「幸せの中にいると、不安定な日々が懐かしくなるものだね」
友からそんな短いメールがきた。至極当然のように共感を求める文面に笑う。
不安定な日々は、悩みの渦中にあることの現れであり、かつ未来への足掛かりを得ていないことに起因していた。友が不安定であった同じ時期に、同じ程度の不安定さを恐らく私は共有していた。ともに20代も後半になりながら、私たちはこの笑えないモラトリアムを鬱々と笑って過ごしていた。
あるいは、その時期は私たちにとって最後の青春だったのかもしれないと思う。昼夜を逆転させるのも自由、研究室で朝まで「将来はどうしていきたいか」について聞いているほうが照れてしまいかねない本気の議論を交わすことも自由。東京に慣れてしまった私にとって、夜になれば種々の虫の音や稲穂が揺れる音がそこかしこに聞こえるあの土地は、桃源郷とは対極にある陰鬱さながら、現実世界とは時間も空間も隔絶されたかのような、まさに仮の棲まいであった。
都に戻った今にして思えば、あの転居が古い友人から「都落ち」と称されたように、過去を切り、次も判らず、身ひとつで篭るには丁度よい庵だったのかもしれない。都にはともがらを除いて遺してきたものはないから、仮に都に戻れなかったとしても、そのままどこかへおさらばできる。そんな暮らしはまるで夢のように実体さだかならぬものであり、不安定でないはずがない。
そして、その陰鬱とした暮らしに実体を与えるのは、その土地を去ったあとの自分たちの生きざま以外にないということに当時の私たちは気付いていた。もはや過去となった「いま」はその時間の中だけでは完結する強さを持たず、未来の我々に向かってより強い実体の提供を求めていたように思う。
「いま」に生きる私たちはそのときどうすることもできず、まるで他人事のように実感の沸かない自分たちの明日に賭けた。ぼんやりと弱く互いを照らし、同じ時間や風景を共有しつつ、いまそこに自分が居るらしいことを繰り返し確かめた。
あのとき実感の沸かなかった「明日」のなかを生きている友の「不安定な日々が懐かしくなる」という言葉。「いま」の実体を「いま」の中で充足できることの不思議さと、新たなる不確実さに揺らめく心が今の私には手にとるようにわかる。
ビルの立ち並ぶ窓の外には、木々のさざめきも稲穂の揺らぎも見えない。
友からそんな短いメールがきた。至極当然のように共感を求める文面に笑う。
不安定な日々は、悩みの渦中にあることの現れであり、かつ未来への足掛かりを得ていないことに起因していた。友が不安定であった同じ時期に、同じ程度の不安定さを恐らく私は共有していた。ともに20代も後半になりながら、私たちはこの笑えないモラトリアムを鬱々と笑って過ごしていた。
あるいは、その時期は私たちにとって最後の青春だったのかもしれないと思う。昼夜を逆転させるのも自由、研究室で朝まで「将来はどうしていきたいか」について聞いているほうが照れてしまいかねない本気の議論を交わすことも自由。東京に慣れてしまった私にとって、夜になれば種々の虫の音や稲穂が揺れる音がそこかしこに聞こえるあの土地は、桃源郷とは対極にある陰鬱さながら、現実世界とは時間も空間も隔絶されたかのような、まさに仮の棲まいであった。
都に戻った今にして思えば、あの転居が古い友人から「都落ち」と称されたように、過去を切り、次も判らず、身ひとつで篭るには丁度よい庵だったのかもしれない。都にはともがらを除いて遺してきたものはないから、仮に都に戻れなかったとしても、そのままどこかへおさらばできる。そんな暮らしはまるで夢のように実体さだかならぬものであり、不安定でないはずがない。
そして、その陰鬱とした暮らしに実体を与えるのは、その土地を去ったあとの自分たちの生きざま以外にないということに当時の私たちは気付いていた。もはや過去となった「いま」はその時間の中だけでは完結する強さを持たず、未来の我々に向かってより強い実体の提供を求めていたように思う。
「いま」に生きる私たちはそのときどうすることもできず、まるで他人事のように実感の沸かない自分たちの明日に賭けた。ぼんやりと弱く互いを照らし、同じ時間や風景を共有しつつ、いまそこに自分が居るらしいことを繰り返し確かめた。
あのとき実感の沸かなかった「明日」のなかを生きている友の「不安定な日々が懐かしくなる」という言葉。「いま」の実体を「いま」の中で充足できることの不思議さと、新たなる不確実さに揺らめく心が今の私には手にとるようにわかる。
ビルの立ち並ぶ窓の外には、木々のさざめきも稲穂の揺らぎも見えない。