「いつもお世話になっております。○○商事です。」
聞きなれた女性の声が、電話口から聞こえてきた。週に2~3日くらいのペースで、市場の動向や耳寄りニュースなどをお互いが差し支えない範囲で情報交換している相手である。こちらも商事なのだが、進出しようとする外国拠点が重なるうえ、取り扱う商品がまったく違っているので正面切っての競合にはならないだろうと今のところたかをくくっている。たぶんお互いにとって益こそあればもうけもの、という程度の付き合いでしかない。あわよくばどちらかが一方を買収してしまおうとかする体力があれば別だが、そんなやり手な企業はこのご時勢に極めて少数だ。
「どうも、梅雨寒にはまだ早いと思うのですが、今週は冷えますね。」
僕はいつも、当たり障りのない気候の話か、その日の一大ニュースの話から始めることにしている。気候の話はみんなが共有できて現実味もあるから、こんな小さな形式上の思い遣りもうそ臭くならずに非常に使い勝手がよい。特に、女性は「寒いですね」と「新しくできたあのお店行きましたか」に対する食いつきがよいことは経験上知っている。
「ほんと、とくに朝夕が冷えるし日中のオフィスは冷房がかかっているから、着るものが大変です。」
定型文のような、しかし事実なのだろう返答が返ってくる。
「ところで、週明けの中国の株価に関してなんですが・・・」
と、ようやくここから本題がはじまる。 毎日この繰り返しだ。一通り、互いが仕入れた為替や株価の情報、仕入れに関することなどを話すと、ざっと10~15分が過ぎる。
「本日もどうもありがとうございました。」そう云って電話を切ろうとした。
「こちらこそ、ありがとうございました。明日は夕方に雷雨らしいですので、ご帰宅時お気をつけて。また来週、宜しくお願いいたします。」
そう云って電話は切れた。これもまたいつもの倣い通り、本来の業務に戻る前に煙草を一本吸いに部屋を出た。
「こんにちは。いつもお世話になります。○○商事です。」
席に戻るって暫くすると、さきほど電話を切ったばかりなはずの相手から再びの電話がきた。
その声を聞いた瞬間に、前の電話を切ったあとの僅かな違和感をはじめて正しく理解した。先ほどの電話の相手は「また来週、」と云った。馴染みの締めのひとつだが、まだ今日は火曜日だ。常ならば、今週のコンタクトは少なくともあと1回、多くて2度あってもおかしくない。ならばあれは、だれだったんだ。
「ほんと、まるで梅雨みたいに今週は冷えますねぇ、」
先ほど僕が語りかけたばかりの台詞が、受話器から聞こえてくる。
「明日は・・・夕方から雷雨だそうで・・・」
「うそ? 今朝の天気予報では聞いてないけれど、台風かなにかで変わったのかしら。」
「ええ、そうかもしれませんね・・・」
僕の声は自分でわかるほどに固く、上階から降ってくるように遠く聞こえた。
聞きなれた女性の声が、電話口から聞こえてきた。週に2~3日くらいのペースで、市場の動向や耳寄りニュースなどをお互いが差し支えない範囲で情報交換している相手である。こちらも商事なのだが、進出しようとする外国拠点が重なるうえ、取り扱う商品がまったく違っているので正面切っての競合にはならないだろうと今のところたかをくくっている。たぶんお互いにとって益こそあればもうけもの、という程度の付き合いでしかない。あわよくばどちらかが一方を買収してしまおうとかする体力があれば別だが、そんなやり手な企業はこのご時勢に極めて少数だ。
「どうも、梅雨寒にはまだ早いと思うのですが、今週は冷えますね。」
僕はいつも、当たり障りのない気候の話か、その日の一大ニュースの話から始めることにしている。気候の話はみんなが共有できて現実味もあるから、こんな小さな形式上の思い遣りもうそ臭くならずに非常に使い勝手がよい。特に、女性は「寒いですね」と「新しくできたあのお店行きましたか」に対する食いつきがよいことは経験上知っている。
「ほんと、とくに朝夕が冷えるし日中のオフィスは冷房がかかっているから、着るものが大変です。」
定型文のような、しかし事実なのだろう返答が返ってくる。
「ところで、週明けの中国の株価に関してなんですが・・・」
と、ようやくここから本題がはじまる。 毎日この繰り返しだ。一通り、互いが仕入れた為替や株価の情報、仕入れに関することなどを話すと、ざっと10~15分が過ぎる。
「本日もどうもありがとうございました。」そう云って電話を切ろうとした。
「こちらこそ、ありがとうございました。明日は夕方に雷雨らしいですので、ご帰宅時お気をつけて。また来週、宜しくお願いいたします。」
そう云って電話は切れた。これもまたいつもの倣い通り、本来の業務に戻る前に煙草を一本吸いに部屋を出た。
「こんにちは。いつもお世話になります。○○商事です。」
席に戻るって暫くすると、さきほど電話を切ったばかりなはずの相手から再びの電話がきた。
その声を聞いた瞬間に、前の電話を切ったあとの僅かな違和感をはじめて正しく理解した。先ほどの電話の相手は「また来週、」と云った。馴染みの締めのひとつだが、まだ今日は火曜日だ。常ならば、今週のコンタクトは少なくともあと1回、多くて2度あってもおかしくない。ならばあれは、だれだったんだ。
「ほんと、まるで梅雨みたいに今週は冷えますねぇ、」
先ほど僕が語りかけたばかりの台詞が、受話器から聞こえてくる。
「明日は・・・夕方から雷雨だそうで・・・」
「うそ? 今朝の天気予報では聞いてないけれど、台風かなにかで変わったのかしら。」
「ええ、そうかもしれませんね・・・」
僕の声は自分でわかるほどに固く、上階から降ってくるように遠く聞こえた。