Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

個人的な。

2007-11-30 | 春夏秋冬
 
 冷たい風の下、コートの胸元を左手できゅっと合わせた、ひとりの外国人と擦れ違った。
擦れ違いざまの一瞬、ビジネスマンと思しきとても背の高い彼は、竦めていた首をすいと上げて三越のエントランスに飾られているクリスマスツリーを見上げて僅かに微笑んだ。静かなその微笑みは、宗教や文化を異にする日本人には決してできないであろう柔らかさに満ちていた。その眼に映るツリーの向こうに浮かぶのは、信仰か、あるいは家族のだれか、それとも。
赤の他人の心を揺り動かすことができるほどの個人的な微笑み。ほんの一瞬の出来事であったにも拘らず、わたしは確かに少しだけ幸せな気持ちになった。

 自分自身のことでなく、大切な誰かのことでなく、愛らしく見えるなにかのことでなく。
それ以外のなにかを見、思うことによってこれほどに柔らかな笑みを湛えることを、人はそう頻繁にはきっとできない。その人の人生の根幹や思想などの諸問題に密接に関わるなにかがその笑みをもたらすものであろうが、それほどに自身と密接ななにかが、自分そのものやそれを取り囲む人間、および大多数共通に「愛らしい」と認識させるもの(子犬のころころした感じや、赤子など)以外であるという条件がきっと難しいのだ。


わたしは必ず、美術と(特に、自分の心を激しく揺さぶる作品と)出逢ったとき、あるいはそれを思い出して語るとき、きっとツリーを見上げた彼と同じような顔をしている。なぜなら、そのさなかの何ものにも替えがたい悦びと情動、安堵は、ほかの何によってもたらされるものとも異なって強烈だからだ。その確信は、彼が見たのと同じツリーを見てふっと頬を緩ませることができないわたしの心を和らげた。

 人はそれぞれ、きっと個人的な微笑みを少なくともひとつずつは持っている。
 それらはてんでばらばらに点滅するから、全くツリーの様相を呈さないだろうけれど。




左目をください。

2007-11-28 | 徒然雑記
「今日でもう逢えないのだね。思い出、と云ってしまうのも陳腐だけど、僕がなにか置いていけるものはあるかな。」
「そうね、だったら、左目か左手。どっちでもいいわよ。」
 夢見がちに細められていた男の目が、すぐさま1.3倍くらいに大きくなった。私は可笑しくなって、吸っていた煙草の煙を吐き出しながら、冗談よとばかりに手を左右に振った。もしここで、仮に冗談にもせよ、私が望んだものがなぜ右目や右手ではなかったのかについての問いかけをしてくれるような男だったら、言を撤回してでも次にまたいつか逢いたいと思うことがあろうに、とこっそり嘆息した。

 人が人を必要とする理由は、自分の不完全さに対する補完だ。新しい世界や知識を教えてくれる人、淋しさと呼ばれる穴を埋めてくれる人、お喋りのように、決して自分ひとりではできない種々の行為のパートナー。
自分が世界の中心であると信じていられた幼稚さと同義の完璧主義(なんとまあ煌くばかりに愚かな言葉であろうか)の状態において人が人に求める欲求は、自らの狭い世界の青写真を完成させるためのものだ。
 そしていつしか大人になり、自らが理想と描く自己像や世界が蜃気楼にすぎないと気付いたとき、世界は途端に巨大化し、日々右往左往する世界自身のダイナミズムを見て驚愕し、自分の無価値と無力さを知る。人は等しく自らの不完全さや不浄さについての嫌悪とそれからの脱却を願うこころを抱えてずるずる歩みを進めながら、新たな欲求のもとに人を必要としはじめる。欠けた箇所だらけの自分という人間が希望を託すのは、同じく「欠け」を認識している第三者でしかあり得ず、互いが補完し合うことによって自身の欠けを充足させ、または相手の欠けを少なからず充たせたという安堵によって命を繋ぐのだ。

 私の日に焼けた肌に重ねられた真っ白な男の手、生々しさを排除するくらいに強烈な色のコントラストが、自覚しない私の「欠け」に気付かせる。他者と並んだときに初めて浮かび上がる「持たざるもの」に気付くたびに、絶対的には変わりようのないはずの私のからだが少しずつ削り落とされていくような、自虐的な愉悦を覚える。
 欠けたものをパテで埋めるという応急処置的対処はあまり好きではない。であれば逆に、欠けた部分がどこか判らなくなってしまうくらいにその他部分をさらに欠けさせるという試みがあったとしてもよいではないか。

「冗談じゃなくてさ、なにかないの?」男の声で我に返った。
「どうして、短絡的に充たそうとする欲求しかないのかしらね。」ぼそりと呟いた。
とはいえ、これ以上云うと、「今日で終わりにしなくても」などと情緒的なことを云いだすのではないかと思って、そこでやめた。かつて手放したはずの幼稚なロマンティシズムに再び捕り込まれた男を相手にしては、身体を重ねることの意味 – 互いが浸蝕不可であることを知り、自分と自分以外のものとの境界を確かめることで相手の存在を知覚するため – すら遊戯以下のものでしかない。

「ほんとに、なにもないのよ。要らないの。」
 笑顔とともに右の掌をかざして、男の顔の左目のあたりを覆い隠してみた。光の下に残された右目は少し細められた。その繊細な動きは、無防備に光にさらされた眩しさと羞恥によるもののように見えた。この男の目はこんな形をしていたのか、と私は初めて知った。
もしも、欠けさせるためではなく、欠けを補うための代償として積極的に左目あるいは左手をこの色白の男が放棄しみてみたとしたならば、ひとまず五体満足である今の状態よりもさぞかし美しく見えるだろう、と思った。





ヴンダーカンマー再び。

2007-11-26 | 芸術礼賛
  -- 美しいものがある。 辛いことがある。 混沌としたものがある。
  -- すべては、等価に。


 私の家に入ってすぐの廊下には、部屋からはみ出した小さな本棚が2つ並んでいる。その上に居並ぶものたちは、まるでおもちゃ箱(こんなものでは遊べないと思うのだけれど)をひっくり返したような混沌さを呈している。
フェラーリをはじめ、射的で落としたり缶コーヒーのおまけについてきたりしたミニカーたち。
サハラ砂漠で拾ってきた化石。
エチオピアの十字架3本。
昭和中期のホーロー看板。
諸外国の通貨。
北欧の笛。
アボリジニの花瓶。
そして、見上げた壁に架かっているのが大正期のボンボン時計とフェルト帽。

 私が意図しないうちに表現していたヴンダーカンマー(Wunderkammer)への憧憬がここにある。秩序や系統立てて蒐集したり整頓したりすることへの本能的な恐怖とともに。
何らかの意味や性質を明瞭にするために、我々は様々なものの中からある一定の基準に基づいてものを選び出し、ある一定の規則に則ってそれを並べ、系統立てる。そのことにより多くの不純物が削ぎ落とされ、見たいものは背景からぐっと鮮やかに浮き上がって我々の眼に映る。本棚の本や調理器具の並べ方も、小学生の背の順も男女の別も、すべてそうだ。そうすることにより、物ごとは整然とその輪郭を掴みやすくする。

 しかし、その秩序を設けることによって零れ落ちる、選ばれるよりも更に多くのものたちの中に、もしかしたら、本質の一端が紛れ込んでいるかもしれない。私にとっては、物ごとの輪郭が茫洋として掴みにくいことによる焦燥感よりも、輪郭を明らかにしようとすることによって大切な何かが見落とされる恐怖のほうが心にまさる。それは、背の順で統一された中に、ある一人が有する身長では計り知れない何らかの特質が埋もれる恐怖。本棚の高さに収まりきらないある一冊の本が「収まるところがないから」という理由で捨てられてしまう恐怖。

 だがそれよりもなお強いのは、合理的に整えられた中にすべての真実が定められているなどという甘えたことはきっとないのだという強い疑念と、実際の「驚異の部屋」に自らが身を置いている最中の胸躍る悦びだ。ヴンダーカンマーでは、レッテルのない(あるいは読めない)骨格標本や機械類が雑多に陳列されているだけで、ひとつひとつの意味を解することはできない。そういう意味では、きっと知識はなにひとつ増えることはない。マトモな標本に並んで、キマイラなどのアヤシゲな展示物さえ等価に並ぶ。それなのに、なぜそこに真贋の境さえ超越した「虚構ではないなにか」が存在することを本能的に察知することができるのだろう。

 かつて、神の被造物として世界の全てのものたちは等価に存在した。世界を知るために、人々は財にあかせて思いつく限りのものを並べた。地球儀とホネと剥製と船の流線型モデルとは同じ部屋にあった。そこには地理学と生物学と物理学との境界よりもなお強い「モノ」としての共通項があった。そうして、多くのヴンダーカンマー(驚異の部屋)が創出され、後世の「博物館」構築とともに失われた。

 私は世界を改めて知ろうというものではない。自分の好きなものに囲まれた箱庭のような狭い世界に篭りたいというのでもない。ただ、整然と系統だった論理をギミックとして使いこなす我々が失いかけている、茫洋とした混沌の中にこそ見出される可能性のある真実を、強く希求する。記号や名前をつけて整理することができない大きく深い箱の中を覗き込む不安な欲求を忘れてしまいたくないと願うのだ。
不安や混沌の向こう側にしかない真実が、きっとある。


【参考図書】
愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎」(集英社新書ビジュアル版)





鉄道博物館

2007-11-19 | 芸術礼賛
 仕事をしていると、ほんの時折ではあるが、「役得」というものに出逢うことがある。
というわけで、2007年10月にオープンしたばかりの鉄道博物館に行ってきた。秋葉原にあった交通博物館の展示物の一部を移管してはいるものの、オリジナルも数多く、既に開館から1ヶ月以上経過しているにも拘らず、毎日大盛況のようである。

 この施設のメイン展示のひとつが、施設面積の半分以上を占める「ヒストリーゾーン」だ。ここでは、日本の鉄道がスタートした明治時代初期から現代にわたる鉄道技術や鉄道システムの変遷・歴史を時期・テーマごとに紹介している。御料車を含む鉄道車両35両の実物車両の展示は圧巻である。機能的になりすぎてしまった昨今の電車とは似ても似つかないスタイリッシュな車両たちが一同に並ぶ姿は、鉄道マニアや乗り物マニアでなくとも充分に心惹かれる光景であると思う(*写真:旧交通博物館にあったD51の搬入作業。レール上を走らせて(牽引して)の納入が最も容易だったらしく、現在の展示でも搬入時のままレール上に固定されている。つまりは、全ての車両の搬入後に施設の壁を塞いで建物を完成させるという寸法だ)。

 開館当初、御料車を除く多くの車両はそれぞれ入場可能で、ドア部の天井の低さから寝台のベッドのサイズなど、当時の列車の大きさや仕様を実際に体感できる仕組みとなっており、そのことがひとつの大きなトピックであった。しかし、今回の視察ではその殆どのドアが閉じられており、乗る(入場する)ことができたのは、記憶に新しい中央線の車両のみであった。
「いやね、何でもかんでも持って行っちゃうんですよ。見学者が。」
「何でもって、カーテンとかですか?」
「カーテンなんて生易しいね。寝台の浴衣とか、ネジとか行き先の看板まで、とにかく『何でも』だよ。」

 憤りとはこのような感情を指すのだろうな、というくらいの、その場に該当者がいたら殴り倒して顔面を車両に幾度となく叩きつけてしまいたい(車両にとっては迷惑極まりないだろうが)気分になった。この世の中には「モノ」と「展示品」の区別がつかない人が居て、しかもそれが希少種というのではないらしい。

 私であれどうにも素敵な仏像に出逢ったとき、「欲しいな~」と思うものの、思うだけなら多分罪ではない。美術館で観覧している人々の多くは、それが現代アートの【ばらまき展示】のようなものであっても、それを踏まないように大人しく観覧しているし、触れる許可が下りている展示物については、得したと云わんばかりに嬉々としてそれに触れて愉しむ。それは観覧者が展示物に向ける畏敬がそこに確かにあり、それが確かな距離感として作用しているためだ。それなのにどうして、展示物が列車になった途端にその畏敬が失われてしまうのであろう。

 「列車」はそもそも、我々の生活に根ざし、日々の風景の中にあるモノだ。我々は確かにそれとともに暮らし、それに触れ、それを使用しながら日々を送っている。しかし正しい方法で(*展示方法は至極適切であり、誤解を生ませるようなものではないことを明記したい)それらが展示された時点を境として、それらは展示物という別格を得、人に使用されてはならないモノと変化するはずだ。
 【実際に触って体感して楽しんでください】と明記された現代アートにさえ触れることを厭う人々が、なぜ触るどころか破壊までしてその一部を持ち帰り、所有するという愚行に走ることができるのか。盗難であることへの意識の低さもさりながら、アートとか美術品とかいうレッテルなしにはモノと自らとの間の適正な距離感を捉えることができず、モノに敬意を払うことができないその貧相な感性を私は嘆く。

 人間はすべからく少々口が達者なだけのモノに過ぎない。
 モノに敬意を払うことができない人間を、私はモノとしてすら見做したくない。





肉を食すユウレイ。

2007-11-18 | 徒然雑記
 夜中に焼肉屋に行くという行為は、非常に退廃的な気分を醸しだす。特に、それが平日であったり日曜日の夜だったりすればなおさらだ。
 肉というケモノ的な食材と、焼くだけという野蛮な調理法がヒト科であるところの知性品性から遠いところに位置している自分を感じさせる。こんなに遅くまで食事をしていたら明日の仕事に障るだとか、もっと野菜を食べないとお肌によくないだとか、そういう長期的なことや未来を少しでも考えるならばそこには居ないはずだ。逆に言えばその日その瞬間のことだけを考えて今そこに居るわけで、そこには社会性の欠片もない。だからなのか、同じ時間にそれなりのお年頃の男女が同じ店に居たりなぞすると、その後に起こるいっそう退廃的な出来事へとうっかり思いを馳せてしまうことを禁じえない。失敬にも、まるで私がずっとそうしてきたことを重ね合わせるようにして。

 仕事や何やらで苛々が募ると、深夜徘徊をしたくなる性質がある。大人しく眠ってしまえばよいのかもしれないが、苛々度が8の状態で眠りに落ちたとして、目覚めたときに8のままの苛々と再び出会うときのがっかりさといったらない。目覚めたときにはその度合いが5くらいにまで軽減しているというのなら話は別だが。

 そういうわけなので、自力で深夜のうちにその度合いを5くらいに、あわよくば2~3くらいにまで軽減させる努力が必要となる。それに最も貢献してくれるのが仕事を伴わない疲労、より詳しく言うなら思考を伴わない疲労感なのだ。だから内蔵を疲弊させるために焼肉屋へゆき、目を酷使するために本を読み、身体を重たくするために男を呼び出したりした。
そうして疲れた挙句に帰宅して床につき目覚めたあとの記憶に残るものは、昨夜の断片的な情景。まるで感情を伴わずに記録されたいくつかの脈絡ない写真の散らばり。

 心の中の、それもけっこう入り口のほうにあるハコのなかに、それらの断片的な写真は混ざり合って仕舞い込まれている。時系列とも、その時々の感情とのリンクしない写真たちは自分目線のファインダーでもなく、自分が被写体となっているようでもない。それはつい今日のことであっても、何年前のことであっても、何の感慨も抱かせない雑誌のスナップや広告写真のように、私の脳内に映る。


「君を降ろしてすぐ後ろを見たとき、君はもうバックミラーに映っていなかった。僕はユウレイを乗せたのではないかと思って慌てて助手席のシートに触れたら、それはまだ暖かかった。君がユウレイでなければよいと僕は思う。」

 帰宅直後に届いたメールには、そんなことが書かれていた。

「赤の他人のくせに、いや、他人だからなのかしら。着眼点は鋭いわね。」
ひとり呟いて苦笑しながら、シートがすぐに冷たくなってしまえば一層よかったのに、と少しだけ苦々しく思った。





破壊と刃物とねじれ。

2007-11-09 | 徒然雑記

 今から200年前、文化文政期の江戸、今川橋から日本橋までの大通りを俯瞰描写した『熈代勝覧』という12mの大作絵巻がある。ここには、越後屋(現・三越)など88軒の問屋や店、魚河岸の賑わいとともに、当時の風俗を垣間見させてくれる様々な職種の人々(その数1,500人以上!)が描かれている。
 そして、この問屋の並びの中、越後屋の向かいにある刃物屋「木屋」が今もなお健在だ。百貨店が隆盛したかと思えばファッションビルやホームセンターにその座を奪われ、果てはネットショッピングで何でも買うことができる時代になっても、木屋のような「専門店」が生き生きと事業を続けていられる環境は、そうそうないような気がする。

 自分が日々の命を繋ぐための餌を作るための道具に出資したことはこれまで殆どない。どんな道具であれ調理はできるものだし、調理のために必要な行為に対応する機能を有した道具が一通り揃っていれば、それでよかった。物体のフォルムに異様な執着をみせる私にとってさえ、単なる餌を生成するための道具にすぎないものたちに、必要以上の機能性や見てくれの美しさを求めていなかったからであろう。

 近頃は、私ではない別の人の意思のもとに、餌ではない食事を摂ることができるようになった。餌には感情的に見向きもしないくせに、食事に対しては敬意を払いたくなる理由はよく判らない。けれど、餌ではないものを作る人に、私に歯牙にも掛けられないような陳腐な道具を使わせていてはいかんと思うようになったのである。そうして、かねてから知っていたが知っていただけの「木屋」を初めて訪れた。

 「木屋」では年に一度、有体に云うところのバーゲンがある。だが、そのバーゲンの名称が「刃物まつり」というのだから心が躍る。人間がケモノと一線を画すところなのかもしれないが、刃物を他の物体 ――例えば、カレンダーとかボールペンとか、ハンカチとかまな板とかだ―― と同じ感覚で眺めることは難しい。恐怖に近いおののきを感じたり、美しさに魅入ったりという何かしらの特殊な感慨を覚えることが多いに相違ない。推察するに、それは刃物が「破壊という特別な機能を負わされた物体」あるいは「破壊という行為をすることを公的に赦されている物体」であることへの憧憬だったり恐怖だったりに通じるものではないか。

 そんな「刃物まつり」の狭い店内には、非日常的な光景が広がっていた。剥き出しの刃物がずらりと無警戒にその身を晒し、客は思い思いにそれらを手に取り、重さや握りを確かめるのだ(その客の中に私も居る)。嬉々として賞品を物色する人々の日常的な笑顔と、扱われる商品が全て刃物であることの座りの悪さ。

無自覚なねじれを愉しんだことの対価のようにして、私も一本の包丁を購入した。
刃物をビジネスバッグに詰め込んで帰宅する些細なねじれに期待しながら。