Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

朝倉彫塑館。

2006-01-27 | 芸術礼賛
 谷中散歩のついでに、朝倉彫塑館に立ち寄った。ここは、大正から昭和初期にかけて活躍した彫刻家朝倉文夫のアトリエ兼住居として使用されていた建物をそのまま展示館としている。朝倉氏本人が昭和3年から7年の歳月をかけてじっくりと練り上げて作らせた「牙城」だ。

正面入口からはアトリエに通じ、現在は8mの高さを誇る3階まで吹き抜けの展示室となっている。柔らかい赤土色をした壁から天井にかけては柔らかいアールになっており、数枚のサッシをうまく組み合わせてその曲線部に採光窓を設けている。正面からアトリエ部までは鉄筋コンクリートの近代建築で、裏に抜けると湧き水を利用した贅沢な中庭に続き、庭を囲んでこれまた贅沢極まりない数寄屋造り3階建ての住居へ繋がる。

大正期から百貨店などで屋上庭園を作ることが流行し始めたが、それらが一般の住居へと伝播したのは昭和初期とされる。しかし戦火の為に現存例は極めて少ない。朝倉邸は初期の屋上庭園の趣きや思想を知ることができる稀有な手掛かりと言え、大変興味深い(※写真は、屋上庭園から上野方面を眺める)。この時期の屋上庭園は風が吹き抜けてたまったものではないのだけれど。

3階の温室「蘭の間」の繊細なタイル(現在は展示室)。床下に昇降装置を設置したアトリエの合理空間。茶室の船底天井と、庭に面した外縁の飾り模様を入れた杉板。階段の手すり代わりに使用される、曲がりと素地を生かした木。曲線を強調した応接室の和空間。
西洋と日本の美意識の折衷ではなく、ぱっきりと分断された両の建築が儒教の庭を挟むことでぴたっと融合する。これが昭和初期の華でなくてなんであろう。

彫塑の特性は、洋行経験を持たないために日本の美と写実性が顕著であり、いきものがその沈黙の中に持つ凛とした生命感と熱を感じさせる。猫の連作を見ればそれは明らかだ。猫という生き物の一瞬の緊張感や弛緩、暖かさや骨格が写実的に描写され、猫への愛情と生き物への畏敬が各々の小品からこれでもかと伝わってくる。

朝倉氏の彫塑においては、基本的に、動いている最中のいきものの描写は少ない。特に静止の中において、その内部に潜む動かない躍動が見出せる。次の行動や次の思いへと移行するための静止、情熱と緊張が内部に渦巻く静止。それは、見ているこちら側に呼吸を止めることを強いるような圧力を持って迫ってくる強い沈黙だ。


彫塑と建築が一体となって、しかも設計者であり彫塑製作者であり住人であった朝倉氏の思想とそれらが一体となって、そこにある。このような素晴らしい展示スペースを私はほかに知らない。恐るべき彫塑の力と、贅沢極まりない昭和初期建築の粋を語りつくすことは到底できない。だから是非、少しでも興味を引かれたのなら、その揺らいだ想いが薄れてしまうまえに、足を伸ばして欲しいと願うばかりだ。


 最後に、最も強い衝撃を受けた部屋について付け加える。
非常に高い、突き抜けるような天井にまで届くガラス張りの特注本棚を備えた書斎があった。その中には、美術や彫塑の本ばかりでなく、「科学全集」「日本柔道史」「花王石鹸社史」「板垣退助全集」「日本古代史」「万葉研究」・・分野を超えた本がぎっしりと詰まっていた。

私は反省した。
美術屋であるという言い訳をせず、私はこうでなくてはならなかった。