読者のみなさんはギターのチューニングに興味があるだろうか?
レギュラーチューニング一択というのは少々は少々勿体ない

プロでも変則チューニングの愛用者は少なくない
個人的には才能あるギタリストが変則チューニングを好むと感じる
その筆頭がジミーペイジなのだ
氏の変則チューニング比率は群を抜いて高い
アコギでは変則派も少なくないがロック系では少ない
そんなロックに変則チューニングを浸透させた立役者の一人なのだ
レッドツェッペリンをコピーしようとするならば変則チューニングは避けられない

私も氏から変則チューニングの奥深さを学んだ
正直な話、レギュラーチューニングが覚束ない人が足を踏み入れる世界ではないと思う
日本語を良く理解していない人が外国語を学ぶようなもの
しかしながら、考えを変えればそれもありだと思う
周囲の人間が不得意な分野を得意分野にしてしまう
まさに逆転の発想なのだ
スライド奏法などもそんな流れのひとつだといえる

自由自在にボトルが操れるようになればギター仲間のヒーローになれる
言葉は悪いがそれが素人ギター弾きのレベルなのだ
厳しいプロの世界ではそう簡単な話ではないと思う
私の知合いにも何人かプロがいるが大成はしていない
自称プロの領域を抜け出せていない
ギターとは無縁の世界(職業)を主力な生業にしているのだ
家族の生活を支えているのはギターではない
ギターでも僅かながらに稼いでいるようだが支出の方が多い
一流のプロは名声を得て大金を手にいれる
二流のプロはギターだけで生活できる
それ以下は特に説明の必要はないと思う
作曲でも執筆でもレクチャーでも何でもよいのだ
ギターオンリーで生活している人は賞賛に値すると思う
私などには遠く及ばない高見の世界なのだ
ギターを職業にしなくて本当に良かったと思う
職業にしていたならばギターを嫌いになっていたかもしれない
脱線したが・・
ギターは少し目線を変えるだけで楽しみが倍増する

シンプルな構造だけに奥深いのだ
エレキよりもシンプルなアコギはその傾向が如実に表れる

ギターに嘘や偽りはない
「速弾きを弾いてみました!」
音源だけならばいくらでも後処理できる
原始的な手法だが録り音を早回しで再生するのだ
多少のぎこちなさは残るがそれに騙される人も少なくない
しかしながら、生身の人間の前で弾くリアル演奏には嘘がない
「いつもは上手く弾けるけど今日はちょっと・・」
そんな言い訳を優しく包み込んでくれるのは親と恋人くらいなのだ
世の中は厳しいのだ
ネットの世界も容易くない
「頻繁にブログをアップしてるけど・・」
「ぜんぜん訪問者数が伸びないんだよなぁ」
投稿の頻度と訪問者数が比例するほど甘くない
自分が読みたいというブログを提供できているか?
自分が聴きたいと思う音源を提供できているか?
答えは非常に簡単なのだ
今はAIなどで良さげな文章を作成することもできるというが・・
読者の目はそれ以上に肥えている
読者は端正な文章や当たり前過ぎるような情報は欲していない
少なくともギターに関しては私はそんな感じなのだ
話をチューニングに戻そう
私が変則チューニングを頻繁に活用し始めたのはいつか?
良く覚えていないが少なくとも10年以上前に遡ると思う
きっかけはレッドツェッペリンだったように思う
レギュラーチューニングではまったく再現ができない曲があることに気づいたのだ
変則チューニングを知って謎が解けたのだ
それからは特に意味もなくグリグリとチューニングを変更して遊んでいた
ギター雑誌などでも特集が組まれることも多々あった
とにかく、好奇心が旺盛な私は読むだけではなく実践したくなる
「なるほどね こんな感じになるのか」
ペイジ師匠は変則チューニングに加えて変拍子が大好物
『カシミール』などがその代表作なのだ
あの曲をバンドでかっこ良く決めたらヒーローになれる
ベースとドラムのスキルとセンスが問われる
私がバンドを組むことに疲れたのはやる気の無さ
「変拍子とかムズくね?」
まったくやる気がないのだ
悲しいが腕が良いベースとドラムに出会ったことがない
マニアックでプチ変態なプレイヤーに出会ったことがない
いまさら、面識がない人達と絡むエネルギーはない
私がDAWの世界にどっぷりとハマった理由の一つ
自分が欲しいベースラインは自分で弾けば良い
難解なドラムはコツコツと打ち込めば良いのだ
懐かしい・・
諸事情からあの頃に戻ることはないが良い経験になった
確実に私の引き出しになっている
コピーが完成するとネットに公開していたのだ
著作権などの問題でうるさくなった昨今はアップも難しくなった
色々と面倒臭いのだ
自分を楽しませる為にギターを弾くという原点に回帰した
私のアピールタイムは終わったのだ
自己満足こそが最高の幸せだと気づいたのだ
それが素人ギター弾きの楽しみだと思う
以前にもお話したが特に公開する機会もないが十八番を増やす日々なのだ
ギターと対話している感じが楽しい
ギターは応えてくれる
ギターは正直なのだ
読者の皆さんもギターを楽しんでいると思う
皆さんの耳に届く音がギターからの答えなのだ
「俺って少し上手くなったか?」
「俺ってほんとに成長しないな」
どちらも答えなのだ
素人ががむしゃらに練習する必要はないと思う
ギターを楽しいと感じられないならばそれはオーバーワーク
練習のし過ぎなのだ
そこそこでほどほどで良いと思う
ギターにまったく興味が湧かないならばギターを置いてしまえばよい
そんな時間が数年も続くならば潔くギターと決別した方がよい
気が楽になれる
目の前に弾けないギターが置いてある状況はプチ地獄
それすらも感じない強心臓の人は別の世界で成功できる
実のところ、強引で無神経で大雑把な人にはギターは向かない
指が短い、手が小さいなどと身体的なことを云々言う人が多いがむしろメンタル
子供が大人用のギターを巧みに操る動画を観たことがある
大きさはあまり関係ないのだと気づかされる
「大人になった時の為にパパがこれを使えって」
ある意味で理に叶っている
そんな動画を観た後ではコンター加工が無いとかネックが太いとか文句は言えなくなる
すべて、言い訳なのだ
私も可能な限り言い訳がない生活や人生を送りたいと思っているのだ
特に好きなギターに対しては言い訳を言いたくない
またまた脱線してしまった・・
半音下げも広義な意味では変則チューニングだといえる
コピー命の人にはお勧めできない
ネックが強いギターでは逆反りを起こすこともある
ネックに対しては優しいといえる
ギターは頻繁にチューニングを変更されることが苦手
ナットの溝などにも多少なりの負担がかかる
半音下げならば私のように固定すべき
私はベースも半音下げにしているのだ
作曲などに対応する為なのだ
まぁ、運指で対応する方法もあるがスラップなどで開放弦を使う場合に困る
横並びでチューニングを変更してしまった方が簡単なのだ
すべてのギターを統一することで個体の特性が見えてくる
バネで支えるストラトは安定するまでに少々時間を要した


いまはネックと同様にフローティングで安定しているのだ
個人的にはメリットが大きい
ジミヘンの曲をコピーする時には非常に都合が良い
改めてこのチューニングでジミヘンの曲を弾くと発見も多い
半音下げありきで作られたフレーズが多いことに気づく
ジミヘンをコピーするジョン・メイヤーとジョン・フルシアンテも好きなのだ
やはりコピーの際にはチューニングを変更しているようだ
「こんなフレーズを数十年前に考えついたんだなぁ」
いまさらながらジミヘンは天才だと思う
歌とまったく異なるフレーズを自在に操るあの感覚
ジミヘンの脳内はどうなっていたのだろうか?
そんなジミヘンが愛した半音下げなのだ
「ジミヘンって上手いの?」
そんな人に説明は無用
放っておくしかない
ギターの上手さは自分自身が上手くならないと分からない
一聴すると簡単そうに聞こえるカッティングなども弾いてみると難儀する
ギター道には有言実行が大事なのだ
机上の空論などギター道には不要
理屈と知識だけでギター向き合う悲しさ
読者の皆さんも半音下げのヘビーな響きを堪能していただきたい
何本かギターを持っている人は半音下げ専用ギターを作っても楽しそう
長くなったがこの辺で・・・😉