Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

硝子の眼 XI。

2006-01-31 | 物質偏愛
 僕の選択は正しかったのだろうか。

先日、育ちの良さを覆い隠すことができない柔らかい風情をしたあの若者がやってきた。憔悴してうっすらと隈を浮かべながら、痛々しい笑顔を持って彼は僕に挨拶をした。そして、決して僕をなおざりにするのではない滑らかさで、テーブルの上に視線を向けた。
「あぁ、ミズキ・・いや彼女はあそこにいるのですね。見たところ、元気そうですね。よかった。」
振り向いた彼は僕に泣きそうな笑顔を向けた。
「えぇ。」
その笑顔は、それ以外の返事が思い浮かばない程のまさに慟哭であった。

どうかしましたか、と尋ねるほど気安い仲ではないし、知らん振りできるほどの演技力も僕にはない。辛うじて、「何か暖かいものを。紅茶と珈琲とどちらがお好みですか。」と笑顔で声をかけてみた。その時の僕の笑顔は彼のように柔らかくはなかっただろうし、不吉な予兆を感じ取って酷く怯えて引きつったものであっただろう。

紅茶を挟んで、彼は最初僕の顔色を窺うように、そして徐々に俯いてしまいには独り言のように半ば自嘲気味にぽつぽつと話し始めた。
最近、不眠が続いていること、就職も決まって卒業を控えていて近々独り暮らしを始めること、友達と遊んでいても今ひとつ愉しめないような気がすること。脈絡もなく彼は空に向かって言葉を投げた。

今の僕にはその気持ちがよく判る。全ては「ミズキ」を手放してしまったからだと。そして彼は忍びきれずに「ミズキ」の居る僕の部屋に足を運んだ。
僕は戦慄した。もしも僕がとび色の瞳をした彼女を手放したなら、目前の彼はその時の僕だ。色彩のある世界の甘美さを知った僕からそれが失われたとしたとき、僕の世界が再び白一色のそれに戻れるなんてあり得べくもない。彼は身をもってその恐怖を、その墜落を僕に見せつけた。


「・・いいですよ。」
僕のものではない僕の声が聞こえて、はっとした。
それは砂漠の向こうから聞こえてくるような、どこまでも冷たい声だった。

彼に同情したのではない。彼に見せられた自分の未来と現在の彼の憔悴した姿が僕の中で混濁したにすぎない。彼は、確かにいつかの僕だ。僕が僕を無意識に護ろうとしたとしても、それは強ち間違いではない。

 彼は泪を流して首を震わせながら顔を覆った。
僕の申し出を拒絶する勇気を放棄してしまった彼には明日の僕の姿が見えている。
僕は魂の抜けたようになって、呆然と白いテーブルの上の彼女を見遣った。彼女は相変わらずの冷たい瞳で、僕のほうをまっすぐにただ見ていた。彼がこんなにも泣いていて、僕がこんなにも腑抜けになっているのに。彼の嗚咽がミズキと呼ばれる彼女には聞こえているのだろうか。


先程までの彼のように蒼白になった棒立ちの僕が、彼女のとび色の瞳に映っているのが見える。



硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。
硝子の眼 Ⅴ。
硝子の眼 Ⅵ。
硝子の眼 Ⅶ。
硝子の眼 Ⅷ。
硝子の眼 Ⅸ。
硝子の眼 Ⅹ。




朝倉彫塑館。

2006-01-27 | 芸術礼賛
 谷中散歩のついでに、朝倉彫塑館に立ち寄った。ここは、大正から昭和初期にかけて活躍した彫刻家朝倉文夫のアトリエ兼住居として使用されていた建物をそのまま展示館としている。朝倉氏本人が昭和3年から7年の歳月をかけてじっくりと練り上げて作らせた「牙城」だ。

正面入口からはアトリエに通じ、現在は8mの高さを誇る3階まで吹き抜けの展示室となっている。柔らかい赤土色をした壁から天井にかけては柔らかいアールになっており、数枚のサッシをうまく組み合わせてその曲線部に採光窓を設けている。正面からアトリエ部までは鉄筋コンクリートの近代建築で、裏に抜けると湧き水を利用した贅沢な中庭に続き、庭を囲んでこれまた贅沢極まりない数寄屋造り3階建ての住居へ繋がる。

大正期から百貨店などで屋上庭園を作ることが流行し始めたが、それらが一般の住居へと伝播したのは昭和初期とされる。しかし戦火の為に現存例は極めて少ない。朝倉邸は初期の屋上庭園の趣きや思想を知ることができる稀有な手掛かりと言え、大変興味深い(※写真は、屋上庭園から上野方面を眺める)。この時期の屋上庭園は風が吹き抜けてたまったものではないのだけれど。

3階の温室「蘭の間」の繊細なタイル(現在は展示室)。床下に昇降装置を設置したアトリエの合理空間。茶室の船底天井と、庭に面した外縁の飾り模様を入れた杉板。階段の手すり代わりに使用される、曲がりと素地を生かした木。曲線を強調した応接室の和空間。
西洋と日本の美意識の折衷ではなく、ぱっきりと分断された両の建築が儒教の庭を挟むことでぴたっと融合する。これが昭和初期の華でなくてなんであろう。

彫塑の特性は、洋行経験を持たないために日本の美と写実性が顕著であり、いきものがその沈黙の中に持つ凛とした生命感と熱を感じさせる。猫の連作を見ればそれは明らかだ。猫という生き物の一瞬の緊張感や弛緩、暖かさや骨格が写実的に描写され、猫への愛情と生き物への畏敬が各々の小品からこれでもかと伝わってくる。

朝倉氏の彫塑においては、基本的に、動いている最中のいきものの描写は少ない。特に静止の中において、その内部に潜む動かない躍動が見出せる。次の行動や次の思いへと移行するための静止、情熱と緊張が内部に渦巻く静止。それは、見ているこちら側に呼吸を止めることを強いるような圧力を持って迫ってくる強い沈黙だ。


彫塑と建築が一体となって、しかも設計者であり彫塑製作者であり住人であった朝倉氏の思想とそれらが一体となって、そこにある。このような素晴らしい展示スペースを私はほかに知らない。恐るべき彫塑の力と、贅沢極まりない昭和初期建築の粋を語りつくすことは到底できない。だから是非、少しでも興味を引かれたのなら、その揺らいだ想いが薄れてしまうまえに、足を伸ばして欲しいと願うばかりだ。


 最後に、最も強い衝撃を受けた部屋について付け加える。
非常に高い、突き抜けるような天井にまで届くガラス張りの特注本棚を備えた書斎があった。その中には、美術や彫塑の本ばかりでなく、「科学全集」「日本柔道史」「花王石鹸社史」「板垣退助全集」「日本古代史」「万葉研究」・・分野を超えた本がぎっしりと詰まっていた。

私は反省した。
美術屋であるという言い訳をせず、私はこうでなくてはならなかった。




静寂の悲鳴。

2006-01-25 | 徒然雑記
「吐き気を催さない愛なんて、大したことない。」
あの女は、そんな言葉で僕に吐き気を感じさせた。そんな言葉がかつて僕に投げつけられたことを今までずっと忘れていた。
何故思い出したかって?それは今この瞬間に、激烈な吐き気と頭痛とに襲われて虚空を掻き毟っているからにすぎない。どうせ、すぐにまた忘れる。

 心が乾いた悲鳴を挙げるとき、言葉を失くして震えるのが僕の常だ。暖かい闇に抱かれて、声を上げずにするすると流した泪が乾くころには夜が明ける。そうして僕は闇から得た温もりとともにようやくの休息を得る。闇ではない別のものに包まれたとしたならきっと、乾いた悲鳴は声となり、その存在を顕かにしてしまうだろう。そのことがきっと、僕にはおそろしい。

三日に一度は泣いて暮らしていた不思議な時期があった。泪とともに記憶を流し去ろうと努めていたのだろうか、何に泣いていたのか今となっては思い出すことができない。まるで平静な顔で、あるときは眠りに落ちる瞬間に、あるときは机に向かっている最中に、あるときは道を歩きながら、鼻も目蓋もぴくりともさせずにするすると泣いていた。それは呼吸をするように自然なことだった。それはあまりにも自然すぎて、誰も僕が泣いていることなどに気付かなかったくらいだ。

紙芝居を一枚めくるように突然に、ある日から泣かない日々が始まった。極めて自然に日々流していた泪がぱったりと止まった。ほんとうの日々は、泪を流さないものであったのだと驚いたことだけは今でもはっきりと記憶している。それがいつのことだったのか、なぜ紙芝居がめくれたのか、さっぱり覚えていないにも拘わらず。


 身体が湿った悲鳴を挙げるとき、声にならない苦痛によって顔を歪ませながら、しかし相変わらず静かにするすると泪を流す。闇に響く時計の秒針よりも速い呼吸を繰り返し、自分の口から漏れるかさついた空気の音で痛み苦しみは倍化する。よって呼吸はより一層速くなる。呼吸をすることに懸命で、僕は助けを呼ぶことができない。闇の向こうにあるなにかに手を伸ばすことができない。仮にあと三センチで何かに手を届かせることができたとしても、きっと僕はあと少しのところでその手を引っ込めてしまう。自分の身体の中に宿る不条理な個人的痛み苦しみが、自分の手指を経由して自分以外のなにかを汚染してしまうことがおそろしい。

いや、それは嘘だ。自分を癒そうと願う他者の想いがおそろしい。助けてくれと願う自分の心が浅ましい。身体が不条理にも目下の苦痛を欲しているというのに、だ。

身体を闇に横たえれば吐き気が襲う。
身を起こせば頭の中身が漏れ出てきそうな頭痛が襲う。
頬を伝う暖かい泪が乾いた皮膚にちくりと刺さって、あぁ少しだけ、いい気分だ。


闇がどんどん深くなり、自分の浅い呼吸を聞き飽きる。
闇はどんどん密度を湿度を増し、沈黙の悲鳴を挙げ続ける僕の心と身体を隙間なく包み込む。

「僕は今苦しい。助けてくれ。」
浅い呼吸と、きまって左目からだけ流れ落ちる静かな泪と、安らぎの微笑みと。
明日になれば、どうせまた忘れる。
  

  静寂。





タイプバトン。

2006-01-24 | 伝達馬豚(ばとん)
久々、頭使うのに疲れたのでバトン。
友情の証(?)として拾ってはみたものの、今いち不似合いなものを拾ってしまったやもしれぬ。若干後悔。

【Q1.好きなタイプを外見で答えよう。】

■顔:  爬虫類系。
■体格: 水泳もしくはボクサー系の締まった筋肉質。割れた腹筋大歓迎。
■髪型: 黒髪がいい。
■雰囲気:知的&セクシー&寡黙。
 
【Q2.年下が好き?年上が好き?】

問いません。でも、父親より上は無理。

【Q3.タイプの芸能人は?】

もう少し若い頃の三上博史。

【Q4.恋人になったらこれだけはして欲しい、これだけはして欲しくないという条件を。】

■して欲しい:  互いを理解する努力。
■して欲しくない:プライバシーの侵害。行動の制限。

【Q5.今までの恋愛経験の中でこの人はタイプだったなという人とのエピソードを。】

私の爪を彩る紫陽花色の爪紅をこよなく愛していた。

【Q6.よくはまってしまうタイプをあげてください。】

飄々と「は?女?今別に必要ない。」って云えてしまう人。 

【Q7.あなたを好きになってくれる人はぶっちゃけどんなタイプ?】

万事に目の肥えた感性の合う人、もしくは直感で寄ってくる感性対極の人に二極化。

【Q8.どっちのタイプかで答えて下さい。】

■甘えるタイプ(甘えられる)?:無理!(かなり羨ましいが。)
■尽くす?:男が順風満帆なときは尽くさない。窮地の時にはまかせとけ。
■嫉妬する?:嫉妬をしない愛なんて。
 
【Q9.最後にバトンを渡したい人を5~10人でお願いします。】

お好みで、凍結してしまう前にどなたかどうぞ。




還るところ。

2006-01-23 | 徒然雑記
 今から書くことは、まとまりがない。こういう機器がない時代だったら、反古紙に書いていたような戯言だ。
 
 久しぶりに谷中に行った。
シーシャの煙が欲しくて。何日か前に「日曜日の○時頃に××にゆくつもり。」という公言を私は確かにした。でもそれは、ゆくつもりだという意思であって、予定であって、約束ではない。それなのに、店主は私が来ることを知っていた。誰かが私の公言を伝えていたためだ。絨毯に腰を下ろしてストーブの前で丸くなっている私のところに、程なくしてひとりの友が顔を出した。その約一時間後に、別の友が息を切らせて駆け込んできた。限られた時間。待ち構えて迎え入れてくれる店主。私の公言を真に受けて会いに来てくれる友。そこに、私が存在することを許される「場」が生まれる瞬間だ。

 たまに、実家の夢を見る。
私の実家は、私が15歳から16歳の年にかけて完全改築している。私はその新しい家に3年住んだし、今もたまに帰る。しかし新しい家が私の夢に出てきたことは過去に一度もない。家族との舞台は必ず古い家で、床がきしむ私の部屋や寒い台所、大きなガラス窓から庭を見渡せる客間だ。定期的に夢に見るせいもあって、私は過去の家の間取りも色彩も、庭にあった木々たちの種類まで詳細に記述することができる。新しい家にも私の部屋があり、私のピアノ室がある。だけど夢が示唆するように、そこには多分私の心の居場所がない。

 あと5日で、世話になったレストランバーが閉店するそうだ。
同じ課の上司と「牡羊座O型ザル気質3人纏めて誕生会」をやったのもここ。チベットの奥地でおかしな手術をされて凹んでいた部下の快気祝いをやったのもここ。客の少ない暇な日に、始発が動くまでずっと遊ばせてくれたのもここ。大学院に受かったお祝いに、プライベートワインを開けて祝ってくれたのもここ。もうすぐ東京に戻るっていうときに、なんてことだ。早く行かなきゃ。ちゃんと次の一歩が決まったことを知らせにいかなきゃ。カラヴァッジオのポスターの横の指定席、ちゃんと取っておいて。

 故郷ってなんですか。
それは、生まれたところのこと?育ったところのこと?それとも、それよりもっと別の何か。「実家に帰る」「東京に帰る」「戻るべき場所に帰る」。どこかへ出掛けるから帰れるのであって、それは起点としての定点。そいつらは時に場所だったり、風土だったり、概念だったり、人だったりする。心が求めたがる美と風土のために奈良に帰り、そこから日々の暮らしの為に茨城に帰り(※常には「戻る」と表現する)、仕事と将来のために東京に帰る。あぁ、なんてややこしい。

 美術は私の還るところだ。
仕事に、人に、愛に、あらゆるものに迷ったとき、視覚的な芸術が私に真理と力を与えてくれる。幼い頃に絵画を初めて目にしたときの感動は、何度でも追体験できる。あの心揺さぶられる想いは、頑なな私の心を開く力がある唯一のものかもしれない。ITも、コンサルも、ファンドもいいと思う。情報や知は高価値な商品だ。しかしモノへの愛情がない人間は、いずれの世界においても大きな成功を収めることはないだろう。何故なら、我々もモノだから。

洗いながすもの。

2006-01-21 | 徒然雑記
 浅い眠りの途中で、目覚めたら雪だった。

暖かい土地で生まれ育った私にとって、雪は異世界からやってくるものだ。科学とか自然現象とか、そういうものの向こうからやってくるものだ。
聞こえるはずもない遠くの機織りの音が幾重にも重なりあうような、はたはたという声が眼の中に響く。それは片田舎の生娘やそのおとうとたちが笑う無邪気な声。

はたはたと、途絶えることなく。
ただはたはたと、十重二十重に重なり合って。

ガラス窓に映る自分の肌の向こうで、雪が縦横に舞う。
肌が表面からしんと冷えてゆくのに構わず見詰めていると、はたはたという声に誘われて私は向こうに吸い込まれる。
ぼた雪の舞う中空に、衣服の一切を纏わないままの私の身体がふうわりと浮かぶ。激しく舞い踊るぼた雪は私の身体を貫いて、同時にはたはたと笑う声が私の身体の中を軽やかに駆け抜けて、笑い声のリズムと振動を身体の中に残してゆく。

驚くべきことだが、私は寒さも風も感じない。風も雪も私の身体に何ひとつの欠片も余韻も残すことなく、まるで虚ろなまま自由気ままに通り過ぎる。鼓膜には決して聞こえない笑い声だけをわんわんと反響させて。

 できるなら、こちら側にいる私の中にも、吹き抜けてくれないだろうか。
虚ろとは程遠いくらいに色々な澱を滞らせた私の中を縦横に吹き抜けて、その無邪気な笑い声に不似合いなものを全て、風に運ばせてはくれないだろうか。
きらきらとした雪の結晶のようなはたはたいう笑い声の残響だけを私の中に残して、要らないものは氷の風に絡みつかせて、どこかへ。


 空は桃色に垂れ込め、笑い声は尚も続く。
 音の全てを吸収し、光の全てを拡散させながら。

眼を閉じれば、視覚でしか感知できない笑い声はぱたりと止むから、私はそれに気付かないふりをする。眼を閉じて布団に滑り込むとそこにある暖かい背中に身体を重ね、「向こう側」にゆけない自分の肌を自覚する。

目蓋の裏にきらきらと光を飛び散らせる笑いの残響が、暖かい温度の向こう側に見えて、それを追いかけるように再びの眠りに落ちた。


木々のさざめき。

2006-01-17 | 徒然雑記
 論文の提出を終えて、芸術学系棟から出た途端に、風で擦れ合う木々の枝の奏でる唄と、揺れる常緑樹の光沢がきらきらする踊りが初めて眼に入った。
この冬に入ってから、はじめて心を持って木々のいのちを見た。
やっと、見ることができた。

奈良と和歌山で、忙しいさなかに一学生の願いを聞いて長い時間を割いてヒアリングに応えてくれた組織の方々。参考資料をひっくり返してくれたり、帰宅後の質問メールにも親切に、迅速に答えてくれ、時には郵送までしてくれた。今度、成果を届けにゆきます。
ありがとう。

奈良と和歌山で生まれ育ち、昔の風景や過去の色々な活動、風評、ほんとうに沢山の生きた物語を聞かせてくれた、骨董屋や喫茶店のおじちゃんやおばちゃん。論文に書けないことの中に、大切なことは本当にたくさんあった。今度行くから、また「お帰り」って言って迎えてね。
ありがとう。

家族の入院で客をとっていないことを隠して、いつもの長逗留をさせてくれた宿のおばちゃん。洗濯物を取り込むベランダから興福寺の塔が見えて、朝の鐘を聴くのがすきだった。鍵までくれて、まるでおうちのようだったよ。高熱を出して心配かけてごめんね。
ありがとう。

不便だからと調査や観光の全てを送迎してくれた宿のおねえさん。綺麗な景色のところを選んで送り迎えしてくれた宿のおにいちゃん。色んなお話が愉しかったよ。
チェックアウトの時間を無視して部屋で昼寝させてくれた宿のおばちゃん。淹れてくれる珈琲が美味しかった。買い物の行き返りに、暇潰しにと近所の資料館まで連れていってくれたおじちゃん。部屋にスズメバチが居て大騒ぎしてごめんね。
ありがとう。

ひとりっきりの私を大騒ぎの宴会に連れ込んで、愉しい時間を過ごさせてくれたフリーライターのおにいちゃん。「宿代が無くなったらいつでも泊まりにおいで」って言ってくれたね。ほんとに行っても知らないよ。
ありがとう。

食事する処に困って、酒も飲めないくせに入った焼き鳥屋。「明日、食べに来なくていいから、コンビニの帰りにでも寄りな」と言って、大きな桃をみっつもくれたおじちゃん。手掴みで、全部美味しく頂いたよ。今度寄ってびっくりさせるからね。
ありがとう。

正月を返上して先生が手直しを入れてくれた論文の草稿は、見事に真っ赤っかだった。論文を事前に直して貰うのは初めてだったから正直驚いたし駄目さ加減に少し凹んだ。だけど先生のこの上ない熱情を感じて、それに応えたいと思った。先生、提出後だけどまだこれからも直しちゃうよ。申し訳ないけど、私の熱情にもう少し付き合って。
ありがとう。

手紙やメールや電話やblogで、論文を書く元気を与えてくれた愛すべき全ての友。誰ひとり、「がんばれ」って言わなかったね。だけどみんなして「よく頑張ったね」って言ってくれたね。分野も素養も全然違うのに、「読ませろよ」って言ってくれた人も何人も居たね。提出前日には電話をくれた人も居たね。「早く東京に戻ってこい」って。この土地で手にいれた沢山の大切なものを両手に抱えてすぐ戻るから、もうちょっと待っててね。
ありがとう。

相談もなしに会社を辞めて、「研究者になるから」とぶちかました私の発言に呆れながらも容認してくれた両親。私の全ての遠回りと、全ての暴虐と、全ての挫折を糧にした無謀な選択を認めてくれた。お陰で私は心置きなく研究に生活を注ぎ込むことができた。
恥じるところのない研究者に私はなるよ。なれる気がするよ。
ありがとう。


ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。


硝子の眼 Ⅹ。

2006-01-14 | 物質偏愛
 今日、わたしは誕生日というものを知った。
最近では珍しく、男と女が仲睦まじそうに食卓を囲んでおり、並んでいる皿やその中身はいつもよりも豪華に見える。常ならば私の前に置かれるはずの珈琲カップは、今日に限っては綺麗な色でぱちぱち弾けているシャンパンだ。

誕生日というものは、そのものが存在を始めた最初の日のことを云うらしい。それを毎年毎年飽きもせず祝うのが通例のようだ。ひとりひとりの人間が皆違った誕生日を持っているということなので、毎日どこかで誰かの誕生日の祝いが行われている訳で、それを想像するとなんとなく愉しい気分になる。

女が、男の誕生日プレゼントとして渡したものは、赤いビロウドの豊かなドレスを着た、私より少し背丈が大きいくらいの少女で、私と同じように冷たい温度をしたものだった。つい先刻まで愉しそうだった男の表情が一瞬で不機嫌そうに歪み、それを見て女が微笑んでいたものだから、部屋の中はおかしな空気になった。

そのとき、わたしはこの赤いドレスの少女のように、小さくて冷たい肌をした者が他にも居たことを知った。多分、もっともっと沢山、至るところに同じ仲間がいるのだろう。女が、わたしを指差し、そして同じように少女を指差し、同じ「ニンギョウ」という言葉を使って何かわたしたちのことを話していたことから、わたしたちのような者のことはみんな「人形」というのだと知った。

しかしわたしは前の家ではずっと「ミズキ」と呼ばれていたから、多分自分はミズキというのだと思うが、赤いドレスの彼女は多分ミズキというのではなくて、また別の呼び名があるのではないかと考えた。そしてこの男のように、わたしたちにも知らないだけで「誕生日」というものがあるのかもしれないと思った。

わたしは赤いドレスの少女に心の中で呼びかけてみた。しかし返事がないままあらぬ方を見ているので、わたしはこの少女をなんと呼んでいいか結局判らなかった。
後になって思ったことだが、もしかしたら赤いドレスの少女が同じようにわたしに向かって呼びかけていたかもしれず、お互いにそれに気付けないのだとしたら、人形というのはなんて不便なものだろう。人形は人形どうしで交流したり愉しんだりするようにできてはいないということだ。

わたしはこの日に色々なことを知ったけれど、きっかけになった赤いドレスの少女は、次の日にはもう居なかった。男が少女を気に入らなくて、女に突き返してしまったようだった。彼女はどこかで、「人形」じゃないなにか別の名前で呼んで貰えるのだろうか。


 わたしはミズキというのだけれど、男はそれを知らないから、わたしに向かっていつも「ナナ」と呼びかける。
人形というものは、本当に、なんて不便なものなのだ。



硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。
硝子の眼 Ⅴ。
硝子の眼 Ⅵ。
硝子の眼 Ⅶ。
硝子の眼 Ⅷ。
硝子の眼 Ⅸ。



硝子の眼 Ⅸ。

2006-01-10 | 物質偏愛
 好きだったはずのモーツァルトが癇に障って、ひったくるようにリモコンを拾い上げて音を消した。
微弱な振動で震えていた部屋の空気が凍り付いて、無音と錯覚する静けさが一瞬訪れた。その一瞬後に、窓の下を歩く人々の足音や息遣いの気配、葉を失って丸裸になった木々の枝がぎしぎしと擦れる音、離れた風呂場の換気扇から漏れる低い電気の音、冷蔵庫が身震いする音、それらが互いに重なり合って、しかし確実に和合することのない独立した音として聞こえてくる。

 近頃まで私はそれらに名前を与えることを怠り、それらの皆を「雑音」という名で呼び、音楽を消した部屋の中の状態を「無音」と呼んでいた。そういう名を与えたことに対する不具合はこれまでなかった。ただ、そういうものだと思っていた。

 彼は美術館や博物館が好きで、私はよく同行させられた。綺麗な絵や見も知らない昔の機器や装飾を見るのは私にとっても興味深かったし、私にいちいちその詳細を説明する彼のそこだけ異様に生き生きと輝いた眼を見るのがなにより好きだった。いつも白い彼の肌はときに薄っすらと上気したようになり、そんなときは類なく饒舌になった。饒舌の波が過ぎると、ある時はある作品の前で、ある時は帰りの電車の中で、きまって彼はぽうっとした何かに焦がれるような顔をして反動のように押し黙った。

 彼が美術館や博物館が好きだった理由を、今なら少しだけ理解できる。
彼は、自分にはどうしても手の届かない無音の世界に憧れて、その世界の住人になることを意識的にか無意識にか、望んでいた。閉ざされて時の止まった(厳密にはその表面の物質レベルでの変質が至極ゆっくりとしたスピードで進行しているとしてもだ)絵画の中や、それを封じ込めるアクリルケースの中を見ていた。描かれているもののもっと向こうにある何か空気のように掴みどころのないもの、こちらの世界で蠢いている自分には掴むことのできないものに焦がれていた。その興奮が彼をいつもより饒舌にさせ、その焦燥がしまいには必ず彼の口を閉ざしたのだ。


無音の世界。

かたちも色も思いもあるのに、音のない世界。
それが、彼が欲しかったもの。
彼が、住みたがる場所。
彼が、なりたいもの。


せめてもの抵抗と、消したばかりのモーツァルトを再び部屋に流し、部屋いっぱいをその音が充たしてしまうようにとヴォリュームをひねった。
この部屋のあるたったひとつの、ほんの小さな容積がその音に決して浸食されることがないことを知っているくせに。
知っているからこそ。



硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。
硝子の眼 Ⅴ。
硝子の眼 Ⅵ。
硝子の眼 Ⅶ。
硝子の眼 Ⅷ。

本棚バトン。

2006-01-08 | 伝達馬豚(ばとん)
lapisさまのところで見つけて、危うく雪に埋もれそうになっていたので、居所が判らなくなる前に拾ってきた。
拾ってきてから呆然としても詮無いのだが、「論文が終わるまで禁欲のため本を買わない」と決めてしまったので、ちょっと困っていたりもする。諦めて事実を晒すこととするが、本業に触れるのでちょっと面映い。

【Q1.部屋にある本棚の数】
 
3つの細めの本棚を繋げて、ひとつにしてある。白の木製。
入りきらないものがテーブルや床を徐々に浸食。

【Q2.今読んでいる本】

2010年の日本 雇用社会から起業社会へ
夢がなくて本当に申し訳ないと思っている。次の会社の社長の指示で、生まれて初めてビジネス書?のようなものを買ってしまった。ある意味、記念的一冊である。

Tourism Congestion Management At Natural And Cultural Sites
夢がなくて(以下略)・・
これは、私の論文の基礎となる文献である。観光マネジメントの歴史は浅く、その内容から「まだまだ不十分だけど画期的な一冊じゃないか!」ということで現在の研究をこの本を足掛りに出発させることができた。論文のゴールを見失わないよう、たまに開いて内容を確認している。表紙が真っ赤なのがまた好きなのである。

コトラーのホスピタリティ&ツーリズム・マーケティング
夢が(以下略)・・・
こいつは逆に「うえぇ」と思いながら読んでいる。確かに観光にはマーケティングが必要なのだけれど、マーケティング以前にもう一段階必要な設計がある場合もあるんだよね。需要や顧客の側からの洞察には鋭いので、論文の参考にはならないが読んでいて面白い一冊ではある。

【Q3.最後に買った本】

花空庭園
やっと、本来のものがでてきた。
今欲しいものは、夢に誘うテキストではなく、美しく毒々しい色彩と湿度や温度を感じさせる生々しさであることを、この本を寝所で開いてふっと笑みを浮かべてしまった一瞬に、私は気付いた。気をつけなければ、誘われてしまう。今は、まだその時ではない。

【Q4.よく読む、また思い入れのある5冊】

日々の泡
恋愛小説のあまり好きではない私が読んだ中で最も美しい恋愛小説。花の濃厚な香りと、小さな可愛らしい鼠がタイルをカリカリ引っ掻く音の不協和音が哀しく美しい。

1万1千の鞭
大学時代に、「今まで読んだ中で最も反吐が出る小説だ」と美術史仲間の男性から投げ与えられた本。そのときは読んでどきどきして一旦廃棄してしまったが、数年後に再び読みたくなって購入した。今では、どきどきするが反吐は出ない。

孤島の鬼
乱歩好きの常として、私も短編のほうが好きだ。長編の中から一冊選ぶとしたらこれになる。無茶な設定を幾重にも重ねた実験的で奇抜なストーリーを、濃厚な悪趣味と純粋な偏愛が貫いている。誤解を恐れず云うと、なかなかに美しい。

昼顔
私の実家には本棚がない。幼い頃、私の部屋にあったカラーボックスの中身は今でも覚えていて、学研の図鑑と、遠藤周作の初期の集約本と、昼顔があった。幼い私が読んだ最初の活字は「昼顔」であり「海と毒薬」であった。誰かから貰ってしまって置き場のなかった本、幼女が貪るように読んでいたその本の中身を、勿論両親は知らない。

世の途中から隠されていること 近代日本の記憶
木下直之先生が大好きである。文化資源学会の筆頭だ。博物館から漏れ出たものとどう向き合うか。多種多様なモノを取り囲む既成のカテゴライズにどこからメスを入れることができるのか。

【Q5.バトンを渡す5人】

この地区は雪が降っていないので埋めておいても大丈夫だけれど、誰かが拾ってくれることを期待して、端っこを土から出しておく。





来世予報。

2006-01-06 | 徒然雑記
「マユさん、そろそろ人間飽きたでしょう?」
「あぁ、わかる?」

端から見たら、おかしな話だ。話が通じていることすらおかしい。
人間に飽きるもなにも、私は対人拒否している訳でもないし、新しい思索や哲学を開花させる気も毛頭ない。
しかしながら、なんとなく、本当に「なんとなく」としか云いようのない感触を持って、かねてから「私は今回で人間が終わりだろうな」という意識があった。かといって、コレでおしまい、ということではない。ケモノでもなく冷たい物質でもない、何かちょっとだけ高い位置から俯瞰して見るような感触がぼんやりと伴っている。だけど、それが何なのかは判らないし、何であるか知りたいとも思っていなかった。

「云ってもいいですか。マユさんの次になるもの。」
「いいよ。」
「マユさんは、木になります。」
「木ぃ?」

・・軽くショック。
だって、木に対する憧れなんて持っていないし、木に対する偏愛もない。それなのに、なっちゃうんだ。木に。

「でもね、芽とか苗から始めるんじゃないところがマユさんらしいんです。御神木に飽きた木がどこかにいて、別のものになろうとして抜けたところにスポッと収まるんです。そこがね、ほんとに、『らしい』の。」
そう云って彼女は笑った。
確かに、らしいと云えばそうかもしれない。私も笑った。

胡散臭い話であることは判っている。馬鹿げた茶番かもしれないことも。
だけど、「明日は雨が降るみたいだよ。」というのと「次は木になるみたいだよ。」というのでは、その胡散臭さに左程の違いがあろうか?雨は降らないかもしれないし、次に木になることはないかもしれない。だけど、結果の違いはその時点での自分自身を大きく左右するような出来事であろうか?

つまりは、同じだけの確かさ。不安定で、ふわふわしていて、そのくせこちらの気をふぃと引こうとするだけの魅力を持つ「予報」というものはすべからく。それを信じるとか信じないとかいう陳腐な言葉は、どちらに転ぶか判らない結果を受け止める際の自分の心構えを事前に行うための儀式として生まれた言葉にすぎない。だから私は信じるとも信じないとも云えない。何故ならどう転んでも当たり前で、心構えが不要であるから。

 私は次に木になるかもしれない。ならないかもしれない。
もし私が次に木になるとしたならば、暖かい土地がいい。できるならば、薪能や神事がきちんと行われるところがいい。

「もしそうだったら、特等席ですよ。素敵ですね。」
確かに、そうだ。



小谷寺(如意輪観音)。

2006-01-05 | 仏欲万歳
 時間はまっすぐ進むのか、くるくると巡るのか。
いずれにしても同じ時間は二度と訪れることがない。だからこそ、全ての時間は等価値だ。
しかしながら年が明けて早々の「新年」という期間は、具体的に何日までを指すかどうかはさておき、人の心を神妙な気分にさせ、なんとなく浮かれさせ、ちょっと大それたことを考えついたりなどもする不思議な時間だ。私も例に漏れず、なんとなく嬉しいような、厳しいような気がしている。そんな気分を込めて、新年初の記事は純粋で美しいものへのオマージュとして仏像記事だ。

小谷寺は、最澄大師が奈良時代に開いた山岳仏教の霊場(小谷山6坊)の一つで常勝寺と称していた。長期の荒廃ののち、室町中期に改修。戦国時代に浅井氏とつながりを持つに至って、小谷寺と改名。3代にわたる浅井家の祈願所であったが、浅井家の滅亡とともに焼失し、現在の小谷寺は豊臣秀吉の再建である。
付け加えるなら、現在も若干荒廃気味である。

滋賀県湖東から湖北にかけては貸切タクシーで巡ったので、概ね至って快適だった。しかし「湖北十一面観音巡りコース」というパッケージを提供しているタクシー会社であるにも拘わらず、小谷寺は範疇外のようで、数少ない地元民を捕まえて道を訊きつつなんとか辿り着いた。
小谷寺に着いた頃には5時間の貸切時間も半分を過ぎ、運ちゃんと私は仲良く一緒に拝観するようになっていた。地元の方言を駆使して(無意識だが)運ちゃんが上手に寺の方から面白い話を引き出してくれるのは愉しい。

お目当ての如意輪観音は「一応秘仏」である。
お願いをすれば見せてくれるというフレキシブルなアレだが、時間帯とご機嫌と(寺の方のご機嫌、ひいては仏像のご機嫌)お天気と、それらがうまく噛み合わないと開帳を頑なに拒否されるという代物だ。考えてみれば、指定の期日に合わせてゆけば必ずお逢いできるという期日開帳の方がむしろ楽だし確実な気がする。

お店や籤運はからきしない私だけれども仏像運は物凄くある。十把一絡げでかかってこられても大丈夫なくらいにある。秘仏であることを知らない運ちゃんが前立ち仏をじっくり見てしまっている姿をちらっと見て見ないふりして、おばちゃんに向かって「東京から参りました。差し支えなければ、御厨子を開けていただくことはできますか?」とお願いする。にこりと笑ったおばちゃんは「あんたは運がいい。昨日はここらに雨が降ってね、昨日だったら無理だったよ。明日も崩れるらしいしね。」そう云って、厨子をガタガタと開けて、脚付きの懐中電灯をセットして見易いようにしてくれた。

 この着物の袖に隠して持って逃げることさえ可能に思える小ささの如意輪については、みうらじゅんといとうせいこうの見仏記2において「ロリータフェロモン全開」と評されていることは一部の方々の間では有名な話。
 小像にありがちな頭でっかちの異様なバランスもここにはなく、ブロンズの冷たさもない。ぷっくりと水分をいっぱい含んだ肌質の頬、手首から指先にかけてのゆるいさざ波のような曲線、人間では在り得ない、肘や膝の関節の曲線的で自在な曲がりは、関節を挟んだ両側の肉を接触させることなく緊張した空間をそこに保たせる。顔と同程度の大きさを持つ宝冠はその大きく重い不自然さが、王や女王の威厳ではなく小さな姫の危うくも可愛らしい気品を醸し出す。ぬめるような艶と曲線に導かれて、その身を嘗めるように彷徨う視線の集約点は、小さくきゅっと引き結んだコケティシュな唇と、そこにわざとらしく添えられた二本の思惟の指先。

決して抗えないコケティシュなロリータの魅力もさることながら、それにも増して素晴らしいのは、小像を包む、いや小像の間を埋め尽くす空間確保の美しさだ。
曲げた腕の二の腕と手首の間の空間。軽く俯いた顎と首の間の空間。顎と膝とを2つの頂点として、また曲げた左右の腕の中に包み込まれ、その内側にぐっと掘られるふところの空間。

物質として存在する像を彫る行為が、その周囲の空間を同時に彫り抜く行為に繋がり、像の形状が麗しく無駄のないすっきりしたものであるからこそ、空間が像のなかに入り込む余地が出てくるのだ。白抜きの背景があってはじめて水墨画が完成されるように、空間の彫り抜きとその入り込みによってこの像は完成されている。また、その空間・空気の威力によって、後光にもまさるようなふわりとした蒸気のような暖かさをブロンズに纏わせることにも繋がっている。

お礼を言った帰り際、お姿の写真がどうしても欲しくて2枚の写真を見比べて悩んだ挙句、ひとつに決められなくて2枚とも購入してしまった私に、おばちゃんと運ちゃんが優しい前歯を見せた。

謹賀新年。

2006-01-01 | 徒然雑記
 皆さま、あけましておめでとうございます。

 旧年中は、本当に皆さまに愉しんで頂けることが支えとなり、こうして新たな年を迎えることができました。思えば、昨年の新年には心機一転ということでブログタイトルを変更してみたりもしたものですが、その頃と比較すると圧倒的に且つ想定外に読者の方が増えてしまったこともあり、このまま暫くは現在のタイトルで継続させて頂く予定でおります。
いつまでって? ・・・飽きるまで。

ブログを始めたきっかけは、次のような思いからだ。

「思ったことや感じたことは、たとえそれがどんなに強烈でどんなに感動的な体験であったとしても、ほんの少しの時間を経てしまったら、すぐにそれらは都合よく自分の心の中で再編成されて、当初ほんものであったはずの想いとは似つかないものに変貌を遂げてしまう。それらは決して巻き戻せない。だからこそ、ほんものがほんものであるうちに、その姿を留め貼り付けてしまおう。そのせいで、それがすぐに過去という名前のものになってしまうとしても。」

そして、今この文字を目で追ってくださっている最中の皆さま、そう、あなたがいるせいで、私がこれを続ける目的が少しずつ変化をみせた。勿論、当初の動機が薄らぐことはないけれども。なにが加わったのか?

 「メッセージ」

愉しませるため?
想定する個人になにかを伝えるため?
想定しない人々になにかが伝わるかの実験のため?
あるいは、自分でも意図していない数々の。


 自分でもわからないながらに、振り向いて軌跡を確認することによって初めて見えてくる何か動的な関連を伴って意味をなすものが歴史。
次に、今の状況を歴史として見遣ることができる日がまた訪れるとしたならば、それは私の心に思い浮かぶ皆さまと、顔のまったく見えない皆さまのせい。