Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

箇条書きGW(前半戦)。

2007-04-30 | 徒然雑記
【行ったところ】
・大学(美術史時代)の同期会。卒業以来初めてだ。
・亀戸天神(藤まつり)
・神保町
・銀座
・上野



【食べたもの】
・行き着けの寿司
・ダムカレー(アーチ式)
・ジンギスカン
・珈琲(モカマタリ、エチオピア)
・ハーゲンダッツ
・神楽坂のどこかで買ったあんみつ



【買ったもの】
・MOLESKINEの手帳
・ロック柄キャミソール
・日焼け止め
・香水ミニボトル(出張&旅用)
・ミニアルバム(写真整理用)
・ミシュランジャポン(日本の観光地ガイド/仏語)







名言バトン。

2007-04-26 | 伝達馬豚(ばとん)
 決して重いものを持ったとか、無理をしたというのではない。
 一年前に激痛に苦しめられた右肘が昨日からじくじくと痛んでやまない。
 集中力が阻害されてならない。昨年は、こんな朦朧とした状況で日々仕事をしていたのだな、と思うと、身体のどこかが「毎日痛む」ということがないことが、どれだけ有難いものなのかを実感する。なにせ、仕事にも、ご飯にも、熱中できるではないか。

 あぁ、書いたところで、なお痛い。


【Q1:あなたにとって「運命」とは何ですか?】
 樹形図。運命は、「選択」に基づいて編まれてゆく。

【Q2:あなたに子供が生まれました。(男性の場合は、「生まれたと知りました」)さて?】
 ご愁傷さま。

【Q3:美味しいビールを飲み干しました、さて?】
 救急車手配速攻プリーズ!

【Q4:あなたにとってブログとは?】
備忘録。

【Q5:あなたの心に深く残っている名言を一つ教えて下さい。】
1) 「靴と男だけは、妥協せずにいいのを選べ。」
 2) 「博士号というのは、靴下についたご飯粒のようなものだ。
   取らないとなんか気持ち悪いし、取ったからといって食えるものでもない。」
 3) 「100に到達したいならば、目標は120以上に置くことだ。」

【Q6:そして、それに負けないぐらいの名言を残して下さい。】
あたしが「だいじょうぶよ」と云って、大丈夫でなかったことなどない。

【Q7:人を好きになるということは一体どういうこと? 】
自己嫌悪と戦うこと。

【Q8:世界一美しい海の底から光輝く水面を見上げなにかコメントして下さい。】
水の中で呼吸ができないなんて、人間とはなんと劣った生き物だ。

【Q9:あなたはびんたされました。さて?】
一呼吸おいて、笑う。(にやりと、でもいいし、声を上げてもよい)

【Q10:とびきりの愛の告白を教えて下さい。】
死にたくなったらあたしが殺してあげる。

【Q11:最後にとびきりのプロポーズのことばを考えて下さい。】
(天地がひっくり返っても自分から云うことはないだろうので、パス)

【Q12:世界が終わる前夜に言いたい言葉】
究極の晴れ舞台だね。

【Q13:まわす人】
 「悪魔の辞典」(A.ビアス)
 「紋切り型辞典」(フローベール)
 などを読んでうっかり笑ってしまったそこのあなた。








剥き出しの速度。

2007-04-24 | 徒然雑記
 夜の都内を駆ける。

 ハコに護られていない身体が剥き出しのままで。まだ風になる前の風は、ビルや道路や看板の周囲をびっしりと埋め尽くす空気の層だ。どこまでも途切れることのない、分厚い空気の層の真ん中を(あるいは端っこを)小さく薄い動力がひどくゆっくりした銃弾のように破り裂いてゆく。

 均衡が崩れたところが風となり、端がびりびりと破れた空気のフリルが身体の表面を軽く叩いて、面白いように後ろへと流れてゆく。通過した道のすべてがひらひらした空気のフリルの軌跡を示し、前に進むのを止めない限り、そのフリルは永遠に我々の身体の表面を尖った力で撫で続ける。

 涙で霞んだ眼に映るビルの灯かりや車のライトはそれぞれが大きく小さな十字となり、光の十字は暗い夜の左右をひゅんひゅんと流れてゆく。
 
 私の眼にとって美しいのかそうでないのかも判らない流れは景色の様相を呈することもなく、瞬間的に眼に映るものはそれぞれが独立したばらばらの要素だ。言い換えてみるなら、普段なら集合体としてひとつのなにかを構成している「景色」というものが、見る側に剥き出しの速度が加わることによって分解され、ふたたびそれぞれの「要素たち」に戻っていくのだ。地球の形に完成したジグソーパズルに拳を叩き込んだとき、きっと同じような現象が見られるに違いない。
 更に、加速すること、減速することによって、要素は集合体としての景色に戻り、そしてまた四散して要素になる、双方向の過程を確かめることができる。


 なにかを切り裂いて前へと進む、破壊を伴った疾走感。そこに鼓動のようについてまわるエンジンの振動と、路面を拾う小さな跳ね。身体をぐっと後ろに、正確には後ろ下方に引き寄せられる重力。


「手を離したら、そうして足の力を緩めたら、どうなるかしら。」
 そんな素敵なことを、うっかり想起する。

それは、突発的にふと身体の中を突き抜けて去ってゆく一瞬の性衝動と極めて同種のものだ。それに耐え得ることが嬉しく、それをいまふたたびと願うことが愉しく、決してそれを解放してはならない高純度のファンタジィ。


 心地良い。
 それは癒しのそれではなく、自分の中が荒らされるなにか。




暴走散歩。

2007-04-22 | 異国憧憬
◆◇◆修正依頼を反映し、経験値を追加(4/23)◆◇◆


 ◎プレイ開始(HP200 4/22 0:00時点)



0) 5:30起床               ⇒HP125(-75)

1) 家から、車で神奈川県の三浦半島まで。 ⇒HP120(-5)

2) 強風のため、フェリーで激烈に酔う。 ⇒HP50(-70) 経験値25↑

3) しまあじのみりん干しで若干復活。 ⇒HP65(+15)

4) 南房総のフラワーラインを通過。 ⇒HP55(-10) 経験値6↑

5) 海鮮料理で若干復活。         ⇒HP60(+5)

6) シェイクスピアカントリーパーク視察  ⇒HP40(-20) 経験値30↑

7) 懲りずにいちご狩り          ⇒HP50(+10) 経験値42↑

8) 山道を延々と迷子系ドライブ      ⇒HP30(-20) 経験値4↑

9) うみほたる休憩            ⇒HP25(-5)

10)都内へ戻り、夕食処物色        ⇒HP5 (-20 *ほぼ絶命)

11)中華料理屋で夕食をゲットした!    ⇒HP15(+10 *意識回復)

12)帰宅                 ⇒HP10(-5)

13)風呂                 ⇒HP?(測定不能 *脈拍不安定)



リセット。






新しい春。

2007-04-16 | 春夏秋冬
 ベイルートを発ったマレーシア航空の機材がカイロに寄航したときのことだ。
もう出発時刻が5分前に迫っているというのに、悠々と笑って会話をしながら乗り込んできた二人組が居た。彼らはとても汚いTシャツとハーフパンツを着ていた。客室乗務員が急かすのを気にも留めず、彼らは通路を挟んで私の隣に座った。

真っ黒に焼けた顔は無精鬚にまみれてお世辞にも美しいものではなかったけれど、彼らはあまりにも愉しそうで、ついその話に耳を傾けた。そうして、聞こえてくる話にうっかり「くくっ」と小さな笑い声を漏らした私を、彼らは見逃さなかった。
彼らは二人揃って、とてもそっくりな極上の笑顔を私に向けた。

 乗り継ぎ地のクアラルンプールで、6時間はある待ち時間を私たちは愉しく遊んで過ごした。一人は空港内の寒さが辟易するからといって機内から奪ってきた毛布にくるまって、ベンチの上でさなぎのようになっていた。もう一人は、お腹が空いたのだといって食べ物を調達しに出掛けていった。あるいは、買いもしないサングラスを物色しながら三人で店内をうろついたりした。

 どこから見ても仲良しに見える二人はやることなすことがてんでばらばらで、それなのに、「ひとりがふたつ」ではなくて「ふたり」で居た。そこに私が加わったとき、「ふたりとひとり」ではなくて「さんにん」になった。「さんにん」は、やっぱりそれぞれがてんでばらばらであった。


 別れ際の成田空港で、名前とメールアドレスとを交換した。

 そして季節が春から夏に変わる頃、お食事会の誘いが来た。
食事会に現れた人々は皆彼らと同じような笑顔を持ち、彼らと同じようにてんでばらばらで、突然現れた私をいとも自然なことのように受け入れた。人数が増えたとしても、そこには「俺たちと君」ではなくて「俺たち」だけがあった。
何故なら、彼らは揃いも揃って、極上の旅人であった。



 披露宴でぐちゃぐちゃに酔わされ、人事不肖で二次会に臨んだ新郎。
ぐったりする直前まで、彼は6年前のマレーシア航空の機内で出逢ったときと変わらぬ笑顔を我々に向けていた。それは彼が旅人であることの証のようなもので、私はそれを嬉しく思った。
しかし、新婦に向ける笑顔には、それとは少しだけ異なる静やかさがあった。
そのことを、私は一層嬉しく思った。


「俺たち」はてんでばらばらに、勝手な人生を重ねてきた。そして、これからも。
けれど、「俺たち」が「俺×人数」になることは何故だか決してない。

私はきっといつもどこかで、自分が「俺たち」の欠片であることを認識しながら、てんでばらばらに生きている。
旅人が集結するにはひとつの笛の音があれば充分で、私はその笛を待たない。
けれど、笛が聞こえたときは、その音よりも大切なものなど、なかなかないのだ。







天国の扉。

2007-04-09 | 徒然雑記
 「リハーサルは、明日の午後三時。」


 人生を終えて天国に辿り着いたとき(天国にゆけるのが大前提だが)、天国の扉のところに立っている門番は、いちばん最初に出逢う人だ。
そのとき、いちばん最初にどのような言葉を掛けて貰いたいだろうか。

その問いに対してのアル・パチーノの答えが上に挙げたものだ。
粋なエンターテイナーとは、こういう人を指すのだなと感慨深かった。



 この話をしてくれた上司に、自分だったらどうかと問うた。

 「いやぁ、みんなは反対したんだけどね~。」



    迂闊にも、大笑いをした。


できることなら、皆さまが天国に辿り着いたときに最初に聞く言葉を教えてください。




 「君、そこ、通用口だけど。・・ま、いっか。」





鷺の舞う潅仏会。

2007-04-08 | 春夏秋冬
 
  --- ありがたきもの。
  --- 毛のよく抜くる銀の毛抜き。 (枕草子)


 テクノロジーは様々に発達し、その一方で何百年も同じ悩みがつきまとう。長い間、消費者が切実に願いながらも未だに完全解決に結びつけることができないプロダクトというものは、案外単純な構造をしていて、単一の使用目的を持つことがその理由のひとつなのだろうか。
という訳で、出張先に毛抜きを忘れて帰ってきてしまったため、刃物屋にて手作りの毛抜きを購入した。似たようなサイズと形状のものが100円から5,000円以上まで実に様々に並ぶ。一般的な形をした毛抜きの適切な価格というものを私はよく知らない。皆様の適正価格はどのくらいなのだろうか。統計が取れるものなら是非知りたいと思った。


 既に緑の割合のほうが多い葉桜を愛でつつ、隅田川沿いを散歩した。あまりに天気がよかったから、互いの近況を報告し合いながら、そのまま浅草寺にまで足を伸ばした。二天門から境内に入ると、これまで見たこともない人垣と屋台の列にぶつかった。

 「いつもこんななの。」友が私に訊いた。
 「いや、こんな日はまずないわ。そういえば、今日、誕生日ね。お釈迦様の。だからだわ。」

 輿に乗った楽隊の笛の調べに連れられて、白鷺(*) の行列が本堂に向かっていった。行列は、ほんの一瞬で通り過ぎていった。遅刻の挙句に待ち合わせの店を見つけられずにうろうろしていなかったら、出逢うことの叶わなかった行列。私と友は、まるでしてやったりと笑顔を交わした。
 遠くからちらちらと桜の花弁が舞ってくる。
 青く高い春の空に、竜笛の響きはとてもよく似合う、と思った。


 本堂はいつもと変わらぬ程度の人の入りであった。いつもは素通りする賽銭箱も、お誕生日となれば話は別だ。おめでとう、と呟いて賽銭を投げ入れると、脇にあった花御堂へ。洋の東西を問わないとりどりの花に埋もれた小さな御堂の水盤に立つ釈迦の立像に、参詣者が次々と甘茶を注ぐ。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の時9つの龍が天から清浄の水を注ぎ産湯を使わせたという伝説に由来するというが、こんなにもにこにこと甘茶を注ぐ人々の姿はあまりにも微笑ましくて、龍とは程遠いものであった。偉くて遠くにいるはずのお釈迦様も、誰彼と同じようにこの日にこの地上に「生まれた」。その等しさと花の季節のうららかさとが我々にお釈迦様との距離を近づかせ、その姿を誰かと重ねることが赦され、その顔を等しくほころばせるのだ、きっと。

 
 「今日のマユの遅刻は完璧だったよ。」
 8ヶ月ぶりに逢った友はそういって私を褒めた。




* 白鷺の舞は平安時代の風雅を伝えるもので、白鷺をかたどった衣装をつけた踊り子等40名が境内を舞い踊る。
これは浅草寺の「慶安縁起絵巻」にある祭礼行列の中からとったといわれており、武者3名、棒振り1名、餌撒き1名、大傘1名、白鷺8名、楽人19名、守護童子の構成で、平安装束に身を固めている。




脱皮。

2007-04-05 | 春夏秋冬
 那覇から戻ったら、東京はとても寒かった。
 寒くなったのが、この日まで桜を残してくれたためだったとしたら、このうえなく嬉しいことだ。
桜の咲いていない誕生日なぞ思いもつかない。


忙しく厳しい那覇出張の夜は誕生日の前日だった。
某ホテルのマネジャーが可愛らしいホールケーキを用意してくれた。
従業員の方々よりもなお大きな声で、同行した社員が歌を歌ってくれた。
携帯で撮って貰った写真は「ケーキに負けてない顔の写真を久々に見た」という結構な評価を頂いたが、そんな強烈な代物なので公表できないのが非常に残念だ。 
仕事中に、それもかなり大きな仕事中に、こんなに素敵な誕生日を迎えることができるとは露ほども思わなかった。この会社にいることを、改めて幸せに思った。

 スーツのファスナーが破壊されて、あまりの非常事態のために会社に戻ることが叶わなくなった。事業部長に事態を報告すると、「自宅作業を命ずる」と云われた。

誕生日に大きな仕事をしているということは、とても素晴らしいことだ。
誕生日にとんちんかんなハプニングがあるということは、とても素晴らしいことだ。
まるで、これからの一年間が「仕事」と「笑い」において保証されたようなものだ。


日付が変わった直後にも、そして今でもなお、メールや電話が入る。その数は都合20件を超えている。
2年前の誕生日、「歳を重ねるごとに誕生日が愉しくなる」と書いたが、それは今でも変わらない。こうして祝いの言葉をかけてくれる人々の想いのぶんだけ、過ぎた一年が生かされてきたものであることを思い知る。
沢山の想いは、人の心臓を動かすためのどんな動力に変換されるのだろうか。


嬉々として自宅で机に向かう私のところに、大きな花束と満面の笑顔がやってきた。
PCに手を置いたまま振り向いた私は、この一年も幸せな華で充たしてゆきたいと心から願った。



この日にも、桜にも、想いを掛けてくれるすべての人にも。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとう。








 

Hotel Lover (3).

2007-04-04 | 異国憧憬
 買ったばかりの靴ではなく、幾つもの国や幾つもの大事な場面へと私を連れて行ってくれた靴を履いて、南の島へ。
新しい靴は大好きだけれど、どきどきする旅や常とは異なる地での仕事へと私を連れてゆかせるだけの信頼はまだ勝ち得ていない。 

 旅や移動という、必ずどこかに不安定を伴う動きをなるだけ確固たるものへと仕立てあげるのが靴の役目だ。私という身体と足の運びとを熟知しており、尚且つ過去の様々な忘れ難い場面を共に迎え、その動揺や悦びとを共有してきた靴だからこそできることがある。つい先日にオイルを施されたばかりの靴は艶めいて、しかしアッパーレザーには微かに裂け目が生じはじめている。正直、かつてのように雨に耐えることはできないだろうと知りながら、迷い無くこの靴に足を通す雨の朝。


 日付も変わってからようやくチェックインを済ませて転がり込んだ部屋はオレンジ色の暖かい灯りにぼんやりと白い壁と大きなベッドと、淡い色のウッドを浮かび上がらせる。
窓際には一輪の蘭の鉢植え。隅々まできらきらに磨かれた葉っぱの形の灰皿はウッドの机に綺麗な波模様の影を描く。
私はその光景にふっと安堵して、PCを立ち上げて仕事のメールをチェックする。家からPCに入れっぱなしのCDを起動したら、ようやくの煙草に火を点ける。誰のものでもない部屋が、私のためだけの部屋だと錯覚する瞬間だ。


 この時間があるから旅が好きで、出張さえも好きなのだ。
 開いたままのブラインドの隙間から、薄暗いために妙に不慣れな夜景が広がる。







山のむこうへ。

2007-04-02 | 春夏秋冬
 雨の室生寺、ダマスカスの夜景に、サハラの丘陵。
 工場や発電所などの巨大なプラントに、夏の山間を割く清流。まだ目覚めていない街に漂う春霞。
好きな景色というものは、存外たくさんあるものだ。固定的なそれにとどまらず、ある決まったアイコンが揃うとき、それは突然に心を響かせる風景になったりして、私の足を留める。
 

「どうしたの。ご機嫌だね。」

 窓の外に流れる景色を無表情で眺めている私がご機嫌であることを察知できる人はそう多くない。手加減なく自分のご機嫌に没頭できることは、なかなか幸せなことなのだ。
ご機嫌になればなるほど、「どうしたの。機嫌悪い?」「体調がすぐれない?」という言葉を頻繁に掛けられる。それならば、とご機嫌を表現するのにお定まりの「ご機嫌ですよ」という顔をしるしとして提示することを試みた。しかしご機嫌度が進むほどに私の心は余裕がなくなり、貪欲にご機嫌へと突き進むものであるから、結局のところ最後には嬉々として無言無表情へと没入してしまって、元も子もない。人それぞれ様々な怒り方があるように、ご機嫌であることの表現方法にも社会がもう少し寛容であってくれたらよいのに、と思う。

「鉄塔が、山を超えてゆくの。」

 高速道路を跨いで、電線をしなやかなドレープのようにその肩に引っ掛けたまま赤城の山を越えてゆく鉄塔の列に見入っていた。助手席から左を向いているから、常のように左目だけから流れる涙が気取られずに済んでよかった、と思った。

近くで見たらそのてっぺんが見えないくらいに高く重厚な鉄塔が、山をいくつも越えてゆく。その姿はまるでシュルレアリスム絵画において鉄塔が進んでゆく道のコマ送りのようだ。ひょい、ひょい、と動いた動力の置き土産が電線によって表現されただけの、ただ一本の鉄塔。私の眼では遠くが春の靄にかすんで見えないけれど、ひとつ、またひとつとまばたきをする度に、鉄塔は一歩、また一歩とその歩みを進めているに違いない。道なき山の中腹に無頓着に足を下ろして、無重力にも近い軽やかさで、山を無作為に越えてゆく。
いくつも、いくつも。

 自らの身体の重さなどわけなく、どこまで彼はゆくのだろう。どこから来て、どこへ還るのだろう。
 あまりにも軽々しいその足跡に、彼が自らの行き先を決定していないことはほぼ明らかだった。だからこそ、彼の行き先が気になって堪らなかった。後を付いて行って確かめたいと願うくらいに。

 ふと振り向いてうっかり見てしまった自らの十一年間の迷子は電線を幾重にも絡ませていてお世辞にも軽やかとは呼べず、半ば神経症的な黒々と入り乱れた軌跡を描いていた。複雑に絡まった線は、幸いなことに寸断されてはいなかった。私は確かにそれを目にし、そのヴィジョンは、黒々とした見苦しい混沌からいつしか抜け出していたことを示していた。
私は充足した溜息を漏らした。

「長かったの。」
「がんばったね。」


窓の外に流れる景色を見ながら、ひっそりと私は笑顔だった。