まだちょっと気の早い話ではあるが、30度に届くほどの暑さになると、銀座の通りに花氷や氷彫刻が並んだ風景を思い出す。昨年の氷彫刻は干支のモティーフが並んでいたのだが、既に正午を過ぎ、動物の輪郭はタラタラと溶けて角が削げ落ち、かろうじてなにかのいきものらしい丸っこさを留めるのみであった。
もしも、わたしにいま少し豊かなお金があったなら、かねてからひとつやってみたいことがある。
色とりどりで安っぽくて人の気をそそるおもちゃを詰め込んだ花氷(厳密には花でないので物入り氷と呼ぶようだ)を作ってもらうことだ。高さは1メートルもあればよく、幅は50センチを超えていればいい。
おもちゃたちは、ガチャガチャの中身や、温泉場の射的の景品、あるいは祭りの屋台に売っているようなものたちをイメージしてくれればよい。片手に収まるくらいに小さな、冷静になれば多分それは要らなくて、けれど祭りのような一過性の気分の高揚を記憶として留めるのに適切なアイコンのようなもの。
それができたら、マンションの1階ロビーや共有スペースに設置してみたい。共有スペースが暑い屋外で、小さな庭のようになっていればなおよい。
時期は夏休みで、マンションの住人や近所の子どもたちは、その氷を眺めたり触ったりして、中に閉じ込められている魅惑的なおもちゃがいつ出てくるだろうかとやきもきするだろう。氷に閉ざされたおもちゃを眺めているうちに、氷ってこんなに透き通っていたっけ、とか、溶けるのこんなに遅かったっけ、なんていつしか氷そのものに向き合うことになるだろう。氷が溶けるまでの手持ち無沙汰なじかんを埋めるように、手で触り続けて一点をえぐるように溶かしてみたり、ぬるっと溶けていく表面を舐めてみたいと思ってみたりするようになるだろう。氷という固体が液体になるまでのじかんの長さは、夏の子どものこころになにかひとつの風景を残してくれるに違いないと思うのだ。
明らかなる結果だけでなく、経過を見つめることに慣れたその目は、その気になればいつまでもなにかを見つめ続ける。最終的に手に入れたおもちゃはとても冷たく、氷の記憶を有している。店先に並んでいるおもちゃと、氷の中から長い時間をかけて出てきたおもちゃは、子どもにとって果たして同義であれるだろうか。
そしてもうひとつ欲張るなら、氷を設置してからその氷がなくなって、中に入っていたおもちゃがすべて子どもたちに持っていかれて、ただびしょびしょに濡れた床を残すだけの状態になるまでの間、固定のカメラをただ静かにぐるぐると回しておきたい。
氷が溶けてゆくじかんに沿うように、子どもたちの心や行動に起こる変化をなにかひとつでも留めることができるだろうか。
もしも、わたしにいま少し豊かなお金があったなら、かねてからひとつやってみたいことがある。
色とりどりで安っぽくて人の気をそそるおもちゃを詰め込んだ花氷(厳密には花でないので物入り氷と呼ぶようだ)を作ってもらうことだ。高さは1メートルもあればよく、幅は50センチを超えていればいい。
おもちゃたちは、ガチャガチャの中身や、温泉場の射的の景品、あるいは祭りの屋台に売っているようなものたちをイメージしてくれればよい。片手に収まるくらいに小さな、冷静になれば多分それは要らなくて、けれど祭りのような一過性の気分の高揚を記憶として留めるのに適切なアイコンのようなもの。
それができたら、マンションの1階ロビーや共有スペースに設置してみたい。共有スペースが暑い屋外で、小さな庭のようになっていればなおよい。
時期は夏休みで、マンションの住人や近所の子どもたちは、その氷を眺めたり触ったりして、中に閉じ込められている魅惑的なおもちゃがいつ出てくるだろうかとやきもきするだろう。氷に閉ざされたおもちゃを眺めているうちに、氷ってこんなに透き通っていたっけ、とか、溶けるのこんなに遅かったっけ、なんていつしか氷そのものに向き合うことになるだろう。氷が溶けるまでの手持ち無沙汰なじかんを埋めるように、手で触り続けて一点をえぐるように溶かしてみたり、ぬるっと溶けていく表面を舐めてみたいと思ってみたりするようになるだろう。氷という固体が液体になるまでのじかんの長さは、夏の子どものこころになにかひとつの風景を残してくれるに違いないと思うのだ。
明らかなる結果だけでなく、経過を見つめることに慣れたその目は、その気になればいつまでもなにかを見つめ続ける。最終的に手に入れたおもちゃはとても冷たく、氷の記憶を有している。店先に並んでいるおもちゃと、氷の中から長い時間をかけて出てきたおもちゃは、子どもにとって果たして同義であれるだろうか。
そしてもうひとつ欲張るなら、氷を設置してからその氷がなくなって、中に入っていたおもちゃがすべて子どもたちに持っていかれて、ただびしょびしょに濡れた床を残すだけの状態になるまでの間、固定のカメラをただ静かにぐるぐると回しておきたい。
氷が溶けてゆくじかんに沿うように、子どもたちの心や行動に起こる変化をなにかひとつでも留めることができるだろうか。