かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠2(ロシア)

2016年10月19日 | 短歌一首鑑賞

   馬場あき子の旅の歌1(2007年10月実施)
     【オーロラ号】『九花』(2003年刊)136頁
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:K・I
      まとめ:鹿取未放

2 日本海海戦に堪へしオーロラ号海より革命の砲を撃ちきと

     (まとめ)
 1にも記した日本海海戦をからくも生還したオーロラ号はニコラエフスキー橋付近に繋留されていたが、1917年10月25日、この艦から革命の合図の発砲がなされた。この砲を聞いてボルシェビキ革命軍は冬宮に突入を開始、一〇月革命が成就した。その後、このオーロラ号は練習船などを経て1948年現役を引退、ロシア革命の象徴として1956年からネヴァ川に繋留されている。(1でも記したが、このオーロラ号はレプリカだそうである。)
この歌でも作者は感情表現を行っていない。いわば、伝聞だけで成立している歌である。しかし、ここには当時のロシア革命に対するシンパシーがあるようだ。
 ちなみにオーロラ号という名はローマ神話の曙の女神からとられている。この艦が造られた時、将来革命の砲を打つことになるとは予想もされなかっただろうが、「あけぼの」の女神と革命はいかにもふさわしい取り合わせである。もっともソ連が崩壊してしまって10年後の訪問時(馬場のロシアの旅は2001年7月)、オーロラ号付近は観光名所となり、おみやげ屋がひしめいていた。レーニンやゴルバチョフを含む歴代の大統領のマトリョーシカなども売られていて、市場経済導入後の民衆のたくましさを見せつけられるばかりであった。(鹿取)


     (レポート)
 日露双方が宣戦布告して戦った戦争そのものは別として帝政ロシアは末期状態になって行く。(K・I)