Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

コクトーで火傷。

2005-08-30 | 春夏秋冬
 本当なら今日、竜胆の絵を描こうと思っていたのだが、ちょっと一人遊びの度が過ぎて、土曜日に無茶な日焼けをしてしまった。外部に注意を向けることができないこんなときは、自転車に乗ってどこかにお出掛けしようにも車にまんまと轢かれてしまいそうだし、絵を描くにしても注意力の全てを対象に向けることなんてできやしない。自分の身体は骨とか筋肉とか内臓とか、そういう様々なものの合体で出来ていることくらい判っているはずなのに、今の自分にとっては自分の全てはこれ皮膚だ。皮膚しかない。

だから、無茶な日焼けの原因についてちょっと書くとともに、日焼けの前日に描いたピオーネのデッサンを代打で載せておく。ぶどうは、ちょっと実を千切ったほうが形状として面白そうだと思い、食べながら描いたので紙を汚した。
色は、気が向いたらそのうちつける。


 長時間日に焼いたら火傷になることは予め充分承知していたが、最近ちょっと相棒に放っておかれたのがつまらなかったのもあって、ちょっと自虐的な遊びをしすぎた。それは「コクトーの小説をひとつ、海辺で読み終わったら宿に戻ろう」というものだ。家族連れがきゃぁきゃぁ騒いでいる南房総の浜で場違いにも独りぼっちで寝そべって、コクトーに負わされた火傷。そりゃぁ痛くないはずあるまい。

お陰で、ツマラナイとか退屈だとか、そういうことはなくなった。
この痛いのはどうしたら緩和されるか。
痛くないように寝るには枕をどうしたらよいか。
シャワーの温度はどの程度がよいか。
身体じゅう熱いので冷房をかけたまま寝てよいか。
そんなこんなで考えることがいっぱいあって、宿では退屈せず眠りにつくことができて万事目論見通り、いたく満足をした。

翌日顔を合わせた相棒は私の様子を見て呆れて笑った。
私が無知でこんなざまになっている訳ではなく、確信犯的に自分の身体で遊ぶ厭な癖があることを知っているためだろう。だからこそ、「なんでそんなことをしたの」とは訊かれない。
誰から見ても明らかな荒療治であり馬鹿げたことなのだけれど、思考の全てが自分の身体に向かう状態は一種のカタルシスとなり得る。日焼けで自分が痛い&熱い状態は、その事実そのものも解決策もともに至極単純で、それにかかりっきりになることは退屈や下らない思考から私を解放してくれる。痛いのを緩和するために試行錯誤することを愉しんでいる。

治ったときには、すっきりさっぱり。
日焼けの跡を見て、暫く反芻して愉しめるかもしれない。
水ぶくれもしていないことだし、綺麗なテクスチャに仕上がるといいな。

(※危険ですので、子供は大人の人と一緒に遊びましょう。)


カルロ・クリヴェッリに見る孔雀。

2005-08-26 | 芸術礼賛
昨日の孔雀明王の記事に引き続き、西洋の孔雀に目を向けてみたい。
そこで、お好きな方には堪らない、苦手な方には不快とされるらしいカルロ・クリヴェッリ(Carlo Crivelli)の受胎告知図を参照する。


西洋の宗教画に描かれる孔雀の意味は大きく2つに分かれる。

【不死、永遠の命】
孔雀の肉を食べると、不死の肉体を得ることができる、という伝承(迷信?)から、孔雀は不死のアイコンとされるようになった。宗教画に描かれる場合には、救世主キリストの消えない命、信仰の不滅、教会の存続などを象徴する役割を果たすことが多い。

【虚栄、豪奢】
華麗な尾羽とその全体的に華奢で華やかな姿から、豪奢であること→虚栄・みせびらかしという否定的な意味に解釈されることもある。心を求める信仰者において、現世の華やかさや豪奢さは時に信仰の邪魔をする俗世の欲を象徴するものとして解釈されることもあり、皮肉を込めた題材の中にこの意味を込めて孔雀が描かれることもある。

 クリヴェッリの受胎告知は不思議な絵である。この絵の役割は2つあり、「受胎告知」というテーマの宗教画である意義と、この絵を彼に依頼したアスコリ市に自治許可の知らせが届いたことを祝う意義とが重ねられている。丁度、自治許可の通達が市に到着したのが受胎告知の記念日であったために、そのことに意味を見出してこの絵が作成されたのである。ヴェネツィア派の祖とされるヤコポ・ベリーニの素描帖を組み合わせたような遠近法の画面の中に、受胎告知のモティーフに混じってアスコリ市の守護聖人や、手紙を読む人物が描かれているのは、この絵が単に宗教画として描かれた訳ではない「記念画」の位置付けが強いことを意味する。

この絵の中に山ほど存在する意味のあるモティーフ、または意味のないモティーフの中で、最も目を引くのは画面右手前、聖母マリアの真上に大きく描かれる孔雀であることは否定できない。そして興味深いのは、孔雀は一般的な受胎告知画に好んで使用される定番モティーフではないということだ。

※ここから以下は個人的解釈なので、話半分に読んで頂きたい。

受胎告知の文脈に孔雀の図像的意味を当てはめるのには相当な無理をきたすので、別の解釈が必要となるであろう。そこで当時の情勢と照らすと、アスコリ市のあるマルケ地方というイタリア中部は当時教皇派と皇帝派の勢力闘争の前線と言ってもよい場所である。教会がアスコリ市の自治を認めたのも、「皇帝派に寝返らないでね、宜しくね」という政治的意味が色濃い。そんな中でこの記念画を描くにあたって、クリヴェッリはアスコリ市の自治獲得を祝うとともに、自治を認めてくれた寛大なる教会への賛同を画中に表現したと解釈できる。つまり、この孔雀は「カトリック教会よ永遠たれ」という意味を示しているということだ。

実は、ここまでが表の解釈である。
ここから先は推測が主となるが、クリヴェッリがヴェネツィアで人妻とねんごろになって追放された過去、また力関係を上手く読み、各地を転々としつつもパトロンを確実に獲得して生き延び、ついには騎士の称号まで得ることになるその世渡りの上手さと反骨精神などを踏まえたうえで、孔雀のポーズを見てみる。

通常は尾羽をぱっと広げた形で示されるか、もしくは完全に閉じた形で示される孔雀がまるで見返り美人のように垂らした美しい尾羽を強調している。本来なら尾羽を広げた状態で示される「虚栄」の心理を、この教会派と皇帝派の俗世的な勢力争いの中にクリヴェッリは見ていたのではないか。おおっぴらにそれが伝わることのないよう明らかなる表の意味を込めたうえで、尾羽をこれでもかと見せびらかす孔雀にそのアイロニーを込めたのではないか。

以上が私の解釈である。

再度孔雀の姿を見て欲しい。
こちらを振り返る孔雀が、ニヤリと片口を上げているように見えないだろうか。




高野山霊宝館(孔雀明王)

2005-08-25 | 仏欲万歳
 仏像記事も久々となる。
昨月の感動を反芻しながら、快慶作の孔雀明王像をフィーチャー。

孔雀明王は、両翼を広げ尾を光背のように広げた孔雀の背に乗る姿の明王で、今まで仏画では何度かお逢いしたことがあるが、仏像では今回が初めてだ。
これまでに観た仏画と同様、不動明王や愛染明王のように怒りをこめた忿怒相の表情ではなく慈悲相といれれる穏やかな面相で、他の明王とは個性を異にする。

現在の日本ではあまり一般に信仰されてはいないが、明王の中でも最も早くインドで成立していたのがこの孔雀明王らしい。日本でも既に奈良時代には祀られており、平安時代に孔雀明王信仰は最も栄え、その後は衰退していったようで、鎌倉期以降の仏画及び仏像の良品はなかなかないのはどうもそのためか。

孔雀明王は、一見豪華絢爛な華族さまのようにお上品で華麗な姿をした孔雀が、その反面で人間の最も嫌う猛毒をもった蛇を食べ、その害から守ってくれるところから信仰を集めた。一切諸毒を除去する能力をもつ功徳から、息災や祈雨などの本尊として祀られてきたそうだが、息災は判るが雨乞いに発展したのはどうも解釈的に都合良すぎはしまいか、とも思う。ま、祈祷が大成功している歴史があるのでよいか。

仏像マニアの間では、まるでアイドルを語るような感じで
「運慶派?快慶派?」 という質問が必ずどこかの場面で交わされる。
因みに私は快慶派である。決して誇張しすぎない、しかしその掘り出された木の表面の細工より更に内部へと凍って篭ってゆくようなリアリズムと、知性に満ち満ちたその顔立ちが私にとってガツンとくる快慶の魅力。

この孔雀明王は快慶の初期~中期頃の作風で、薄い皮膚に針を入れたらパンとはぜそうに張った若い肌質。孔雀の上に座っているため動きは一切ないはずなのに、写真館のカメラを前にポーズを取り続けるあの中途半端な時間の中で筋肉が異常緊張するのと同じように、静謐なポーズの中に、内に込めた緊張がみなぎる。
インドでは女性名詞で呼ばれるように、女性の性質を持つ孔雀明王は明王部の中では穏やかな顔と言われるが、全体的に菩薩部を思わせる面立ちの中でその目は異質に鋭く、眉は快慶作の他の菩薩と比較すると若干ストレート気味で吊っており、凛々しさを増す。快慶にしては若干長めと感じられる鼻筋は男性的な直線が際立ち、唇は強く引き結んでおり口角が僅かに下げられ、歯まで食いしばっていてもおかしくない意志の力強さを示している。

孔雀明王の概説には反するような男性的な力強さと凛々しさを、その静的かつ女性的に規定されている様式の縛りの中において見事に押し出している傑作だ。この像だけを見れば孔雀明王の起源が女性仏であることなぞ伝わらない。快慶の解釈による凛々しい明王は恐らく20代後半、若さのパワーの中にも冷静さと忍耐を兼ね備えることができる早熟な大人の男性のすがた。

金色ベースの孔雀もまた明王の分身かと思えるほどに凛々しい目つきをしている。頭部から首にかけての細かい羽毛のうろこ状表現、光背の見事な尾羽は孔雀界でも余程の美男と称されるほどの完璧さ。

 快慶は、仏像を動物に乗せるのが本当に上手い。
 乗られている動物にも個性と煌びやかさと性格を、ひいては命を与えることがこんなにも上手い。


 ※西洋宗教画のアイコンとしての孔雀については次回もちこし。


【参考URL】
国宝 弘法大師空海展
東京国立博物館孔雀明王像(国宝)

拾い魔の憂鬱。

2005-08-17 | 徒然雑記
 lapisさんの記事についてお話をしていた流れで「怨霊ものはどうかね」と云われた。ふむ、と色々考えてみたものの、自分が怖くなってきたので物語系のものはやめることにした。

 白状すると、私は拾い魔で、飛ばし屋なのである。
拾い魔というのは、文字通り気付かぬうちにひょいひょいと色々なものを拾ってきてしまうことだ。そして飛ばし屋というのは、気付かぬうちにひょうと念を飛ばしてしまうことである。当方、怖い映画も見れずどんなに安普請のお化け屋敷も蝋人形館も入れない性質なので、見えないというだけで非常に有難い。拾うのと飛ばすのは、本人の注意があればある程度までは制御できるものらしいが、見える見えないについては目を閉じて歩くわけにもゆかないから始末に悪い。厄介ではあるが、最悪の事態を回避しているだけでよしとしている。

 拾い魔エピソードで我ながら笑ったのは、東京は大塚の元三業地のことだ。友人と歩いていた際、喋りながら私よりちょっと先を歩いていた友人が私に相槌を求めてふっと振り返った途端に目を丸くして一瞬黙り込み、次いでゲラゲラと大笑いする。何じゃらほい、と思っている私に向けて
「桃太郎の鬼退治じゃないんだからさー。そんなゾロゾロ連れてくんなよな~。しかも芸妓ばっか!何か騒がしいと思ったらそれかい!」
友人は「見える人」で、しかもかなりの男前であった。彼を目当てにしなを作った芸妓さん方がしゃなりしゃなりと私の後を・・・可笑しいやら呆れるやら。彼らには、友人に云い含めて貰ってお帰り願った。

まぁその後も、成田空港のレストランで塩を貰ったり、「猫いっぱい連れてて愉しそうですね」とか無責任なことを云われたりと数知れない。大方の者たちは飽きれば去っていってくれるし、基本的に空家ではないので悪いものたちはあまり寄ってこないそうで一安心しているが、それなりに注意している部分はある。

①古家具を買わない
②「なんとなくいやだ」という感覚を信じて、その場所は避ける
③理由もなく突発的に行きたくなったところに行かない
④行こうとして予定を立ててもいつも行けなくなるところに無理して行かない

こんなところ。理由については大方の察しがつくだろうので省略したい。

 次、飛ばし屋について。
自分でも自覚がないが、私はたまに「飛ばす」らしい。
簡単に言うと、私に対してある一定以上の不条理かつ酷いしうちをした人々が交通事故にあうようだ。私は人から受けた悪意に関しては案外あっさりしていて、意識的に根に持つタイプではないと思っているのだが、そうは問屋が卸さないらしい。これはあまり口外すると人々が怖れをなしてしまうことがあるので、まずもって云わないことにしている。因みに知っているだけで3人が事故っているが、それぞれ車やバイクを全損するだけで本人に別状がないので、まぁ「懲らしめ」くらいの可愛いものだと思って頂きたい。
そもそも、「私」が飛んでいるのを目撃した人がいるわけではないので、もしかしたら私の背後に居る誰か別のものが飛んでいる可能性もあるのだが。


 さてさて、寒くなったであろうか。
 それとも、笑ってくれただろうか。

因みに、私が何故だが入れない店に銀座の鳩居堂がある。
日光には今まで4度ほど計画して、まだ訪れることができていない。

 はてさて、どんな意味があることやら、ないことやら。

蟷螂(とうろう)。

2005-08-15 | 春夏秋冬
 僕はいつものように目黒の裏通り、会社に至る道を歩いていた。
東京の暦ではもう盆を過ぎてしまって、まだ朝の9時前だというのに既にためらいなく暑い。近所の住人しか通らないであろうこの静かな道で不似合いと思える程に哀しい顔をした自転車の男が僕とすれ違った。その理由に対する僕の疑問はすぐに解決された。
そこから数十メートル歩いた道の脇で、綺麗な体躯をした猫が眠っていた。いや、静かに、ごく自然なことのように美しい姿で死んでいた。
数匹の羽虫が飛んでいたことで、それと判った。

「しくじったんだな・・・」
 僕は思った。

そして僕の想いはその猫に連れられて懐かしい場所に連れていかれた。

子供の頃、動物の死体はそれだけで畏怖を感じる不吉なものとして僕等の内にあった。そして夏のそれはまた特別であった。

 僕等が「権現さん」と呼んでいた小さな神社がある。小山の斜面を削ってなんとか平らにしたと言わんばかりの申し訳程度の広さの公園がそこに付属していた。権現さんとその公園を管理していたのであろう神社の裏には木造の家屋があって、そこに8人兄弟とその両親が住んでいた。僕等にとって権現さんは現世と異界とを繋ぐ門のような気がしていたので、そんなところに住んでいる人々は一種尊敬に値し、また一種不気味であった。僕等は夏になるときまって、思い出したようにそこで遊んだ。

ある日、僕はいつものように仲間とそこへ遊びに行った。そしていつもであればあるはずのないものを見付けた。
今の僕の身長ではそこに座るしか役に立たない高さの鉄棒の根元に一匹の猫が死んでいた。僕等はなぜか黙った。そして何事もなかったかのように遊びはじめたのだがやはりそれは無理なことで、はっきりした理由は言わずしかしみんな同じ気持ちで神社の階段を降りめいめい家路についた。

他のことに気を取られていたので案の定と言えばそうなのだが、その日に限って僕は帽子を忘れてきてしまった。明日取りに行くから、と言っても聞き入れては貰えず僕は薄暗くなった夕餉の前に、それを取りに行かねばならなくなったのだった。

「お晩なりました・・・」
という「こんにちは」と「今晩は」の間のごくごく短い時間にのみ用いられる独特な挨拶を交わし、なんとか日が暮れてしまう前に、と権現さんへの道を急ぐ。権現さんの位置する同じ斜面には墓地があり、盆になると人々は毎日この時間に自分の家の墓石と並ぶ石灯籠に灯を点しに行く。
俯き加減の急ぎ足でその山の入り口に到着した僕は初めて顔を上げてその斜面を見上げた。

日暮れの早い山あいで、さらにその斜面が最期の日を遮ってぼんやりと山際がコロナのように紅く輝く。対蹠的に闇に近付く斜面では石灯籠の灯がぽつりぽつりと規則的な間隔を隔てて無数に揺らめく。
それは、幽玄。

立ち尽くしていた僕ははっと思い直し、権現さんへ続く長い長い登り階段のふもとへと駆けた。幅の狭い急勾配の階段は闇へと続いていて、今から僕はそこへ自ら吸い込まれに行かねばならなかった。

「1、2、3、4・・・」
息を殺し、声に出して段を数えながら自分の足元だけを見て、一定のピッチで階段を駈け登る。
完全に夕闇と木々に呑み込まれた権現さんの公園で僕の帽子は鉄棒にひっかかっていた。
視線を逸らそうとしてつい確認してしまった、先程猫が横たわっていた場所にはもうなにもなく、総てが跡形もなく消えていた。裏に住んでいる家族が「それ」をまるで物質のように処理したのであろうか。なんだか僕にはそのこともまたそら恐ろしく、来たときよりもさらに急ぎ足で階段を駆け降り、そのままの勢いで家へと逃げ帰った。

 高い空。陰と陽が濃く明確に共存するこの季節は僕等の心を等しく過去に返す。
不思議に大らかで、懐かしく、現在と過去との間を行き来しながら毎年僕はこの季節を過ごし、そして季節が通り過ぎた後にはまた当然のように現在の中を生きはじめる。

会社からの帰途、猫の亡骸はもうなかった。
あのときと同じく、消えるように。
その空白の場所を目で追った僕の視線を止めたのは、柔らかい緑色をして電柱にしがみつく2センチ程の蟷螂だった。

 今年の夏も、あと少し。




たましいの実。

2005-08-11 | 徒然雑記
 
 手に乗せたら確かな実感と重量があるのに
 ちょっと力を入れたら、ぐしゃっと潰れてしまう。

 一本の茎に仲良く並ぶ実は丹色。
 風にからからと軽い音を立てて笑うように揺れるさまは
 何十、何百と並ぶ蝋燭の炎がゆらゆらと揺れるよう。
 触れれば体温よりも熱そうなたましいの色がいくつも。

 いくつか千切って、床柱の脇に並べる。
 茎から切り離されたそれは
 もはや二度と笑いながら揺れてくれることはなく
 それなのに、未だ変わらずに鮮やかなたましいの色が目に痛い。

 もう一度、からからと笑って欲しかった。
 たましいの実を覆う葉脈のように
 幾重にも刻まれた皺をくしゃっと歪めて。

 切り離された実は、もう揺れないから
 指で少しだけ弾いてみる。
 
 からから。
 からから。
 
 もういちどだけ。

 
  

(優しかった女性に。050810) 

 

天心先生、ご機嫌麗しゅう。

2005-08-09 | 徒然雑記
北茨城市の五浦(いづら)というところに、岡倉天心は東京美術学校と喧嘩別れしたのちほどなく日本美術院を創設した。今では、天心を偲ぶ旧跡が、その周囲の景観とともにぽつぽつと残っている。
岡倉天心は、恐らく一風変わったお人ではあっただろうけれども、九鬼隆一らとともに、彼らがいなかったら私は大学で美術史を学ぶことも、今こうして文化財に関わる研究をすることもなかったかもしれない。
という訳で、一度くらいはきちんとご挨拶をせねばと、五浦を訪れることにした。

天心が五浦に滞在していた期間はそう長くない。天心のような俗世的な気性の人間が、うら淋しい漁村の風景に染まって長く暮らすことができるはずもない。とはいえ、海水浴場から離れた断崖絶壁に打ち付けるどん、どん、という強い波の響きと崖上から海を見下ろす絶景は鄙びた風情とはかけ離れた自然の力を感じさせ、天心が徒に都を離れて隠遁ごっこをしていた訳ではないことが伺える。

茨城県天心記念五浦美術館では、普段あまりお目にかかれない天心の絵や、日本美術院の学生であった当時の横山大観下村観山菱田春草などの写生画(課題画)を見ることができる。天心の、常に酔っているような右肩下がりの個性的な字や大観の美しい線描による写生、春草の神経質な画調といかにも夭逝しそうな(失礼)字体。日本美術院関係の展示物は決して多くないが、普段の展覧会には並ばないような面白いものが見られた。

当時の日本美術院(絵画課)は、崖の際の僅かな平地に建てられた平屋であって、今は影も形もない。その跡地に立つと、実習部屋に座って絵を描いていてふっと顔を上げればその正面には広く取られた窓(あるいは障子)があり、その先がすぐ海であったことが判る。
どどんという波のしぶきの音と振動が身体に伝わるこの場所で激しい自然の脈動を聞きながら、絵のことだけに没頭していた人々がいた。

そこから更に奥に進むと、見晴らしのよい崖の際に出る。
海沿いの風は涼しくて、内地ではもう枯れてしまっている山百合が海を背にして見事に咲き誇っていた。潮の香りに鼻が慣れてしまった折に、百合の強い香りは目を覚まされるように刺激が強かった。
見事に咲いている山百合の中で、もっとも崖の際で海がよく見える一等地に咲いている一輪を手折ることにした。安全柵の向こうに咲いているため、足場をどこに取るべきか、根元から折るにはリーチが足りない・・など試行錯誤をしているうちに肌や服に花粉がついてしまって少し大変なことになった。

だけども、分骨された天心の墓に、誰も一輪の花も手向けていない中にひとつだけ花を活けるとしたなら、海の香りを一杯に吸って海の音も色もいちばん近くでよく見てきた花を活けてあげたかった。
真っ白な百合を通して、土くれの中で眠る天心の目には綺麗な夏の海が見えるに違いない。

 
 先生。ご機嫌麗しゅう。


妖怪日和。

2005-08-08 | 芸術礼賛
alice-roomさんの記事に誘われて、猛暑の中を谷中まで幽霊求めて全生庵までお散歩。
なかなか良い絵が多かったので、感想をいくつか記しておく。それぞれの絵は、全生庵HP内「幽霊画ギャラリー」の番号に従う。

【NO.26】伝高橋由一 幽冥無実之図
落款がないので定かではないが、由一画としても全くおかしくないデッサン力とウイットを併せ持っているので、真作であると信じたい一品。
青や赤などの色彩で、現世に生きる人である生命感を演出している下部の女性に慕い寄る亡霊ストーカーの顔がぼんやりとしていて筆致も荒いのにリアリズムに溢れている。半開きの口、視線の明らかでない目に伸ばしかけた手。目的と手段がこんがらかってしまった哀れな妄執の形は、生者も死者も変わらない。

【NO.25】河鍋暁斎 幽霊図
荒い筆致で、顔と髪以外は朧にして殆ど描かれていない。しかし、これらの全ての幽霊画の中でもっとも響いた一作。
墨使いの上手さは並ぶものがない。強い墨で描かれた髪の表はざんばらに絡んで堅く束になってしまっているさまをよく表し、櫛の入る余地もない。そこには、細く繊細に描かれる髪の心細さとはまた違った哀れさが満ちている。
表情は静かで、涙も枯れたかに見える節目と、軽く引き結んで少し笑っているようにも見える口元が深い哀しみと諦めを湛え、うっかりしたら「どうしたの」とこちらが泪目になって問いかけてしまいそうな危うさがある。

【NO.48】高嶋甘禄 髑髏図自我賛
解説によれば、「画面下部に朽ち果ててゆくひとつの髑髏が描かれる。その頭上からすっとたち昇るように死者の霊が抜けてゆき、幽霊としての形を今まさに整えようとしている瞬間を描いた」とされる。
月よりも白く白抜きで残された魂は、今形を成さんと前後左右にふるふると震えて、大きく膨らんだりあるいは縮んだりしながら、暫くの刻を経て、ひとがたとなるのではあるまいか。死という絶対的な静の中を生きる幽霊が、動をもっていま生まれようとする一瞬は、おどろおどろしくも決して侵してはならない瞬間のように思えてくる。

【NO.23】歌川芳延 海坊主
「ぼーーー」という海坊主の声が聞こえてきそうな一品(そんな声かどうか知らないが)。
舟の進行方向に海坊主が立ちはだかっているのか、あるいは舟の後方から忍び寄っているのか。向こうが透けてみえる、表情も判らない真っ平らに塗られた海坊主の首がひょいと傾げられていて、舟に乗る人を丁度見下ろすようになっている。
ここまでにないくらい簡略化された海坊主に妖怪としての生命を宿しているのが、まさにその傾いだ首。傾いだ角度の可愛らしさと、そのほんの小さな動作によって人(舟)をロックオンするそら恐ろしさとの同居。


 因みにこの日の午後は妖怪大戦争観にいった。
この映画の見方としては・・
①主役のタダシ君の可愛らしさを見て悦に入る
②豪華キャストによる豪華キャストのための映画と割り切った上で、キャストを愉しむ
③種々の妖怪が一画面に収まっているその構図を見て(妖怪好きは)喜ぶ
といったあたりだろうか。

というわけで、妖怪尽くしの一日となったのである。