Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

明日の夕方は雷雨

2009-05-27 | 徒然雑記
 「いつもお世話になっております。○○商事です。」
聞きなれた女性の声が、電話口から聞こえてきた。週に2~3日くらいのペースで、市場の動向や耳寄りニュースなどをお互いが差し支えない範囲で情報交換している相手である。こちらも商事なのだが、進出しようとする外国拠点が重なるうえ、取り扱う商品がまったく違っているので正面切っての競合にはならないだろうと今のところたかをくくっている。たぶんお互いにとって益こそあればもうけもの、という程度の付き合いでしかない。あわよくばどちらかが一方を買収してしまおうとかする体力があれば別だが、そんなやり手な企業はこのご時勢に極めて少数だ。

「どうも、梅雨寒にはまだ早いと思うのですが、今週は冷えますね。」
僕はいつも、当たり障りのない気候の話か、その日の一大ニュースの話から始めることにしている。気候の話はみんなが共有できて現実味もあるから、こんな小さな形式上の思い遣りもうそ臭くならずに非常に使い勝手がよい。特に、女性は「寒いですね」と「新しくできたあのお店行きましたか」に対する食いつきがよいことは経験上知っている。

「ほんと、とくに朝夕が冷えるし日中のオフィスは冷房がかかっているから、着るものが大変です。」
定型文のような、しかし事実なのだろう返答が返ってくる。
「ところで、週明けの中国の株価に関してなんですが・・・」
と、ようやくここから本題がはじまる。 毎日この繰り返しだ。一通り、互いが仕入れた為替や株価の情報、仕入れに関することなどを話すと、ざっと10~15分が過ぎる。

 「本日もどうもありがとうございました。」そう云って電話を切ろうとした。
「こちらこそ、ありがとうございました。明日は夕方に雷雨らしいですので、ご帰宅時お気をつけて。また来週、宜しくお願いいたします。」
そう云って電話は切れた。これもまたいつもの倣い通り、本来の業務に戻る前に煙草を一本吸いに部屋を出た。


 「こんにちは。いつもお世話になります。○○商事です。」
席に戻るって暫くすると、さきほど電話を切ったばかりなはずの相手から再びの電話がきた。
その声を聞いた瞬間に、前の電話を切ったあとの僅かな違和感をはじめて正しく理解した。先ほどの電話の相手は「また来週、」と云った。馴染みの締めのひとつだが、まだ今日は火曜日だ。常ならば、今週のコンタクトは少なくともあと1回、多くて2度あってもおかしくない。ならばあれは、だれだったんだ。

「ほんと、まるで梅雨みたいに今週は冷えますねぇ、」
先ほど僕が語りかけたばかりの台詞が、受話器から聞こえてくる。
「明日は・・・夕方から雷雨だそうで・・・」
「うそ? 今朝の天気予報では聞いてないけれど、台風かなにかで変わったのかしら。」
「ええ、そうかもしれませんね・・・」
僕の声は自分でわかるほどに固く、上階から降ってくるように遠く聞こえた。




キャンディボックス

2009-05-14 | 物質偏愛
 半年くらい前にオーダーしたネックレスがブラジルからやってきた。
溶けかけてなくなる寸前の飴玉みたいなカラフルな石が、ざっくばらんにカットされて、ぽつぽつと並んでいるだけのもの。デザインを排し、石だけがころころとぶら下がっているありさまは、まるで音符のようで非常にかわいらしい。
決して主演女優のような石がいるわけでもなく、設えられた環境(デザインのこと)があるわけでもない、すべての石がただそこにいるだけの状態というのが今回のテーマだ。

 私は石がだいすきで、過去記事でつい何度も言及している。
 石は硬くて、ぶつけられると痛くて、魔除けに使ったり、宗教的儀式に使ったり、昔はお金になったりもした。そして、石は時折、自然界の脅威を感じさせるくらいに美しい色を放つ。

 宝石を敷き詰めて作った地球儀などというものを古今東西のお金持ちは作りたがるわけだが、それが世界地図や絵画ではなくて(これらは宝石ではない石を用いたモザイクという形で表されることが多い)「地球儀」という腕で抱えられる球体、いま自分が立っている大地のカタマリのレプリカであることは、なんとなくしっくりくる。なんと言うか、宝石に感じる畏敬や神秘、ファンタジイが「地球」を擬似的に俯瞰したときのぞくりとする不安定な万能感、一方でそれを打ち砕く人間には追いつけないスケールへのおそれの向こうに透けて見える。

 宝石は、カットされて装飾品に加工されるのを待つルースの状態がいちばん好きだ。キラキラ、ざらざらと無防備な状態で、大量にそこにあればなおよい。
装飾用にカットされる前の原石は、シンデレラにすら届かないくらいの泥かぶりな状態で素性がわけわからないし、完璧なアクセサリーの一部分になっていると、定位置に収まってしまっているばかりか、周囲の石や飾りとのチームワークが求められるから、ひとつの石としての主張はなかなかできない。
 その点ルースは、まだ自然界の名残を有していて、尚且つ「あたしたち、これからあなたのお飾りになるのよ!可愛く作ってね!」なんていう声が聞こえそうなくらいに、ひとつひとつの石が「わたしが主役」と思っていて、青春の傲慢さというか若々しい媚びに近い可愛らしさを持っている。ルースっていうのはきっと、彼らの宝石人生のなかでもっともイカしている時代じゃないだろうか、と思う。

 だから、ルースという存在にこよなく近い状態で、小さなネックレスを作ってみたかったのだ。



■石の種類と配置順序■
Ametista Rose France (アメジスト)
Trumalina rosa (トルマリン)
Granada (ガーネット)
Topázio rio grande (トパーズ)
Citrino (シトリン)
Citrino Brasília
Green Gold
Cristal Vt (クォーツ)
Turmalina verda cana 
Peridoto (ペリドット)
Topázio London
Topázio Suisse
Topázio Sky
Ametista
Iolita (アイオライト)



沈まない廃墟

2009-05-11 | 異国憧憬
 その島は、島なのだけど島じゃなくて、そこにひとつの国があったようだった。
 国が滅んだあとの遺跡が砂漠に埋もれかけているのと同じように、それは海の真ん中にぽっかりと浮かんでいた。国の名前が忘れられてしまったように、人はそのかたちを見て、軍艦島、と呼んだ。

 長崎港から端島(軍艦島)にかけては、造船と炭鉱のエリアだった。かつて、長崎市の子供たちは三菱造船の進水式が社会見学の場であり、散らばる小さな島々は海水浴のためのかっこうの場所だった。端島よりもひとつ手前にある高島はもっと大きいので、そこにはマンションや寮、映画館もあった。危険労働である炭鉱労働者の生活は優遇されていたから、高島の映画館の料金は長崎市内よりうんと安い。子供たちは漁船や高速船に乗って高島に行って映画を見たり、釣りをして遊んだ。

 もともと小さな岩礁だった端島は、人々がそこで生活できる広さまで、まるで増殖するように埋め立てられていった。地下600メートルの炭鉱、日本発のコンクリート造高層マンション、病院に隔離病棟、神社にお寺、パチンコ屋、小中学校など、火葬場以外のすべてのものを収めるための広さが必要だった。その島は住む人の生活を支え、高波や台風から護るために、軍艦のような威容を呈した。
神社のお祭りの日以外は年中無休の炭鉱の島はいつでも灯かりが点り、戦時中にはほんとうに軍艦と見誤って誤射されたという。

 わたしが生まれる2年前に、端島は生活の場として最後の日を迎え、小さな王国がなくなった。
 いまは、もう二度とあの厳しくも暖かい灯かりが点ることもない王国のほんとうの名前でその島を呼ぶ人は少ない。
「もう二度と、ここに来ることはないじゃろ。」戦前のようすを私に語り聞かせてくれた老人が、端島を離れるときに呟いた。それでも彼は、何度もカメラを懐に収めてはまた慌てて取り出すということを繰り返した。諦めと、もうひとつのなにかとの間に彼は立っていた。なにかを追いかけて捕まえたいと願うような焦燥にも似た動作で、遠ざかる端島に向かって何度もカメラを構え、シャッターを切った。

 
 決して沈むことなく朽ちてゆく軍艦の乗員は誰もいない。
まるで大きな岩陰に寄り添って休むように停泊する真っ白い小さなボートと、軍艦の甲板から静かに釣り糸を垂れる人がいるばかりで。





バカのバカンス

2009-05-01 | 異国憧憬

 「友達が海賊に襲われましてね。」

こんな日本語を人生のうちで使う日が来るとは思わなかった。
幼少の頃に覚える単語でも、使う機会があるとは限らない。
だって、海賊と我々の生活はかなり遠くにあるはずだから。

 大学院の頃の先生が宿泊していたバーミヤンのホテルで、真下の部屋が爆撃されたとか。
 イラクに取材に行った友人の車列の車が50メートル先で爆発したとか。
 「爆」という言葉を文字通り使うことも、まずない。
 旅行会社勤務の人にとっては常用語のひとつであるが、それはちょっと特殊な社会のおはなし。

 平和な国に生きている人々にとって、海賊は御伽噺や歴史の中のおはなしで、爆発や爆撃は映画や漫画の中のおはなし。こどもの頃、我々のあたまの中にいた海賊は「ザ・海賊」のような帆船に乗って、ときには片目がなかったりとか、ボーダーのTシャツを着ていたりする。間違っても、写真にあるようなボロ漁船には乗っていないし、陸の岩陰から攻撃したりはしてこない。
(※乗員は逃げ切ったので全員無事です)

 友達から送られてくるメールにはいつも、緯度と経度が記されている。 緯度と経度をPCに入力すると地図が表示されて、今どこにいるのかが数秒でわかる。これまで、海賊が出没するといわれていた海域よりもはるか北で予想外に出くわしたということもよくわかる。
 こんなふうに地球の反対側と即時連絡がとれるようになるとは思わなかった。
 
 自分の経験と技術の進歩と誰かとの繋がりによって、世界は狭くなり、匂いや音を感じるくらいの現実味を持ち、いまの私にとって地球はけっこう小さくなった。
地球を小さく感じられるようになることで、言葉が通じないことへの不安も徐々に薄らいだ。
平和があたりまえと思わなくなり、平和でない世界への根拠なき不安はなくなり、その代わりとして危険をはらむ世界での動き方や考え方を覚えた。危険はイコール恐怖に置換されるものでなく、ただの現実、環境としてそこにあることを冷静に受け止めてしかるべきもの。


 乗り物酔いのひどい私が、海賊に出遭うことはさすがに今後もないだろうけど。