--- ありがたきもの。
--- 毛のよく抜くる銀の毛抜き。 (枕草子)
テクノロジーは様々に発達し、その一方で何百年も同じ悩みがつきまとう。長い間、消費者が切実に願いながらも未だに完全解決に結びつけることができないプロダクトというものは、案外単純な構造をしていて、単一の使用目的を持つことがその理由のひとつなのだろうか。
という訳で、出張先に毛抜きを忘れて帰ってきてしまったため、刃物屋にて手作りの毛抜きを購入した。似たようなサイズと形状のものが100円から5,000円以上まで実に様々に並ぶ。一般的な形をした毛抜きの適切な価格というものを私はよく知らない。皆様の適正価格はどのくらいなのだろうか。統計が取れるものなら是非知りたいと思った。
既に緑の割合のほうが多い葉桜を愛でつつ、隅田川沿いを散歩した。あまりに天気がよかったから、互いの近況を報告し合いながら、そのまま浅草寺にまで足を伸ばした。二天門から境内に入ると、これまで見たこともない人垣と屋台の列にぶつかった。
「いつもこんななの。」友が私に訊いた。
「いや、こんな日はまずないわ。そういえば、今日、誕生日ね。お釈迦様の。だからだわ。」
輿に乗った楽隊の笛の調べに連れられて、白鷺(*) の行列が本堂に向かっていった。行列は、ほんの一瞬で通り過ぎていった。遅刻の挙句に待ち合わせの店を見つけられずにうろうろしていなかったら、出逢うことの叶わなかった行列。私と友は、まるでしてやったりと笑顔を交わした。
遠くからちらちらと桜の花弁が舞ってくる。
青く高い春の空に、竜笛の響きはとてもよく似合う、と思った。
本堂はいつもと変わらぬ程度の人の入りであった。いつもは素通りする賽銭箱も、お誕生日となれば話は別だ。おめでとう、と呟いて賽銭を投げ入れると、脇にあった花御堂へ。洋の東西を問わないとりどりの花に埋もれた小さな御堂の水盤に立つ釈迦の立像に、参詣者が次々と甘茶を注ぐ。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の時9つの龍が天から清浄の水を注ぎ産湯を使わせたという伝説に由来するというが、こんなにもにこにこと甘茶を注ぐ人々の姿はあまりにも微笑ましくて、龍とは程遠いものであった。偉くて遠くにいるはずのお釈迦様も、誰彼と同じようにこの日にこの地上に「生まれた」。その等しさと花の季節のうららかさとが我々にお釈迦様との距離を近づかせ、その姿を誰かと重ねることが赦され、その顔を等しくほころばせるのだ、きっと。
「今日のマユの遅刻は完璧だったよ。」
8ヶ月ぶりに逢った友はそういって私を褒めた。
* 白鷺の舞は平安時代の風雅を伝えるもので、白鷺をかたどった衣装をつけた踊り子等40名が境内を舞い踊る。
これは浅草寺の「慶安縁起絵巻」にある祭礼行列の中からとったといわれており、武者3名、棒振り1名、餌撒き1名、大傘1名、白鷺8名、楽人19名、守護童子の構成で、平安装束に身を固めている。