側』、旧鎖国は侵略企む『西側』を排除、解放『大東亜戦争』」
  ・2018/05/08付:「イラン人女性のヘジャブ着用の敬虔・貞節、西洋の堕落したリベラリズムに抵抗する保守的民主主義/Iranian devout-virtue-fidelity resist Corrupt West」
  ・2018/07/17付:「東方からリバイバル、復興シリア正教会2018復活祭&日本/Revival from East, Easter, Resurrection Syriac Orthodox Church & Japan」
  ・2019/01/06付:『JapanーIran、public justice & self-sacrifice/映画「海賊とよばれた男」:戦前から受け継ぐ「公義」の為の気骨在る自己犠牲の精神、戦後艱難を共にしたイランと日本』
  ・2019/01/06付:「My Testimony/僕の証<8-2/*>:エピローグならぬプロローグの『追録』~ いじめを演出し加担してブームを作るマスコミとそれに煽動される世間の姿と重なる2,000年前のイエス・キリスト虐殺」
  ・2019/01/06付:「My Testimony/僕の証<8-3/*>:エピローグならぬプロローグの『追録』~ 『キュレーター』として『変態コレクター』……!?/Is Curator Abnormal Collector ?」
  ・2019/01/06付:「My Testimony/僕の証<8-4/*>:エピローグならぬプロローグの『追録』~未来を創造する為の『ビジョン』/Vision Create the Future」
  ・本ブログ カテゴリー:「イラン」

 2018年、内視鏡研究でイグ・ノーベル賞・医学教育賞を受賞した内科医の堀内朗氏
  「内視鏡検査…(中略)…ようにするのが自分の仕事」
  「(研究結果を全て英語の論文にまとめて発表して来た事について、)自分をさらけださないと、広く世界の役に立たない」

 参考文献
  ・2018/09/18付・神戸新聞:「人 内視鏡研究でイグ・ノーベル賞を受賞した医師 堀内朗さん」

   「曝け出して世界の役に立つ」とは、いやぁ、何だか僕を見ておっしゃっている様なコメントで……?。

 2016年、「コンビニ人間」で第155回芥川賞を受賞された、作家の村田沙耶香氏(2019年1月5日付・AERA dot記事より)、
  「(2018年10月に刊行したエッセー集『となりの脳世界』、しかしデビュー当時は)エッセーが苦手だった」
  「主人公がいないので、何を書けばいいのかわからなかったんです。でも『自分が丸裸になればいいんだ』と悟ってからは、楽しくなって、エッセーを書くのが好きになりました。これからも定期的に書きたい」
  「(2018年12月に刊行した書評集『私が食べた本』について、)もともと本を読むのは遅いほうなんですが、書評を書くときは、もっとゆっくり。作家の意図を見落としていないか、前へ戻って読み直して、また読んで……というスタイルになっちゃう。だから、一冊読み切るのにすごく時間がかかるんです」

 芥川賞受賞作「コンビニ人間」は、「主人公は幼い頃から周囲と自分の価値観にズレを感じており、コンビニのバイトを始めてようやく心の安寧を得、以降18年間<コンビニ店員>というアイデンティティを拠り所にして生きてきた女性」(2016年7月30日付・AERA dot.「芥川賞作家・村田沙耶香のコンビニ以外の『自分の場所』」より)

 参考文献
  ・2016/07/30付・AERA dot.:「芥川賞作家・村田沙耶香のコンビニ以外の『自分の場所』」
  ・2019/01/05付・AERA dot.:「自分を丸裸にしたエッセーと愛読書38作品/村田沙耶香の世界に出会う」

 「自分が丸裸になればいいと悟って」とは、同じく、この「My Testimony/僕の証」というエッセーを書く僕を見ている様なコメントで……。そして僕も、読書のスピードは非常に遅いし、且つ、ブラインドタッチが出来ないので、書き物をする時のタイプする速度もかなり遅いのである。更に、今から10年前までに、僕もコンビニでのアルバイトの経験を持つ。

 




コンビニ人間
「コンビニ人間」
(著者:村田沙耶香氏、
出版社:文藝春秋、
出版日:2016/7/27)
地球星人
「地球星人」
(著者:村田沙耶香氏、
出版社:新潮社、
出版日:2018/8/31)
私が食べた本
「私が食べた本」
(著者:村田沙耶香氏、
出版社:朝日新聞出版、
出版日:2018/12/7)
となりの脳世界
「となりの脳世界」
(著者:村田沙耶香氏、
出版社:朝日新聞出版、
出版日:2018/10/5)


 「植物はさまざまなことを私たちに教えてくれます。他者と競わないかしこさ、他者と比べない潔さ、与えられたものの中で生き、むやみに求めない無欲さ。その一方で、逆境をものともせずしたたかに生きる強さ。わたしたち人間は動きまわれるからこそ、ムダな生き方をしているのかもしれません。身近な植物の『不思議』と『なるほど!』がいっぱいつまった25の植物の生態をやさしく解説。」(本「植物のかしこい生き方 欲張らず、むだに戦わずしたたかに生きる知恵」のカバー裏表紙より)
 「40歳を過ぎたら生き方は植物から学ぼう」(同本の帯裏側より)

 同本の著者で甲南大学特別客員教授の田中修氏、
  「一番分りやすいのは、動かずに生きるということ。よく『植物は動けない』と言うけれど、植物に言わせれば『動く必要がない』。……」

 参考文献
  ・2018/09/02付・神戸新聞:「編集委員インタビュー 植物に学ぶ生きる知恵 甲南大学特別客員教授 田中修さん(71)に聞く 草木の『生き方』、なぜ研究する? 競争を避け、したたかに」

 僕も「飯の種」で外出する以外、じっと動かずに、研究、検証、キュレーション、発信等を行う。しかし、もし、今まで何事も順調に進んで失敗や挫折をすることも無く、また偏見や差別、レッテル貼り、バッシング等の社会的制裁を受けて来なければ、世間一般の多くの方々と同様に、「レジャー」や「ショッピング」、「グルメ」、「バクチ」、「ドライブ」等で、「ダーラダーラ」と堕落しながら、無駄に外出して動き回っている様になっていたかもしれない。実際、以前は、僕も「釣り」に凝っていた時期が有った。僕は、却って、逆境のおかげで動き回らずに済む様になり、その試練のおかげで、自らが研鑽されて磨かれて来たと言っても良い。この事は、制裁を課して来た世間一般の側から見れば、「逆効果」となっている事が解るであろう。

 植物のかしこい生き方 欲張らず、むだに戦わずしたたかに生きる知恵
「植物のかしこい生き方 欲張らず、むだに戦わずしたたかに生きる知恵」
(著者:田中修氏、出版社:SBクリエイティブ、出版日:2018/07/15)

 「必要最低限の物しか持たない『ミニマリスト』、ファッションや美容を頑張りすぎない『エフォートレス』-。ここ数年、そんな価値観を示す言葉をよく見聞きする。共通するのは『手放す』ということだろうか。諦めるのではなく、前向きな選択。自分には何が必要で、何をしたいかを突き詰めた結果とも言える。……」
 「『必要のない付き合い』……空気……周囲……断る……社会の価値観……」
 「……『結婚』していない著者(※ 群ようこ氏)の結論は厳しくも温かい。
 『百人の人がいたら、百の生き方があって当然なので、自信を持って世の中の基準に対して、ノーと言える人生もいいと思えるのである』」

 参考文献
  ・2018/07/15付・神戸新聞:「ヨミゴロです 「しない。」群ようこ著 自信を持って世の中にノー」

 僕が書斎の机の前に貼っている、2017年11月6日付の「Preparation」に掲げている言葉の中から、次の言葉をピックアップする。
  「この先、医療・介護の仕事は一切行わない。」
  「この先、結婚はしない。」
  「この先、恋愛はしない。」
  「この先、友達は作らない。」
  「孤独を貫く」
  「人の承認はいらない。・・・自分を信じ、他人・世間を疑う(『自信』であり、『他信』ではない)。」
  「引きこもる(隠遁)。・・・黙る、沈思黙考、集中。必要最小限の外出(心技体)。行うべき事を行う。小さきものでいる。感情的(八つ当たり)では物を書けない。Meditationと論理的文章。祈り、読書。」
  「会話不要。・・・馬の耳に念仏、猫に小判、豚に真珠、馬耳東風。その場限りの言葉(文章は後々に残り、証拠となる)。理解不能の者(諦め・悟り無き者、ストーカー)を相手にしても無駄(時間、エネルギー、金銭)。
  「僕の目的。・・・神様の御計画、歴史修正、マスコミ修正、世間の常識・空気・価値観の破壊。」
 (以上、僕が書斎の机の前に貼っている、2017年11月6日付の「Preparation」より)

 どうだろう、正に「そっくり!」ではないだろうか……!?。
 
しない。
「しない。」
(著者:群ようこ氏、出版社:集英社、出版日:2018/06/26)

 プロ野球の南海で選手と監督を務められた穴吹義雄氏が、2018年7月31日に85歳で亡くなられた。
  「プロ入り時の争奪戦……大型三塁手の勧誘に多くの球団が参戦……」
  「穴吹さんは早くから南海入団を決心していたのに、札束攻勢で関係者や家族への切り崩しが続いた……」
  「価値があっただけに周囲の風当たりは痛烈を極めた。」
  「この間のいきさつを描いた小説が『あなた買います』で、映画にもなった。チーム内では練習でも『あいつには打たせない』という空気があったという。……」
  「……ファンからの厳しいやじにまいってしまった。もともと挑発されると向かっていく性格ではない。釣りを好み、マージャンにしても無理な勝負は避け、……」
  「後年は少年たちへの指導に力を入れるなど、野球人としては地味な仕事が似合っていた。」

 参考文献
  ・2018/08/05付・神戸新聞:「プロ入団時 札束攻勢 評伝 穴吹さん、苦しい日々 先月31日死去」(共同通信・川上克秀氏著)

 僕も同じ様な境遇を抱えて来たし、性格も似ていると感じる。

 2019年1月15日付放送の「大阪の」関西テレビ(フジテレビ系)、「カンテレ開局60周年特別ドラマ『BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸』」。僕は、このドラマを視聴しなかった。しかし、偶々、母がこの番組を録画していたのを視聴していた時にちらっと見た時、井浦新氏が演じられた工事所長の主人公が吉田羊氏演じる妻と娘の家族から誕生日を祝ってもらう中で、何歳になったかを質問され、主人公は「プライバシーだ!」と答えられた。また、就寝前、ベットの上での妻との会話に於いて、その主人公は、「片手に本」を持っておられた。
 僕は偶々、ここの所、井浦新氏出演のドラマを続けて視聴していた。同じく関西テレビ(フジテレビ系)のベーシック・インカム等をテーマにした「健康で文化的な最低限度の生活」(2018年7月~9月)と、ディーン・フジオカ氏とダブル主演された、更に同じく関西テレビ(フジテレビ系)の、最初に「神戸」を舞台にして、阪神淡路大震災や過去のレッテル、偏見、差別、逃亡等が含まれる「レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」(2019年1月6日)である。「健康で文化的な最低限度の生活」では、井浦新氏の「納豆をかき混ぜる」シーンが多く挿入され、そしてケースワーカーとして、また主人公の先輩、指導係、良き理解者として「大変落ち着いた」、「悟りを得た」様な性格の人柄を演じておられた。しかしその後、映画「止められるか、俺たちを」(2018年10月13日公開)では、「ピンク映画」を撮っておられた頃の若松孝二監督の役を演じられて、恐らくイメージ・ギャップを生んだであろう事を、僕は新聞で知った。
 因みに、井浦新氏は俳優である傍ら「ファッションモデル」であり、「ファッション」デザイナーで、「A型」であられる。更に、妻を演じられた女優の吉田羊氏は、「O型」であられる。

 参考文献
  ・(2019/01/15放送までに)・関西テレビ:「カンテレ開局60周年特別ドラマ『BRIDGE はじまりは1995.1.17神戸』」


 
YouTube: 【U-NEXT独占配信中】BRIDGE はじまりは1995.1.17 神戸

 2015年1月13日から3月17日まで放送された、堀北真希主演の「まっしろ」が、視聴率が振るわない「大コケ」であったという。
当時、僕はこのドラマを視聴しておらず、町工場の鉄工所に戻って、「勘」を戻していた最中であった。その後、そのT鉄工所には2016年12月まで勤務し、計3年間勤める事となった。マスコミの「戻したい」という思惑とは裏腹に、僕はそのドラマに興味も示さず、世間的にも同様であったみたいである。世間の低俗な方々は、恋愛やセックスしか興味が無いので、僕にそういう期待をかける上で、その「見たい」という希望を叶えてもらえるなら、その可能性の高い方を選んでいるのではないだろうか?。仕事の内容そのものよりも、そういった、コミュニケーション等の脇道に逸れた低俗なものにしか関心を示さない方々が多い様に思う。鉄工所で安定して、継続して、いっぱいお金を稼いで「買え!」の様な希望を持たれているその世間の多くの「下心」を、僕は見えている。しかし、今後、僕は恋愛もセックスも、一切行わないので、悪しからず。

 参考文献
  ・2015/02/04付・サイゾーウーマン:『堀北真希は「15分が限界」!? 『まっしろ』大コケで『昼顔』人気脚本家も“頭まっしろ”?』

 2010年3月27日に読売テレビ(日本テレビ系)で放送された「山田太一ドラマスペシャル〜遠まわりの雨」。このドラマを、僕は視聴した。

 「外国企業からの大仕事が舞い込んだ蒲田の工場にて、経営者が脳卒中で倒れた。大ピンチに陥った工場を救うべく、経営者の妻は、20年前に別れた元職人の男を尋ねる。かつて愛し合っていて、今は別々の家庭と人生を持って生きている男女が出会った時、くすぶったままでいた2人の恋心が再び動き始めた」(ウィキペディア「遠まわりの雨」のあらすじより)。

 俳優の渡辺謙氏が演じる主人公は、へら絞りの元職人であり、家庭を持ちながらホームセンターで働いている。主人公は、20年ぶりに元居た町工場の鉄工所に戻ってへら絞りを行うものの、機械化やコンピューター制御が発達している中で、自らの無力感を感じる……。
 このドラマを視聴した後、確か2010年~2011年頃であったと思うのであるが、渡辺謙氏が読売テレビ(日本テレビ系)で放送されている「Oha!4 NEWS LIVE」に於いて、先日(2019年1月6日付)の本ブログ記事、『My Testimony/僕の証<8-4/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~未来を創造する為の「ビジョン」/Vision Create the Future』で取り上げさせて頂いた中田有紀氏によるインタビューの取材に応じた際、「『T********N』をモデルにしたドラマに出ましたので」と冒頭におっしゃっておられたことを憶えている。僕は、2012年以降、地上波テレビからは距離を取り始めていたので、多分、その頃であるはずである。
 また、これは2013年か2014年頃だったと思うのであるが、新聞のテレビの番組表をチエックしていると、毎日放送(TBS系)の「NEWS23」の所の見出しに「渡辺謙 俳優という虚業の……」というような事が書かれてあった事も記憶している。この当時、僕は或る大手のK重工業に派遣社員として単能工として勤務後、製缶工として「鉄工所」に正社員としてまた戻っていたのであった。渡辺氏自身の僕をモデルにした鉄工所を舞台にしたドラマへの出演と、僕のその頃の姿を見ていた事を併せて、僕を肯定し応援する意味合いも込めて、自らを落とし低めて、そういった発言に繋げられた様な気がする。感謝である。しかし、僕はその番組を、視聴しなかった。
 当ドラマ「遠まわりの雨」が放送された頃、僕は医療系専門学校を卒業した2009年春の後に「1ヶ月でクビ」(こんな事、一般的に有り得るのだろうか……?、正に「僕であるから」であろう)になった病院勤務を挟んで、若い頃にお世話になっていた鉄工所に戻った後、再び病院勤務をし始めた時であった。その後、その病院も「3ヶ月でクビ」となったのであった。
 その若い頃にお世話になっていた鉄工所に戻っていた時、そのドラマと同じ様に、「町工場」ではありながら、増設されて広く拡張された工場の中には、僕が若い頃には存在しなかった、LANで繋がった、コンピュータ制御された、最新鋭のレーザー機やプレス機等がずらりと並べられていた。凡そ、僕が若い頃に勤めていた同じ会社とは思えない程、大きく様変わりしていたのである。そして、僕は現在に至るまで「製缶工」であるので、「手作り」を貫き、4年ぶりに鉄工界に戻ったその頃も勿論、製缶工を務めながらの「手作り」であった。しかし、その4年のブランクから職人としての「勘」が鈍ってしまっていたし、社長の金銭重視、機械重視の姿勢や考え方が昔とは違っていた事、丁度「リーマン・ショック」の翌年であった事、その専門学校卒業直後という事等から、今ひとつ、調子には乗れなかった。

 参考文献
  ・2010/03/03付・へら絞りの北嶋絞製作所の話:「日本テレビ 『遠まわりの雨』」
  ・2010/03/23付・へら絞りの北嶋絞製作所の話:「山田太一ドラマスペシャル 遠まわりの雨」
  ・(2010/03/27放送までに)・日本テレビ:「山田太一ドラマスペシャル 遠まわりの雨」
  ・ウィキペディア:「遠まわりの雨」

 関連・本ブログ記事
  ・2019/01/06付:「My Testimony/僕の証<8-4/*>:エピローグならぬプロローグの「追録」~未来を創造する為の「ビジョン」/Vision Create the Future」

 その関連・本ブログ記事と同じ日に投稿した本ブログ記事、「Jealousy & Fake History to Japan/国際賞はプロパガンダ:村上春樹氏・是枝裕和監督『万引き家族』・『おくりびと』、日本への煽て・抑圧・『妬み』、誤解の歴史認識」に於いて、僕は是枝裕和氏を間違った歴史認識をお持ちであられる事について批判したが、早速、その反応として「やり返される」事が有った。
 先日1月18日から公開された、デビュー作・映画「夜明け」の広瀬奈々子監督(31)は、是枝裕和氏の愛弟子であられるが、1月18日の神戸新聞夕刊に掲載された大阪市内で取材されたインタビュー記事には、「自己模倣に陥らず、常に新しいことに挑戦したい」と述べられた事が書かれていた。
 「模倣」とは、「他のものをまねること。似せること」(goo辞書(デジタル大辞泉(小学館))より)と在るので、「自己模倣」とは自分を真似る事となり、もう一つ、意味が通じない。自分を正当化した上で自分を世に向けて見習うべき手本として示す「自己模範」であれば、まだ意味が通じるし、その様に誤解される事も有り得るものと思う。わざと、言葉を少し捻ったのであろうか?。
 僕は、別に自分を正当化するつもりで、この「My Testimony/僕の証」シリーズを書いている訳では無い。僕のありのまま、「丸裸」の状態を、文章にしているだけである。だから、虚飾も無し、見栄も無し、本当に、現実、実物、真実そのものである。却って、世間一般の方々は、虚飾にまみれ、自分の素顔・本質を秘密にして隠しているではないか。僕は、それとは逆に、このシリーズ記事に於いて、僕の殆どの事を曝け出しているだけである。だから、別に、模範とされようとして書いている訳では無いし、「証」する意味としての、「神様から受けて来た恵み」を公に、また世界に向けて、伝えて公表すると共に、その「神様からの恵みに対する感謝」を表明する為に、この本シリーズ記事を書いているのである。
 また、「模倣」である事は、正しい真実を伝えていく上では非常に大事な事である。世界最古の書物で永遠のベストセラーである「聖書」は、字の大きさや形までもそっくりに「写本」されて今日まで伝えられて来た。よって、今から約3,500年前(B.C.1,500)から書き始められ、今から約1,900年前(A.D.100)まで書き連ねられて完成した旧約聖書の39巻と新約聖書の27巻の合計66巻は、書かれてから以降、全く手が加えられておらず、変更・改変も編集も訂正もされておらず、全く不変の書物なのである。「聖書」は「真実」であるが故に、絶対に変わる事が無いのである。
 「聖書」をはじめとした「一次資料」は、「そのまま引用」しなければならないのである。そして、それによって、「正しい歴史認識」が後世に伝わる事となるのである。
僕は、創作する「小説」なんかは全く書くつもりは無いし、飽くまでも、虚構を全く入れない「ノンフィクション」のみを書く為に、即時性無く検証・キュレーションを経た上で、投稿する事を心がけている。その上では、「自分の言葉で捏造」する事は、存在しない。
 仏教の経典は釈迦が述べた言葉を文章にしたらしいが、誰が呼んでも意味が理解出来ない訳の解らない言葉を連ねるばかりで、それに加えて、今までに大きく人の手が入れられて書き換えられて来たので、元々の原典がどうであったかさえ解らなくなってしまっている。仏教に於いては、元々、釈迦が述べていた事が本来のもので正しいのではないのか?。ハッキリ言わせてもらえば、現代の、それも日本の仏教は、「フェイク仏教」という事が出来る。
 その点、「聖書」は、誰が読んでも理解できる様に、易しく、且つ優しく、書かれているのである。仏教の「お経」の様に、恰も偉いさんしか意味が解らない様なものとは違うのである。
 「正しい歴史認識」を後世に伝える為に、「聖書」をはじめとした「一次資料」を、「そのまま引用」しなければならない。「自分の言葉で捏造」する事は、「偽善」である。
 ところで、広瀬氏の言われた「自己模倣に陥らず」の後、「常に新しいことに挑戦したい」とは、僕に向けて、僕が自分の目的に掲げている「歴史修正」への挑戦の事を指しておられるのだろうか?。因みに、次の本が、僕の書斎の机の前に立ててある。

歴史修正主義からの挑戰―日本人は「日本」を取り戻せるのか?
「歴史修正主義からの挑戰 日本人は『日本』を取り戻せるのか?」
(著者:小堀桂一郎氏、出版社:海竜社、出版日:2014/9/26)

 或いは、ひょっとして、「自己模倣」とは、「キリストの似姿」の事をおっしゃっておられるのだろうか?。念を押しておくが、例え「不思議」な事を身に帯びたり身辺に付き纏わろうとも、僕は唯の人間で、救世主でも預言者でも宇宙人でも無く、大した能力や才能等を持っていない。そして、飽くまでも、「不思議」な事、「奇しい」事は、僕自身が行っているのでは無い。その証拠として、僕には「品格」が無く、「失敗」だらけであり、且つ、人間誰もが嫌に思う事であろう「プライバシー侵害」の被害に遭う事を自らすすんで行って来た訳が無いという事が言える。だから、飽くまでも、「不思議」な「奇しい」事は、僕が行っていない事が解るであろう。では、それらの事を、どなたが行われている事であろうか?。是非、考えて頂きたい。
 キリスト者(クリスチャン)は、イエス・キリストへの「信仰」によって、「キリストの似姿」へと変えられていく。だから、僕にも、確かに、その事は当てはまるものと思う。そして、僕の洗礼名「アッシジのフランチェスコ」も、「キリストの似姿」に成られた。

 



アシジの聖フランシスコ
「アシジの聖フランシスコ」
(著者:J・J・ヨルゲンセン氏、
訳者:永野藤夫氏、
出版社:平凡社、
出版日:1997/8/15)
ヘタな人生論より良寛の生きかた―不安や迷いを断ち切り、心穏やかに生きるヒント
「ヘタな人生論より
良寛の生きかた 
不安や迷いを断ち切り、
心穏やかに生きるヒント」

(著者:松本市壽氏、
出版社:河出書房新社、
出版日:2008/4/4)
寅さんとイエス
「寅さんとイエス」
(著者:米田彰男氏、
出版社:筑摩書房 、
出版日:2012/07/15)



YouTube: 男はつらいよ カバー (捨て身の愛)

 また、広瀬奈々子氏の師匠である是枝裕和氏は、次の様に述べる。
  「映画を作るにはとにかく脚本を書くしかない。今も若い人の顔を見れば『書け書け』と言っていますが、なかなか書かないね。でも、20代、せいぜい30代前半までに鍛えておかないと、そこから先は成長しない気がするんだ。20代で考えたことはタネになるから、そこは大事だと思っています。」(2019年1月19日付・AERA dot.の記事(次の参考文献に掲げるもの)より)

 僕は脚本を書いている訳では無いが、43歳で本ブログを始めてからは丸6年が過ぎ、また、書く事についてブレイク感が生じたのは、2017年の春頃、つまり、年男の48歳の誕生日の直前であった。それ以前は、寡黙であると同時に、文章を書く事、延いてはブログ記事を継続して投稿する事も考えられない程であった。但し、おっしゃる通り、僕は失敗・挫折の繰り返し故に、若い頃から内省、内観、黙想等をして来たが故、色々と考えて来た。

 参考文献
  ・2019/01/18付・神戸新聞夕刊:「【シネマ】『夜明け』 監督 広瀬奈々子 生きづらさ描くデビュー作 是枝監督の『秘蔵っ子』」
  ・2019/01/19付・AERA dot.:「是枝裕和と愛弟子・広瀬奈々子が語る 映画監督として大切なこと」

 関連・本ブログ記事
  ・2012/12/02:「世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順・・・『アシジの聖フランシスコ』を読んで」
  ・2015/08/23付:「失敗、ユニーク、ユーモア・・・『道化師の孤独』を抱えた『聖なる無用性』:『寅さんとイエス』を読む」
  ・2019/01/06付:「Jealousy & Fake History to Japan/国際賞はプロパガンダ:村上春樹氏・是枝裕和監督『万引き家族』・『おくりびと』、日本への煽て・抑圧・『妬み』、誤解の歴史認識」

 2019年1月29日付記事『My Testimony/僕の証<8-7/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~隣人の介入干渉・猫に小判 & 世間のブーム・平和ボケの逆の正しさ/Deaf & Senile Neighbor』に於いて、DREAMS COME TRUEのシングル曲「大阪LOVER」を取り上げた事からか?、……(「My Testimony/僕の証<9-5/6>」へ続く)

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