馬場あき子の外国詠55(2012年8月実施)
【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P113
参加者:K・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:曽我 亮子
司会と記録:鹿取 未放
401 かへりみるプラハ城はればれと静かなり歴史はいまによりてかがやく
(レポート)
振りかえって見晴るかす高台のプラハ城は今、青い空に緑の尖塔も、凛としてどっしり鎮まっている。長い年月を過酷な歴史に翻弄されつづけたプラハ城も人も、古き良きものを大切にすることによって現在の賑わいをもたらし輝いているのだ。
■カレル一世がボヘミヤ(チェコ)の王として即位した頃、チェコはヨーロッパの政治・文化の
中心地であった。その後(1346年)カレル一世は神聖ローマ帝国のカール四世として即位
し、ドイツに君臨したが、帝国の宮廷はそのままプラハに置かれた。複雑な王位継承争いの為、
長く国内は混乱を極めたが、1357年カール四世はやっとプラハの復興に手をつける。現カ
レル橋もこの時架けられたもので、プラハ城やヴィート大聖堂も改築されたのである。この遺
産が今日、世界中から人を呼びプラハの賑わいをとりもどしているのだ。(曽我)
(当日発言抄)
★「現カレル橋もこの時架けられた」とあるが、完成までに60年かかっているので、完成時カ
ール四世は亡くなっている。「着工した」が正しい。(藤本)
★「古き良きものを大切に伝えることによって現在の賑わいをもたらし輝いている」とレポータ
ーはいっているが、今があるからこそ過去が輝いて見えると詠っているのではないか。昔の時
点ではそれは輝いていなかったのではないか。(慧子)
★もう少しつっこむと「歴史はいまによりてかがやく」とは曽我さん、どういう意味ですか。
(鹿取)
★昔は王位継承争いなど錯綜していたのでそれが輝いているとは思えなくて、今のプラハはすばら
しい街で好きな人も多い。だから今が輝いているのだと思った。(曽我)
★「歴史はいまによりてかがやく」の部分はあんまり重く考えたくない。むしろ初句が大切では
ないか。かえりみるとプラハ城が晴れ晴れと静かに建っている。その空間的な視野にふっと時
間的なことも考えているのではないか。(鈴木)
★どこの国も歴史は重い。だからこの歌はあっさりとった方がよい。(藤本)
(後日意見)(2015年9月)
もう一度、見ておこうと振り返ると、様々な歴史の変遷の渦中にあったプラハ城は、なにごともなかったように1100年の時を経て晴れ晴れと、諦観したように静かに佇んでいる。それは過去の歴史を浄化して、新しい歴史を明日へとつなぐ輝きのように思われることだ。
プラハ城は、聖堂、修道院、王宮、旧王宮などの様々な建物から構成されており、城というよりも街である。聖ヴィート大聖堂 フランツ・カフカの家なども、城内にある。1100 年以上の歴史を持つ世界最大のプラハ城は、1992年には世界遺産に登録され、今ではチェコが誇る観光名所となっている。歴代のボヘミア王、ローマ皇帝、チェコスロヴァキア大統領が居住し、現在もチェコ共和国の大統領府として使用され、ミロシュ・ゼマン大統領が、2013年以後、執務を行っている。チェコ市民の象徴的建物でもあり、フラチャヌィの丘からプラハの街を見下ろしている。1968年春にチェコスロバキアで起きた「プラハの春」といわれる民主化の動きでは「ドゥプチェクを城へ!」というのが民衆のスローガンであったが、ソ連・東欧軍の介入により弾圧された。1989年ビロード革命で、共産党政権が崩壊。再び民主化を進めたハヴェルが大統領が就任して、プラハ城の主となった。 (石井)