Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

秋の輪舞。

2005-11-30 | 春夏秋冬
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ (文屋康秀)


街灯と、冷たいビルの窓から漏れる灯かりにに照らされる夜道。
闇に温度を与え、彩るのは人工の光そのものではなく
高貴で且つ獰猛に巻き上げる風に呼応して
我先にとその身を闇の虚空に投じる光の色した銀杏の葉。

風はしゃらしゃらと枝を楽器に騒がしく豪奢な音を奏で
小さな掌のような、羽のような葉先を惜しみなく呼び寄せて
着飾らせた踊り子にそうするように、自らの周りを舞い躍らせる。

わたしは先ほどまで闇だった頭上で繰り広げられる
華やかな輪舞を見上げて溜息をつく。

踊りの輪から順に抜けてゆく葉は
地面に着いたそばから冬へ向かう休息の眠りについてしまうから
わたしの手の届かないノスタルジーの彼方へ沈んでしまうから

するりと列を外れた一葉が、中空で友の掌にするりと捕まえられる。
笑顔でわたしに差し出された葉は、友の掌を経てもなおひんやりと冷たく
眠りを妨げられたことを非難するかのように
わたしの掌のなかで一度だけちいさくふるっと震えた。




虹の扇。

2005-11-29 | 徒然雑記
 馴染みの喫茶店で日課となっている昼下がりの珈琲を飲んでいたら、ガラスの壁に「ごしゃん」という重くてちょっと間抜けな音が響いた。
今日は風が強かったから、上階から何かが落ちてきたのかしらと思って外を見遣る。音のわりに大きなブツは転がっていないようだ。視線を下のほうへ移してゆくと、丸っこいものがもそもそと蠢いているのが見えた。

あぁ、キジバトか。
キジバトはツバメと異なり、ガラスの窓を判別できないらしい。そうはいっても、まだ日暮れにはかなり間があるから暖かそうな灯かりに誘われた訳でもないだろうし、一階でしかも間口のさほど広くない店のガラスにぶつかるなんて、なかなかに頓馬な鳥種であることは否定できない。

半分ほど残っている珈琲を一旦放り出して、外に出る。
腹を上に向けて引っくり返った状態で首を左右に小刻みに傾げながら無為に足をぱたぱたさせている丸っこい鳥玉は、できるならそのまま暫く眺めていたい残虐な愛情を感じさせるほどの可愛らしさを呈しているのだが、救出するために外にでたのであるから、そうもゆかない。驚愕で逆立てているふわふわした羽の間にそっと差し入れた両の手指がふわりと柔らかい生き物の熱に包まれる。自分でない別の生き物の発する温度はこちらの心を一瞬で溶かしきってしまうくらいの、不用意な優しさを持っている。その甘ったるい温度に心がきゅぅっと締め付けられるのを抑えつつ、なるべく驚かせないようにとこの上ない繊細さをもって、鳥玉をころんと正しい向きにひっくり返した。

先ほどの鳥玉は野生のキジバトに戻った。
けれどキジバトの習性として、なんらかのアクシデントやショックがあった直後はなかなか飛び立てずにその場に凍り付いてしまうため、大きな外傷があるかどうかは一見して判りにくい。頓狂な眼をして周囲を見回す首は正常に動作し、瞬きもしている。脊髄と首の骨はどうやら大丈夫そうだ。しかし果たして、再び飛べるのか。

 野生の鳥は、迂闊に触ると外傷ではなく心的ショックで死に至る。ひと時ばかり逡巡したが、今日のキジバトに関しては「私の手なら大丈夫」という根拠のない自信があり、座り込んでしまっている無力な生き物の羽の内側の最も暖かい部分に掌を差し入れ、羽の骨格を手探りで確かめた。本心は、あの温度にもう1度触れたかっただけなのかもしれないが。

羽の根元をきゅっと探ると、ばさっと細かい羽毛を散らして羽が大きく開く。羽は左右とも扇のように美しい広がりを見せ、キジバトの名が示す通りのセピアがかった虹色の艶を明らかにした。空を斬り、風を操る虹色の小さな扇の繊細で美しいことといったらない。なぜ人間はその身にこのような美しい艶とデザインを持たず、このような無粋な進化を遂げてしまったのだろう。
心細げに揺らめく遊色のさざなみも、華やかな舞扇のひらめきも私にはない。

キジバトは大人しくその羽を私に預け、小さな声すらも立てずに首をきゅっと大胆に曲げて背後に屈み込む私を見た。無事を確認した羽から手を離すと、キジバトは故意にゆっくりと片方ずつ、静かにその羽を畳みこんだ。
私は席に戻り、冷えた珈琲の残りをすすった。

約一時間ののち、思い出したかのようにばさっと大きく両羽を振りかざして、キジバトはそのくすんだ虹色の扇に風をはらませてふわりと宙に舞った。


硝子の眼 Ⅵ。

2005-11-27 | 物質偏愛
 人工的な人肌の温度、とでも云おうか。
ベッドサイトのテーブルランプの灯かりは、私の欺瞞も昔の男の優しさも馴れ合いも全て一緒くたにして輪郭を露わにしてしまうから、闇に溶け込むぎりぎりの光量に微調整を加えて、私は煙草に火を点す。

「煙草、やめたんじゃなかったのか。今の彼、気管支が弱いんだろう。」
「普段は吸ってないわ。ひさびさよ。」

 煙草を挟む左の中指の爪は紅く彩られていて、その先がほんの少しだけ欠けていることが僅かながら忌々しく、すぅと大きく天井に向けて煙を吐き出した。
私は煙草の真ん中のほうを挟む癖がある。あんまり粋じゃないな、と云って端のほうを持つようにと私に根気よく教え込んだかつての男が隣に寝ていることもあって、すっかり忘れていた昔の吸い方を無意識ながら再現しようとしていることに苦笑する。

「確かに、こうして逢うのも久々だけどな・・とはいっても、最後に逢ってからまだ一年も経ってないか。もうすっかり卒業してしまったかと思っていたその紅い爪に揃いの紅い口紅だもんな。ひさかたぶりに、欲情してしまったよ。」
「お陰で、口紅が見事にはげてしまったわ・・・綺麗に塗るの、大変なのよ。」

「でもどうして、いきなりまた紅なんだ?」
「結局のところ、男はみんな紅が好きなのかなぁって思ったの。」

今の男との微妙な手探り状態が露見してもいい。できるだけ素直に言葉を紡ごうとしたら語尾が自嘲気味に照れてしまうのを防げなかった。男は、本気の話をしたいときには必ずといっていいほどそっぽを向いてしまう私の横顔を真っ直ぐに見て、言葉を続けた。

「俺はそういう訳でもないよ。君の激しい気性に凶器みたいな紅が似合ってたから好きだったんだ。彼氏さんはそうは言わないかい?」
「口では、紅じゃない色を勧めるわ。ほんとのところは知らないけど。」

 私の脳裡に、白いテーブルの上で微笑むわけでもなく、冷たくこちらを見下ろすあの人の顔が浮かんだ。穢れを知らない少女の衣装に不似合いな爪の深い紅。何人もの女達が今まで彼女に捧げてきた血の贄の色が。

カチリと音を立てて、男の顔がライターの火に照らされる。美しい面立ちというのでは決してないけれど、ひとつひとつの造作が美しい男の仕草を私は愛していた。そして、欲しいと願う仕草をひとつひとつ、転写するかのようにこの身に映してゆくのが愉しかった。そんなことを思い出す。


「あまり無理するなよ。まぁ、好んで無理をしたがる人に言うのもなんだが。」
そういって、男は私よりひと足先にホテルを後にして仕事に向かった。
残された私はあーあと大袈裟に声を出してみて、ぼふっと音と立てて威勢良くベッドに大の字に倒れ込んだ。僅かに残った口紅を、眼の前を横切った白いシーツの端で乱暴に拭い取る。

自分にぴったりの色だと思っていた紅。
あの男が愛してくれた「私の」紅。

だけど今の私にとっては、心臓をざっくりと抉られた贄が流す血の泪の色。
この色を纏うことそのものが、私とあの人だけが知る、贄のしるし。



硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。
硝子の眼 Ⅴ。


硝子の眼 Ⅴ。

2005-11-22 | 物質偏愛
 今日は日曜日だけれど、朝から僕は洗濯と掃除に追われている。
いつも西日の眩しい窓からの朝の日差しは霧のようにやんわりと淡く、部屋は硬く凍りついてなかなか溶解してくれない沈黙した空気に支配されている。

 昨日は、なぜ恋人と喧嘩したのかよくわからない。
一緒に食卓を挟んでいたはずなのに、気がついたらポークソテーやら野菜の切れ端やらが宙を舞って僕のほうに飛んできていた。僕は唐突なことに対処しきれなくて、多分かなり間抜けな面でコマ送りのようなその食べ物たちの空中遊戯を眺めていたことだろうと思う。
一瞬の後でそこいら中に飛び散ったカラフルな模様に、自分でしたこととはいえ恋人も多少なり驚いたようで、きゃぁとこれまた間抜けな棒読みの台詞を発した。それから僕たちは二人仲良く、時には笑いながら黙々とその後片付けに夢中になっていた。

とはいえ、被害を被った僕の洋服やランチョンマットはこうして僕が日曜日にひとりで洗わなくてはならないし、気に入りだったパイルのスリッパは図らずも不規則な水玉模様になってしまったから、これも新しいものを用意しなければいけない。
だけどなにより困っているのは、ペルセウスの円盤投げよろしく、僕の眼鏡に向かって皿が回転しながら飛んできたことだ。果たして眼鏡は左半分が修復不可能に弾け飛んでしまって、そのついでに僕の額に軽い小悪魔的キスを投げていった。冬の冷たい空気は額の傷を常にちりちりとさせて僕を不愉快な気分にさせ、その不愉快な気分と同時に恋人の顔が浮かぶものだから、恋人に逢いたい気持ちさえ失せてしまう。


 暴力と加虐との間には、大きな隔たりがある。

確かに僕の恋人は、たまに僕の上に馬乗りになったりして僕のあばらを軋ませたり、短い恍惚の数秒間のうちに僕の首を絞めることもあった。それを僕は僅かな微笑みと心地よい半眼の眼をして受け容れた。そこには痛みという確かな存在があり、痛みを通じて僕という人間が、そして彼女という人間が今この場所に、同じ時間を共有しながら存在していることを信じることができた。

だけど、この額のちりちりした苛立たしい痛みの中に彼女の存在を感じ取ることはできない。僕の存在をその身に認めるためでなく、僕の存在を否定するために与えられた痛みの中には、淋しい苛立ちしか残らない。

 辛うじて水玉模様にならずに済んだ白いテーブルを見て、僕はほっとしている。
いつものように珈琲を淹れて、眼鏡をかけていないぼんやりした目で、藤色のドレスを纏った冷たい肌の貴婦人に眼を向けた。

彼女の冷たいとび色の眼はまっすぐに僕に向けられ、僕をそのままの姿勢で椅子に縛り付ける。もし瞬きでもしてくれたならその一瞬の隙を見付けて息を吸うことだってできるのに、それさえも許してくれない透徹した瞳。文字通り指一本動かすこともなく、笑いかけてくれるでもない、目蓋のひらめきすら見せてくれない彼女の眼が、甘やかな痛みを伴って僕を刺し貫く。

 信仰にも近い敬虔さでその痛みを受け容れる泣きそうな顔の僕が、彼女の凍ったとび色の瞳の中にはっきりと映っている。彼女の瞳いっぱいを、僕が占めている。

 
 この痛みの中に、確かに僕が居る。





硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。
硝子の眼 Ⅳ。



硝子の眼 Ⅳ。

2005-11-19 | 物質偏愛
 いつもの白いテーブルに反射する陽光は日に日に傾き、反射する光の眩しさも最近では目に慣れてきた。窓の下では、枯れ落ちた蔦の葉を踏みしめて人々がしゃくしゃくと歩く心地よい音がわたしの眠気を誘う。もうすぐ、秋は冬に呑み込まれて行く。

わたしは冬があまり好きではない。乾燥が厳しくて自慢の金髪が静電気を含んでどうにも苛々させることも、丘の輪郭ぎりぎりまで傾く陽が部屋の中にまで否応なく差し込んで、私の白い肌を容赦なく刺し貫くことも、うまく云えないがなんというか、いちいち無粋で無神経だ。
長く暮らした前の家では、ちょっと黴臭いのと狭いのを我慢すれば自分の部屋があり、家の息子が気紛れに別の部屋にわたしを連れ出す時以外は、時の流れからも切り離された薄暗い部屋の中でゆらゆらと、冬の気配すら気付かずにうとうとしていればそれでよかった。

 新しい家では、ひとりでいる時間は少なくなった。
大概の昼間は、厭らしいほどに冷んやりとする白いテーブルの上を定位置とされるため、近頃ではその目に痛い白さにもなんだか慣れてきたし、黴臭い部屋にいる時間が減ったせいで、わたしの服にこびり付いていた湿った黴の香りは徐々に薄くなり、それに代わって珈琲豆の香りが若干なり気になるようになった。全く別のものではあるが、黴の香りと珈琲豆の香りはどこか似ているから、わたしの服の上でもこころの中でも喧嘩して反発しあうことがない。むしろ、ちょっとずつ混じり合って融合してゆくその香りの線引きが最早わたしにはできなくなってきている。


 げし、げし。
今日も乾いたおかしな音をさせながら、乾いた皮膚の眼鏡野郎が珈琲を淹れる準備をはじめた。眼鏡野郎のくせに、この男も冬はあまり好きではなさそうだ。最近になって、「咳」とかいうこのげしげしいう哀しげな破裂音をしばしば立てるようになった。いけすかない眼鏡野郎の奏でる、この不可解な哀しさと破壊的な衝動とを内包するかのような不定期な「咳」という破裂音は、わたしの気を少しばかりは滅入らせる力があって、わたしの視線を嫌いなはずの男に向けさせる。

 ほっくりした湯気と香気を立ち昇らせる珈琲がわたしの前に運ばれてきた。カシャンと慌てた音を出してカップをテーブルに軽く叩きつけたほぼ一瞬後に、男は顔をわたしから逸らせて、冷たくか細い手を口にかざして、また「げし、げし」と泣くような音を立てた。
この音と同時に目に映るのはいつも、男の猫背の後姿だ。この音を立てるとき、男は決してわたしに正面からの顔を向けないから、音に引っ張られて意識を向けたわたしが見るものは、いつもわたしに向かって閉ざされた薄っぺらい背中。

 
 簡単に蹴り倒せそうなのに、どこか届かない淋しい背中。
 なのに振り向いた男の色白な顔は、反吐が出そうなくらいに優しいもので。

できることなら。
この男の恋人が隠れてこっそりするように、「ちっ。」という忌々しくも潔い、短い呪詛を吐き掛けてやりたいところだ。
驚いた男は、「咳」の途中に誤ってこっちを振り向いたりするだろうか。



硝子の眼。
硝子の眼 Ⅱ。
硝子の眼 Ⅲ。

海と廃墟と観覧車。

2005-11-17 | 異国憧憬
 中東のパリ、と呼ばれるベイルート。
 私はこの街が大好きだ。

レバノン内戦が正式にその火種をぼうぼうと上げるようになった頃、私は生まれた。そして、まだ母や父よりほかの人間を知ることすらなかった時分に、遥か異国の地で行われている内戦のことなど、知る由もなかった。

大人になってからの私も、レバノン内戦のことは歴史として知っているだけだった。現地に足を踏み入れた私ははじめ、その美しい海岸線と煌びやかでハイセンスなビル群に目を奪われた。あちこちを掘れば掘るだけ出てきてしまう、古代ローマや中世の地盤と建造物の亡骸の上に、そのビル群は整然と居並んでいる。
そして、海岸を眩しい白で縁取るビルの陰に、未だ弾痕が派手に残る崩れかけたレンガ色の低層ビルの廃墟がひっそりと、しかし確かな温度をもって隠されていた。
リヤカーを引く建築労働者が、緩い坂道をのそのそと登ってゆき、朽ちた壁の向こうに曲がって消えた。

夜になると暖かく色とりどりの灯で、海岸が彩られる。陸に向かって急激に傾斜する平地の少ないこの土地の灯を海から眺めると、ともすれば笑ってしまいたくなるくらいに綺麗だ。夜の闇のなかで沢山の廃墟たちはビルの裏手に沈み込み、目に映るのは希望に彩られた灯のみ。昼間にはかろうじて直視できる沈黙した廃墟たちはきっと、夜になると語りだす。饒舌に、淡々と、過去の現実を語り出すに違いない。だから夜になると、人は暖かい灯だけを見詰めて明日の太陽に備える。

海の香りがするこの静かな復興を遂げつつある美しい街に、アミンという友がいる。
仕事を終えて夜になると、必ず私を夜の海岸線へと誘ってくれたものだった。ある年にはガタがきて補色だらけの自らの車で。その翌年には走っている途中でホイールが弾け飛んでしまうスリリングなタクシーを駆って。
波打ち際を見下ろす夜のカフェは、真夏でなければ海風で肌寒い。上着の襟元をきゅっと絞って、波音を聞きながらシーシャの煙と会話に酔う。ベイルートでの短い滞在はいつも、彼の笑顔とともにあった。

「アイスクリームは要る?」
「いやよ、ただでさえ寒いじゃない。」
「僕が食べたいんだよ。」
「それならいいけどさ。ね、あれって英語でなんていうんだっけ。」
そういって私は観覧車を指差す。

「うぅん・・あれについて語ったことがないから判らないよ。」
「そっか、じゃぁ次回来るときまでの宿題で。」
「判ったよ。じゃあ、今度は見るだけじゃなくて、あれに乗ろう。」
「いいね。ベイルートの夜景を空から見たいよ。」
「東京にも負けないはずだよ。必ず、見にくるんだよ。」

そう約束したのを最後に、私はベイルートに行っていない。
今にして思えば、「観覧車」なんて簡単な単語なはずで、思い浮かばなかったほうが可笑しなことだ。だけど、単純に「Ferris wheel」(※wheelだけ、あるいはbig wheelでも通ずることが多い)なんて定義できていたら、きらきらとライトアップを受ける「あれ」に乗りたいとか言い出さなかったかもしれず、「あれ」にこの街の持つ儚さと哀しさと確かな美しさとを重ね合わせることもしなかったかもしれない。

闇を彩る波の静かなリズムと潮の香りと煌く街灯かりと、そして友の最高の笑顔のお陰で、煙を吹かす私の笑顔はそのまま眠りに落ちそうな程に緩やかなものであったはずだ。精神の高揚を呼び起こすのを常とする異国の地で浮かべるには不釣合いなくらいの、弛緩しただらしない笑顔。無警戒の幸福。


今でも友は「あいつはいつ、来るんだ?」と仕事で彼の地を訪れる者たちに度々訊いているという。
私が退職したことを友は知っている。
約束は、約束のままに残っている。

約束は、双方がそれを大切に記憶しているだけで既に美しい。
そして、双方が記憶している約束がいつか果たされたとき、それは約束から美しい愛情溢れる現実に昇華される。

ゆらゆらと、細く太く変化しつつ揺らめく蝋燭の炎のように消えそうで消えることのない期間を経て、幸運にもその灯がついえないうちに約束が果たされるのなら、一瞬の水蒸気爆発のように、鮮やかな閃光を発して現実の一瞬が永遠のもののように双方の心に転写される。

 
 私は、いつかきっとこの約束を果たせる予感がする。




季節郵便。

2005-11-15 | 春夏秋冬
 今日は、季節がひと月ほどうっかり先走ってしまったように寒かった。
今年初めて着る上着を引っ張り出してしっかりと羽織り、外界へと繋がる扉を開けた。。

途端にひゅるひゅるっと白蛇のように細くてしなやかな風が3、4本、私の身体にまとわりついて、首をすくめた。流石に手袋はまだ早いだろうと思って、私は冬の桜の枝の如くにきゅっと乾いて縮こまった手指を護ろうと、慌てて両の手をポケットに突っ込んだ。その際、ポケットについているファスナーが蛇の薄くて小さな牙のように手の甲を僅かながら傷つけた。それはとても心細く遠慮がちな、微かで甘ったるい優しさを伴った痛みだった。

右の手を包んだポケットの中に、ふたつの小さく、そして尖った球体を見つけた。
昨年の秋に、きれいなものを選んでふたつだけ拾ったドングリだ。
仲良く3つの季節を越えてきたドングリは昨年よりも少しだけ軽くなり、僅かに残っていたはずの緑色は失われていた。

 季節は過ぎ去るものでなく、繰り返すものでもなく、ただひたすらに積み重なる。
昨年の秋の一部はこうして私の手中にあり、今年の秋はこうして私の目の前にある。来年の秋を迎えたら、それと同時に大事にしまっておいた今年の秋の欠片をどこかに探すだろう。

異国の大地や海の欠片を並べることで、その欠片を透かして遠くの大地や、あの遠い色をした海と私の部屋が繋がっていることを肌と匂いで感じ取ることが容易となり、思い出という自己満足であやふやな霞よりもずっと確実に存在する物質を通じて、私の想いと行いをあの場所へ還すことができる。そして同時に、過去の季節の欠片を通じて、いま私を包んでいるものより遥か下方に地層のように積み重なってしまった、もはや手の届かない時間の端っこにそっと手を届かせることができる。

 いくつの季節を踏み潰しても、それでもはやり私はドングリが好きだ。

だけれど、今の私の手元にあるドングリはこのふたつだけ。
生まれてから今までに拾ってきた全てのドングリを、もし季節の重なりと同じように平等に積み重ねたなら、どれだけの山となってしまうのだろう。
何歳になっても等しい愛情を込めて拾い続けてきたはずのドングリ。
その全てを山のように等しく貯蔵できないということが判っているからこそ、愛おしむかのように毎年ドングリを拾い続ける。


欲しいものバトン。

2005-11-12 | 伝達馬豚(ばとん)
最近は、バトンもいっぱいできたのだなぁ。
各人のご都合を読んでそこまで面白いのか不思議になるものだが、ご指名を頂いたので今回も律儀にやってみる。

【Q1:今やりたい事】

a) 人で混みあっていない綺麗な海で、お魚と一緒に泳ぐ。
b) モンゴルのような大草原や土漠(セミ・デザート)などで馬を駆る。
c) サハラ砂漠(リビア方面より)の深奥に還る。
 
まぁ、あれですな。文化財とかパソコンとか携帯とかのないところに行って、埃で曇ってしまったこの眼や魂を洗い流したいというわけだよ。大いなる自然の深奥に踏み入ることを赦して頂き、私という煮詰まったひとつのたましいが、足元に転がるひとつの石や砂粒、枝葉を繁らせる樹と同等のただ一個の「存在」に過ぎないという実感をふたたびこの身で感じたくてたまらない。たったひとつのちっぽけな、だけれど他の全てのものとも異なる特別な、単なる存在であることの素晴らしさよ。

【Q2:今欲しい物】

a) 悪夢や気管支の発作に脅かされない深い睡眠。
睡眠のバイオリズムに従って毎晩2度も3度も目覚めて、その度に見させられる悪夢の3本立てキャンペーンはいい加減飽きてしまったのだよ。
b) 美しい記憶。

【Q3:現実的に考えて今買っても良い物】

新春歌舞伎のチケット(来月発売開始)。


【Q4:現実的に考えて欲しいし買えるけど買って無い物】

シーシャ(水煙草)のマウスピース。
何年も誘惑に堪えてきたのだが、ここに書いてしまったことで耐えられなくなるかもしれぬ。

【Q5:今欲しい物で高くて買えそうに無い物】

フランク・ミューラーのColor Dreams SS(ステンレススチール) 緑/緑革 7502CD。
なんだかんだいって、現実や時間に縛られていないとふと怖くなる自分もいる。

【Q6:タダで手に入れたい物】

a) 豊富で良質な食材。
b) 良質な専属医師。

【Q7:恋人から貰いたい物】

有形無形の、美しくくだらないもの。


【Q8:恋人にあげるとしたら】

上に同じ。
加えて、わたしでなければあげることのできないものすべて。


【Q9:このバトンを5人に回す。】

毎度のことですが、放棄するのでどなたか奮って拾い上げて下さいまし。



拾い魔の納得。

2005-11-10 | 徒然雑記
 ※関連記事
「拾い魔の憂鬱。」
「天心先生、ご機嫌麗しゅう。」


最近、「オーラの泉」という番組をたまに観る。昨日の放送は、ゲストまで霊感爆裂だったので、大層面白く、腹を抱えて笑わせて貰った。こういう「本物の」霊能力を持つ人々が居並び、その能力を解放させている番組を見ると、テレビのこちら側までその威力が及ぶことがある。霊感の弱い人にとっては殆ど無自覚であろうし、私も力が強くはないので何にかが見えることはないし、直接的なメッセージを受け取ることはできない。ただ、腑に落ちなかった出来事や見逃していた出来事の意味に気付かされて、「あ、そうだったのね、どうもどうも。鈍くてスイマセンね。」という気持ちになる程度のことである。

昨日は「判るそれ!」とゲラゲラ笑い転げていた間にも、ふたつ納得できることがあり、折角なのでご報告させて頂くことにする。

ひとつめ。
前記事で「日光になかなか行けない」と書いたのだが、その月に実はあっさりと日光ゆきが実現してしまって、ありゃりゃおかしいな?と思っていたところだったのだ。度々あからさまに妨害され、引き留められていた日光行きをもし私が無理矢理に敢行させてしまったとしたならば、現地で何かトラブルがあったり、後になって何か厭なことでも起こるかなと思っていたのだが、何も起こらない。「あっさり行きすぎてどうもおかしい」という不可解な気分になっていた訳だ。

不思議と云えば不思議で、脈絡がないと云えばないのだけれど、テレビを見て大笑いしている最中に上記の家紋(我が家の家紋だ)がぽっと頭に浮かんで、あぁそうか、と思ったのだった。
読者の方にはご存知の通り、私は今年の七月に高野山を訪れている。その際、至極当然のように徳川家霊台に立ち寄っているのだが、そこは徳川初代(家康)と二代(秀忠)の霊廟であり、知らぬ間に私は墓参りを済ませていたことになる。だからこそ翌月に三代(家光)が祀られている日光に行くことをようやく許された訳だ。簡単に云うならば「墓参りの順序が違うんじゃワレ!」ということである。

上記の家紋は松平諸家がよく用いていたもので、私の家系は伊予の海軍河野氏の筋と松平(のちに伊予地方では松山城を治めている)との両家に関わりがあり、駿府城にも無縁ではない。確かに、赤の他人ならいざ知らず、多少なりの身内であるならば墓参りの順序くらいはきちんとして欲しかったとしても頷ける。
因みに私は中学と高校の6年間を、駿府城の堀内の学校で過ごしていたりもする。
それらの全てが、ようやく繋がった。

徳川ゆかりなのに日光に嫌われていたわけではなくて、本当によかった、と思う。


ふたつめ。
テレビの中の霊感爆裂なお三方が「回される」と表現した現象がある。
ある土地を訪れたとき、背中に誰かが軽く憑依して、その人にある意図を持ってある場所に連れて行かれてしまうことを指し、その「意図」に当人が気付くまで延々と懲りずに同じ場所に連れて行かれるという。
私は札付きの方向音痴なので、回されているのか回っているのかはっきりしないことの方が多いのだが、先日は明らかに迷子に「させられた。」

日光に行ったのと同月、北茨城の五浦という地に赴き、岡倉天心の日本美術院跡及び旧居を訪れ、次いで天心の墓参をしてきた。
そのことも忘れかけていた先月のある日、谷中で用事を済ませたあと、「近道をしよう!」と思って方角だけを頼りにあてずっぽうで道を曲がったら、うねうねした住宅街に誘い込まれ、まんまと迷子になった。次の約束の時間には確実に遅れてしまうので、雨の中を友人に携帯メールで謝罪しつつ、なぜか道を戻らずにある種の確信を持ってその道を歩いていたところに出逢ったもの。

猫の額ほどの公園の入口に岡倉天心記念公園の文字。
・・・なるほど。

ここは、天心が日本美術学校を追われたあと、明治31年に日本美術院を創設した場所であり、天心の旧居でもある。このあと天心は五浦へ移り住み、最終的にふたたび谷中(今度は三崎坂)に戻ってくることになるのだが。

天心先生が、五裏で百合を手向けた私を覚えていてくれて、「よう。上がってけ。」と呼んでくれたということか。
迷子の最中なので道なぞ覚えているはずもないが、また行こう。
行けるはずだから。


 追) 読者の方の中に、本物の霊能力をお持ちの方がいらっしゃれば、
    是非私の鑑定を依頼したいところです(笑)

旨い豚。

2005-11-09 | 徒然雑記
うとうとしていたら、なにぶん唐突にこんな言葉が脳裡をよぎった。
「自分の親は自分にとっていちばんの理解者であって欲しい。」

大概の子供はたとえ幾つになっても、心のどこかでそう思うものではないだろうか。しかし往々にしてそううまくはゆかず、子供は親の一方的な決め付けと理想および誇大な妄想の犠牲となり、親は自らの妙に現実味のする妄想の捕囚になって、子供の顔をしたドッペルゲンガーを前にして恐怖とむき出しの敵意を向けることを惜しまない。

父という名のひからびた案山子、母という名の貪欲な人がいるとしたら、子供はよく飼育された豚であり季節になると豊富な実をつけるに相違ない豊かな麦にすぎない。

「台風がきてしまったから、今年の麦はよくできなかったよ。」
「確かに台風はきた。だけど何故麦が実らなかったのを台風のせいにするのかね。案山子の役目を無駄にする気かい。」
「放っておきなさいよ。豚は豚。旨けりゃいいのよ、それで。」
「旨いかどうかなんて、食ってみなけりゃ判らないじゃないか。」
「旨いって先に云ってしまえば、豚は自分からちゃんと旨くなってくれるものよ。」
「なるほど、そんなもんかね。ときにこいつは何時から豚なんだね。」

こんな阿呆な会話が展開されながら、案山子はせっせと自分の装身具を磨き上げ、人は目を閉じて空想の中の豚がどんなに旨いかを想像して口をだらしなく開けたまま垂涎するわけだ。

 なに、本当にその豚は旨そうなのかって?
                      知るか!

黒ずんだ前歯の欠けた、いつも右の前足でがりがりと神経質そうに床をかじっているこの黄色とも茶色ともつかない生き物がもしお前の目に豚に見えたとして、そうしてそれが垂涎を引き起こすのであれば、多分それは貴様の期待を裏切って、涎ばかりか泪まで流させてしまうくらいには旨いに違いない。
だけどまぁ、もし旨くなかったとしたって豚に騙されたとかって騒ぐのは酔狂だ。首をかき斬られた豚は既に泣いて謝ることもできやしないんだし、してやったりとぺろっとその可愛くない舌を出すことだってできないのだから。

 だから、ほら、あいつの云うとおりなんだよ。
食う前から旨いって云ってやれば、場合によっては豚が自分から慌てて旨くなってくれることもあるんだろうし、ないかもしれない。
心根のひねくれた豚だったら、旨くなんかなって堪るもんかと自分の勝手なタイミングで銅鑼に頭をぶつけに突進してゆくかもしれない。

 要は、あれだ。
 旨い豚なんて最初っから、いないんだよ。



Lovely Phantom

2005-11-08 | 徒然雑記
 無用に広い部屋の真ん中に安置されている、血の色をした悪趣味なベッドに腰をかけ、同色の布団を肩に少しだけ被せたまま、わたしは煙草を吸っていた。ベッドの真ん中には、黒髪を扇のように広げて男が寝息を立てている。蝋燭の明かりが綺麗な陰影をつくる端整なその面立ちをちらりと見やり、紅に映えるにきまっている心細いくらいに寒々しい黒のキャミソールの裾を重ね合わせ、ふるりと足を震わせた拍子に少しだけ灰が床に落ちた。ちっと小さな舌打ちをして、裸足の足裏でその灰をきゅっと乱雑に床に引き伸ばして、ただ見えなくした。

私の男ではない男。誰のものかも判らない男は、この、ベッドと小さなチェストと硝子テーブルしかない、誰のものかもはっきりしないこの部屋を時たま訪れる。わたしはそれよりももう少しだけ多く、ひとりでただ眠るためにこの部屋を訪れる。

眠る男の半開きの口の隙間から、贋物のように綺麗で大きな前歯が覗く。先刻わたしの背中にいくつもの青黒い花を咲かせたその凶器を、そっと人差し指で撫でてみる。果たして贋物のようにその白い凶器は冷たく、その冷酷な温度が背中の痛みをわたしに思い出させてぞくっとさせた。いや、自分ではうまく触ることも見ることもできない背中の青い花に触れる代わりに、その凶悪な歯に触れてみただけかもしれない。

 男はわたしの指に気付いたのか、だるそうに眼を開き、わたしの顔に焦点を合わせようと一秒間その視線を泳がせた。目出度く焦点があった瞬間、にやぁっと笑顔をわたしに向け、無邪気な両手をまっすぐに差し出した。先ほど、意識を失うくらいまで首を絞められたわたしは、一瞬その手の接近に怯えて首を引いたが、男の手は予想よりも身軽に私の首に到達し、頭ごときゅっとかき抱いた。

「まま。」
「なぁに。」
「煙草の吸いすぎはよくないよ。お部屋が煙の匂いがするよ。」
「あなただって、わたしの何倍も吸っているのよ。」
「それはコウじゃないもん。」
「わかってる。でも、同じからだよ。」

 わたしを責め苛むという行為に満足した男は、未だ眠ったままだ。
自分のことをコウと呼ぶ、四十男に相応しからぬこの子供が、場違いなほどの屈託のなさで登場するのはきまってこんなときだ。コウはわたしの背に散らされた残酷な花を眼にするといつもきまって、「まま、痛いでしょ。ごめんね、まま。」と繰り返しながら優しく撫でる。痛みで敏感になった肌を滑るぎこちない愛情に溢れた掌が温かく、ぴりぴりとした心地よさをわたしに与える。そして時には、痛くてうまく身体を洗えないわたしに代わって、背に咲いた花以外の残酷な香りを全て丁寧に洗い流してくれる。私の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に拭きながら、決して歯を見せて笑うことのない男と同じ顔をした男が、その白い凶器をきらきらと全開にしてわたしに向かって笑いかける。その諧謔的なことったら、わたしでさえ思わず口を歪めて呆れ笑いをするしかないくらいだ。

「まま、コウはお腹がすいたよ。」
「悪い。今日はお金を持ってきていないのよ。」
「じゃぁ、リョウを起こそうよ。お金持っているから。」
「折角眠っているのだから、もう少し放っておきなさい。その方がわたしも安心だわ。」

コウは、「自分がリョウの身体を間借りしている」と云う。そのいきさつについてはよく判っていないようであるし、自分は中学2年なはずだと云うのだがその割には幼すぎる。当初は「なんでわたしが【まま】なのさ!」と食い下がってみたものの、「判らない。けど、ままはままだから。」と云う。リョウはコウの思考や記憶を共有できないため、リョウに訊くのはお門違いだ。らちがあかないので、コウの何たるかを追及しないままにこの関係に甘んじている。

とはいえ、リョウという冷酷な男のことについてのほうが何も知らないと云っていい。リョウは饒舌で自分のことをやけに喋るのだが(その大概は聞き流している)、他の女がリョウを別の名前で呼んでいたことも多々見かけているわけだし、そもそも免許証の名前はリョウなぞではない。別段大したことではないので、何という名前だったかなんて忘れたけども。

「まま。リョウがこのまま起きなかったらいいのにね。」
「結婚もしてないっていうのに、まだままになんてなりたくないわ。」
「でも、コウがいたらままに酷いことさせないよ。」

コウが熱い珈琲を淹れて硝子テーブルにニ脚並べ、次いでわたしの肩にブランケットを乗せた。

「確かにそうかもね。ありがとう。」
コウは満足げににやっと笑った。そして、目蓋が重いのか伏し目になった。

「ままは、リョウのこと、好きなの?」
「うーん。多分ね、好きじゃぁないわ。」
「コウはままのことがすきだよ。」
「そう。」
私も少し笑ってみた。
「ままは、コウのことが好き?」そう訊かない優しさと哀しみをコウは持っている。

冷酷な言い方をするならば、コウは病理学上のファントムだ。本体であるところの男以上にわたしに実体を感じさせるまぼろし。本体に異常がない限り、コウがそうそう長時間連続して出現し続けていることはできない。
コウが眠ったら、身支度をして帰ることにしよう。
迂闊に「じゃぁ帰るよ」なんて云ってこいつに泣かれたらかなわない、かもしれない。



LOVE バトン。

2005-11-05 | 伝達馬豚(ばとん)
前回の性別逆転バトンを誰も拾ってくれないまま、今度はまた別の人からご丁寧にもバトンを掴まされてしまった。今回のバトンは若々しくてとっても答えにくい上に気恥ずかしいので、不愉快極まりない。
・・・と云いつつも律儀にやる私がいけないのか?

なお彼女によると、これを書くと理想の人が現われるらしいので、理想の王子様またはお姫様が欲しい人は是非ともやってみて下さい。



【Q1:理想の恋人像を教えてください。】
なにはさておき私のことを愛しているのは絶対条件とし・・・
仕事ができる人。
私の歩む道の邪魔をしない人。
私が迷子になったら気付いて道を照らしてくれる人。(※照らすだけでよい)

【Q2:恋人選び、見た目と性格を重視する割合は?】
Harf & Harf。
見た目には性格が顕著に表れるのだから、当然といえば当然の回答であろう。
造作云々ではなく、美の本質を知っている人は外見にそれが匂う。
美の要素をその心身に持っていることは絶対条件だ。

【Q3:今日は一日好きな人と一緒。あなたの考えるデートプランとは?】
この時期に訊かれたら、紅葉狩りとお散歩でしょう。
「しばらく黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか。」(キェルケゴール)
これをまだ実践していないのなら、敢えて無計画なプランとし、実践すべきだ。

【Q4:好きな人と、はじめて二人でカラオケにいくことになりました。
   さぁ、どんな曲を歌いますか?また、相手には何を歌ってもらいたい?】
どうでもいいや。
リズム感や音感が極度にない人は困るので、それを見極められれば可。

【Q5:夜の遊園地、はじめて二人で観覧車に乗りました。
    ドキドキクライマックス!手をつなぐ? 】
観覧車でクライマックス・・・にはならなそうなのだが、どうするべきか。
私は綺麗なものを見ると、目の前の人間よりもモノに興味が移ってしまう性質が強いので、もしもあまりに綺麗な夜景だった場合には相手をほったらかす危惧がある。
たいしたことない夜景であれば、暇つぶしに手を繋いだりするのも可ではある。

【Q6:楽しいデートの時間はあっという間。いつの間にか、終電がなくなっていました!
    そんなとき、あなたならどうする??そして、相手になんて言う?】
泊まる用意が皆無だった場合は、タクシーで帰ってしまう可能性が高い。翌朝に綺麗な状態を作り上げられるキット一式がない状態で一晩を過ごすのは逆に無粋である。
もし、こうなることを予期して準備万端であった場合には、「私はタクシーで帰れるけど、貴方はどうします?」と軽いジャブを入れて様子を伺う。自覚しているが私は結構な意地悪である。

【Q7:相手をかなり気に入ったあなた。
    告白は自分からする?相手からされるのを待つ?】
相手によって、効果的と思われる方を選択する。

【Q8:ずばり、いま好きな人、気になる人がいますか?】
漠然とした質問だが、恋人はいる。愛する友人たちも大勢いる。
加えて、愛する友人に昇格できるかどうかが未知数で気になる人も複数いる。

【Q9:Love Batonをまわす5人の人たち】
誰でもよいのだが・・・
前回のバトンを私に宅配で送りつけたピタさんはmustで宜しく。これは義務だ。
あとは・・・誰か試みに拾ってみてくれたまへ。

今回のバトンは、奇妙な疲労感が残るぞ・・・




掌のきもち。

2005-11-04 | 徒然雑記
 僕がまだ「先生」と呼ばれていた頃のはなし。
受け持っていた小学生の女の子が、ある難題を僕にぶつけてきた。
それは、やはり女の子は男よりも先に哲学に目覚めるのだな、と気付かされた瞬間でもあった。

「先生。こころって、どこにあるのですか。」
僕は、あまりにも唐突な質問に躊躇して、うーんと唸ってからこう答えた。
「掌にあるのですよ。」

彼女は、ふむ、と大仰に俯いたのち、僕の答えをきっぱりと否定するような潔い目をして、こう言った。それはまことに素直で、綺麗ないい眼だった。
「でも先生、ものを考えるところは脳だって聞きました。」
「こころは、ものを考えるところではありません。」
僕はそう断言した。
彼女は僕の言葉の意味を精一杯判ろうとして、難しい顔をした。
僕の言っていることが伝わったかどうかは判らないが、彼女は僕が伝えたかったことの意図を理解したに相違ない。

「ありがとうございました。」
ぴょこんと頭を下げた彼女の顔は、一種の新しい光を持っていた。

僕は彼女の小さい背を見送りながら思った。
僕にとってのこころが掌にあるだけだ。彼女はあと何年かしたら、人のどこにこころを見付けるようになるのだろうかと。

 僕は、人との接触をあまり好まない。それは僕の警戒心の強さのせいもあるだろうが、人の掌が僕に触れるだけでその人の精神状態や僕への意識の一端がその場所から流れ込んできてしまうためだ。情愛や無関心、敵意、ストレス。そんなものはいくら隠しても、掌という媒体を通じて無防備に流れ出てしまっていることを皆は知っているのだろうか。僕の様々な葛藤や想いでさえ、そこを通じてうっかり発信され、誰かに勝手に伝えたがってしまうことを。

 だから僕は色々な理由でこころが動いたり揺らいだりしたときに、無意識に掌をグーにしてしまう癖がある。あるいは、自分の左右の手を握り合わせてしまうのだ。無意識に自分のこころを護るために、その出入口を塞いでしまおうとしているのかもしれない。

 警戒心の強い者どうしがふっと手を繋ぎあう瞬間の、そんな大したことない行為の大きな意味を僕は大切にしていたい。
彼女がどこに人のこころを感じるようになるのかは判らない。だけれど、考えたり想ったりすることと違うこころの意味をいつかどこかに見出してくれることがあるのなら、僕という先生のいたことも思い出してくれたりするのかな。


 彼女が僕に質問を投げかけようとしたときの、僕の袖をひっぱったあの真剣な手の温度を僕の手首がまだ覚えている。
彼女が誰かをはじめてすきになってしまった甘い動揺と、毅然とした僕への目線は、素敵だった。