Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

岩韻

2009-12-28 | 異国憧憬
 
「一番高いお茶は?」という問いに対する回答は、「一般的には、大紅袍」らしい。

 福建省北部、世界遺産にもなった武夷山という岩場が多い山で作られる「武夷岩茶」。それを代表するお茶が大紅袍(ダアホンパオ)。樹齢300年を超える茶木が4本しかなく、そこから作られるお茶は、量が極端に少ない(※挿し木で子木・孫木を増やしている)。このお茶が、日本円換算で20グラム約280万円超の値がついた年もあったそうだ。

 名前の由来も複数あり定かではない。古く、皇帝が近くを通った時に病気になった際にこのお茶を飲ませたところ速攻で回復し、皇帝がお礼に助けてくれた僧侶に最高位を現す紅の衣を贈ったという説。この地域に住まっていた高僧が病気になり、このお茶で治ったので、自分の紅の衣をこの木に掛けて香を焚き、感謝をした、など。僧侶は鉄則なのだろうか。かつてはアクセスの困難なこの武夷山中の岩場に、そばで寝泊まりをしていた番人もいたらしい。

  ・・・中国茶には僧侶か爺さんがよく似合う。
 


 年の瀬に1時間くらいは、ゆったりとした贅沢な時間があってもいいだろう。
1時間は、ゆったりとお茶を飲むのに丁度よい時間だ。
日中友好会館の中にある茶芸館は、店内のしつらえもスタッフのサービスも、まるで中国に居るようで心地がよかった。品揃えの中には台湾の銘茶も多数揃っているので、誰しもひとつふたつは好みのものがあるだろう。

「このお茶は三煎目がもっとも美味しい」と言って、大紅袍の一煎目と二煎目を惜しげもなく捨てる。
蘭に例えられる、幾重にも重なった小さな花びらがほぐれていくような香りがひろがる。
「熱いお茶と、ぬるくなったお茶を飲み比べて。熱いのはこう(手振りで、舌の奥から鼻のほうへ)香りが広がる。ぬるいのはこう(舌の上から鼻に掛けて、横に丸く円を書くように)広がる。」


 結局、三煎目の「ぬるいほう」が冷たくなるまでそこに居た。
冷えきった最後のひとくちは、まるで小さな淡い黄色の蘭ひとかけを咥えたようだった。






憧れのダブルチェスター

2009-12-01 | 物質偏愛
 コートがない。
 いや、手元にはあるのだけど。いかんせん古びてきたので新調しようとしたのだが、市場にない。
 欲しいのは、スーツの上から着られるコート。ジーンズでも着られるコート。もっと贅沢をいえば、出張でも簡単なパーティーでも着られるコート。 

 昨今市場に並んでいる女性用のコートは、ビジネスシーンを想定していない。女性らしい華奢なラインを形成するため、肩はギリギリか少し内側に入り込むくらいに狭く付けられ、アームホールは非常に細い。とてもじゃないが、肩がカチっと作られたジャケットの上に羽織れる代物ではない(肩が入らない)。
 暫くはウロウロと探してもみたが、これはいけると思うものは軒並み200K以上なので、もういい加減諦めた。諦めた挙句、作ることにした。

 作るとなると俄然欲が出てくるのが我ながら困ったものだ。私がもしも男性だったなら間違いなく憧れるだろうチェスターフィールドコート(パターン画像参照)をベースに、トレンチの要素を加味しながら少し崩すことにした。

そもそもチェスターフィールドコートとは、1830年代の英国の洒落者、第6代チェスターフィールド伯爵に由来する。乱暴な表現だが、テーラードジャケットの丈を膝丈まで伸ばしたようなスタイルで、隠しボタンになったシングルコートだ。胸ポケットも袖ボタンも付いており、場合によっては上襟に黒ビロードがあしらわれることもある(※“ブラック・ヴェルヴェット・カラー”と呼ばれ、フランス革命期の英国で、フランス貴族の相次ぐ処刑に哀悼の意を表するためにはじまったデザイン)。これは、現在の男性用コートのなかでもっともドレッシーな存在とされている。

 わたしのビジネスシーンにはそんなにフォーマルな場面は出てこない。更に、本来のチェスターならばカシミアで作りたいところだが、日々の雑務に耐えるためにはカシミアは不適当であり薄手のウールがより好ましい。寒がりなので丈は長いほうがいいし、とはいえちびっこなので重い印象になるのは避けたい。
ということで、以下のようなオーダーになった。

○生地はスーツ用の薄手ウール
○チェスターフィールドをベースに、ダブルブレスト
○襟はテーラードではなく、台つきの立ち襟
○肩パッドなし
○ポケットは縦の縁つき(フタなし)
○ボタンは3×2=6
○ベンツなし(足裁きは前)
○ベルトなし

細かい箇所についてはここには書いていない小うるさい注文を色々と出したが、細かい仕様については、出来上がりのときに付記することにしよう。
さてさてどうなることやら。 





地球を飾る電飾

2009-12-01 | 春夏秋冬
 今年もとうとう東京が冬に飲み込まれた。
11月になると街のあちこちにクリスマスイルミネーションがきらきらとしはじめるが、実感が沸くのはコートが必要になって、そのコートの首元をすくめるようにして歩き始めるこの時期からだ。ついうっかり猫背になる私の視線をふっと上向けるのが、仕事を終えたあとの夜の街には無邪気すぎるあのイルミネーションだから。
 
 もう少し若い頃には、聞こえるか聞こえないかの「ちぇっ」という舌打ちとともにちょっとだけ口をゆがめてツリーの脇を通り過ぎたこともあった。なのにここ数年はなぜだか、たとえそのツリーがわたしにとってなにももたらすものがなくても、なんとなく和やかな嬉しい気分でそれを見上げることが多くなった。 

 その変化を年齢のせいだと云えばそれは間違いなく正解のひとつに違いない。その変化を自分があの頃よりもしあわせになったからだと云えばそれはもしかしたらそうなのかもしれない。あるいは、自分の脳みその中にこれまでたくさん積み重ねてきたツリーを囲む数々の風景が増えたからなのかもしれない。
どれもしっくりくる理由ではないが、中では最後のやつがもっともそれらしいと思う。

 ツリーの含まれた風景、とりわけそこに自分自身が含まれていない風景のいくつかが降り積もることによって、若きころに描いていた「自分にとってのツリー」はどんどんと小さくなった。その代わりとして街にとってのツリー、自分の知らない誰かにとってのツリーが描けるようになってきたのだろう。


 灯篭流しのように、いくつものツリーが幾人もの人の心のなかに描かれては、年の瀬を迎える頃には慌しく流れさってゆく。いろんな大きさの、いろんな色をしたツリーが、地球のいろいろな場所をきらきらと彩る。
 その風景を遠くから眺めたことを空想してふっと微笑むことができなかった10年くらい前のわたしの心には、チラチラと揺らめく電飾の代わりに、いったい何があったんだろう。