Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

硝子の眼 Ⅸ。

2006-01-10 | 物質偏愛
 好きだったはずのモーツァルトが癇に障って、ひったくるようにリモコンを拾い上げて音を消した。
微弱な振動で震えていた部屋の空気が凍り付いて、無音と錯覚する静けさが一瞬訪れた。その一瞬後に、窓の下を歩く人々の足音や息遣いの気配、葉を失って丸裸になった木々の枝がぎしぎしと擦れる音、離れた風呂場の換気扇から漏れる低い電気の音、冷蔵庫が身震いする音、それらが互いに重なり合って、しかし確実に和合することのない独立した音として聞こえてくる。

 近頃まで私はそれらに名前を与えることを怠り、それらの皆を「雑音」という名で呼び、音楽を消した部屋の中の状態を「無音」と呼んでいた。そういう名を与えたことに対する不具合はこれまでなかった。ただ、そういうものだと思っていた。

 彼は美術館や博物館が好きで、私はよく同行させられた。綺麗な絵や見も知らない昔の機器や装飾を見るのは私にとっても興味深かったし、私にいちいちその詳細を説明する彼のそこだけ異様に生き生きと輝いた眼を見るのがなにより好きだった。いつも白い彼の肌はときに薄っすらと上気したようになり、そんなときは類なく饒舌になった。饒舌の波が過ぎると、ある時はある作品の前で、ある時は帰りの電車の中で、きまって彼はぽうっとした何かに焦がれるような顔をして反動のように押し黙った。

 彼が美術館や博物館が好きだった理由を、今なら少しだけ理解できる。
彼は、自分にはどうしても手の届かない無音の世界に憧れて、その世界の住人になることを意識的にか無意識にか、望んでいた。閉ざされて時の止まった(厳密にはその表面の物質レベルでの変質が至極ゆっくりとしたスピードで進行しているとしてもだ)絵画の中や、それを封じ込めるアクリルケースの中を見ていた。描かれているもののもっと向こうにある何か空気のように掴みどころのないもの、こちらの世界で蠢いている自分には掴むことのできないものに焦がれていた。その興奮が彼をいつもより饒舌にさせ、その焦燥がしまいには必ず彼の口を閉ざしたのだ。


無音の世界。

かたちも色も思いもあるのに、音のない世界。
それが、彼が欲しかったもの。
彼が、住みたがる場所。
彼が、なりたいもの。


せめてもの抵抗と、消したばかりのモーツァルトを再び部屋に流し、部屋いっぱいをその音が充たしてしまうようにとヴォリュームをひねった。
この部屋のあるたったひとつの、ほんの小さな容積がその音に決して浸食されることがないことを知っているくせに。
知っているからこそ。



硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。
硝子の眼 Ⅴ。
硝子の眼 Ⅵ。
硝子の眼 Ⅶ。
硝子の眼 Ⅷ。