私も『新着』という立ち位置でブログランキングに参加しているのだ
とりあえず、カテゴリは『エレキギター』なのだ
しかしながらギターとまったく関係ないブログも数多くエントリーしているようだ
「ん? これってギターカテゴリかな?」
と思う事もあるが・・
まぁ、その辺は曖昧なのだ
それが素人の遊びなのだ
プロの仕事でそんな曖昧な感じではダメなのだ
相手に突っ込みどころを作ってしまう
純粋にギターネタを書き綴っている人がいる事が救いなのだ
サイトの運営者にも問い合わせが来るそうだ
まぁ、出来る限りカテゴリに沿った投稿を求めているようだが100%は無理という答えなのだ
そんなものだと思う
読者が好きなブログを選べば良いだけの話なのだ
しかしながら閲覧数や訪問者数を伸ばしたいと願うならば、もっとギターに特化すべきなのだ
ギターカテゴリを訪れている人々は
”ギターに興味がある人・・”
なのだ
特に車や料理、ペットなど・・
その他の事には関心が薄い層なのだ
非常に当たり前の事を言っているが・・・
時代なのだろうか?
色々な物事の制約や垣根が無くなりつつあるように感じられる
ギターブログと銘打ちながら・・
サッカー

自転車・・

テニス・・・

そして・・
フィギュアスケート・・・・

分かり易い人気カテゴリなのだ
そんな意味不明なブログも稀に『混入』している
まさに『異物混入』なのだ
食品などを取り扱うメーカーがもっとも嫌う言葉なのだ
まぁ、どの世界でも『異物』は弾かれるものなのだ
純粋に音楽を愛している人から見ても異物なのだ

ギターに人生を捧げた人に失礼なのだ
ギターを弾くよりもテレビを見ている時間が長い
そんな人はもはやギター弾きではない
バイトの面接で試験官に質問される
「あなたの趣味は何ですか?」
「あっそう・・ギターが趣味ですか・・」
「音楽はいいですよね 採用しましょう!」
こんな流れになるかは知らないが・・・
「あの・・テレビ、、テレビ観賞ですけど・・」
「テレビ好きで問題ありますか? 何か~?」
まぁ、バイトとはいえ、こんな回答では不採用なのだ
読者の中にも学生さんがいると思う
就職試験を控えている方もいるかと・・・
私の友人が大手企業の人事部で採用を担当しているのだ
趣味として答えるならば『能動的な趣味』を答えておいた方が良い
テレビや映画などの観賞は受動的という事が出来る
絵を描く、小説を書く・・というのは発信であり能動的なのだ
そういう事なのだ
テレビや映画が悪いとは言っていない
それが生活や人生のすべてではダメだと言っているのだ
若い人には未来がある
前途がある
前途多難なオヤジにだけはなって欲しくない
少なくとも私のブログの読者として定着していただいている方々には幸せになっていただきたい

そして少しでもギターに詳しくなり、演奏も上手になっていただきたい
加えて有用な情報をゲットしてより良いギターを手に入れていただきたい
相変わらず、グラスルーツやエピフォン経由での検索も多い
”グラスルーツのレスポールって使えるギターかも?”
”エピフォンレスポールって捨てたもんじゃない・・”
的な過去記事から訪れる方が多い
フレット交換時期や社外ピックアップ交換なども人気なのだ
申し訳ないが・・
ネットで自分が使うギターの評価を知ったところで何にもならない
「エピフォンって良いギターなんだ・・良かった・・」
「自分のギターが悪いって言われるの嫌だもんね・・」
気持ちは分かる
私にもそんな時期があった
現在は他人の評価などどうでも良いのだ
特に自分が使うギターや機材の好評などまったく気にならない
そもそも、誰が答えているか?に尽きる
私が敬愛するような一流プロのジャッジならば少しは気になるが・・
まぁ、申し訳ないが・・演奏もショボショボのギターオタクの人が無責任に書き込んでいるだけなのだ
まったく間違いではないが・・・
そこには理論的な根拠など存在しない
人間は自分が持っている機材を良く言う(良く思いたい)
当たり前なのだ
自分が気に入ってお金を出して買った物なのだ
それを悪く言う人がいれば少々変な人という事になる
それだけの話なのだ
笑える話にレギュラーラインのギターすら持っていない人が
未知なるカスタムショップ製との比較話などを書き綴っている現実がある
「カスタムショップ製と比較するとレギュラーとかダメだよね」
カスタムショップ製のギターでリスナーが感動できるようなプレイを披露できるのだろうか?
私にはそうは思えない
そんな人はカスタムショップでもレギュラーでも同じなのだ
そもそも、有能で優れた人は他の物や他人の『優れた部分』を見出す事に長けている
これは事実なのだ
”他人の足を引っ張る・・・”

見ていて悲しくなる人も多々いる
私が定期的に観察しているオヤジがそんな感じなのだ
自分がダメだから、他人の幸せや有能さに腹が立つ
他人の不幸を横目で見て安心するようなタイプなのだ
「この地域の人達って大変だね・・・」
「それに比べれば俺はまだ幸せか・・」
私が最も嫌う価値観なのだ
私は他人の幸せや成功を見た場合、自分もそれ以上努力しようと心に誓う
実際に他人の何倍も努力や工夫を重ねてきた
その結果が現れ始めているのだ
出遅れている仲間いるならば、心の中で応援したい
幸いにも私の周囲の人間は成功者なのだ
近隣のお宅も問題はない
大学時代の友人も粒揃いなのだ

順風満帆な人は文章にそれが現れる
ギターの音にそれが溢れ出る
満たされない者のギターは何処か冷たくギスギスしている
音に温かさがない

レスポールのフロントで温かい音が出せるようになれば本物なのだ
とりあえず、カテゴリは『エレキギター』なのだ
しかしながらギターとまったく関係ないブログも数多くエントリーしているようだ
「ん? これってギターカテゴリかな?」
と思う事もあるが・・
まぁ、その辺は曖昧なのだ
それが素人の遊びなのだ
プロの仕事でそんな曖昧な感じではダメなのだ
相手に突っ込みどころを作ってしまう
純粋にギターネタを書き綴っている人がいる事が救いなのだ
サイトの運営者にも問い合わせが来るそうだ
まぁ、出来る限りカテゴリに沿った投稿を求めているようだが100%は無理という答えなのだ
そんなものだと思う
読者が好きなブログを選べば良いだけの話なのだ
しかしながら閲覧数や訪問者数を伸ばしたいと願うならば、もっとギターに特化すべきなのだ
ギターカテゴリを訪れている人々は
”ギターに興味がある人・・”
なのだ
特に車や料理、ペットなど・・
その他の事には関心が薄い層なのだ
非常に当たり前の事を言っているが・・・
時代なのだろうか?
色々な物事の制約や垣根が無くなりつつあるように感じられる
ギターブログと銘打ちながら・・
サッカー

自転車・・

テニス・・・

そして・・
フィギュアスケート・・・・

分かり易い人気カテゴリなのだ
そんな意味不明なブログも稀に『混入』している

まさに『異物混入』なのだ
食品などを取り扱うメーカーがもっとも嫌う言葉なのだ
まぁ、どの世界でも『異物』は弾かれるものなのだ
純粋に音楽を愛している人から見ても異物なのだ

ギターに人生を捧げた人に失礼なのだ
ギターを弾くよりもテレビを見ている時間が長い
そんな人はもはやギター弾きではない
バイトの面接で試験官に質問される
「あなたの趣味は何ですか?」
「あっそう・・ギターが趣味ですか・・」
「音楽はいいですよね 採用しましょう!」
こんな流れになるかは知らないが・・・
「あの・・テレビ、、テレビ観賞ですけど・・」
「テレビ好きで問題ありますか? 何か~?」
まぁ、バイトとはいえ、こんな回答では不採用なのだ
読者の中にも学生さんがいると思う
就職試験を控えている方もいるかと・・・
私の友人が大手企業の人事部で採用を担当しているのだ
趣味として答えるならば『能動的な趣味』を答えておいた方が良い
テレビや映画などの観賞は受動的という事が出来る
絵を描く、小説を書く・・というのは発信であり能動的なのだ
そういう事なのだ
テレビや映画が悪いとは言っていない
それが生活や人生のすべてではダメだと言っているのだ
若い人には未来がある
前途がある
前途多難なオヤジにだけはなって欲しくない
少なくとも私のブログの読者として定着していただいている方々には幸せになっていただきたい


そして少しでもギターに詳しくなり、演奏も上手になっていただきたい
加えて有用な情報をゲットしてより良いギターを手に入れていただきたい
相変わらず、グラスルーツやエピフォン経由での検索も多い
”グラスルーツのレスポールって使えるギターかも?”
”エピフォンレスポールって捨てたもんじゃない・・”
的な過去記事から訪れる方が多い
フレット交換時期や社外ピックアップ交換なども人気なのだ
申し訳ないが・・
ネットで自分が使うギターの評価を知ったところで何にもならない
「エピフォンって良いギターなんだ・・良かった・・」
「自分のギターが悪いって言われるの嫌だもんね・・」
気持ちは分かる
私にもそんな時期があった
現在は他人の評価などどうでも良いのだ
特に自分が使うギターや機材の好評などまったく気にならない
そもそも、誰が答えているか?に尽きる
私が敬愛するような一流プロのジャッジならば少しは気になるが・・
まぁ、申し訳ないが・・演奏もショボショボのギターオタクの人が無責任に書き込んでいるだけなのだ
まったく間違いではないが・・・
そこには理論的な根拠など存在しない
人間は自分が持っている機材を良く言う(良く思いたい)
当たり前なのだ
自分が気に入ってお金を出して買った物なのだ
それを悪く言う人がいれば少々変な人という事になる
それだけの話なのだ
笑える話にレギュラーラインのギターすら持っていない人が
未知なるカスタムショップ製との比較話などを書き綴っている現実がある
「カスタムショップ製と比較するとレギュラーとかダメだよね」
カスタムショップ製のギターでリスナーが感動できるようなプレイを披露できるのだろうか?
私にはそうは思えない
そんな人はカスタムショップでもレギュラーでも同じなのだ
そもそも、有能で優れた人は他の物や他人の『優れた部分』を見出す事に長けている
これは事実なのだ
”他人の足を引っ張る・・・”

見ていて悲しくなる人も多々いる
私が定期的に観察しているオヤジがそんな感じなのだ
自分がダメだから、他人の幸せや有能さに腹が立つ
他人の不幸を横目で見て安心するようなタイプなのだ
「この地域の人達って大変だね・・・」
「それに比べれば俺はまだ幸せか・・」
私が最も嫌う価値観なのだ
私は他人の幸せや成功を見た場合、自分もそれ以上努力しようと心に誓う
実際に他人の何倍も努力や工夫を重ねてきた
その結果が現れ始めているのだ
出遅れている仲間いるならば、心の中で応援したい
幸いにも私の周囲の人間は成功者なのだ
近隣のお宅も問題はない
大学時代の友人も粒揃いなのだ

順風満帆な人は文章にそれが現れる
ギターの音にそれが溢れ出る
満たされない者のギターは何処か冷たくギスギスしている
音に温かさがない

レスポールのフロントで温かい音が出せるようになれば本物なのだ
