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Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

憧れのダブルチェスター

2009-12-01 | 物質偏愛
 コートがない。
 いや、手元にはあるのだけど。いかんせん古びてきたので新調しようとしたのだが、市場にない。
 欲しいのは、スーツの上から着られるコート。ジーンズでも着られるコート。もっと贅沢をいえば、出張でも簡単なパーティーでも着られるコート。 

 昨今市場に並んでいる女性用のコートは、ビジネスシーンを想定していない。女性らしい華奢なラインを形成するため、肩はギリギリか少し内側に入り込むくらいに狭く付けられ、アームホールは非常に細い。とてもじゃないが、肩がカチっと作られたジャケットの上に羽織れる代物ではない(肩が入らない)。
 暫くはウロウロと探してもみたが、これはいけると思うものは軒並み200K以上なので、もういい加減諦めた。諦めた挙句、作ることにした。

 作るとなると俄然欲が出てくるのが我ながら困ったものだ。私がもしも男性だったなら間違いなく憧れるだろうチェスターフィールドコート(パターン画像参照)をベースに、トレンチの要素を加味しながら少し崩すことにした。

そもそもチェスターフィールドコートとは、1830年代の英国の洒落者、第6代チェスターフィールド伯爵に由来する。乱暴な表現だが、テーラードジャケットの丈を膝丈まで伸ばしたようなスタイルで、隠しボタンになったシングルコートだ。胸ポケットも袖ボタンも付いており、場合によっては上襟に黒ビロードがあしらわれることもある(※“ブラック・ヴェルヴェット・カラー”と呼ばれ、フランス革命期の英国で、フランス貴族の相次ぐ処刑に哀悼の意を表するためにはじまったデザイン)。これは、現在の男性用コートのなかでもっともドレッシーな存在とされている。

 わたしのビジネスシーンにはそんなにフォーマルな場面は出てこない。更に、本来のチェスターならばカシミアで作りたいところだが、日々の雑務に耐えるためにはカシミアは不適当であり薄手のウールがより好ましい。寒がりなので丈は長いほうがいいし、とはいえちびっこなので重い印象になるのは避けたい。
ということで、以下のようなオーダーになった。

○生地はスーツ用の薄手ウール
○チェスターフィールドをベースに、ダブルブレスト
○襟はテーラードではなく、台つきの立ち襟
○肩パッドなし
○ポケットは縦の縁つき(フタなし)
○ボタンは3×2=6
○ベンツなし(足裁きは前)
○ベルトなし

細かい箇所についてはここには書いていない小うるさい注文を色々と出したが、細かい仕様については、出来上がりのときに付記することにしよう。
さてさてどうなることやら。 





キャンディボックス

2009-05-14 | 物質偏愛
 半年くらい前にオーダーしたネックレスがブラジルからやってきた。
溶けかけてなくなる寸前の飴玉みたいなカラフルな石が、ざっくばらんにカットされて、ぽつぽつと並んでいるだけのもの。デザインを排し、石だけがころころとぶら下がっているありさまは、まるで音符のようで非常にかわいらしい。
決して主演女優のような石がいるわけでもなく、設えられた環境(デザインのこと)があるわけでもない、すべての石がただそこにいるだけの状態というのが今回のテーマだ。

 私は石がだいすきで、過去記事でつい何度も言及している。
 石は硬くて、ぶつけられると痛くて、魔除けに使ったり、宗教的儀式に使ったり、昔はお金になったりもした。そして、石は時折、自然界の脅威を感じさせるくらいに美しい色を放つ。

 宝石を敷き詰めて作った地球儀などというものを古今東西のお金持ちは作りたがるわけだが、それが世界地図や絵画ではなくて(これらは宝石ではない石を用いたモザイクという形で表されることが多い)「地球儀」という腕で抱えられる球体、いま自分が立っている大地のカタマリのレプリカであることは、なんとなくしっくりくる。なんと言うか、宝石に感じる畏敬や神秘、ファンタジイが「地球」を擬似的に俯瞰したときのぞくりとする不安定な万能感、一方でそれを打ち砕く人間には追いつけないスケールへのおそれの向こうに透けて見える。

 宝石は、カットされて装飾品に加工されるのを待つルースの状態がいちばん好きだ。キラキラ、ざらざらと無防備な状態で、大量にそこにあればなおよい。
装飾用にカットされる前の原石は、シンデレラにすら届かないくらいの泥かぶりな状態で素性がわけわからないし、完璧なアクセサリーの一部分になっていると、定位置に収まってしまっているばかりか、周囲の石や飾りとのチームワークが求められるから、ひとつの石としての主張はなかなかできない。
 その点ルースは、まだ自然界の名残を有していて、尚且つ「あたしたち、これからあなたのお飾りになるのよ!可愛く作ってね!」なんていう声が聞こえそうなくらいに、ひとつひとつの石が「わたしが主役」と思っていて、青春の傲慢さというか若々しい媚びに近い可愛らしさを持っている。ルースっていうのはきっと、彼らの宝石人生のなかでもっともイカしている時代じゃないだろうか、と思う。

 だから、ルースという存在にこよなく近い状態で、小さなネックレスを作ってみたかったのだ。



■石の種類と配置順序■
Ametista Rose France (アメジスト)
Trumalina rosa (トルマリン)
Granada (ガーネット)
Topázio rio grande (トパーズ)
Citrino (シトリン)
Citrino Brasília
Green Gold
Cristal Vt (クォーツ)
Turmalina verda cana 
Peridoto (ペリドット)
Topázio London
Topázio Suisse
Topázio Sky
Ametista
Iolita (アイオライト)



色とかたちのかけら

2009-03-17 | 物質偏愛
 小さいときから、図鑑がすきだった。
 それより以上に、地面に這いつくばって綺麗な色をした小石や木の実や種、貝殻なんかを拾い集めるのが好きだった。
幼い頃のわたしにとって、石とか木の実(種)とか貝とかいうもののかたちは、それぞれが持つ方向に向かって完結しているように見えた。


 石はそのコア(というものが実際にはないにせよ)に向かって凝結する方向で、強く硬くより純度を増してゆくようにみえた。そして場合によっては、その表面が面白い色を放つけれども、色だって本来は内部に向かうベクトルに支えられていて(生命体ではない石が色をその身に有することの必然性はない)、わたしは偶然にも本来の営みに付随して与えられたそのきれいな副産物を眺めているだけだ。
副産物でさえこれほどに美しいのなら、石の本質というのはどれだけ手の届かない神秘なのだろう、と夢想した。

 木の実や種は、きれいな花を咲かせたその翌年に、次の芽や花を咲かせる全ての材料を濃縮させた可能性のかたまりだ。硬い殻に護られた中にすべての「素(もと)」が入っていて、だけれどそれはただの粉のようなものにすぎない。粉が葉や花に変化するためには色々な条件が整わねばならず、外見からはその可能性の差異がわからないまるで「アタリ」「ハズレ」の混在した宝箱のようなものだ。
決して美しい色形をしているのでもない単なる小さな粒のなかに、次元を超えた大木が詰まっているなんてまるでミステリー以外のなにものでもない。

 貝殻は永遠を具現化した生命の抜け殻だ。生命の終わりを記録するように、色彩も大小も様々な抜け殻が浜辺に漂着する。巻貝のうねりは時間の流れと呼応しているように正確で、二枚貝はひとつとして同じ色目というのがなく、宝貝の曲線は鉛筆でその輪郭をなぞれないほどのなめらかさで、浜辺にしゃがみこむわたしを厭きさせない。
生命体というなまなましさを失った炭酸カルシウムという鉱物の冷たさは、やけに幻想的にきらきらと美しいばかりのミイラかお人形のようだ。生命という揺るがない本質とは別個のところに、物質的に美しすぎるという全く別次元の「存在の本質」が確かにある。


 そんなことを考えながら、初春の潮風強い浜辺で無心に貝殻を拾い集めた。
幼い頃の無邪気な疑問や物質のなぞに対する夢想は成長に従って死滅していったけれど、自分の手に触れ、目に見える物質へのまっすぐな憧憬は鮮度もそのままにまだ自分の中にある。

乾かしてポケットに詰めた潮臭いゴミ、下等生命体の骸にすぎない貝殻を「たからもの」だとまだ呼べる。




機械はおもちゃでなければ。

2008-06-17 | 物質偏愛
 新しいオモチャの時計がやってきた。
都市的な軽いデザインのなかに、その大きさと重さによって逃れられない拘束感を孕んでいる。それを諧謔的だと感じるのは、私の主観なのだろうけれど。

「時計に対して重要視するものは、機能・美しさ・哲学」。常々私はそう云っている。それが、どんなにキッチュなオモチャの時計に対してであっても変わらない価値基準だ。いやむしろ、時計は多分すべからくオモチャであるからこそ、そこに哲学やら美やらの介在する余地があるのだ。


1) 機能
 機能という言葉の意味は、受け手にとって様々に異なるだろう。時刻が正確であること、多機能であること、時刻が見やすいこと、着脱が楽なこと、腕にフィットすること、衣服に合わせやすいこと、など数限りない。私が求めるのはそれらのうち自分が重要視する何かであり、時計自身が体現してくれている何かだ。
例えば、私が時計を選ぶ際に、「時刻が見やすい」というのは必要条件だ。とはいえ、それを充たしてさえいればよし、という訳にはいかない。できれば、時刻もなるたけ正確なほうがいい。デザインも好みに近いほうがいい。大きさが手に馴染むほうがいい。信頼性のおける機械がいい。その時計自身がそもそもどうありたいかによって、備わる機能は異なる。私は、その時計にとってそうあるべき要素を充分に満たしている時計が、よい時計だと思う。
サテンベルトのジュエリーウォッチは壊れやすくあるべきだし、スポーツウォッチはチープ&軽量な質感であるべきで、マニュファクチュアルな時計は各々で誰かの真似であってはいけないというようなことだ。

2) 美しさ
 美しさについては、主観を大いに含むものであるから、こういうものがよいとは言い切れない。それを見る日や天気、心持ちによって、何を美しいと思うかは簡単に変化するためだ。つるんとしたなにもないエナメルの文字盤に2本の針だけがあるシンプルさが美しい時計もあれば、クロノやスモールセコンドがびっしり詰まったせせこましい盤面が美しいものもある。
要は、色と材質とバランスとが、機能に相応しく調和してなお、髪一筋ほどの尖りがそこにあればよいのだ。

3) 哲学
 時計には、時計自身がこうありたいと願うかたち、その時計を身につける人にこうあってほしいと願うかたちがある。時刻を示す数値がランダムに配置され、順繰りに刻が訪れるのではなく、ねじれながらまるで螺旋のような時刻を刻んでゆく時計。ワークタイムの目盛りを短く、それ以外を長くすることによって、「自由な時間を有意義にいっぱい使おう」というメッセージを込めた時計。12時間の文字フォントが少しずつ色の濃いグラデーションになり、時間を濃密に重ねてゆくことが示された時計(明日のはじまりはまた真っ白からスタートだ)。
誰もが知っていて、誰もがそれに飲まれている「時」というもの。目に見えないのに密接な「時」とは何なのか、どうあって欲しいのか。それを投げかけてくれる時計は文句なくすばらしい。





きいろいおはな。

2008-06-16 | 物質偏愛
 ロンドンに住んでいる知人から、本をいただいた。


「植物図鑑か、それに類する図譜のようなものを買ってきてください。
 できれば、根っこまで描いてあるやつが望ましいのです。」

と、諸外国に旅する親しい人にはよく頼む。

「図鑑はどうにも見つけられなくて、この一冊だけ」といって、お花の本をくれた。本はヨーロッパのものにありがちな、正方形に近くて分厚いソフトカバーだった。表紙は、赤いケシだかポピーだかの接写写真で、前者ならかなりよろしくないし、後者でもあまり可愛くない。

しかし、表紙を開くとその中は素敵な世界があった。
各々の絵は小さいながらにきちんと植物図譜のなりをしていて、愛らしい。欠点をいえば、1ページに1植物が描かれているので、サイズの想像がつかないというところか。さすがに煙草の箱をスケールで一緒に描くほどのパンク精神はないものと思われる。

なにより素晴らしいのは、「きいろいおはな」「青いおはな」「紫のおはな」と、色別に植物の区分けがされていることだ。
「バラ目バラ科、サクラ属の山桜」というより、「薄桃色のヤマザクラ」のほうがずっと桜らしい。正確性という意味では、ロジックで劣るかもしれないとはいえ、なにより花の本質はその色と形であろうはずなので、図譜の索引が花弁の色になっていることには至極賛成だ。

恐らく、人にとって薔薇と桜と苺が同じ仲間であることなどよりも、薔薇には香料としても、観賞用としても人の心を魅了する何か大きな秘密があることや、苺がお祝いの日を彩るケーキに添えられるものとしてほんとうに相応しいことや、桜がどうしてか生や死と密接であるように思えてしまうことなどのほうが大切で、花の本質はそういうところにある。

お花の図譜は、そういうことを平らかにして伝えてくれるものが好きだ。
根っこを描いているものが好きなのは、地下の根の形状がまた、花や葉の持つ形状のロジックを補完してくれるから。

因みに今回の図譜には、個人的コダワリ事項の根っこはないものの、代わりに土がついている。適した土を描き分けている訳ではないとはいえ、土のリアル感もなかなかいい。つい、ケラやミミズを探してみたくなる。




ワードローブ(Part-9)。 - 欲は限りなく -  

2008-03-02 | 物質偏愛
 いつもより遅れて、ようやくスーツが出来上がってきた。
遅れた理由は、セールで注文が重なったことと、おかしなボタンを別注したためだ。

 さて、今回のスーツはここで仕立て始めて4着目となる。
鉄紺、黒、グレイ、と続いたものだから、そろそろベーシックでないものがあってもよいだろうと思い、チョコレート色にピッチの狭い白ペンシルストライプという派手な生地を選んだ。・・・つもりだった。

 仕上がりを試着して鏡の前に立つ。
・・・全然派手じゃない。  愕然。なんで?どうして?

 理由として考えられる点は以下の通り。
◇ステッチが生地色と同色
◇襟がテーラード
◇チェンジポケットなし

 派手にしようと試みた点は以下の通り。
◆「スターダスト」というベージュ×茶のキラキラボタンにした
◆そもそも生地色が華やか
◆白ストライプでピッチが狭いのでかなりくっきりするはず
◆袖先をフレアにした
◆袖口ボタンホールの糸色を生地より明るめの茶色に指定


 うむ。改めて考えても目論見自体が失敗という訳ではなさそうだ。
 派手に見えるかどうかは、着慣れの問題(=着る人による)かもしれない。今後、派手なスーツを作りたいときはもっと威勢よくいかねばならぬと反省。
ともあれ、女性のスーツではできない仕様が多すぎて、派手にしたくてもできない条件下にあることは否定できない。ゴージラインを上げてピークドラペルにして、コンケープドショルダーにして、D管留めにして、チェンジポケットのフラップを2段重なるようにしたりなんかしたら、途端に華やかになるというのに。できないこと尽くしだ。


以下、今回のまとめ。


【初の試み評価】
○ 袖フレア
 通常の袖は、ストレートというよりも袖口にいくにつれて細くなる。
 フレア指定では所謂ラッパ袖になるわけではないが、袖先までストンと開いたストレートのような感じになる。動きやすそうだ。

○ ストレッチ素材(微弱)
 出来上がりを見て知った。手触りでは判らないくらいの微弱なストレッチになっているようだ。「誤差範囲でいつもより仕立てサイズが緩い気がします」と云ったら「ストレッチのせいです」と云われた。
生地を触って気付かぬ程のストレッチでも、こうも着心地が楽になるものなのかと感嘆。出張によいかも。 


【色】
○ 茶色
 派手・・・なんだと思うのだけど。

○ 裏地紫
 どのみち裏地は見えないものの、赤味がかった京紫は茶色とよく合う。
 茶×青の組み合わせとかなり迷ったが、これでよしとする。


【ディテール】
○ 変わりボタン「スターダスト」
 単品で見ると相当に遊びっぽいボタンであるが(なにせラメが入っているし)、スーツと一体となると別に溶け込むから不思議なものだ。ベースはベージュパール色なので、茶色一辺倒の中に明るみが入って非常に宜しい。夏でも暑苦しくなく着られるかもしれない。
特に、袖口のキラキラ4つボタンの並びは、可愛らしい。
たかがボタンに余計な金を払っただけのことはある(気がする)。


【次回のための覚書】
・ナットボタン
・グレンチェック(バイカラー)
・チェンジポケット
・スクエアフラップ
・袖5つボタン色変更(?)
・カラーチャート持参




【過去関連記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。
ワードローブ (Part-3)。
ワードローブ (Part-4)。
ワードローブ (Part-5)。
ワードローブ (Part-6)。 - グレイのポテンシャル -
ワードローブ (Part-7)。 - 華やかなグレイ -
ワードローブ(Part-8)。 - ビターチョコレート -







平和の砦。

2008-02-12 | 物質偏愛
 ソウルの昌慶宮崇礼門が放火された。
 自分の心の中にもきちんとこうして「憤り」という感情があるのであるなあ、とまるで他人事のように安堵しながら、テレビの向こうで倒壊する楼門を眺めていた。

 インターネットの中にも、さまざまな感情が溢れかえっていた。
「金閣寺炎上のようだ」という衝撃。
「放火する人の気がしれない」という憤り。
「韓国の数少ない文化財が失われるのは可哀相」「いい建物だったので、残念で惜しい」という哀悼。
「日本人のせいにされるんじゃないの?」というナショナリズム不安。
「修復を繰り返した建物ではあるし、今回も再び再建されるのであろうが、再建後の建物はもはや同じそれではない」という歴史保存概念。

 日本に当てはめたらどういうことか。
東京のシンボルが破壊されるという意味づけにおいては、東京タワーが崩れ落ちたりすること。
首都という近代都市における数少ない歴史的建造物消失という意味づけにおいては、雷門が燃えてなくなること。
国宝第一号がその価値を失ったという意味づけにおいては、広隆寺の弥勒菩薩が木端微塵になったりすること。
今回の崇礼門焼失は、この3つが同時にひとつところでやってきた、ということだ。それがどのくらいの衝撃を人の心に呼び起こすかは想像に難くない。

国を問わず共通して持っている「覆水盆に返らず」の感覚。その水が「時間」や「歴史」といったある種の累積的な概念を含んでいる場合、ことは非常に重大だ。事実、韓国の人々のみならず、日本人の多くがあの映像を見て哀しく思い、あるいは憤り、誰の努力をもってしても取り戻せないものの焼失を、悼んでいる。美しい儀式性を持った火という要因によってその破壊が完成したことが、ことの衝撃を一層煽りたて、傷をこの上なく深くする。

『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない』
というUNESCOの趣旨は、そのまま世界遺産条約に引き継がれている。崇礼門のように世界遺産に登録されていない歴史遺産であっても、その文化の重要さ、国の歴史のランドマークは国境を越えた砦となり得ることを図らずも実証した事件となったことは否定できない。

 皮肉極まりないことだが、世界遺産の目指す先が、ほんの少しだけ明るく照らされた気がした。



ワードローブ(Part-8)。 - ビターチョコレート -

2008-01-27 | 物質偏愛
 今回、よたびスーツを作るにあたり、そろそろ「万能使いの優等生」は要らなくなった。その条件下で次を検討するにあたり、私を悩ませてきたキーワードが4つある。
『ブラウン』『ウインドウペーン』『変わりストライプ』『メタルボタン』がそれだ。
そして、今回はブラウンを実現することにした。

 来期はブラウンのスーツが来るらしい、と雑誌には書いてある。
とはいえそれは日本市場においては嘘っぱちだと思う。
様々な人種の人々が様々な色柄のスーツを着こなしている欧米とは異なり、「紺かグレーが無難です」と教え込まれた日本人の間では、どうしてもこの2色の人気は衰えようがない。さらにこの2色は、ブラウンと比較すると彩度・明度ともに低い色目であるため、シャツやタイとの色合わせが非常に楽なのだ。これらの色目が席巻するオフィスあるいは社会の中で、「ダークブラウン」と云ってもかなり明るさと派手さを伴う目立つ色を着ることは、恐らくかなりの冒険なのだと思う。
これをお読みの男性諸君、やっぱりブラウンは二の足踏みますか?

 さて、二の足を踏む理由もない私にとっての理想のブラウンは、上記に写真を掲載したZegna(2007秋~冬商品)の色目である。
イメージは【カカオ68%のビターチョコ】。(※実際のチョコはもっと黒いんですけどね)

 華やかで、艶やか。闇には溶けないけれど、夜の湿度に溶けそうな色。
だったら夜に溶けやすいように、昼の光にも映えるのがいい。とろっとした風合いの中に、スパイスのように光沢のある飾り物を添えて。



【懸案事項で今回叶ったこと】
○ 袖フレア
○ ステッチの糸色変更&ネーム糸色変更


(1) 素材
○華やかなチョコレートカラーに、幅狭めの白色ペンシルストライプ


(2) デザイン
○ジャケットにはフロントのみハンドステッチ(コバ)。
○センターベント
○襟幅7.5cm
○フロント2つボタン、フロントカットに丸みを付加
○袖口本切羽の4つボタンは、間隔をぎりぎりまで狭く
○チェンジポケットなし
○パンツの裾は3.5cmのダブル


(3) 色
○裏地は京紫(赤系の紫)。袖裏は黒地に紫系変わりストライプ
○ステッチ、袖ボタンホール、フラワーホール、ネームは糸色変更。
 「生地よりも若干明るめの茶色で」という指示だが、さてどうなろうか。
○ベージュ&茶系統の光沢ある変わりボタン使用(袖口も)。
 名前を「スターダスト」というように、キラキラしたおかしなボタン。
 貝ではないからフォーマルではないが、無意味にドレッシー。




【過去関連記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。
ワードローブ (Part-3)。
ワードローブ (Part-4)。
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ワードローブ (Part-7)。 - 華やかなグレイ -



ワードローブ(Part-7)。 - 華やかなグレイ -

2007-10-29 | 物質偏愛
 上の写真は、「私が男だったらよかったのに」ともっとも強く思わせるスーツのディテール、「お台場仕立て」だ。
海に突き出た台場を上から見たように、内ポケット部分にまで表地が突き出ていることから、「お台場仕立て」と呼ばれる。昔の紳士服は裏地が弱く、内ポケットを使用する人にとっては耐久性がいまいちで、裏地を時々張り替えたりポケットを修繕する必要があった。そこで、耐久性を高めるためのひと手間かけた仕立てとして、この「お台場仕立て」が生まれた。縫製技術が向上した現代でも、お台場仕立ては高級紳士服およびオーダーメイドの代名詞らしい。

 だが、女性のスーツに内ポケットはまず付けない。だから、お台場仕立ての必要もない。
たとえ内ポケットを付けたところで、広げて平らになる部分ではないから、表から見たときにおそらく生地がもたついて、美しいラインにはならないだろう。左右非対称になること請け合いだ。ああ残念。


 さて、グレイのスーツが出来上がってきた。
生地のたるんとした感じと色が相まって、恐らくこれまで作った3着のうちでもっとも着心地の良い1着になったような気がする。パターンの寸法が同じでも、生地によってこうも仕上がりのラインが異なるものかと改めて感心した。
「中庸」ではなく「華やか」なアソビ心たっぷりのグレイに仕上がったことで、ひとまず目標達成と云いたい。まかり間違っても、就職活動中の女性には決して着こなすことのできないスーツになった。
今回の目算と結果を見たうえでの感想を以下個別に記載。

【生地】
グレイに白と藤色のオルタネイトストライプだったのだが、思いのほか藤色が華やかだった。藤色部分のみ多少の光沢がある糸であることは事前に把握していたが、それがこんなにも主張するとは意外であった。「グレイのスーツ」ではあるものの、「紫のスーツ」と云っても誰も否定はしないと思う。なお、毎回思うのだが、ストライプを細かいところまで綺麗に合わせてくるものだと感嘆。
生地から仕上がりを想定する作業は苦手ではないつもりでいたが、まだまだ読みが甘いらしい。日々勉強。

【フロントカット】
はじめてフロントカットに丸みを持たせたが、この生地ならば正解。この点では自分を褒めてもいい。
ハンドステッチという柔らかい意匠と紫の持つアンオフィシャルな華やかさには、丸さが似合う。
とはいえ、女性ものは着丈(カーブ終着点までの距離)が短いうえ、フロントの最も下のボタンの下から傾斜がはじまるので、男性のそれのように大きな(130Rのような)カーブを描くことは不可能だ。ちょっと残念。

【総ステッチ】 
襟、前立て、背中心、袖(後側)、肩に入っている生地と同色のステッチ。
有料で試してみたが、綺麗な手作業で非常に気に入った。襟のキワがきちっと納まることが気分よい。総ステッチとはゆかずとも、基本箇所のステッチは今後自身のデフォルトにすることもやぶさかではないと思う。

【裏地】
灰がかった藤色(2色織)の裏地を、背から袖裏まで同色で用いた。柔らかくも主張のある、よい色だ。
センターベントで裏地が見える機会が増えることが予想されるが、決して嫌味にならない色のはずだ。

【袖口ボタン&ボタンホール】
4つボタンは間隔を狭くしてくっつくくらいに・・と云ったのだが、その指示の解釈が甘かった。1.5~2ミリの間隔が開いていることは、私にとって「くっついている」とは云わない。今後、指示方法を検討。
ボタンホール4つとも&フラワーホールの灰藤色は非常に淡い色調で、色選択は合格。85点あげてもいい。この糸色の場合、袖口のボタン4つのうちの2つを外すことがセオリーだ。

【パンツ裾ダブル】
遊び心を最も打ち出したのはここかもしれない。
形式上、フォーマルを全否定することで生まれる雰囲気の「軽さ」を物理的な「重み」によって調節する、といった感じか。


*【以下次回以降のための覚書】
○ ベル袖問合せ(多分できないだろうな)
○ コントラストの強い幅広めのピンストライプ
○ 生地がシンプルな場合、ステッチの糸色変更
○ 袖中釦1つというのもアリかも(その場合は釦持込か)
○ ネーム糸色変更





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ワードローブ (Part-6)。 - グレイのポテンシャル -

2007-10-07 | 物質偏愛
 秋も深まってくると、就職活動中の大学生を街や電車でよく見掛ける。
かつては、就職活動スーツの定番色は紺だったものだが、今では銀行や行政などごく一部の業種でその伝統が継続されているものの、女性スーツの定番色はグレイか黒が主流となっているようだ。

 最もフォーマルな場面を示すところの紺が鳴りを潜め、代わりに幅広くファジィな「中庸」を演出するグレイが席捲してきたというのは面白いというか、日本らしいというか、そんな気がする。場面に最も相応しい色を求めるというよりも、メニューに拘わらず夕食の席で「取り合えずビール」と云ってしまうのと同じ要領で「地味だしみんな着てるし汚れも目立たないし、じゃぁとりあえずグレイで」な感じが満載なのだ。

 日本人の顔色には確かにグレイがよく似合う。若くても熟年でも必ず似合う。
 なにより、一言でグレイと云っても、明るいものから深いものまで、そしてブルーや紫に寄ったもの、茶色が混ざったものなど明度や色味に様々なバリエーションがある。そこに生地の質感や柄の意匠が加わるわけなので、選択肢は非常に幅広い。一生のうちに自分に似合うグレイを幾つ探すことができるか、それはかなり長い年月を費やして愉しめる遊びになるだろう。

 そんなわけで、今日のオーダーは「遊びのある大人のグレイ」。
さて、【中庸】で【無難】な色をどのように料理すれば、フォーマルな遊び心が出来上がる?




(1) 素材
○生地はダーク寄りのミディアムグレイ
 白と濃目の藤色のピンストライプが交互に


(2) デザイン
○ジャケットにはフロントからバックまで総ハンドステッチ(コバ)
○ステッチを考慮して、センターベント付加
○ステッチを考慮して、襟幅7.5cm
○フロント2つボタン、フロントカットに丸みを付加
○袖口本切羽の4つボタンは、間隔をぎりぎりまで狭く
○チェンジポケットなし
○パンツの裾は3.5cmのダブル


(3) 色
○裏地は藤色。今回は袖裏まで同色
○灰がかった藤色への糸色変更は、フラワーホールと袖口全て
○ボタンは水牛の黒ツヤ消し




【過去関連記事】:
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ワードローブ (Part-2)。
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馬木の耳かき。

2007-08-12 | 物質偏愛
 巣鴨の地蔵通り商店街は、毎月四のつく日にはきまって、お酉さまの日ということで市がたつ。その賑わいが愉しくて、学生の頃はよく家からてくてくと散歩がてらの賑やかしに行ったものだった。
ほぼ手ぶらに近い散歩の帰り道、なぜだか気紛れに耳かきひとつばかりを手に提げて帰った。たぶん、日差しの強い夏の日だった。

 とげぬき地蔵の境内に立つ市は、いつも決まったものばかりだ。境内という性格のためか、下世話な市がそこに立つことは決してない。もう十年も前の記憶の中には、一味とうがらしの露店と、大層特別な耳かきの露店が並ぶ光景だけが焼きついている。

 その耳かき屋は、熟年の域を超えていそうな男性が、細い細い竹の切れ端を手先で器用に細工しながらなんとなく営んでいた。市がたつのは不定期で、四のつく日であっても彼は居たり居なかったりした。そしていつも、誰かが声を掛けてくるまでずっと、細い竹を相手に下を向いていた。
今から5年ほど前に鬼籍に入られたらしいその男性のつくる耳かきは、「日本一高価な耳かき」として名が知れていた。

 男性自身が毎度京都まで足を運び仕入れた竹が材料で、素材は2種類「サラシ竹」と「スス竹」があった。スス竹の方が硬くて加工が難しく、その分だけ丈夫で長持ちするということで、私はスス竹のものを購入した。確か三千円くらいだったと記憶する。

 耳かきをつくり続けて30年の馬木氏。1日の総生産量は平均30本ということを考えても、何千本という耳かきがその手から生み出されてきたことになる。馬木氏の耳かきを購入し使用した人であれば自明のことだが、これは決して消耗品として扱われるべきものではない。手に馴染んだ杖や財布、手帳などと同じ種類に属する何かなのだ。
今なお、何本の耳かきが誰かの手で使い続けられているのだろうか。


 いま、巣鴨のお酉さまの日には、お弟子さんの手による「原田の耳かき」がかつてと同じようなスタイルで売られている。そのことを知ってはいるが、なんとなくの淋しさに私はその光景を実際目にしたことはまだない。

手に触れるところの「馬木の耳かき」という墨印。その「か」の字のところが最近ちょっとだけかすれてきた。
かすれてきたのが「馬木」のところじゃなくてよかった。






ワードローブ (Part-5)。 - 薔薇のスーツ -

2007-08-05 | 物質偏愛
【参考記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。
ワードローブ (Part-3)。
ワードローブ (Part-4)。

 
 艶めいた織柄のダブルストライプが入ったスーツが出来上がってきた。
 まるでそれを待っていたかのように、「親族ばかり30人ほど集まる結婚披露宴に、俺らの仲間だけ8人呼びたいって云ったら、来るか?」という幸せな知らせが舞い込んだ。

セミフォーマルな場にも対応できるように黒いスーツを作ろうとなぜか思ってしまったことも、突発的に思いついて、相当の無理を云って工場に連絡を入れさせてまでフラワーホールを付加したことも。全てがまるでこの日のために当然仕組まれたことであったのだと私に納得させた。
そういう理由であるなら無論のこと、全てのオーダーやサイズの微修正はミスなく完璧に反映されていた。

仕上げるために仕立てられた、それはそれは不思議なスーツとなった。
かなり遅れた誕生日祝いとして貰った、友を祝うためのスーツ。


深い臙脂の裏地。
同じく臙脂色のフラワーホール。
それは深紅の薔薇の色。
薔薇を挿すためだけに開けたホールは、薔薇が無くとも薔薇の色。






◆覚書◆

袖丈57.5
着丈58
襟幅7~7.5
ラペル:ハイにできるか要相談
フラワーホール:あと1/3高い位置に
アウトステッチ:次回実験
本切羽:糸色変更アシンメトリ






帽子と社会性。

2007-07-22 | 物質偏愛
 他の民族のことはよく知らないながら乱暴に云ってしまうが、近頃の日本人は帽子を被るのが本当にうまくないと思うのだ。
 日本橋や銀座あたりでは、冬にもなると自分の親よりもはるか年上の男性たちの一部が、本来ならより美しくあるはずの若い世代よりもはるかに美しくしゃっきりとスーツを着こなし、それにさり気なく帽子を加えているのを目にする。それは必ずと云ってよいほど私の目を奪い、「私が男であったならなぁ」と思わせる。「日本人は民族的に体型が違うから、洋装が似合わないのだよ」というのが怠慢な言い訳であることを彼らは証明してくれる。

 上記の御爺さんたちの姿に象徴されるように、帽子の文化は昭和初頭までは確かに日本にも息づいていたはずだ。その後、どのような経緯か知らないが日本から正統なる帽子の文化は失われた。
 今では、どんな路面店でもデパートでも季節ごとにあまたの帽子が売られている。私は帽子という、本来あってもなくても全く生活に支障のないアイテムが大好きであるので、必ず季節ごとに店頭をチェックする。そうして、まるで洋服と同じようにモードの上っ面だけを乱暴になぞっただけの帽子しか見当たらないことに、がっかりする。

 近頃の帽子は、服の延長として捉えられているように感ずる。
 私にとっての帽子は、靴の延長として捉えるべきものである。
そこに、小さいようでどうにも埋まらない大きな齟齬が生じるのであろう。

 服は(※正装、スーツ以外)、自由に組み合わせてよく流行り廃りが顕著な消耗品である。一方、靴は本来万能であり、長持ちさせるべきものであったはずが、昨今の廉価傾向とデザイン化により、服と並ぶくらいに消耗品化してきているのが事実だ。多分、昨今の若者は、消耗品としてのお洒落用品に成り下がった後の「靴の用途を持つもの」に最初に触れる。本物の「靴」に触れるのは、もっと後だ。
 帽子はきっと、靴の低俗化に引っ張られるようにして、消耗品の仲間入りをしてしまったのであろう。それはとても残念なことだ。


 帽子は、被っている最中は別にその重要性を思わない。
それを被る瞬間やはずす瞬間、あるいはそれを被っていてはいけない場所において、本来あるべき場所になく手に持たれている状態。そんなときに、帽子はとてつもなく華やかに、ひらめく。

 雨が降ってきたときに、被っていた帽子をきゅっと深めに傾ける。
 知り合いに出逢った瞬間に、笑顔とともに片手でするりと帽子を脱ぐ。
 美術館や自社仏閣に入った折に、敬意をもってそれを外す。
 誰かとの別れ際、店を出る際にきゅっと帽子を被る、ひとときの別離の合図。

帽子が動くときは、何らかの環境変化が起こる(起こった)ときだ。
環境の変化を、仕草として自分の身に反映するのは、モードが含有する社会性の体現。その様式美がとても芳しいから、私は帽子が好きなのだ。


 これを読んで、万一にも新しい帽子が欲しいな、なんてふと思いついてしまった人が居たとしたら、その方には是非イタリア製の帽子を選んで欲しいと思う。
帽子の文化がある国で作られた帽子は、価格の如何に拠らず、その風情が日本のそれとは全く異なることに気付くだろう。






ワードローブ (Part-4)。

2007-07-15 | 物質偏愛
【参考記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。
ワードローブ (Part-3)。


 最近、20代などの若い世代でイージーオーダーが定着しつつある。
大都市部に限られる現象であろうが、一部の若い世代が財布に余裕ができたときに、自分の価値を上げるためにブランドスーツに頼るのではなく、自分の眼で自分のためのベストチョイスをする方を選択できる自信がついてきたということは、とても素晴らしいことだと思う。
 その潮流の背景には、情報の取捨選択能力の異様なる高さや、既存のブランドや大企業などの既成の価値への不信感、出来合い品の購入ではなく「チョイス」型の購入方法の定着・・など、様々な要素が複雑に絡み合っているのであろう。その全貌が、私にはまだよく掴みきれていない。


 さて、オーダースーツ屋にも夏物一掃セールがある。
 そこで、前回の仕上がり時に評価が低かった部分に微修正を加える形で、2着目の仕立てに挑戦することにした。
今回は、ビジネスのみならず、受付やらレセプションやらの微フォーマルなシーンにも使い勝手の良い黒にした。今回のオーダーは以下の通り。

○ 生地はイタリアの美しい黒。黒も様々あるが、今回の黒は「しっとり」だ。
  幅の狭い織柄のダブルストライプは、光沢が華やかだ。

○ 裏地は臙脂(ワイン)。本当はゴールドのつもりでいたが、よい色がなかった。
  袖裏は、同系色の暗い赤をベースに、緑や白の変わりストライプが入ったもの。

○ ボタンは、黒生地には黒が一般的なところ。
  しかし、イメージが堅くなりすぎるのを避けるため、水牛の濃茶ツヤ有りボタンをチョイス。
  特に白い斑が入っていないものだけを選別するよう依頼。

○ 袖口は4つボタンの本切羽。
  袖先から2つめのボタンのみ、裏地と同じ臙脂色に糸色変更。

○ 基本シルエットは前回と同じ。
  テーラー襟、シングル2つボタン、ノーベント。チェンジポケット付き。



 前回の仕立てを受けて改善を試みた点は以下の通り。


1) 胴周りのシルエット
 前回、ウエストをジャストサイズに絞り、襟元が開かないためにボタンを鳩尾辺りに付けた訳である。着てみると、胸に引っ張られてボタン位置がきゅっと上に持ち上げられ、サイズは丁度であるのに若干身動きが苦しい。
 今回は、ウエストの絞りを緩めることなく、胸下ボタン位置付近のみに僅か1cmの緩みを設けることで、改善ができるかどうかを試みることにした。

2) 袖丈
 私は、ちびっこの割には腕が長い。仕事柄、ぴしっと腕を伸ばして立っていることよりも、机に向かって誰かと体面していることのほうが多い。よって、腕を曲げているシーンがデフォルトであるため、袖丈はジャスト丈より幾分長めのほうが見栄えがよかろう。ということで、前回57cmだった袖丈を57.5cmに伸ばした。

3) 着丈
 前回の着丈58cmは、ジャスト丈であった。
 黒のフォーマル性をほんの若干強めるため、今回は1cmだけ長くすることにした。

4) 襟幅
 同じく、黒のシャープさとフォーマル度を生かして、前回よりも0.5cm狭く。



 さて、今回はどのような仕上がりになるであろうか。
 フェルトのシャッポが似合うようなものに上がってくれば、目論見通りだ。




 
 

指天使。

2007-07-01 | 物質偏愛
 「退廃ゴージャスロック」。

 私が自分の身に纏うものたちの性格をできるだけ簡潔に述べようとするならば、概ねこんな表現になる。もう少し補足すれば、赤色系のマニキュアや、シルクの生地や、キラキラしたものたちや、職人仕上げの硬質な靴や、アイスクリームやキャンディー、ひいてはノーブラが似合うような感じだ。
その色調はたとえスーツを着ている折でもドレスでも、日々の私服でも貫かれており、TPOに合わせて各々展開される。

 それなのに、昨年から今年にかけて店頭に並ぶ洋服は妙にふわふわした砂糖の塊のように甘ったるく不安定なものばかりで、まるで買うものがない。
非常に不機嫌なので、なんの脈絡もなく無計画に指輪を購入した。

 点対称の天使の羽二枚に包まれて、まるでおもちゃらしい楕円形のジルコンがキラキラと光っている。それは、硬質な金属で造形された頑強な羽に護られた、孵化間際の卵のように見えた。あるいは、所詮飛べやしない自分の心を、目に見えない誰かの羽が優しく憐れみながら宥め、寝かしつけてようとしているふうにも見えた。

 私の左手中指に居座る指天使(*仮称)の小さくて硬質な羽は、クピドの羽にも満たない大きさで、私の身体どころか心さえも宙に持ち上げることなぞ到底できるはずもない。けれど、もし指天使が偶然にも御機嫌なときには、私の中指の根元でその小さな羽を広げて、その指ばかりをふと持ち上げることがあるかもしれない。


そんなとき、私はふとした誰かに左手を振り仰いで呼び止めてみたり、ぱらりとあっさり手を振ってバイバイを告げたり、あるいは中指を突き立てたりするのだろう。
私は指天使の思惑に気付かないふりをして、時にはその中指の動きに合わせて笑顔なんか添えてしまって、また不運な場合には軽く舌を覗かせながら侮蔑の笑みを湛えてしまったりなぞするのだろう。指天使は、そうやって飛べない私におもちゃを与え、私を宥めあやしてくれているつもりなのだ。



 あなたの指には、どんな天使が棲んでいますか。