Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

台北雑感 (2)

2008-11-27 | 異国憧憬
 業務的な諸事情あって、お茶まみれの台北滞在となった。
 そういえば、11年前はろくにお茶すら飲んでいなくて、お茶の淹れ方というかルールすら全く知らないうちに(そんなものがあるということすら)帰国したような気がする。もしかしたら、忘れ去っているだけかもしれないが。

先刻まで腰掛けていたレストランの手洗い場に「嘔吐槽」なるものがあったことだって、もう10年もすれば忘れてしまうかもしれないのだ。記憶はどんな情報をどのように取捨選択して、遺していってくれるものなのだろう。


 今回アテンドをしてくれたガイド王さんのお陰で、タイトなスケジュールを順調にこなすことができた。御礼という意味ではないが、王さんについて少し書き留めておく。


・王さんは若い頃に横浜の中華街で働いていたので、調理師免許を持っている。
・王さんの父親は、蒋介石よりも4年早く台湾にきた。
・鄭成功の話を嬉しそうにする。
・過去に日本が台湾にした悪いことは2つあると思っている。
 ひとつは、女性に学問を解禁し、女性に知恵をつけてしまったこと。
 もうひとつは、KUBOTAの農耕器具を導入し、水牛を余らせ農村から若者が離れたこと。
・王さんは55歳、嫁は32歳で私と同い年。
・過去に、島津家末裔のご令嬢のアテンドをしたことがあり、令嬢ぶりにびびった。
・与那国島近海の海底遺跡ポイントを潜ったことがある。



 旅の途中に出逢える人間の数はとても少なくて、彼らの言葉はイコールその国の人の意見ではない。そのことはよく判っているつもりだけれど、旅の印象を最も大きく左右するのは、ほんの僅かな数の、僅かな時間だけ触れ合った人そのものだ。
私は決して王さんが台湾人代表だとは思わない。むしろ常に日本人と仕事をしている人だから、生粋の台湾人の気質とは異なるところが大きいかもしれない。
だけれど今後、台湾についての幾つかを思い出すときには、王さんの言葉や仕草がフィルターとなることが少なからずあるのだろう。

 とても断片的で偏ったフィルターを通じて見たなまなましい世界が、いわゆる「旅の風景」とでも呼べるものなのだろう。
個人的な思い入れ、機嫌、体調、出逢った人。それらのフィルターの影響を受けない純粋な風景は存在しない。いや、それが「風景」である限り、背景には必ず微笑ましい偏りが存在するべきなのだ。






台北雑感 (1)

2008-11-26 | 異国憧憬

 以前に台湾を訪れたのはもう11年も前のことだけれど、断片的な景色はよく覚えている。なのに、景色はどれもこれもモノクロじみていて、古臭くて埃っぽい。滞在中の殆どが雨だったから、全ての景色がけぶったままに記憶されているのかもしれない。

むっとくる湿気と暑さ、街路樹の枝から垂れ下がる有機的な蔓のかたまり。
信号待ちの先頭にやけに多いスクーターにスーパーカブ。しかも1台に3~4人乗っている。
屋台の喧騒、八角と果物が混じり合った腐敗臭寸前のような甘い匂い。
「野良犬」とは間違っても云えない、眼光鋭い「野犬」の多さ。

記憶の中の台北は遥か遠く鮮やかで、さっきまでてくてくと歩いていた街並みとはまるで景色を異にするから、きっと11年前の台北の景色と、今回記憶に留められる景色が脳裡で重なったり上書きされたりすることは多分ない。
ただ、亜熱帯系特有の湿気ばかりが妙にノスタルジックだ。


外国を訪れたとき、カフェに立寄るのと同じくらいに、コンビニやそれに類する店に立寄るのが好きだ。
コンビニは日常に密接すぎるからこそ、その土地の日常の一角を顕著に見せてくれる。その陳列されたものたちから、文化や習慣を推し量ることまではできないにしても。

・牛乳、あるいは乳酸菌飲料のラインナップが異様に多い
・「アスパラガスジュース」「青草茶」など青物系飲料が多い
・ファッション雑誌の半数は日本ブランド(ViViとか)
・ドリップ式珈琲の個包装が『和式抽出本格珈琲【森田珈琲~モソダコーヒー~】
・刺青雑誌が堂々と売られている
・煙草の並びで葉巻も売ってる
・買物するとなぜかミネラルウォーター1本くれる


観光って、国の光(すぐれたもの)を見ること&見せること、というのが語源だけれど、すぐれたものは結局文化そのものであるのだから、その国の人や日常の景色としっかり向き合うことだけでも、時に充分だったりする。
どこかを訪れたとき、「ここも行きたい、あそこにも寄りたい」と私が思うことが甚だ少ないのは、きっとそういうわけなのだ。








おかめそばの記憶。

2008-11-11 | 徒然雑記

体調がすぐれないので、珍しく蕎麦屋に行った。ざるを頼むことが多い私のこと、以前に「おかめそば」を注文したのはもう10年以上も前のことだ。そういえば、あのときも今日のように、「おかめそばってなにが入っているのでしたっけ。」と店員に尋ねたような気がする。店こそ違うが、あのときの店員も少し困ったような風情で、「椎茸とか、お麩とか、、、『いろいろ』入ってます」とまるでこちらが理解できないような説明をしてくれた気がする。お陰で、今もって「おかめそば」の定義がよくわかっていない。

 当時、一般的な貧乏大学生だった私は、旅行中の費用をなるべく浮かせるために宿坊をよく利用していた。高台寺の塔頭のひとつという東山の某寺の庫裏は、伊東甲子太郎ら御陵衛士(*新選組分離隊)の屯所としても利用された経緯がある。庫裏は一部が中二階になっており、かつては中二階に上るための階段がなかった。つまり、かつては外から見ても内から見ても中二階があるとわからない仕組みになっていたようで、これら中二階の部屋が、伊東ら衛士が寝起きしていた「隠し部屋」だということだった。全くなにも知らずに「隠し部屋」に泊まった私は、宿泊客のひとりである外国人からその話を聞いた。

 当時の住職は、混血なのか純血なのか定かでないが、所謂白系ロシアと呼ばれる不自然にピンクがかった肌の白さに淡いグレーの目をして、京ことばを話した。英語を除く4ヶ国語を話せるという噂が外国人旅行者の間で広まり、その日の宿泊客も私と、誤って予約してしまったというのが適切な若いカップルが一組いるほかは、みな大柄な外国人の男性であった。アイルランドからの旅行者、ドイツ人の教師、中国人のビジネスマンが小さな居間の炬燵を囲んでいて(*各個室に暖房があるわけもない)、見慣れているはずの炬燵は妙に小さく見えた。ドイツ人教師は日本語を解したが、中国人が「彼女は大学生だ。彼女のために英語でいこう」と自信満々で余計な提案をしてくれたことは忘れがたい。

 結局、まだ夕食を済ませていなかったのは私と中国人のビジネスマンだけで、仕方ないので近所の散策がてら一緒に食事に出掛けた。彼の希望で蕎麦屋に立ち寄り、そこで「おかめそばとはなんだ。」という質問を受けた。店員の説明もいい加減なところに私の英語は更にいい加減なものだから、中国人におかめそばの真相が伝わるわけもなかった。確か、説明するのも面倒になったので、結局のところ私がそれを注文したのだった。「実物を見て、興味があったら滞在中に食べてみるといいよ。」という適当なことを云った気がする。
 その後洋館を改装したようなケーキ屋に立ち寄り、結局二時間ほどを過ごした。

 翌朝、住職がチラシの裏に戯れで書いた即興の漢詩をもう正確には覚えていないが、枯れ松の枝の向こうに月がかかり静かにただ風がわたる、とかいうような意味の、清廉なような淋しいような一節だった。老いた住職の筆の進みが固い洋紙にところどころひっかかって、文字そのものがまるで古木の枝のように見えた。
だからだろうか、八坂の塔のシルエットが、私にはいつも老松と重なって思い出される。
 




ショーウインドウ。

2008-11-06 | 徒然雑記

 気付かぬうちに、会社向かいのデパートの入り口には大きなクリスマスツリーが飾られていた。近頃めっきり冷え込んだ夜の澄んだ空気の中で、街燈を反射させる硬質なきらきらは尖っているくせにどことなく暖かい。

 携帯で写真を撮る人々の脇を抜けて、より即物的な意味で暖をとれる地下通路に下りる。普通、人は寒いときに動きが敏捷になり、暑いときにはどことなく緩慢になるくせに、こんなときばかりは地上を歩く人々のまさに二倍くらいのスピードで、地下の人々は気ぜわしく交錯する。そのなかで、ほとんど動かないただひとりに私の目は吸い寄せられた。

 デパートの地下と繋がるショーウインドウの足元には人が腰掛けられる程度の高さと幅があって、仕事の中途に通り掛かると大抵ふたりか三人の宿無しが雨風や暑さ、寒さを凌いでいるのを見かけるのが常だった。優雅な御殿の箱庭や引き出しのような、小さいながらに豪華なショーウインドウとの対比のせいか、彼らは薄汚れて廃棄されたマネキンのように無機質だった。常連もいれば、新顔がいることもあったが、ロットナンバーが振られて同じ顔をしていたとしても不自然がないくらいに。

 その日私の目を吸い寄せたひとりは、いつものウインドウの下に腰を掛けた、ロットナンバーが振られた何人かのうちのひとりだった。これまで、ウインドウの中身に目を遣ることはあっても、その足元の無機質な風景に気を払うことはなかったから、私が以前にその人を見たことがあるのかどうかは判然としない。
その痩せた男性は、カロリー消費を抑えるかのように足を組んで座る姿勢からそのままに、日々その場所で見慣れている人々と同じような風体をした、謂わばごくありきたりの宿無しだった。

 男の左手には開かれた一冊の文庫本があった。表紙の利休鼠色とデザインからして、子供の頃に記憶のあるシェイクスピアの戯曲に違いなかった。雨に押し流される落ち葉のように途切れることなく目の前を流れてゆく歩行者を気に留めるでもなく、細めた目を本に落としていた。私が歩みを緩めながら通り過ぎる数秒の間、ページが繰られることはなかった。

 きらきらした地上の賑やかさからも地下の慌しさからも隔絶されて、一方で無機質な背景からも切り取られたなにやら静かな侵しがたい空間にぷかりとひとり浮かんでいるようだった。