冬も真っ盛りというのに、なぜかとんびに追いまわされるといういやな夢をみた。
そういえば、とんびにあぶらげとはよく云うが、どうせあぶらげをかっさらっていくのならば食い散らかさず上品にぺろりと持って行っていただきたいものだと嘆息する。
とんびは専らかなり高いところを飛び回る鳥で、あぶらげを食う人間どもとはけっこう離れて生きている。そんなとんびが「わざわざ」低いところまで降りてきてあぶらげを狙おうとするんだから、あぶらげってのはほんとうは余程美味しいものなのかもしれない、と思う。
いやいや、いくら理屈を並べたところであぶらげはあぶらげだ。おいなりさんを包むか、安い和定職の味噌汁にひときれふたきれ浮いているだけの、汎用性が高くてメインディッシュには到底なり得ないあれだ。精進料理には肉に見立てることもあるようだが、とんびにとってもかなり「肉っぽい」気がするのだろうか。
でも実際のところ、あぶらげを素で持ち歩く習慣は現代においてはないし、海岸でハンバーガーをさらわれるデート客のニュースをたまにテレビで見る程度だ。年間につきひとつの街でどれくらいのあぶらげがさらわれれば「とんびにあぶらげ」の言葉が生まれるまでになるのだろうか。
と、あぶらげととんびについての考察を一通り終えたところで、ふたたび嘆息する。
人間の手の及ばないところからひゅるると降りてきて身軽にあぶらげをかっさらう後姿を見れば、いくらとんびに悪気がなくたって、「馬鹿にすんな!」と云いたくもなるだろう。たとえそれがヒレ肉じゃなくてメインディッシュにもならないあぶらげだったとしたって。
だって、人はどんなに頑張ったって飛べなくて、けれど空にあこがれる気持ちを捨てきれずにいる。だからせめて、跡形もなく奪い取っていってほしいものだ。指先に残るあぶらげの残り香すらぜんぶまとめて。
「飛べないよなあ。」
会社の屋上に続く階段に座り目を閉じて、ある日の屋上から見下ろした街のすがたを思い浮かべる。
タイミング悪く鳴った携帯を床に叩きつけると、ころんころんとこれまた可笑しげに跳ねながら、階段下まで転げ落ちていった。
手持ち無沙汰になった私は壁を蹴りつけたが、膝に響いてばかばかしいくらいに痛かった。