とにかくブルースにハマっているのだ
ブルースの沼は奥深いと思う
「ブルースってマンネリじゃね?」
という声もあるがそんな声はどうでもよいと思う
言いたい人には言わせておけばよいと思う
ブルースにハマった名ギタリストの一人がエリッククラプトン

氏の名曲『クロスロード』における名演はあまりにも有名なのだ
画像の曲集はクロスロードばかりを集めた集大成なのだ
数々のスタジオテイクやライブでの演奏のリックを集約している
年代によって曲のテンポやキーなどを変更しているのだ
もともとこの曲はロバートジョンソンという黒人ブルースマンの曲だった
原曲はアコギを抱えての弾き語りなのだ
クラプトンはその曲をロック風にアレンジして世に広めた
クラプトンの演奏から原曲を知る人も少なくない
実は私もそんなひとりなのだ
因みに上記の曲集にもロバートジョンソンのアコギの楽譜が記載されている
オープンチューニングのボトル奏法なのだ
話をクラプトンに戻そう
やはり、クラプトンの名演の最高峰は1968年にリリースされた
スタジオアルバム『WHEELS OF FIRE』のクロスロードだと思う
日本を代表する名ギタリストChar氏も語っていた
「俺さ この曲に青春を捧げたわけよ」
「高校時代の三年間を返せよってね」
氏の完コピはある意味で本人を超えると思う
そんな氏に憧れて私もコピーに挑戦した時期がある
ワンコーラスの間奏部分はそこそこコピーできた
この曲はソロ三部構成なのだ
今は改めて続きをコツコツとコピーしているのだ
焦る必要はないと思う
少々大袈裟だがギター人生の後半を費やすような覚悟なのだ
プロにもこの曲をセッションに使ったりコピーする人が多い
しかしながら、完コピ出来る人は意外に少ない
それがブルースの良いところでもあり悪いところでもある
そこそこギターが弾ける人ならば何となくアドリブで乗り切ってしまう
読者の皆さんはアドリブが得意だろうか?
私もそんな感じで曲の後半部分はお茶を濁していたのだ
まぁ、何というか自分との戦いなのだ
素人の遊びにそこまでストイックになる必要はないと思うが・・
頑張った時間は自分自身の引き出しになると信じているのだ
世の多くの素人ギター弾きは集中力と持続性に欠けることが多い
念願のギターを買った時点で燃え尽きてしまう人も多い
私の知り合いにも多い
ギターを眺めて磨いて満足できる人はそれで良い
今一度、目の前のギターを手に取り初心も思い出すのだ
”ギターを何の為に買ったのか?”
私はとにかく時間が空くとギターを弾いているのだ
指先と耳がギターに飢えているのだ
ギター一本でも成り立つ演奏を心がけているのだ
ブルースは最適なのだ
先日、YouTubeでクロスロードのアコギ系ブルースセッションの動画に出会った
char氏と仲が良い仲間の楽しげな演奏風景なのだ
「ギターっていいなぁ・・」
と私も演奏に引き込まれてしまった
どこにでもアンチはいるようで心ないコメントも目立った
「ブルースってマンネリじゃね?」
というアンチコメントなのだ
公にアンチコメントを投稿する人の気が知れない
ブルースの奥深さに気づかない人は可哀想だと思う
ジミヘンもペイジもクラプトンもみんなブルースを愛していたのだ
ブルースを軸に生まれた名演も多い
レッドツェッペリンの曲もブルースコードに準じた構成の曲が多い
真面目にコピーに取り組むと色々と見えてくるのだ
脱線したが・・・
私がストラトを好きになったきっかけはクラプトンから影響も大きい

画像のギターは有名な『ブラッキー』
レギュラーラインのニコイチギターなのだ
数年前に日本円で一億円以上という金額で落札された
ギターは弾いてナンボ
どんな曲で使われたのか?
という部分が大事なのだと思う
クラプトンが触れた物に価値がある
やはりクラプトンは偉大だと思う
そんな名手が嫉妬したジミヘンは神だと思う
やたらと神という表現を使うのは気が引けるが・・
ジミヘンを表現する際にはつい使いたくなる言葉なのだ
当ブログでもジミヘンとクラプトンの出会いについて書いた記事がある
映画にもなった有名な場面なのだ
私がギターを続ける原動力になっているシーンなのだ
クラプトンが上手いからこそジミヘンの上手さに気づくことが出来たのだ
極めた者だからこそ知る部分があるということ
ギター好き、シングル好きとしてはクラプトンは欠かせない

氏の有名曲を集めた曲集なのだ
アコギ系の名曲なども収録されている
お世話になった曲集なのだ

ここでもブラッキーを弾いているのだ
レイラで用いたブラウニーも有名なのだ
同時期に氏が自分で組み立てたサンバーストのストラトなのだ
上手い人が弾けばどんなギターでも輝くという証明になる
因みにジミヘンの愛用ギターも知人からのプレゼントや借り物だった
最初に手にしたギターは父親のギャンブル仲間の弦が一本切れたアコギ
ネックは大きく反っていたらしい
後にジミヘンが語っているのだ
「弦が一本無いことが勉強になったよ」
あの独特のボイシングやコードワークはそんな環境で生まれたのだ
今の時代はなんだかんだ言っても物が溢れているのだ
極貧でギターを趣味にしているという人は少ない気がする
欲しければ簡単にギターが手に入る
アンプもエフェクターも無理なく入手できる時代
それ故に工夫と努力が大きく欠如しているように感じられる
所謂、ハングリーな精神が欠損しているギター好きが多い
私の周囲にも多い
ギターに関する知識は膨大に持っているが実が伴わない
理屈に演奏力がついてこれない
そんな状況に苛立っているのは自分自身なのだ
”本当に欲しかった物は何か?”
「念願だったギターを買ったんだぜ」
と強がってみるがどこか寂しそうに感じる
本当はクラプトンやジミヘンのように自由自在にギターを弾きたかった
違うだろうか?
読者の皆さんは如何だろうか?
自分が思った通りのギター人生が歩めているだろうか?
現状のギターライフに満足しているだろうか?
ギターは面白もので弾けるようになると物欲が収まる
買い物よりも弾くことが楽しくなってくるのだ
さらに上手くなってくるともっと良いギターが欲しくなってくる
今使っているギターがダメだというわけではないが欲しくなってくる
良いギターを買えばギターを弾くことがさらに楽しくなってくる
楽しさとは何だろうか?
私が考える楽しさは『発見』なのだ
廉価のギターからそこそこのギターに持ち替えた時には感動にも似た発見が多々あった
言葉で表現するのは難しいが何かが違った
ギターが楽しくなればフレットが摩耗するほど弾き込む
フレットが激しく摩耗するような人とそうではない人の差は歴然
見ている風景が違うのだと思う
クラプトンはビブラートとチョーキングの名手
一世を風靡したスローハンド奏法はあまりにも有名なのだ
氏がことごとく愛用ギターのフレットを交換した話は有名なのだ
「クラプトンってあんまり力入れて弾いてないみたいだぜ」
というギター仲間の話を思い出した
ギターを知らない人の勘違いなのだ
彼は潔くギター道をリタイヤしたのだ
現在は別の趣味で楽しく過ごしているようだ
ギターの見栄えや格好良さに惹かれてギターを始めるも挫折する
そんな有志たちを数多く見送ってきた
何故だか私はギターから離れられない
ギターが好きで堪らないのだ
何処までも音が伸びるようなビブラートを鳴らして指先が心地よい
クラプトンの曲や演奏にはそんなエモい部分が多いように感じる
「クラプトンもフレットを磨り減らして頑張っていたんだな」
次元は異なれども励みになるのだ
自分が向かっている方向が間違っていないという確信になるのだ
世の中を疑っているわけではないがギターに関しては信じられるものは自分自身


ギターを続ける為には自分を信じて突き進むしかないと思う
常に『楽しさ』を探し求めているのだ
私にとっての楽しさはギターを弾くこと
当たり前のことに気づいたのだ
世の多くのギター好きはそれに気づかぬままにギター道に幕を下ろす
結局のところ、残るのはギターを売り買いした記録と記憶だけ
「あのギターはいいギターだったんだよね」
「手放したのが惜しまれるんだよねマジで」
という感じなのだ
私の周囲の人間と話していても曲に関する話は皆無
私にとっての宝物は数々の曲
コピーに励んできた曲たちなのだ
正直な話、忘れてしまった曲も多いが・・
その曲を弾けたという成功体験は自信になって残っているのだ
弾けたということは本気になって取り組めば弾けるようになるということ
近年になって邦楽ロックの名曲を片っ端からコピーした記憶が蘇る
凝り性の私はとにかく完走しないと納得できない
次のステップに進めない
そんな感じで取り組んできた
どうしても記憶に残しておきたい曲は定期的にブラインドで練習しているのだ
ランディローズの『DEE』もそんな曲のひとつ
クラプトンにもそんな曲が何曲もある
誰もが知っている曲だけは指に覚え込ませたいと思っているのだ
今再び、クラプトンに取り組んでいるという感じなのだ
平行してジミヘンの曲へのリスペクトと探求も忘れない
余談だがジミヘンの『Red House』も再度コピーに挑戦している曲なのだ
何となくアドリブで流していたのだが何故だか完コピしたくなった
もう衝動が抑えられないのだ
限られた時間に対して課題と希望が多すぎる節があるが・・・
暇を持て余すよりは百倍マシだと思える
ギターは決して裏切らない
ギターは正直なのだ

今の自分の演奏がすべてということ
持っているギターや機材の自慢話はあまりにも悲しい
一度しかないギター人生なのだ
狂ったようにギターを弾き倒してみても良いと思う
弾き倒した先には何かが待っているはずなのだ😊