馬場あき子の外国詠8(2008年5月)
【西班牙 Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P49
参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:H・S
まとめ:鹿取未放
◆ものを書くことや鑑賞に不慣れな会員がレポーターをつとめています。不備が多々ありますが
ご容赦ください。
67 一万七千の高度よりみる白雲の網に捕はれし初夏のシベリア
(レポート抄)
「一万七千の高度より」と詠い始め機内にある作者の位置をきわだたせている。幸いにも旅客機が細かい網の目を思わせるような、ふんわりとただようような白雲の上をつかの間飛んだのであろう。目下はるかにこの白雲を透かしてではあるが初夏のシベリアが見える。あたかも打った投網に手応えを感じ小躍りする時の喜びにあるかのような作者の目の輝きが目に浮かぶ。字余りである4句に捕らえきれないシベリアの広大さを思う。結句の初夏も印象深い。明るさと広がりを歌にもたらしている。(H・S)
(当日発言)
★時代を生きている先生の思いが迫ってくる。(藤本)
(まとめ)(2015年10月)
一万七千の単位はフィートなのだろうか。キロに直すと五千メートルくらいだから着陸態勢に入って高度を下げている場面だろうか。次からはモスクワ空港に着いた歌が並ぶので、そう読むのだが眼下がシベリアといわれると少しとまどう。広義のシベリアと考えておく。
白雲の下の初夏のシベリアの光景は一見爽やかそうだが、「網に捕はれし」という言葉や、シベリアという地名、また次の歌に「歴史の時間忘れたような顔をして」とあるところから、歌には翳りがあることが分かる。
この旅に同行した清見糺の歌をかつて鎌倉支部で採り上げ、鹿取が鑑賞をしているので参考までにあげてみる。
シベリアに春来たるらしオビ河をおおう氷にひびはしる見ゆ 清見糺
6月初旬シベリアにも遅い春がやってきて、冬の間いちめんに河を覆っていた氷に罅が入り溶けてゆく様相を見せている。歌っていることはそれだけで、作者が何を思い浮かべていたのかは想像するしかないが、おそらく日本兵のシベリア抑留についてであったろう。餓えと寒さに苦しめられながら強制労働をさせられ、多くの日本兵が餓死した。酷寒の中で死んでいったひとりひとりの兵の叫びを作者は聞いていたのではないだろうか。十把一絡げではなく、個人としてのひとりひとりの声を、である。むろん作者はここで人間の愚かさについて考えたとしても、ロシアという国に敵意をいだいているわけではない。そのことは一連の歌を見れば分かる。また、作者の想像は、戦争や人間についてのみでなく春のシベリアを謳歌する野生のさまざまな動物たちや植物にも及んでいたかもしれない。
馬場の歌もシベリアについて踏み込んだことは何も言ってはいないのだが、おそらく作者に去来した思いは清見の鑑賞であげたと同じようなことだったのではないだろうか。しかも馬場の掲出歌は情感たっぷりに詠まれていて、深みがある。(鹿取)