Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

湯煙と近眼。

2008-03-30 | 異国憧憬
 私にとっての温泉街に必要なもの。
それは、車の入れない道と、川と、山のすがたと、常よりも確実に遅く流れる時間。
加えて、自身の視力がよかったならばどんなにか、と思う。

 温泉は、行ってみればよいところである。とはいえ、温泉をさして好きでないという人(かつての私を含めた)は少なからず居る。その共通する理由を考えるにあたり、決定打となったのが「視力」の問題だ。
 温泉に入るときには眼鏡やコンタクトを外すのが常だ。しかし、視力の悪い人にとって、自身が裸あるいはそれに近い状態にまで薄着になる場所で、更に床が固く、おまけに水がセットになっているところ -- プールや風呂のような -- は、恐怖の対象である。足元の段差が見えない。おまけに滑る。肌がふやけている可能性があるから、コケたらきり傷打ち身は必定だ。

 「露天風呂から雪を眺めて」などの『絶景かな』を謳い文句にしているところも多いが、絶景が見える視力がこちらにはない。風雅な眺めの露天風呂も、手の込んだ浴室の内装も、全てがまるで水の中のようにぼんやりしている。近眼のひどい人はきっと漏れなくこういう不便な思いをしているのであって、温泉宿の謳う「風呂のすばらしさ」のすべてを満喫できることはまずない。近眼者のための新しい楽しみかた(近眼者でないと判らない限定的なタノシミ)とか恐怖の軽減とか、近眼割引とかがあればよいのにと思う。

 そんな私が宿で楽しめることと云えば、部屋付きの温泉に入りまくることでも豪勢な食事でもなく、ただ、部屋でぐったりとすることだ。風呂に入りたければ入り、縁でぼんやりしたければ煙草をふかす。疲れたら寝て、呼ばれれば起きる。
その間、できるだけ時計を見ないで済んだならば、それはとてもよい宿だ。




まだ見ぬ仏像へ。

2008-03-19 | 芸術礼賛
 今日(アメリカ時間昨日)、嬉しいニュースが届いた。
ひとつの運慶の仏像が日本にこれからも住んでいてくれることが明らかになったことだ。
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【ニューヨーク18日時事】
鎌倉時代の仏師、運慶の作品とみられる木造大日如来像が18日、ニューヨークの競売商クリスティーズで競売に掛けられ、日本の大手百貨店の三越が1280万ドル(約12億7000万円、手数料除く)で落札した。クリスティーズによると、日本の美術品としては過去最高、仏像としても世界最高の金額という。
 運慶は(略)その作品の多くが国宝か重要文化財に指定されている。文化財保護法によれば、指定文化財の国外への持ち出しには文化庁長官の許可が必要だが、この仏像は確認から日が浅いこともあり、こうした指定を受けていなかった。運慶の作品が国外で取引されるのは初めてで、海外流出の恐れが取りざたされていた。
 落札された仏像は(略)、作風などから運慶が鎌倉初期の1190年代に手掛けた作品とみられる。現在の所有者が2000年に北関東の古美術商から入手したとされ、03年に東京国立博物館の調査で運慶作の可能性が高いと判断された。
 この日の競売には内外から応札が相次ぎ、落札額は予想価格(150万~200万ドル)の6倍以上に達した。最後は三越と米個人収集家の一騎打ちとなったが、三越が制したことで、海外流出の危機は逃れた。
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 今回の危機を呼び起こしたポイントは以下の2点。
1) 当該仏像が文化財指定されていなかったこと(所有者が拒否したという噂もある)
2) 国庫から特別予算が下りなかったこと

 文化財保護法は、文化財それぞれの適切な保護のために制定されたものである。しかし、戦後の混乱の中で多くの美術品が海外流出したことを受け、貴重な日本の文化を国内に遺しておくためのリスク管理という意味合いもあった。文化財は、指定されているものばかりが優れているのだとは限らない。例えば正倉院に収められている御物のように、文化財指定を受けていなくとも同価値に貴重なものがある。それらに法の網がかからないというだけで、我々は自由に美術品を売買できるわけだ。

 一方で、日本には海外作の国宝もある。よって、単に公平性を考えただけでも、「わが国で製作された美術品が海外に流れることはあってはならない」とは言い切れない。また、海外の有力なコレクターの存在が作品を良好な状態で護った実例もある。近年の伊藤若冲ブームは、ご存知のように、アメリカのコレクターであるプライス氏の功績が大きい。当時、まだ日本の美術史家からも決して評価が高くはなかった若冲の作品にプライス氏が惚れ込み、集めてくれたことによって、多くの作品が世界中に分散し行方知れずになることを免れた。

 今回の件は、美術界ではある種の「非常事態」であったと云える。中学生でも(小学生か?)社会で習うところの運慶の作品は、その美術的・歴史的な価値を誰もが認めるところである。しかし、その数少ない作品のひとつを国の財産として留めておくための特別予算が組まれることはなかった。そうすべきであった、とは決して云わない。そうならなかったことが淋しいだけだ。

 それには、通常予算の手仕舞い時期にあたる3月にオークションが開催されたということも災いしていることは確かだ。しかし、凡例や前例を無視して「このための予算が国にとって今必要です」と議会内、ひいては国民全般に対して自信を持って誰かが公言できるほど、文化(あるいは文化的なもの)の重要度はこの国において高くない。危機的治安状況にある際の軍事予算を急遽組むことと同様に、この文化流出の危機を感じることができなかったか、あるいはそう信じることに自信がなかったか、であろう。


 作為的に醒めさせた思考で傍観していただけの私の感慨は、ただ素直に「嬉しい」ということだ。
海外よりも近い国内に居るほうがきっと、逢えるまでの日が短くて済む。


会社の窓から望む三越のビルが、今日はいつもよりも清廉として見えた。

三越、ありがとう。





白の裏側。

2008-03-10 | 徒然雑記
 春先にはつきものの頭痛を抱えながら地下鉄に乗る。
途端に、女性の白いコートが眼の奥をずきん、と痛ませた。

 眼につく白いコートは2枚。衝動的に、修繕がきかなくなる程度にまで汚してやりたい、と思う。実際には器物損壊だったか暴行だったか、とにかく人間界上では明確な罪名がその行為には伴うはずだし、そもそも頭痛は衝動を行動に移すだけのエネルギーを奪うから、ただボンヤリと思うだけのことだ。

 本来なら私は白という拒絶感漂う色に対して、普段なら触らず遠巻きに眺めて、白を白のままに留めたいと願うクチだ。白い面に向かって様々な色を --それもできることなら鮮やかな赤を-- 撒き散らしたいと願う日は、機嫌が悪いのを通り越してむしろ爽快なものだ。悪意でもいたずら心でもなく、ただ純粋なボンヤリ頭が生み出す破壊的な思惑は、あるいは幼児の性衝動に近いそれかもしれない。


 白という色は、薄皮を一枚剥がしたその奥に、雲母のようなブラックオパールのようなとりどりの色を隠しているに決まっている。いや、あるいは、白はいつまで経ってもどこまでも白で、まるで入れ子のようにどれだけ皮を剥いてもその奥からは相変わらずの白が顔を出して、小さくなることも色を薄くすることもなく、その核が無くなることすらないのではないか。あるいはそもそも白という概念は幻想で、白そのものがこの世に存在していないのかもしれない。

 地下鉄の振動に合わせてがんがんと鳴り響く頭で、私は飽きもせず白という存在を疑い、しかし疑い切るだけの余力が欠如しているから、それを汚すことで短絡的な解決を図ろうとする。なんと単純明快な病人の構造だ。


 駅から地上に上がった私の頭上にかぶさる空の色に名前はない。
青から藍に向けて明度を落としてゆく東の空に、西から茜色の指先が追いすがる。捕らえきれない指先は藍の進行に阻まれて、追いかけっこはまた明日の夕べに持ち越しだ。
ゆっくりと、けれど鮮やかに色を変えながら空を覆う細い色の集まりの中に、私の疑う白の存在はない。


 私は安心して微笑む。

 空が決して白くないから、狂うことなく生きてゆける。
 この狂おしい衝動とともにあっても。





嘘泣きの約束。

2008-03-04 | 徒然雑記
 10ヶ月ぶりの友人に逢った。
1年を置かず逢っているというのに、毎回その身辺に起こる出来事には驚かされる。まるで三流ドラマのように次から次へと新しい災厄に見舞われるから面白い。面白い、と云えるのは、友人がいつもそれを笑って話すからだ。
戦地のアフガンに取材にいっただの、部下に数千万の横領をされただの、大忙しだ。
「全財産の4万円で競馬に行ったら、数百万に化けんねん。なかなか楽にさせて貰えへんで。」
横領した元部下を庇いながら、友はそう云ってわははと笑った。

心斎橋のそごうに現れた友人は一回り半ほど縮んでいて、すぐ間近まで来られてはじめて彼に気付いた。
「どうしたの。しぼんだね。」
「癌切ったねん。食道癌。」
「いつ。」
「こないだ君が来てから2ヶ月後くらいかな。それから検査でちょいちょい東京行ってるねんで。」
「なんで連絡してくれなかったの。格好悪いから厭だったんでしょ。」
「あたり。見舞いこられたらかなわんで。」

ばっかだねぇと大笑いしたところへ、私が姫と呼ぶところの奥方が
「そうやねん。とうとう死んでまうかと思たんやけど、これがまだ生きとんねん。」
わざと残念そうな顔をしながら、これもまたケラケラと笑った。
ほんとねぇと私は相槌を打ち、
「死んじゃったらちゃんとあたしにも教えるのよ。」と友に云うと
「俺は死んじゃったら教えられへんねん。おい、ユカリ、頼むで。」と姫に云う。
「ほな、あんたが死んだらあたしとマユちゃんでちゃんと嘘泣きしたるわ。」
 嘘泣きなんかできっこないくせに、姫はそう確約した。


「戦地で死ぬときは、後ろ向きに倒れて死んだらあかんで。せめて前向きに倒れや。」
 姫が云う。
「畳の上で死んだらあかんのか。」
 友が苦笑する。
 なんと羨ましいふたりだろう。





ワードローブ(Part-9)。 - 欲は限りなく -  

2008-03-02 | 物質偏愛
 いつもより遅れて、ようやくスーツが出来上がってきた。
遅れた理由は、セールで注文が重なったことと、おかしなボタンを別注したためだ。

 さて、今回のスーツはここで仕立て始めて4着目となる。
鉄紺、黒、グレイ、と続いたものだから、そろそろベーシックでないものがあってもよいだろうと思い、チョコレート色にピッチの狭い白ペンシルストライプという派手な生地を選んだ。・・・つもりだった。

 仕上がりを試着して鏡の前に立つ。
・・・全然派手じゃない。  愕然。なんで?どうして?

 理由として考えられる点は以下の通り。
◇ステッチが生地色と同色
◇襟がテーラード
◇チェンジポケットなし

 派手にしようと試みた点は以下の通り。
◆「スターダスト」というベージュ×茶のキラキラボタンにした
◆そもそも生地色が華やか
◆白ストライプでピッチが狭いのでかなりくっきりするはず
◆袖先をフレアにした
◆袖口ボタンホールの糸色を生地より明るめの茶色に指定


 うむ。改めて考えても目論見自体が失敗という訳ではなさそうだ。
 派手に見えるかどうかは、着慣れの問題(=着る人による)かもしれない。今後、派手なスーツを作りたいときはもっと威勢よくいかねばならぬと反省。
ともあれ、女性のスーツではできない仕様が多すぎて、派手にしたくてもできない条件下にあることは否定できない。ゴージラインを上げてピークドラペルにして、コンケープドショルダーにして、D管留めにして、チェンジポケットのフラップを2段重なるようにしたりなんかしたら、途端に華やかになるというのに。できないこと尽くしだ。


以下、今回のまとめ。


【初の試み評価】
○ 袖フレア
 通常の袖は、ストレートというよりも袖口にいくにつれて細くなる。
 フレア指定では所謂ラッパ袖になるわけではないが、袖先までストンと開いたストレートのような感じになる。動きやすそうだ。

○ ストレッチ素材(微弱)
 出来上がりを見て知った。手触りでは判らないくらいの微弱なストレッチになっているようだ。「誤差範囲でいつもより仕立てサイズが緩い気がします」と云ったら「ストレッチのせいです」と云われた。
生地を触って気付かぬ程のストレッチでも、こうも着心地が楽になるものなのかと感嘆。出張によいかも。 


【色】
○ 茶色
 派手・・・なんだと思うのだけど。

○ 裏地紫
 どのみち裏地は見えないものの、赤味がかった京紫は茶色とよく合う。
 茶×青の組み合わせとかなり迷ったが、これでよしとする。


【ディテール】
○ 変わりボタン「スターダスト」
 単品で見ると相当に遊びっぽいボタンであるが(なにせラメが入っているし)、スーツと一体となると別に溶け込むから不思議なものだ。ベースはベージュパール色なので、茶色一辺倒の中に明るみが入って非常に宜しい。夏でも暑苦しくなく着られるかもしれない。
特に、袖口のキラキラ4つボタンの並びは、可愛らしい。
たかがボタンに余計な金を払っただけのことはある(気がする)。


【次回のための覚書】
・ナットボタン
・グレンチェック(バイカラー)
・チェンジポケット
・スクエアフラップ
・袖5つボタン色変更(?)
・カラーチャート持参




【過去関連記事】:
ワードローブ。
ワードローブ (Part-2)。
ワードローブ (Part-3)。
ワードローブ (Part-4)。
ワードローブ (Part-5)。
ワードローブ (Part-6)。 - グレイのポテンシャル -
ワードローブ (Part-7)。 - 華やかなグレイ -
ワードローブ(Part-8)。 - ビターチョコレート -