この会社に入ってからというもの、沖縄に行かない年はない。
とはいえ、いつもどこかのオフィスにいるかホテルを巡るかしているので、観光らしい観光は合間にちょこっとするくらいしかない。無論、ビーチやプールとは縁がない。
私にとっては、京都や奈良に次いで多く訪れている土地なのでそれなりに慣れた感があったが、訪れるたびに小さなカルチャーショックを受け、そのたびに、ここは確かに過去に違う国だったのだなと思う。
沖縄には「ユタ」と呼ばれる在野のシャーマンがおり(正当な指名を受けた神職は「ノロ」)、神さまと人間との距離が近いところだなという認識はかねてからあった。とはいえ、ユタが生まれつきユタであるわけもなく、一定の力があると見なされた人々の中からユタは生まれる。本州で言うところの「霊感が強い人」というのを指すことばが沖縄には今でも残っており、「たかうまれ」と云うそうだ(※呼称は地域により若干異なるらしい)。
「たかうまれ」に対する一般人の理解は深く、『この道を通れません』『慰霊祭に行けません』とかいうことが、そうかそうか、さもありなんと認められるという。時代によっては、邪宗と云われてノロやユタが弾圧を受けた時代もあったが、いまでも、沖縄には名前のつけようがない眼に見えないものへの意識や配慮が根強い。
かつては、各集落に御嶽(うたき)と呼ばれる聖域があり、世界遺産に登録されているグスク群は本来、御嶽を中心に発展した集落が砦状になったものという説もある。御嶽は海や水源や山などの自然の神が祭りのときに降りてくる標識であり、お盆のように先祖が帰ってくる際の標識でもある。御嶽の権威は今でも強く、内地の我々がやすやすと神社や寺に入るような気分でそこに近づくものではないらしい。
一方で、沖縄の墓はとても大きく家のような形をしているので有名だが、これには親族がみな納められること、また、かつては風葬であったことなどから一定のサイズが必要条件としてあったのだろう。先祖信仰があるわりに、生々しい「死」や「死体」は穢れとみなされ、現世とむこうのキワとされる「崖」に墓は作られる。人間の時間の末端である「死」と、それを超越した「霊」との関係は、今なお非常に古代的だ。
なお、ニライカナイ信仰、御嶽信仰という言葉は、外部の人間によって当てはめられた単語であって、沖縄(琉球)に自分たちの信仰を意表する単語はない。