夏休みの影響もありブログの更新頻度が向上している
休みが明けると鬼のような忙しさが待っている
時間がある時には積極的に自分の声を発信したい
「ギターブログに何を書いたらいいかわからないんだよね」
という悩みのような愚痴のような声を見かけることがある
私にとっては不思議でならない
ギターを弾いていてギターと接していて何も感じないという事が不思議
背伸びしてカッコイイ記事などを書く必要はないのだ
そもそも、私を含む素人ギター弾きは格好悪いのだ
格好悪いがもがき頑張っている姿に共感を覚えるのだ
ダメな奴、格好悪い奴を人は放っておけないのだ
「そうそう俺もダメなんだよね」
「わかる~ぜ そんな失敗多いよね」
という感じなのだ
「俺は失敗しないけど?」
と気取っている人はギターに触れていない人
ギターと本気で向き合っていない人ということになる
という前置きはこの辺で・・
読者の皆さんがお住まいの地区では台風7号の影響は如何だろうか?
私が住む地区は雨が降ったりやんだりという感じ
風は然程強いとは感じない
ピークは午後だということで心構えしているところなのだ
天災は避けることが出来ないので厄介だと思う
台風の被害が甚大になりそうな地区に知人が住んでいるので心配なのだ
「台風に備えましょう!」
とテレビなどで言っているが実際のところ、何を準備すべきなのか?
は良く分からないという感じなのだ
とりあえず、本日は自宅に待機するという覚悟で昨日のうちに買い物を済ませておいた
同じような考えの人が多いようでパンやラーメンなどが品薄に感じられた
私は昼過ぎに行き着けのスーパーを訪れたのだが出遅れた感が否めなかった
とりあえず、買える物をカゴに放り込んだという感じなのだ
諸事情でここ最近は買い物や料理を作る機会が増えた
元々、料理は得意だった
とはいえ本気で料理に取り組むような時間はなかった
所謂、男料理という感じなのだ
日々の料理に頭を悩ます主婦の料理と気まぐれな男料理は別物
主婦の大変さを痛感しているという感じなのだ
本業の仕事に手抜き無し、家事との両輪にも慣れたのだ
人間は慣れる動物だと思う
オペレーションによっては難儀だとため息をつくこともあるが基本的には力業で乗り切っているのだ
ここ数年で料理の知識が増した
当然ながら腕も上げたのだ
台所の道具も自分の好みに買い換えた
良い包丁に良いフライパンetc・・
何となくギター道にも似ている
安いフライパンでも調理は出来るが高価な道具には遠く及ばない
良い道具はやはり使いやすい
良い結果を生むという事実を知った
無駄遣いはダメだがケチもダメだと思う
必要だと思える物には惜しげ無くお金を使うべき
これもギター道に通じることだと思う
繰り返しになるが必要な物を必要なタイミングで買うということ
これが大事なのだ
良い包丁といっても一万円チョイ
3,000円くらいから買える包丁も多いのでそこそこ高価だといえる
しかしながら、プロが使う包丁には10万円を超える逸品もざらにある
読者の皆さんは合羽橋という道具街をご存じだろうか?
料理好きにとってはパラダイスなのだ
外国人の旅行客にも人気の観光地なのだ
プロ御用達の専門店が鎬を削っているのだ
私も良く足を運ぶ街なのだ
近くには浅草もあり食事も美味しい街でもある
浅草と青山どちらも東京
雰囲気が異なる街をお手軽に楽しめるような国は少ない
安心&安全、食事も美味しい
私が知る限りこれらを満たしている国を知らない
日本が外国人に人気も納得なのだ
楽器店でも外国人の姿を良く見かけるようになった
時代も変わったと思う
私が小学生の頃に全校で外国人の生徒は皆無だった
親と街を歩いても外国人を見かけるのは希だった
珍しそうに外国人を見つめる私と弟がいた
母親はばつが悪そうな顔で小走りにその場を立ち去った
現在では本当に外国の人が増えた
実際に日本に暮らす人と観光客の違いも興味深い
私たちが外国を旅行する時に同じように見えるのだと思う
私は仕事柄、東京全般を歩いているのだ
首都高などもくるくると毎日走っているのだ
先日、YouTubeを観ていたのだが首都高の走行をネタにしている動画をみつけた
何でも投稿のネタになるのだと感心したのだ
「首都高で難易度が高い場所を走行してみま~す」
走り慣れている場所の映像は結構楽しめた
やはり動画は強いと感じた
ギターも文章で何かを伝えるのは難しいが動画ならば分かり易い
初心者から上級者までみんなが満足できる
私も動画を投稿していた時期があるが結構手間がかかる
クオリティが高いギター動画を投稿している人には頭が下がる
語りとギターの音量を揃えるなど隠れた部分に苦労も多いと思う
何故だか、ここ最近は投稿作品の品質が向上しているように感じる
「観て損したわ」
という駄作は激減した
少なくとも私のお勧め動画には舞い込むことはない
私が嫌いな動画は『買ってみた~』動画なのだ
以前は本当に乱立していた
流行があるのだろうか?
誰かが引き金になってそれを真似る人が後に続く
これは日本人の大きな特徴
オリジナリティに関しては世界で最下位だと思う
真似る技術は世界でもトップレベル
実際のところ、真似る技術で日本は大きく発展したという歴史がある
しかしながら、それは工業や産業の話
芸術を真似るのはナンセンス
そもそも、他人の真似事しか出来ない人には芸術を語る価値はない
私の周囲にはギターを持っている人が多い
しかしながら日常的に弾いている人は少ない
ギターは自転車とは違う
昔ギターが弾けたという事実を引きずっている
ギターはそんなに甘くない
ギターを弾かなければ弦を押さえる指先は柔らかくなり、指の動きも鈍くなる
自覚できるほどに下手になっている
上手くなるには相当な時間がかかる
一方、下手になるにはそう多くの時間を必要としない
困ったことに自称ベテランの多くは耳だけは肥えている
上手い演奏、良い音を知っているのだ
練習不足な自分の演奏に耳を傾けた瞬間に失望する
「俺って何でこんなに下手なの?」
ショックは拭えない
自分が求めるレベルまで腕前を引き上げるにはこれまた時間が必要
経済の中心的な存在である中年おじさんに優雅にギターを弾く時間が与えられるだろうか?
優雅にギターを弾く時間、自由に買い物を出来る潤沢な小遣い、自分が落ち着ける専用の書斎
この三つは現代を生きるギターおじさんの夢・・だと思う
読者のみなさんはいくつを手に入れているだろうか?
「子供部屋とか確保したら俺の部屋なんかないよ」
「リビングでリモートやってるんだよね・・・」
こんな状況で良い仕事が出来るだろうか?
稼いだお金の1%以下の小遣いで心が満たされるだろうか?
かく言う私も自問自答することがあるのだ
ギリギリで生きている人間にギターを弾くこと、ブログを更新するエネルギーは湧かない
ここ最近のブログ更新(発信)には本当に癒やされる
ブログを書きながら癒やされているのだ
色々と溜まっているのだと思う
順不同、意味不明だが次々に溜まった想いが溢れてくるのだ
こんな感情は動画では表現できないと思う
私にとってはブログ(文章)が必要だと感じる
賛同を得ているか?は知らないが・・
そんな想いが多くの読者の皆さんの目にとまっていることを嬉しく思う
誰にも読ませたくないならば非公開に設定すればよい
先にも述べたが料理も食べる相手があってこそ頑張れる
自分一人ならばカップラーメンで済ませてしまうことも多いと思う
ブログも同じではないだろうか?
誰も読まないならばそもそも書く必要などない気がする
表現する必要と価値が感じられない
余計なお世話だが数多あるブログは兎に角、読者を意識すべきだと思う
誰も読まない前提の独り言ならメモに書き殴れば良いのだと思う
読者を意識することで自分の考えを整理することが出来る
あまりに非常識なことは書き難くなるはず
少なくとも私はそんな意識で書き進めているのだ
目新しい情報は提供できないがギター弾きとしての正直な気持ちを表現したい
自分がギターに触れたという事実を文章として書き起こしているのだ
ブログを始めた頃には人気が出そうな記事を意識していた
訪問者数が数百人という時代
まだまだ修行の時期
かれこれブログを始めて4,000日を超えたという
時間の経過は早いと思う
アッという間だった
最近は格好をつけることはない
書くことが無ければ無理に書かない
書きたいことがあれば書くという感じ
ブログの為に何かを無理くりに買い物することもない
ギターを買い換えることも買い足すこともない
まさに力が抜けた日常のリポートなのだ
”ギターのネックが反った・・・”
がブログのネタとして適切なのか?
は微妙だが・・・
ギター弾き日常としてはこれで良いと思う
弦交換もネタとしては微妙だが・・・
紛れもなくギター弾きの日常だと思う
多くの読者はむしろトリッキーなネタよりもそんな共感できる日常を求めているのだと思う
ギターブログを立ち上げるも早々に投稿のネタが枯渇して苦慮している人も多いと思う
背伸びをしなければギターに関することなど何でも書ける
まぁ、それに気づかない人も多いのだと思う
正真正銘に胸を張ってギターが趣味だと言える人なってほしい
私の知り合いにも勢いでブログを始めた人がチラホラ
ブログを立ち上げて数話でネタ切れになった人も多い
「ギターブログって何書けばいいのかな?」
「みんな何か知りたいの? 教えてくれよ」
他人にアイディアを依存している段階で終わっているのだ
そのままアカウントを放置してしまう
ネットに彷徨う幽霊ブログなのだ
最近は運営もそんなブログを一掃しているというが皆無ではない
私がブログを始めた頃、10年以上前には本当に良いギターブログが多かった
私はそんな優良なブログに影響を受けてブログを始めたのだ
ブログに音源を貼り付けるというスタイルは私のオリジナル
すでにそんなブログもチラホラとあったが常に音源を貼るというストイックなブログは知る限りでは皆無
音源が聴けるブログには説得力がある
「この人のギターってイイ音だな」
「こいつ生意気な割に下手じゃね?」
当時の音源にも賛否が分かれたと思う
何事においても万人にウケるものは存在しない
だからこそ楽しいのだ
数多ある投稿作品から自分を選んでくれた読者大事にすべきなのだ
そこまで読者の誠意を信じ大切に考える人がいるだろうか?
ベタな言葉だが・・
信じるということは大事なこと
リアルライフ信用で成り立っているシーンは多い
信用されているからこそ得意先は私から製品を購入してくれる
信頼されているからこそ文句を言いながらも家族は私についてくるのだ
ブログもYouTubeなどの動画に押されて以前のような勢いは薄れたがそれでも存在している
これからも存在する意味があると思う
ギター好きな読者も星の数ほど存在するブログから有益なブログ、楽しいブログを見つけ出すことは至難の業だと思う
しかしながら、自分の感性に合致したブログを見つけた時にはハッピーになれる
積み上げられた山から意中の楽器を見つけ出す
お宝を見つけるような宝探しのような楽しさがある
読者がすべきことがある
意中のブログ、気に入ったブログを見つけたならばとにかく推す
時間があれば足繁く通ってあげてほしい
希に良いギターブログが芽を出しても枯れてしまう
認知されるまでに時間がかかることが原因
認知された頃には書き手のエネルギーが尽きてしまう
そんな悪循環が今日も何処かで生じているのだ
安直、速攻を好む時代
じっくりと文章など読んでいる時間がないという
活字を拒絶した人はどのような感覚なのだろうか?
どのような生活を送っているのだろうか?
そんなことを考えることもある
私は本を読むことが好きなのだ
若い頃には膨大な本を読んでいた
読んでいるうちに書きたくなってきたのだと思う
何となくギターに似ている
「このギターの音カッコイイなぁ」
は多くのギター弾きの入り口だと思う
読者の皆さんは如何だろうか?
音楽を聴く人は多いが実際に楽器を演奏する人は少数派
読者の皆さんの周囲に楽器弾きがどのくらい存在するだろうか?
私のようにギター好きが多いケースは希だと思う
まぁ、ギターを持っているだけという人も多いが・・
実際にお金を出してギターを買ったということは事実
弾くつもりがないギターをお金を払って買わないと思う
意気揚々とギターに向かっていた姿が目に浮かぶようだ
弾かないギターの潜在数は相当に多いと思う
総国民のタンス預金に似ている
弾かない人に限って蘊蓄や知識は一人前
「このギターはカスタムショップ製なんだよね」
「限定品でさ 何本も作られていなんだよね」
は常套句
この件は等ブログでももはや十八番になっているのだ
それで良いのだ
言いたいことや大事なポイントは何度でも繰り返す
これが文章の良い点だと思う
”ギター弾きの呟き”
結構な分量を呟いてしまった😊