Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

美しき水車屋の娘。

2006-03-30 | 芸術礼賛
 いい年をして何故今頃、という感はあれど、ドイツリートの巨匠フィッシャー・ディスカウ(B)、ジェラルド・ムーア(P)の「美しき水車屋の娘」(シューベルト1797-1828)を大音量で聴いている。

【あらすじ】
(ヴィルヘルム・ミュラー 1794-1824 の詩による)

主人公である若者は、水車屋、つまり一人前の製粉業の親方になる過程として、修行の旅に出る。遥かな野山に歓呼の木魂を聞きながら、胸膨らませて岸辺を下った若者は、やがて小川の導くままにとある水車小屋に辿り着く。そこで美しい娘に出逢って激しい恋に燃え立ち、一時は娘の心を得そうになりながら、恋敵の狩人の出現によって娘の心変わりにあい、若者は傷心を抱いて小川に身を投じる。


・・乱暴に言ってしまえば、『恋に免疫のない若者が娘への恋心によって、自らを取り巻く環境を桃色の霞がかかった目で見て一喜一憂し、遂には反動によるこれまた一方的な傷心から、心の中で勝手に娘を悪者に仕立て上げつつ、静かに死を選ぶ』といった、第三者としてはボーゼンと取り残されてしまいがちなストーリーなのである。

 さて、この歌曲についても、ディスカウについても、数多くの先行研究や評価が既になされており、私の感想はそれを超えるものではあり得ない。
よって、今回は本歌曲を構成する20曲の中から、最も象徴的だと思う詩のセンテンスをそれぞれ抜粋する。それらをただ並べることにより、私にとっての本歌曲の姿・位置付けを明らかにしようという試みだ。


1) さすらい  
  流れは昼も夜も、休みなしに遍歴の旅だけを考えている。

2) どこへ?
  水よ、我が友よ、歌えさざめけ  僕も心愉しくお前についてゆこう。

3) 止まれ!
  僕の親愛なる小川よ、では、これがお目当てだったのか?

4) 小川への感謝
  どうしてこうなったかなんて、どうでもいい。

5) 仕事を終えて
  ああ、僕の腕は何とか弱いのだろう。 誰だって僕とおんなじにできるのだ。

6) ききたがり屋
  ひとつのことだけを僕は知りたい。
  ひとつの言葉は「Yes」というんだ、もうひとつのは「No」というんだ。

7) いらだち
  波よ、水ぐるまを動かす以外に、お前たちには能がないのか?

8) 朝の挨拶
  ブロンドの頭よ、さぁ出ておいで! 出ておいでお前たち、青い朝の星よ!

9) 水車屋の花
  その瞳に似た岸辺の花は、だから僕の花なんだ。

10) 泪の雨
  そして小川の中には、いちめんの空がそっくり沈み込んでいるように見えた。

11) ぼくのもの!
  春よ、お前の花はこれっきりなのか?
  太陽よ、もっと明るい光はないのか?

12) 休息
  なぜ僕はリボンの端をあんなに長く垂らしてしまったのだろう?

13) 緑のリボンで
  惜しいわね、きれいな緑のリボンが壁の上で色褪せてゆくのは。

14) 狩人
  角笛をかしましく吹き鳴らしたりせず、むさくるしい顎の鬚を剃り落としてこい。

15) 嫉妬と誇り
  慎み深い少女だったら、窓から顔を出したりはしないものだ。

16) 好きな色
  芝生の墓に僕を埋めてくれ。
  僕の恋人は緑が大好きなんだ。

17) いやな色
  家の外の森や野原が、あんなに緑色でなかったらいいのに!

18) 萎んだ花
  そのときには、すべての花がいっせいに墓から咲き出すがいい!

19) 水車屋と小川
  ああ、水の底、深い底にはすがすがしい憩いがある。

20) 小川の子守唄
  眠れ、眠れ、世の終わりまで。
  あの高いところに大空が、なんとはるばると広がっていることか!


    
 ※お勧めはこれ

最澄と天台の国宝展。

2006-03-29 | 芸術礼賛
 痛くて重い腕を吊って、最澄と天台の国宝展の初日に行ってきた。
まずは、展覧会全体の感想を箇条書きで。

□時代性を反映した展示物は判り易い。
□全国区をテーマに基いて網羅。思想・芸術の地理的な広がりへのロマン。
□仏画に付属する解説内容は、比較的質が高く且つ専門的に過ぎず、好ましい。
□古文書に付属する解説は、内容や意匠について充実。文字自体の美について不足。
□仏像の展示は、キャストシャドウを背面の壁や台に落とす展示方法が最近の流行らしい。
□改善の余地はあろうが、空間と音の再現展示を試みているのは興味深い。


続いて、一言申し添えたい作品について。

【普賢菩薩像】

 菩薩の頭上に淡く位置する花の天蓋から左右に毀れ落ちる桃色の散華の下、白い象に乗る透けるような肌の普賢菩薩は、平安時代後期の仏画を代表する作品。法華経信仰の隆盛とともに、度々描かれるようになった。

菩薩は白象の背に置かれた蓮華の台座に坐り、伏目がちに合掌する。白象は鼻で紅蓮華(ぐれんげ)を巻き、頭頂には三化人が居る。菩薩と白像の身体は輪郭を細く淡い墨の線で括られ、かすかに朱のぼかしが施されている。その天上的リアリティと、清浄なる知性に裏打ちされた匂い立つような色香たるや。

軽く重ね合わされた両の掌、切れ長な半眼の眼、そして群青、緑青、黄土、丹、朱、金箔及び截金を多用し、不浄な地上のものでは決してないどこまでも豪奢な天衣。豪奢で優雅であり、限りなく理知的なのに逃げ場もない程にセクシーであることが天上世界の「アタリマエ」。なのでしょう?

磁器のような素肌に纏う薄い天衣の裳裾が微かに乱れることも、自らのために花が咲いて散る華にも無関心な無防備さを護るように白象は金色の牙を剥き、絢爛な装飾をしゃらしゃらと鳴らしながら注意を喚起する。
白象によって強調される菩薩の危うい優雅さは、白象によって確かなものとして顕在化する。

どこまでも優雅に。無関心に。
決して視線を合わすこと叶わず、ただ焦がれ続けるしかない私は、白象に乞う。



【二十五菩薩坐像のうち 獅子吼菩薩・普賢菩薩・白象王菩薩】

 平安期の穏やかな彫線の供養菩薩。
今回の展示では、右から順に獅子吼菩薩、白象王菩薩、普賢菩薩と配置される。

これについては、一言だけ述べるに留めたい。
何故なら、それを見て、私を貫いた感動や衝撃を感じ取ってきて欲しいから。


  仏像(菩薩)が、幸せそうで、愉しそうで。
  どうしたら、わたしは其処に、混ぜて貰えるの?




参照:東京国立博物館


卒業。

2006-03-25 | 徒然雑記
 式は好きじゃない。退屈だからだ。
大学の入学式で僕は始終寝ていたし、会社の入社式は必要書類を貰ったあとでさっさと早退してしまっていた。年に100人以上が入社する大企業では、まだ顔も名前も覚えられていない一社員の挙動なんて誰も気に止めない。

決して覚えることも歌うこともないであろう校歌、まずもって会話を交わすこともないであろう学長や専攻長、社長に会長。そして記憶に留まることのないであろうその冗長とした祝辞。名前も知らない隣席の人間との不愉快で密接な距離感。
それらのものがなくとも、僕は子供の夏のように濃密な学生生活を送ったし、人並みの愛社精神を持って人並み以上の時間と集中力を仕事に費やした。
不足は、なかった。

 仕事はかなりきついけれども面白かったし、評価も給料もそれなりで、何より上司と部下に恵まれた。一日24時間のうち半分以上を過ごす職場としては、居心地は悪くなかった。
だから、新設される修士課程に行ってみないかとの友の呼び掛けに対して僕はすぐに首を縦に振ることができなかった。斬新すぎる未知の分野への挑戦、自分の年齢と2年間の空白という冒険。順調であればまだ先の長い僕の人生の舞台。

一ヶ月の熟慮のあと、僕は修士課程の試験を受けた。
それまで受験したことのあるあらゆる試験とは異なり、何故だか僕は妙にのびのびと問題に向かい、嬉々とした笑顔で面接を済ませた。教授と思しき人々はまるで付喪神のような愛らしさと品格とを備えており、試験会場に似合わぬウハハという妖怪じみた越境的笑顔で僕を虜にしたからだ。


 彼の地で偉大なる半妖集団とともに過ごした2年間のうちに、僕の犬歯は生え変わり、僕の耳は自在にぱたぱたと動かせるようになった。どうやら僕も半妖の仲間入りを果たしたらしい。それは俗世を離れた僕にとって喜ばしきことではあれ、不快なものでは決してなかった。
しかし、規定の期日を過ぎてしまったら、僕は戻らねばならない。

半妖にまみれた卒業式。
僕らにしか解せないことばを用い、僕らにしか読めない歴史を共有し、僕らにしか見えない虚空の道で未来を繋ぐ。
そして、あの場所へ戻るため、見事に育った犬歯を隠して僕は虚空の天守を降りる。「僕らのことば」を忘れないようにと願いながら。


式は、案外悪くない。
既に僕はあの式での祝辞や儀式を覚えていないけれど。

しかし、たとえあの天守の記憶が薄れても、僕の犬歯は鋭いままだ。

いま熱烈に。

2006-03-22 | 徒然雑記
 いま熱烈に欲す。

物理的且つ絶対的な痛みに負けない知性を。
痛みに対峙してもなお失われない想像力を。
差し伸べられる手にしがみつかない矜持を。


 いま熱烈に拒絶す。

自己満足の為だけに差し伸べられるその手を。
半壊人に美は要らないとする冷酷な裁きを。
手も声も届かない遥かからの無責任な憐憫を。


 いま熱烈に呼ぶ。

我に想いを掛ける人々を。


 いま熱烈に耳を塞ぐ。

我に想いを掛ける人々の愛情溢れる声に。


 
 いま熱烈に願う。

痛みが消えるまで醒めない眠りに落ちることを。
我が眠りから醒めるまで、我に想いを掛ける人々が我を忘れ去ってくれることを。
深い眠りと痛みが明けたとき、満開の桜に迎えられんことを。

乱れ散る桜の下で泪の如き花弁を毀つ枝に我が両の掌を差し伸べることを。



三角巾。

2006-03-21 | 徒然雑記
 痛いぞと騒いでいるのも読者の方には迷惑極まりないだろうが、今のわたしの半分は痛みでできている。世界の半分がイスファハンにあるようなものだ。大英帝国が所有していたはずのもう半分の多くは、今頃上海に掠め取られていることだろうか。

痛みで睡眠がぶつ切れだ。
しかも、痛みを堪えようとし続けてきた疲弊が暴発したのだろうか、今朝はおまけに吐き気まで付いてきた。
なんとなくご立腹したので、ジュースを飲んでみる。
今日は自分で缶を開けることができた。日々成長の由。


「骨折者としての悟りを開いたな。」
いい言葉だ。
痛いこと、できるはずのことができないこと。そのもどかしい苛々を受容して、できることを増やすこと。骨折者なりの美しいスタイルを確立すること。
それをわたしは淋しさと悔しさの中からはじめた。

病院で貰った三角巾は、実用的ではあるけれど美しさの欠片もない。
ぞんざいに織られたごわごわと堅い木綿の表面は、ささくれた私の心にひっかかってぴりぴりした苛立ちを与える。応急処置の病院で巻かれたそれは水や服の汚れを受けて色を濁らせ、ぎしりと音が聞こえてきそうなドレープが鋭くて、まるで拷問器具のように逃げられない私をじりじりと着実に疲れさせることに成功する。

 そんな醜いものに縛り付けられ、図らずもそれに頼らざるを得ない自分に耐えられず、自由になる左手や歯や足を駆使して、手の届くところから思い付くかぎりの布を引っ張り出した。
アラブ世界の男達が頭に巻いているあの恰好いい布。赤と黒の刺繍があるだけなのに、民族の誇りと男としての誇り、責任が一緒に織り込まれているかのようなあの美しい布。・・・でかすぎる。
思考が浸蝕されるとものの適正サイズまで把握できなくなるものか、と自嘲。

 エチオピアの太陽を写したような艶をしたあの緑色と青色の布たちを私はどこに収めたのだっけ。あまり散らかすと後から片付けられなそうだし、明日にしよう。

 今日はこれでいいかな、と取り出したのはヨルダンの白い布。
脳裡に浮かぶのは、ワデイラムの赤い砂漠と岩山の間で、洛陽に大地の色が薔薇に染まりゆくあの一瞬。
リビアのサハラ砂漠の奥地で気温50度を超える灼熱の太陽にじりじりと焼かれるのも構わず、砂漠の民と車のボンネットをパーカッション代わりに歌い踊った日々。
砂嵐の中で前後も見えずに眼を閉じて縮こまる私の頭に置かれ、大丈夫だと撫でながら頭に巻いた布の乱れを直す黒い大きな手の重み。

 この美しい布なら、私の痛みを支えてくれる。
 その灼熱の記憶とともに。


春風のなかを、片腕を吊りながら颯爽とお出掛けできる日は、遠くない。






鮮やかな痛み。

2006-03-20 | 徒然雑記
 痛い。痛い。痛い。

「痛い」がまるで無限に並ぶキャンベルスープの缶のように絶対的なリアリティをもって整然と私の脳内を埋め尽くす。
鮮やかな色をして、スマートな顔をして、僕らの指定席はここだよと。

ひと雨ごとに新しい花がほころび、春の嵐が窓を叩くかと思えば翌日にはふぅわりとした暖かい日差しをベッドサイドに運んでくる。
その春の足音はとても確かなものであるのに、この身に棲まう痛みと比較すれば髪の表面をさらりと撫でてゆくだけの覚束なさだ。
だって、わたしは痛いのだもの。

痛い。 腰を下ろすたびに。
痛い。 くくっと笑うたびに。
痛い。 けほっと咳をするたびに。
痛い。 身体を横たえるたびに。
痛い。 眠りのさなかに。
痛い。 いつでも。
痛い。 だからわたしはひとりじゃない。


鮮烈ないっぱいの痛みがわたしを埋め尽くす。
全ての静謐な思考を喰らい尽くす貪欲さで。
甘んじて自らの穏やかな時間と思考と本のページを飾るひとつひとつの文字までが、痛みにぱくぱくと喰われてゆくさまを成すすべもなく目を細めて息を潜めて眺めているわたし。



痛いよ。
生きているらしいからね。

だけどどうしてだろう。
こんなにも自分の肉体の存在が確かなのに、泣きたいくらい淋しいのは。




肘崩壊。

2006-03-18 | 徒然雑記
私は自分の身体を張って笑いを取りにゆくタイプでは決してない(はずだ)。
しかしどうして、私の人生こうもネタ満載なのだろう。至極真面目に着実に歩んでいるつもりなのにも拘わらず、だ。

まぁ端的に報告すると、超ご機嫌な旅の空の下で肘を砕いた、というわけだ。明らかに異常な形状のレントゲン写真に、医者の説明を聞くまでもなくやっちまったよと視界真っ白、笑うしかない。笑い事ではない場面であるから尚更事はシュールだ。

まあそんな訳で泣く泣く愉しい旅は中止。待っていてくれた皆さま、ほんとうにごめんなさい。これを読んでクラッときた皆さま、併せてごめんなさい。


こういう訳で、いま暫しあるべき人間の生活には戻れぬ。

恩師というもの。

2006-03-16 | 徒然雑記
 私は今、少しばかりでないくらいに大仰に幸せだ。

「変わってないね。でも、逞しくなったね。」
その言葉ひとつで。

 先生とのそもそもの出逢いは、それぞれが尊敬の眼差しを向ける某先生の研究室で偶然に「はじめまして」の挨拶を交わしたこと。それから、歩いて20分ほどかかる別の研究室まで、私が道案内をしたことだ。そのとき、研究室内では異端扱いされていた私のテーマを「面白い」と云ってくれたことが、とても嬉しかった。それだけで私は先生が好きになった。
その日は研究室までたっぷり20分の間言葉を交わして、それで別れた。

 次に逢ったのは、研究室の合宿で京都に滞在していた折だった。
派手な蛍光黄緑の開襟シャツを着た先生は、合宿に同行していた訳でもないくせに打ち上げの席には早々から、まるで当たり前のように、居た。
ご機嫌になった先生は自らの席に私を招き寄せ、私が一発で魅入られたあのどこまでも優しくてちょっと鋭い笑顔を向けた。
合宿の合間を抜けて小料理屋に行ったり、地元の友人と逢ったりして余計な時間と体力を使い果たしていた私は、こっそりと抜け帰って二次会を放棄した。
後で聞いた話では、「あいつは居ないのか!おおかた男の所でも行ったか?」とのたまっていたそうだ。先生、結構鋭いですね。私は冷や汗をかいた。

 三度目に逢ったのは、震災後の神戸、三ノ宮。
食事のはずなのに、真っ暗な方面へ連れていかれた。どこへ連れてゆくつもり?と要らぬ疑いを抱いていたら、営業時間後の市役所へ。エレベーターを上がると、
「これが神戸の夜景だよ。震災後だいぶたったから、これだけ綺麗になった。」
私はやっぱりこの人が大好きだ、と思った。

それから、方向音痴の先生に連れられて同じ界隈を三周くらいした。
「動く湖って知ってるだろう。この辺の店はあれと同じで、よく流れるんだ。」
先生と並んで歩くと、正面からくる人々がまるでモーセの海割りのように割れる。言い訳にもなっていない言い訳を聞きながら、歩きやすいからいいや、と思った。


それから今日までの、長い空白。
だけど、逢う日がくると判っていた。いや、切に願っていた。
逢いたくなるといつも、自室の本棚を見上げて黄ばんだ紙の束を手に取った。

大学生の頃、倉庫のようになっていた研究室の整理を頼まれ、その部屋にある書類を全てことごとく処分するように、と仰せつかった。
膨大にある過去の学生の卒業論文や修士論文やその他正体の判らない紙の束。面白そうなものをぱらぱらとめくりながらの作業だから、学生が三人いても作業は遅々として進まない。
気が遠くなる紙の山の中から私の掌ににぽとりと落ちてきたのが、先生の修士論文だった。
「これを持っていたら、私はまた先生と繋がることができる。」
意味もなく、しかし確信的にそう思った私は、処分すべきそれを自らの鞄にこっそりと仕舞い込んだ。


新居の机は、左右の本棚に挟まれている。
その片隅で経年に黄色くくすみ、それでもなお私を導く光を失わない一冊がある。
7年の時間を経てなお、私が先生の背中を見失わずに歩いてこれたのは、この一冊が私の手元にあったから。あのとき先生が私に掛けてくれた言葉と笑顔があったから。そして、私を魅了してやまない美が至るところにあったから。


 先生は私に授業や指導をしたことはないかもしれません。
 だけども私は先生の背中を見てきました。
 背中に手を届かせて、振り向いて貰うことがようやくできました。
 変わらない最高の笑顔と情愛を向けてくれてありがとう。
 
 私はやっぱり、先生が大好きです。
 先生の本棚の片隅にも、どうか私の論文を棲まわせて。



 




根雨雑感。

2006-03-15 | 異国憧憬
 父親の故里は、根雨というところ。
山に囲まれた狭い狭い平たいエリアに、川に沿ってほんの少しだけ家並が連なる。家の際まで山が迫り出して、よくこんなところに急行が止まるものだと思うし、それ以前によくこんなところに住んだものだと思う。
祖父は頭を二度開いているとは思えない元気さで、祖母は驚く程白髪の増えた笑顔で、かつて幼い私を迎えたのと同じような素振りで、伯備線の振り子電車に酔ってふらふらになっている私を迎えた。

根雨には、夏がよく似合う。
旧暦の新年も明けてはやひと月、既に三月も半ばだというのに、山あいのこの町ではまだ充分に冬だ。

狭い狭い町のなかを、私は子供の頃の記憶とともに、好き放題に歩き回ることができた。出雲街道の宿場の名残を残す建物が点在する間に、数年前の震災で倒壊した家のあったさら地が歯抜けになっている。すれ違いのできない単線の線路に、すれ違いのできない道路。町で一軒の本屋に、町で一軒の町医者。町で一軒の酒屋に、喫茶店に、蕎麦屋。

すべてが、ちゃんとひとつずつ、ある。
暮らしというものは、それで充分に成り立つ。

子供の頃に駆け上った権現さんへの階段は、思ったよりも長くなかった。
山の斜面に張り付く墓地は、思ったよりも手入れがなされていた。
そして、岩を飛び込み台にして飛び込んだ淵は、記憶と同じように深かった。
魚と戯れ、魚と一緒に泳ぐことのできる清く澄んだ川は、かつてと同じ水量を湛え、同じような暴力的な音色を立ててうち流れ、かつてと同じ匂いがした。

私の慣れ親しんだ川の音と匂いは、これだ。
東京に流れる川でも、駿河の大きな流れでもない、清流の匂い。
河原に座って、目を閉じる。日差しに焼かれた瞼の裏がオレンジ色の密室のようになり、そのオレンジ色の暗闇の中で、川の流れを聴く。右耳を凝らすと、低い滝から零れ落ちる水の砕ける音が、目前からは座っている私を取って喰おうとすればきっとそれは容易いことだよと笑いながら渦を巻く音が聞こえる。左耳の遠くからは、下流に流れ去る水の音がその暴虐ぶりを少し弱めて、次のからかい相手を探しにゆく。

いきものを受け容れつつ戯れに暴挙をはたらく、澄んでいるからこそどこまでも気紛れな、わたしの川。
急流に足を掬われて傷だらけになり、滝壺に絡まって出られなくなり、そんなふうに私と遊んでくれた川。いつものように誘ってくれるけれど、夏にならないと私はそこに再び足を踏み入れることができない。

川から引いた水が町の中に張り巡らされ、全ての家々の前の水路をこれまた強烈な勢いで流れてゆく。屋根から下がる美しい凶器のようなつららを月にかざし、それがより一層切っ先を細らせながら私の手を凍らせてゆくものだから、私はそれを水路に投げ入れる。透明な剣は、その狂気を水に溶かしてその身を水に同化させながら、川へと戻ってゆく。
静かに静かに、山に囲まれた深い深い闇のなかで、水音だけがじゃぶじゃぶと響き渡る。豪雨のようにも聞こえるこの音に耳を澄ませながら、優しく激しい情熱の音に包まれながら眠るのが私はすきだった。闇の中で水と一緒になろうと願う私の身体は、まるで幼き日のように小さく丸くなっていった。



 出立の日、目覚めて階下に下りた私の靴を祖父が玄関で磨いていた。
 その背にかける適切な言葉を私は見つけることができなかった。

「次に来るときは、夏にするからね。」
そうとしか云えなかった自分を、ほんの少しだけ悔いた。







猫の散歩。

2006-03-11 | 徒然雑記
突然ですが、暫く留守します。
恒例として、留守の間を愉しんで頂くためのルート説明を若干。



3/13(月) 東京→静岡。
3/14(火) 静岡→鳥取。
3/15(水) 鳥取。 
 数年ぶりに逢う祖父と祖母。駅から家まで歩けるだろうか。 
 夏に滝に呑まれた川や幽玄にむっとする山。
 川のせせらぎを聴きながら眠る真っ暗な夜のあでやかさ。
 変わらずに美しいだろうか。私の目はその美しさを見ることができるだろうか。
 
3/16(木) 鳥取→大阪。 
 数年ぶりに逢う恩師は、どんな笑顔で私を迎えてくれるだろうか。
 空白の7年間を埋める笑顔を私は返すことができるだろうか。
 先生。私は貴方の背を見失わずに歩くことができました。
 四度目の邂逅。

3/17(金) 大阪→和歌山。
 自転車を飛ばして県庁へ。
 私の差し出す論文を、どんな顔で受け取ってくれるだろうか。
 優しかった焼き鳥屋のおじちゃんは、縄暖簾をくぐる私に気付くだろうか。

3/18(土) 和歌山→奈良。
 宿屋の旦那は未だ入院したっきり。
 鍵を借りて我が家のように過ごす宿。
 興福寺の鐘とともに目覚める朝。
 元興寺の砂利を掃く涼やかな音。
 善ちゃんの店で摂る朝食。
 仮の宿なのになぜだかとっても確かな、奈良の暮らし。

3/19(日)奈良。
3/20(月)奈良。
 二日をかけて、重い論文を抱えて配りに回る。
 電話口でみんなして「どう?書けた?」と問うてくれた方々。
 ほんとにお世話になりました。ネタを有難うございました。
 とっても不出来だけれどとっても可愛い私の論文を、どうぞ机の片隅に。
 荷物が軽くなったら、骨董屋へ。晩酌付き合うからさ、再会の食事をしよう。

3/21(火)奈良。
 祝日だったなんてすっかり忘れていた。
 お陰で丸一日、遊んで貰う時間ができた。
 ほら、車を出して、迎えにきて。私の知らないところへ連れていって。
 金ちゃんも連れてきて。みんなで遊ぼう。
 吉野で出逢ったゆきずりの貴方が、既に確固たる私の友だよ。

3/22(水)奈良→東京。
 荷物が軽くなった空白のスペースに、何を詰めて帰京することができるだろう。


 

流れ、漂流。

2006-03-09 | 徒然雑記
 歩道橋の上に立って、道を見下ろす。
木の葉が風に巻かれて、人や車が時間に巻かれて通り過ぎてゆく。
 
 大きな道を見ると、そこに車の流れが滞りなくあれば猶更、ついでに乱視に霞んだ暖かいテールランプの連なりが見える時間帯であるのなら一層、その広い道の真ん中に立ちたくなる。だけど中央分離帯が至極安全な幅であるとしたら興醒めだ。
右回りの世界と左回りの世界、その真逆の世界を薄皮一枚で危うく隔てているくらいの、そんな僅かな幅があればいい。その幅の中につと立つと、右頬に正面からのの風が、左頬には背後から髪を逆立てて流れる風が我が身を掻き回す、ちりっとした幼い性感にも近い悦びを感じることができる。

国道17号の近くに住んでいた頃の話。
机に向かうことに倦んだ深夜になると、コンビニや24時間営業の喫茶店までふらふらと歩いてゆくことが多かった。深夜の街には、昼間にはどこに隠れていたのかしらと思うくらいに見慣れぬ人種が大勢沸いていた。そんなことが近目に疲れた脳を刺激して私を少なからず愉しい気分にさせるのだ。誰にも干渉されることない深夜徘徊が私は大好きだった。

そんな深夜徘徊の帰りに、必ずやることがあった。
人通りのまばらな17号の中央分離帯に立って、左右に流れる車のライトにまみれることだ。ほんの一分くらいの儀式。たまにはかなり大型の重機が列をなして威勢よく地鳴りを響かせながら通る日もあって、そんな日は私にとって「当たり」の日だった。

暗闇を規則的に、ある方向性をもって貫く光と速度。
そいつらの絶対的なルールに干渉されない唯一の避難所は、台風の目のようなもの。それは独特な、特別なある一点に立つことによってのみ得られる、背中を震わせるような危機感と優越感を感ずることができる場所。
そこは決して流れを生み出すことなく、流れてゆく人や車の意向が残した後ろ風が絡まって見えない渦となる場所。


その渦に掻き乱されることによる、カタルシス。
自己が透けてゆく。






新居。

2006-03-07 | 徒然雑記
 新しい家。

古くて、それまでよりも少し狭い家。
集合住宅にしては高めの天井。
建付けの悪い引き戸。
ぼんやりと薄暗い電球。
遮光カーテンは、閉じたまま。

気に入りの4人掛けのテーブルを出窓に寄せて
その左右いっぱいを本棚で挟む。
収まらない分は廊下に侵蝕した本棚に飾る。
広い机の奥のほうには書類入れや引き出しを。
ダイニングテーブルはこれで私専用の書斎と化す。

薄暗いキッチンの棚は高すぎて届かず
和室の押入れは奥の深さが中途半端。
おまけに
ふたつある電話ジャックのひとつは機能しない。


二軒隣は酒屋と煙草屋。
二分歩くと小料理屋。
五分歩くとどじょう屋、鰻屋、蕎麦屋にいのしし鍋。


朝に夕に、窓の下から聞こえる生活音。
バイクの音、車の音。
焼き芋屋に豆腐屋に火の用心。
ぴたりと閉じたカーテンのそのまた向こう。


 ここで暫く、私は暮らす。
 こんなところで。





無条件バトン。

2006-03-03 | 伝達馬豚(ばとん)
ネタは捻れば出そうなものだが、時間がないのでバトンに逃げた。
出所は内緒。腐りかけてたやつを勝手に拾ってきました。


【Q1:無条件でトキメク~な人3人。】

■木下直之先生
■若い頃の三上博史(しつこい)
■神木隆之介くん

【Q2:無条件で嫌いな~を3個。】

■釣のエサになりそうな虫たち
■女々しい女
■女々しい男

【Q3:無条件でお金をかけられる~を3個。】

■学究に関すること
■自分に関すること
■芸術に関すること

【Q4:無条件で好きな~を5つ。】

■私を愛してくれる人々
■珈琲
■絵画芸術
■仏像
■独りの時間


【Q5:無条件でバトンを渡せる5名】

■ちか
■架流真
■pita
あらいやだ。3人しか居ないじゃないの。




庭。

2006-03-01 | 物質偏愛
 庭がすきだ。
庭といっても、貴族趣味な寺などにあるそれではなく(それはそれで、勿論芸術的見地から大層好きである)、自らの家に付属しているやつだ。
幼い頃、実家には幼い私が十分満足できる程度の広い庭があった。芝生に寝転がることができたし、木と遊ぶこともできた。当時あった樹木や下草を私はよく覚えている。

椿、山茶花、木蓮、紅葉が三種、黒松、つげ、躑躅、皐月、モチノキ、庭梅、蝋梅、百日紅、紫陽花、桔梗、南天、蘇鉄、竹のなにか、万年青、龍の鬚(ジャノヒゲ)、羊歯、苔・・・
記憶にあるだけ、及び名前が判るだけでこれだけある。

 子供の頃は目線がとても低いし近い。かつて庭にあった木を想起する際には、大まかな木の形状や色だけでなく樹皮の様子や触り心地、葉の光沢や僅かな重さの違い、花や実の様子まで事細かに記憶している。残念ながら、大人になってから知った木々について、同じように想起することはできない。大人になるということは、そういうことではないはずだとかねて思っていたにも拘わらず、自分の目が貧しくなってゆくことに一抹の侘しさと危機感を感じることは、否定できない。

 庭の木々には、色々ないきものがきた。蝉や赤とんぼを手で捕まえられるようになったし、カミキリムシの斑点や触覚の形状に惚れ惚れして、なぜこれが害虫と言われるのかをいぶかしんだ。こんなに綺麗なのに。
夕刻になると、食餌となる小さな虫が地面近くを飛ぶのに合わせて、蝙蝠が降りてくる。小石を空に投げ上げて、その石に途中まで蝙蝠がついて来る空中滑降を愉しんだ。決して自分の手の届く高さまでは降りてきてくれないところが、よかった。

 四季折々に何らかの花が咲くようにはなっていたけれども、私は夏の庭がいちばん好きだった。ホースを掲げて庭に水を撒くと、夏だけにしか感じられない庭の生きた香りがぶわりと辺りに充満する。土の香りとも木の香りとも違う、何にも似ていないその夏の匂いは私にとって生命の匂いそのものだった。庭は水と霧を纏ってきらきらとうるさいくらいに輝いた。水撒きを終えるといつも、庭と同じようにびしょびしょの露にまみれる私は決まって叱られた。


 いつか自分が庭を持つことがあるのなら、黒松と紅葉が欲しい。叶うならば苔と石も欲しい。
大人になった私は、たとえ広い庭があってもそこで転げたり遊んだりすることはなく、その空間の中で遊んでいる幼い私の姿を脳裡に描きながら、硝子越しに庭を眺めるにすぎないだろう。幼い私を安心して遊ばせてやれるだけの空間、幼い私が生命の匂いを覚えたあの場所を、心の中ばかりでなく物理的にも構築したいだけなのだ。
庭は、子供だった頃の私を飼う場所。